愛ゆえに強く、愛ゆえに鈍る

愛ゆえに強く、愛ゆえに鈍る



「ルフィ!! その人形を渡さんか!!」


「いやだァ~!!!」


”東の海”に存在する「ゴア王国」、その外れにポツンと位置する「フーシャ村」。

村の外れにある森の入り口で小柄な人影と大柄な人影が追いかけっこをしていた。


少年の名はルフィ。いつか海賊になることを夢見る幼き子ども。

男の名はガープ。この海を守る「正義」を象徴する”海軍”において”英雄”と称される生ける伝説。


「ウタを返せよじいちゃん!!」


そして少年ルフィの祖父でもあった。


「ダメじゃ!! これから修行するっていうのにこんなもん気にしとる場合か!!」


ガープから逃げていたルフィだったが、所詮は子どもと大人。

すぐさま捕まりその両手に抱えていた人形、ウタを取り上げられた。


ウタを取り返そうとルフィは小さな体で飛び跳ねるが、ガープに指でつままれているウタには届かない。


「モノじゃねェ!! ウタはウタだ!! 生きてるんだ!!」


ガープが暇を見つけてフーシャ村へと帰還し、孫のルフィにいつも通り修行をつけようとした時、ルフィの腕の中にある人形に気が付いた。

村の住民に聞けば、最近この村を拠点にしている海賊団の頭領”赤髪のシャンクス”からルフィに贈られたものだと言うではないか。


卑劣なり”赤髪のシャンクス”。海賊を嫌っていたルフィを絆すために手段を選ばぬとはまさに海賊。


子どもの好みそうなものを与えることで自身への好感度を上げてくるとは。これだから海賊は油断ならん。

ますますルフィが海賊になりたいなどと言い始めるではないか。そうはさせん。ルフィは最強の海兵になるのだ。


もはや一刻の猶予もないことを悟ったガープであったが、流石にルフィへと課す修行にウタを連れていくことは許さなかった。

孫を惑わす憎き海賊の贈り物であること以前に、そもそも人形などに気を回す余裕のあるような修行ではないからだ。


だというのにルフィは強情にもこの人形を取り返そうと必死に手を伸ばしている。


「ま~た何を言っておるこのバカモンがァ!! どっからどう見てもただの人ぎょ…」


生きてるだのなんだのと訳の分からんことを言って。幼稚な駄々でわしを惑わすつもりか。

ガープはルフィの言葉を戯言と切り捨て、己の手に掴まれているウタに目を移した。


そこにはジタバタと動き回り自分から逃れようともがくウタの姿があった。


「…………マジかァ」


予想外の光景に先ほどまで抱いていた怒りが霧散する。

”悪魔の実”という摩訶不思議なものが存在する世界だ。こういうものもあるだろうとは思うが、実際に目にすると流石に驚く。


「ほら見ろ!! おれは嘘なんてついてねェぞ!!」


だから返せよ!と声を上げるルフィを目を鋭く尖らせ睨みつける。

先ほどまでは子どもが人形を手放したくないゆえの駄々だと思っていたが、そういうことならば話は別だ。


「猶更ダメじゃ!! この子にとっては危険すぎる!!」


更に強くガープはルフィを𠮟りつける。今回の修行場として選んだ森はウタにとって危険だからだ。


「嫌だ!! ウタは友達だ!!」


「その友達を守り切れる力もないくせに強がるな!!」


ルフィの駄々をガープは一喝する。先ほどまでの怒りと今のガープの怒りの違う。

それを敏感に感じ取り、ルフィは思わず黙り込む。


「誰かを守るのなら、誰にも負けないくらい強くなれ!! そうでなければこの時代、何も守れん!!」

「もしたった一人でも立たねばならない時が来た時に「ウタがいないから何もできない」とでも言うつもりか!?」


今この”大海賊時代”は力なき者達にとって過酷な時代だ。人々から略奪し、蹂躙する外道どもが跋扈し、弱き者の嘆きがあらゆる場所から聞こえてくる苦難の時代。

彼の”海賊王”ゴールド・ロジャーの遺した”ひと繋ぎの大秘宝”は人々に夢と浪漫を与えたが、その裏で醜悪さをむき出しにして人々を苦しめる輩が世界中に現れているのもまた事実。


そんな世界で生きていくためには強くあらねばならない。決して理不尽に負けぬように。己の信念を貫き通すために。


何かを支えにするのはいい。友であれ仲間であれ、一つの折れぬ柱があれば人は何度倒れようと立ち上がれる。

だが、依存するのはダメだ。何かに依存した心は、その支えがなくなれば容易くへし折れる。

折れた心では何も守れはしない。


「う~……」


ガープの説教に何も言い返す言葉が思い浮かばずルフィは唸る。

暫くの間周囲を沈黙が支配していると、ガープから逃れようと暴れ続けていたのが実を結んだのかウタがガープの手を振り払った。


「あ」


間の抜けたガープの声が出るのとほぼ同時、落ちてきたウタをルフィが掴む。

そのまま素早く背を向けると、


「逃げるぞウタ!!」


全速力で森の方へと駆け出していった。


「待たんかルフィ!!」


ガープの叫びも虚しく、森の中へとルフィ達は消えていく。

どうしたものかとガープは頭を掻くが、少し時間を置いてから探しに行くことを決め、村へと帰っていった。


数時間後、そろそろ日も暮れる頃だとガープがルフィ達を探しに森へ入ると、ボロボロになったウタを抱えて泣いていたルフィを発見した。

手早く二人を回収し、ガープは森を脱出する。村に到着した後、安堵に胸を撫で下ろすルフィを見下ろしながらその頭上に特大のゲンコツを食らわせる。


「いてェよじいちゃん~!!」


「そりゃ愛ある罰じゃ!!!」


痛みに泣き叫ぶルフィをガープは一蹴する。

友達を危険に晒した罰は甘んじて受け入れろという想いを籠めた一撃はルフィに届いたのか、それ以上何も言ってこなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



夜、日々の疲れを癒すために酒場で盛り上がっていた村人たちも帰り寝静まり始めたフーシャ村。

本日の営業も終わり、簡単な後片付けを行っているマキノの他に一人、席で黙々と作業をしている人影があった。


「ルフィのこと、許してあげてくださいねガープさん」


マキノは片付けの手を止めて作業をしている男、ガープに話しかける。


「この村には同年代の友達がいないから、ルフィはウタちゃんが大切なんです」


「ふん、”赤髪”か……」


ガープの脳裏に浮かぶのは近年急速に名を上げ始めている海賊”赤髪のシャンクス”。

現在は自身の生まれ故郷であるフーシャ村を拠点に活動をしているようだが、幸か不幸か自身とは一度も鉢合わせしたことがなかった。


出会ってしまったら海賊と海軍の常として争う未来しかないわけだが……フーシャ村にそのような諍いを持ち込みたくはない。

その点は向こうも同感なのか、こちらの帰還に合わせて出航しているようにも見受けられる。


それに関しては有難く思わないでもないが、問題は孫であるルフィだ。

以前までは海賊を嫌っていたというのに、”赤髪”と出会ってからは「海賊になる」の一点張りだ。


それもこの際置いておこう。全くよろしくないが、強情なルフィの考えを変えるには時間がかかる。

問題は、今自分の手元にある人形、ウタのことだ。


自分を慕う子どもが好みそうなものを与えるのも、まあいい。よくないが。

よりにもよって生きている人形とは。ルフィの修行について行かせるにしても危険だし、ルフィは離したがらないしで大変だったとガープは溜息をつく。


せめてちゃんとした子どもでも連れてくれば、もう少ししっかりした友人関係になっただろうに。

と思ったが、海賊の子と友達なんてルフィが更に海賊になりたがるではないか。やっぱこの話ナシで。


「どのみちウタを守れる程度には強くならなければ修行にはついて行かせんわ」

「奴は他者を背負う重みを理解しとらん」


あの年で理解しろというのが酷な話なのは分かっている。だが時代は待ってはくれない。

奴が海兵になるにせよ、非常に受け入れ難いことではあるが……海賊になるにせよ、それを理解しない内はウタを修行に連れて行かせることは絶対にさせない。


失った時、誰よりも傷つくのはルフィなのだと理解できるゆえに。


「おぬしもじゃウタ」


手元で大人しくしているウタに向けてガープは語る。


「お前さんがルフィと離れたくないっつうのは分かった」

「だが、それは今ここで自分の未来を閉ざす危険を負ってまでしなければならんことか?」


ルフィと同等、あるいはそれ以上にウタが離れることを拒否していたことをガープは見抜いていた。


同年代の子どもがおらず、寂しい思いをさせてしまっているルフィはまだわかる。だがウタの方がこれほど離れたがらない理由とはなんだ?

人形故の本能なのか、それとも何か別の理由が……


そこまで思考を巡らせ、答えなど今この場で出るはずもないとガープは考察を切り上げる。


「離れたくないというのなら、命を賭けるべき時を間違えるな。間違えれば容易く無駄死にするぞ」

「今はそういう時代じゃ」


問題なのはその過剰なまでの依存心だ。それは目を曇らせ、判断を誤らせる。


例え人形であろうと……人形だからこそ、その命を賭す場面を間違えてはならない。

そんな『命の使い方を間違えた』輩は吐いて捨てるほど見てきた。この子達にはあんな末路を迎えて欲しくはない。


かつて”ロックス海賊団”達が幅を利かせていた荒れ狂う時代、そして”海賊王”が遺した”大海賊時代”を見続けた老兵は語り続ける。


「ルフィにただ「友を失った」という悲しみだけを残して消えたくはないじゃろうが」


今はまだ離れがたくとも、いつか一人でも立ち上がれる強さを得ろとガープは思う。


厳しいことを言っているのは分かっている。残酷なことを言っているのは分かっている。

だが、自分が若き世代に教えられることなどこれくらいしかない。


あの子……ルフィと共にいたいというのなら猶更だ。


「血に罪はない」と誰かは言う。「存在することに罪はない」と誰かは語る。

だが、その『繋がり』は確実にルフィと『あやつ』に牙を剥く。

この理不尽が蔓延る世界であの子らが生きていくには、そうするしかないのだ。


ウタに語り続けるガープの姿にマキノが優しく微笑む。


「優しいんですね、ガープさん」


「フンッ、人形の鍛え方なんぞ分からんからのォ……」


人間であったのならば生き抜けるように厳しい修行を課してやったところだが、人形に同じことをさせるわけにもいかない。それくらいの分別はついている。

つくづく調子が狂うとガープは独り言つ。


「ほれ、終わったぞ」


話しながら手を動かしていたガープはポンとウタを軽く叩き、その手を離す。

そこには傷一つない新品同然の姿になったウタがいた。


「ガープさんお上手ですね。私の時より綺麗になったわよウタちゃん」


マキノがニコニコと笑いながらウタに話しかける。


「こんなもん長年やってたってだけじゃ。マキノの方がすぐ上手くなるわ」


今ほど造船技術が発達していなかったガープの若かりし頃、こうした技術は海に生きる者にとってはほぼ必須と言っていいものだった。

その経験が活きただけだとガープは言う。


顔を背けるガープにマキノは笑い声を抑えられなかった。


そうして暫く和やかな時間を過ごしていると、ガープは何か思い立ったのか外へと出ていく。

ウタとマキノが不思議そうに顔を見合わせていると大きな荷物を抱えてガープが帰ってきた。


「ほれ」


抱えた荷物を地面に降ろし、ガープは中から次々と本を机の上に載せていく。


「身体は鍛えられんじゃろうが、生きて考えられるなら知識は吸収できるじゃろ」

「ルフィの奴に読ませようとしたが、あいつ読まんかったから丁度ええわい」


高く積まれている本は医学、天候、航海技術など様々な海に出る上で必要となる知識が記された本……の子ども向けばかりだ。

ガープが言ったように本来はルフィに読ませるために集められたのだろう。どれも読まれた形跡がないことからその結果は容易に想像がつくものだったが。


「人形だからと何もしないで済むと思うなよ!! 読んで読んで知識を蓄えておけ!!」


身体が鍛えられずとも考える頭があるのなら知識は得られる。それは決して無駄にはならない。

この世界で生きていくために、得られるものは貪欲に吸収していけとガープはウタに説く。


例え肉体を鍛え上げることができなくとも、成長できないことなど絶対にあり得ないのだから。


「わしのおススメはこの海軍歌集じゃ!! 『海導』とか歌えるようになるとええぞ!!」


「ガープさん、ウタちゃんは喋れませんよ」


ついでにルフィの友達が海軍に良い印象を持てば海賊になろうとは思わないだろうという打算もあった。

ウタに向けて力説するガープにマキノが苦笑する。


ウタは言葉を話せない。壊れたオルゴールの音しか鳴らせないのだと。


「そうじゃったか。まあ覚えておくだけ人生の宝になるってもんじゃ!!」


そう言って豪快に笑うガープ。何にせよ、『知る』ことは大切だ。

実際に体験しないと分からないことも数多いが、それでも事前に知識を蓄えておけば様々な事態を予測することができる。

『想像』とは知恵ある者に与えられた力の一つだ。活用しない手はない。


そんなガープの心を知ってか知らずか、ジッと積み重ねられた本をウタは見つめている。

ウタの様子に気付いたマキノが体をかがめてウタの顔を覗き込む。


「じゃあ、明日からウタちゃんは私と一緒に読書しよっか」

「読めないところがあったら遠慮なく言ってね」


自分も学があると言えるような立場ではないが、それでも一応ルフィと比べれば年長者である。

ルフィの友達のウタのために、少しでも力になりたい。


そんなマキノの言葉を聞き、ウタは嬉しそうに首を縦に振る。

二人の様子を遠目から眺めながらガープは思う。


とりあえずはこれでいいだろう。ウタの過剰なまでにルフィと離れたがらない性質も少しは抑えられて、尚且つ知識も得られるのならばウタのためになる。

人形の身体では鍛え上げることもできず、言葉も話せないとなれば自分がウタに与えられるものなどたかが知れている。頭を働かせた甲斐があった。


残る問題はルフィだ。自分が強くならなければウタと共にいられないとなれば修行にも身が入るか、それとも……

どちらにせよ、いつまでもこのフーシャ村という平穏な環境だけに留まらせておくわけにはいかない。


海軍中将としての立場がある自分では付きっきりでルフィの面倒を見られない。

だからこそ生まれ故郷であるフーシャ村に預けたのだが、この世界で生き抜く力をつけるには此処は少し平和過ぎる。

平和、それ自体は良きことだが、さて。


「もうちょっとルフィがマシになったらダダンのところにでも預けようかのォ…」


脳裏に浮かぶのは宿敵の子を預けたフーシャ村の近隣に住む山賊団の女首領。

今はまだあそこに預けるべきではないが、時が来たら放り込むか。


そんなガープの不穏な呟きを聞き、身体をびくりと震わせたウタだった。




その後ガープが海軍へと戻ってから数日ほど経ったある日、マキノの酒場へと大量の荷物が届けられることになる。

中身を確認してみると人形の補修に使えそうな良質な布地や様々な分野の書籍が入っており、素直じゃないなとマキノは笑った。



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”火拳のエース”処刑宣言に端を発した”白ひげ海賊団”と”海軍”の大決戦。

義兄エースを救うべくその戦場に乱入したルフィはエースの捕らわれている処刑台まであと一歩というところまで迫っていた。


”白ひげ”の号令により戦場に立つ海賊たちの皆がルフィの援護に加わり遂にエースに手が届かんとした時、ルフィの目の前に巨影が舞い降りた。


「じいちゃん…………!!!」


海軍中将にして”海軍の英雄”、そしてルフィの祖父。


「そこどいてくれェ!!!」


「どくわけにいくかァ!!!」


モンキー・D・ガープがルフィの行く手を遮らんと闘気を漲らせ立ち塞がった。


「ルフィ!!! わしゃァ「海軍本部」中将じゃ!!!」

「ここを通りたくばわしを殺してでも通れ!!! ”麦わらのルフィ”!!!」


「!!!」


今ここに立つのは祖父と孫ではない。人々を守る海軍と世を乱す海賊。

ならばこそ、そこに情など混じってはならない。


「それがお前達の…選んだ道じゃァ!!!」


覚悟はしていただろうとガープは吠える。

ルフィとエース、お前達が海軍にならず海賊となるのならば、自分と戦うことも決してあり得ないことではない。


まさかそんな可能性を感じていながらも逃げていたわけはあるまい。そんな軟弱者に育てた覚えはない。


「できねェよじいちゃん!!! どいてくれェ!!!」


ルフィの悲痛な叫びがガープの耳に届く。それでもガープは揺らがない。

お前が優しい男なのは知っている。だが今この状況でそれは甘え以外の何物でもない。


「甘ったれるな!! できねばエースは死ぬだけだ!!」


お前は義兄を助けに来たのだろう。そのために分不相応なこの場に立ち、力の限り駆けているのだろう。

目の前に立つ者が誰であれ倒す覚悟もなしにここまで来たのか大馬鹿者が。


「いやだァ!!!」


「いやな事などいくらでも起きる!!! わしゃあ容赦せんぞ!!!」


その甘さは優しさと言うのだろう。それは確かに美徳である。

だが、今この時代、”大海賊時代”においてソレで振るう拳を鈍らせるのは命取りでしかない。


その優しさに付け入る外道など吐いて捨てるほどいる。その甘さを嘲笑う輩など腐るほどいる。

そんな奴らを相手にして、なおも貫き通すには「力」がいるのだ。


だというのに、その無様さは何だとガープは怒る。


「それにこんな場所までウタを連れてきおって!! むざむざ死なせるつもりか!!!」


ルフィの肩に乗るウタの姿を確認し、更に怒りを燃え上がらせる。

今のウタは至る所が傷だらけで、かつてないほどにボロボロな姿だ。ルフィの修行にウタがついていった時ですらここまでの傷を負ったことはなかった。

この場に辿り着くまでにどれ程の危険に晒されていたのか、それを一目でガープは理解した。


ただでさえ危険なこの戦場にウタまで連れてきてどういうつもりだと叫ぶ。

ここではお前ですら飛び抜けた強者とは呼べない。そんな場所に連れてくる危険性を分かっているのかと。


「ウタはおれが守る!! エースも助ける!!」


ガープの非難の声にルフィも大声で反論する。

ウタは死なせず、エースも死なせない。どちらも守ると叫ぶ。


「ならさっさと覚悟を決めろ若造が!!! ここで迷えばお前は誰も守れん!!!」


「っ!!!」


そんな大口を叩くのならば、いつまでも自分と戦うのを迷うなと叱責する。

戦場は、世界はお前の覚悟が決まるまで待ってくれない。迷えば何もかもを奪われるのだと。


「ルフィ、お前を…」

「敵とみなす!!!」


言葉と共にガープは拳を振り上げる。

”ゲンコツのガープ”。その二つ名に相応しい海軍で最も重き拳の一撃がルフィに迫る。


ルフィもまた”ギア2”を発動させ、疾風の如き速度で拳を振り絞る。

だが遅い。余りにも遅すぎる。そんな拳で”英雄”は倒せない。


ルフィの一撃を遙かに上回る速度と破壊力を秘めたガープの拳が振り抜かれる。

かつての、そして今のルフィですら対処不可能なその拳は寸分違わずルフィの身体に直撃する軌道を描き、



――じいちゃーーん!!!

――ジジイ!!!



脳裏に浮かぶ記憶。まだ小さかったルフィとエースの姿が目の前の男と重なる。重なってしまった。

その幻影から逃れようと視線を僅かにずらすと、男の肩に乗る小さな人形が視界に入った。



――まあ、なんじゃ。お前さんが人形だのなんだのはこの際置いておいてじゃな……

――ルフィの友達でいてやってくれ



胸の奥に走る激痛に堪らず目を閉じ苦悶の表情を浮かべる。

あれだけ覚悟を問いかけた自分がこの有り様とは、情けない。


「ガープ!!」


背後からセンゴクの叫びが聞こえる。

分かっている。自分は迷った。倒すべき敵である目の前の男達への情が勝ってしまった。


振り抜いたはずの拳の速度が落ちる。

砕けぬものなき”英雄”の拳は、いつの間にか家族を想う”親”の拳へと変化していた。


互いの実力差からすれば敗北などあり得ないはずのガープの拳が、ルフィを捉えることはなかった。


「うわあああああああああ!!!」


ルフィの拳がガープの顔面に撃ち込まれる。受けた衝撃のままガープは吹き飛ばされていく。

もはやルフィとエースの間に立ち塞がるものは誰もいない。”英雄”という壁は消え去った。


痛くはない。所詮は若造の一撃。多少頭が揺らされようとも自分には何の問題もない。

だが、心が激痛に叫んでいる。ルフィがこの一撃を繰り出すのに決めた覚悟の重さ。それをヒシヒシと感じ、身体中に痺れが走る。


何故自分はこうなのだと、瓦礫に埋もれながらガープは顔を歪める。

『生きろ』と、その一言すら口に出せぬ我が身が呪わしい。


(ロジャー……)


あの男ならば、仲間のためならばあらゆる者に怒り牙を剥いた何処までも”自由”だった”海賊王”ならばこんな事にはならなかったのだろうか。

多くの鎖に縛られた自分が憎い。何のしがらみもなく自由であったのならば、自分とてこんな……


戦争の狂騒は遥か遠く。瓦礫の中でガープは一人、苦悩し続けていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ぶわっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」


「海軍本部」の一角に響き渡る豪快な笑い声。その声に周囲にいた海兵たちは何事かと顔を向ける。


2年前に起きた”白ひげ海賊団”との”頂上戦争”の後、第一線を引き後任の育成を任された海軍本部中将ガープが手元の新聞を広げて笑い転げている姿がそこにはあった。


「おい……ガープ中将はどうしたんだ?」


近くにいた海軍本部少佐ヘルメッポが訝しんだ表情で隣に立つ男に話しかける。


「いや…世経を読んだら急に大笑いし始めて…」


男、海軍本部大佐コビーは自分にも分からないと困り顔でその質問に答える。

曰く、何時ものように取り寄せた新聞を開き暫く読み進めていたらいきなり笑い出したのだとか。


「なんだそれ……」


ガープの奇行の詳細を聞き、ヘルメッポは首を傾げる。

今朝の新聞で何か琴線に触れる情報でもあったのだろうか。


今現在、一番真新しく衝撃的な情報と言えばあの「ドレスローザ」での事件だが……


「ってかそうだよ!! ドレスローザだドレスローザ!!」


思考を駆け巡らせていたヘルメッポが声を上げる。

ガープの奇行に目を奪われ、話そうとしていた話題を失念していた。


「お前見たか!?」


「ウタさんのこと?」


世経の一面を飾った”歌姫”の姿。それと同時にセンセーショナルに囃し立てられていた”王下七武海”の一人が支配していた国「ドレスローザ」を行われていた非道。

悪行の実態自体は海軍の機密情報として素早く上がってきてはいたが、自分が驚いたのはそこではない。


その犠牲となっていた自分たちの知り合いの真の姿を目にした時、ヘルメッポは目玉が飛び出るほど驚愕した。


「そうだよ!! まさかあの人形がなァ…」


思い返すのは”東の海”で初めて奴らと出会った時の記憶。

”麦わら”のルフィの肩に乗っていたウタの姿を覚えている。


あの時のウタは後に再会した時ほど積極的に動いていたわけではなかったから、ルフィのことも「いい歳して子どものおもちゃを持ってる変な奴」程度の認識だった。

その後、ルフィが自分に歯向かってきた腹いせに仕返ししてやろうとウタを狙ったりした記憶も……


「おれ、結構ひどいことやったような気がするー!!」


「はっはっはっはっはっはっはっは!!!」


「昔のことだし、ウタさんも気にしてないと思うけど…」


どうしよう。「ウォーターセブン」でなんやかんやと和解できたとは思っていたが、ウタに関してはおざなりだった気がする。

恨んでるだろうか、恨んでるだろうなァ。「小汚い人形」とか散々言った記憶あるし。

でもウタもウタで「ウォーターセブン」でかなり失礼な態度を取ってたしお互い様では?いやでも……


「そんなに気になるなら今度会った時にでも謝れば…」


「はっはっはっはっはっゴホゲホッ……ぶわっはっはっはっは!!!


「おれ達は海軍だぞ!? 海賊に面と向かって謝れってお前なァ!!」


頭を抱えるヘルメッポの姿を見て、コビーは苦笑する。

この男が意外と繊細だということは短くない付き合いで理解はしている。口で何を言っても、今頭の中ではウタにどうやって詫びようかと考えていることだろう。


「気にしすぎだと思うけど…」


「お前はそうかもしれねェけどよォ……」


「はっはっはっはっはっはっはっは!!!」


「さっきからうるさいなァ!!!?」


とうとう我慢の限界を迎えたヘルメッポが叫んだ。

さっきからずっと笑い転げているガープのせいで会話に集中できないと切実な悲鳴を上げる。無論、その叫びがガープに届くことはなかったのだが。


心のしこりが取れたかのような笑い声は今日一日、途切れることはなかったという。



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