愛してくれた貴方へ

愛してくれた貴方へ



何故こんなところにいるのか。

いや、そんなことはわかっている。微かな思い出の残り火を求めて訪れただけ。

──懐かしい場所だ。ここで初めて、二人の男性に向ける『好き』が別物だと知るきっかけが生まれたのだったか。あの拙いながらも素直な告白を思い返す……嬉しかったが、彼女にとってはそれ以上にはなり得なかった。何故なら既に家族で特別だったから。兄であり弟であった相手を、どうしてそんな目で見ることができよう。だから、その関係は円満に終わりを告げた。

それが苦痛と後悔、絶望と悲嘆に埋もれた記憶の中でまだ希望があった頃と明言できる最後の時期だった。それからしばらくして彼は消えた。少しでもみんなの負担を減らしたいからと告げていたが、何処かへ消えた。再会の約束だけを残して。

結局全てが終わるまで見かけることもなかった。自分が擦り潰した命の中にもいなかった。彼が逃げるなどあり得ないが、何か考えがあって外に出た可能性もある。もう二度と会えないのはわかっているが、それでも気になって──不意に砂山に埋もれるガラクタが目に入った。それがこの姿になる前に、砂漠を彷徨う中で見かけた、何処かで見たような骸に重なって……彼女の歯車が噛み合った。噛み合ってしまった。


「……ぁ……っ」


崩れ落ちる。忘れられない、忘れる筈がない。だというのにも関わらず見落としていた。砂漠に埋もれていたあの骸は、元は誰なのかを。アビドス校舎の方角を向いて、手を伸ばして倒れていたアレは。あんな風に埋もれて消えるのかなと思ったアレは──


「────ッッッ!!!!」


絶叫。あるいは怨嗟。自己への果てしない憎悪の声が漏れる。そうだ、何故だ、何故気付けなかった! 彼は確かに大切な人の一人だったのに! それを、どうして──!?

爪が食い込む、掌から血が流れる、怒りの余り歯が噛み砕けそうになる。今すぐにでも舌を噛み千切ってしまおうかという思考さえ脳裏を掠める程に、彼女は嘆いた。よりにもよってその人だけ気付けなかったのかと、己を呪う叫びが止まらない。


──……だと思ってたさ、シロコ──


──あーあ、ダメだったかぁ〜。全力を尽くしてこれなら悔しいけど、仕方ない。ありがとう、今まで付き合ってくれて──


──応援するよ、お前のこと。先生を狙うならライバル多いんだし、一人くらい参謀がいたって良いじゃないか──


──え? 好きな人が他の人への恋を進むこと、普通は嫌じゃないのかって? 俺に振り向いてくれないのはそりゃ悔しいけどさ、それはそれだよ──


──だって、大切な人が幸せになって欲しいと願うことなんて、当たり前の話だろ?──


叶わぬと知ってなお背を押した人を、砂に埋もれる残骸として見落としてしまったなど……家族としての愛ではなく、異性としての愛を向けてくれた人を!


「違う。違う違う違う違う……っ、先生やみんなよりも下なんてことはない! だって、だって──!」


追い詰められていたから、心が砕けたから、視界が悪かったから、夜だったから、怪我をしていたから──様々な理由が浮かんでは、他ならぬシロコ自身の怒りがそれを問答無用で全て否定していく。

あれ程までに愛してくれた人の骸を、お前は砂漠のガラクタと同列に見たのだと。


赫怒と悲嘆がシロコを押し潰さんとする。子供だの大人だの、責任だの色彩だの関係無い。ただ一人、"彼"に愛された砂狼シロコとしての青春が、その結果を断罪せんと刃を振り上げている。


「──シロコ?」


……刹那。

懐かしい、声が聞こえた。

激情は冷めて、顔を上げる。


「……いや、違うな。似てるけど結構違う……あっ、ごめんなさい! 知人と似ててつい」


そこには"彼"がいた。

この世界でも変わらず砂狼シロコを愛しているであろう、"彼"がいた。


息を呑んだ。

それは生きている姿を見たから……ではない。

当たり前だがシロコと『こちら側』のシロコは基本的に同一の存在だ。そうなるように仕向けたとはいえ、色彩によって変貌した姿だと思われたし、いざ対面したホシノでさえも、その過去を聞かねば明確な違いを認識できなかった。


だというのに、目の前にいる女が自分の知る砂狼シロコではないと──何故か気が付いた。


理由なんかどうでもいい。


その事実が、彼女の中に残る幸せな思い出に火をつけた。生きなければ、と。

何の為に先生はプレナパテスとなった? 何の為に『こちら側』の先生は自分を転送した? 何の為に先生は自分を託した? 何の為に"彼"は身を引いた? それらは全てシロコが幸せに向かって歩く為にだ。

具体的な物は浮かばないが、こうしてうずくまっていることなど、誰も望まない。キヴォトスを、アビドスを去ることになっても、生きる、生きてやると彼女の中の炎が燃え盛る。


ただその前に、言わねばならぬことがある。


「ん……気にしないで。よく、間違われるの。あなたは、……砂狼シロコの友達?」

「っ、はい。……まだ、友達です」


驚いた。この世界では何かがあって告白がズレたのか、まだ束の間の恋人関係にはなっていないようだ。

どこか悲しげな"彼"を見て、申し訳なさを覚える。きっとこちらの自分も、その想いには応えられないと感じてしまったから。


立ち上がって、目線を合わせる。

先輩たちには思いを馳せる時間も、死を飲み込む時間もあったが、"彼"にだけは無かったから──


「なら……シロコ(私)を愛してくれて、ありがとう」


存在する限り、砂狼シロコを愛するだろう人に、もう言えなかった感謝を伝える。

きっと笑えていない。でも険しい顔ではない筈だ。

キョトンとした顔をして、次いで赤面。大方好意を見抜かれたことが理由だろう。

狼狽える"彼"を尻目に、シロコは歩を進める。アビドスから遠ざかっていく。


(……貴方の求める愛ではないとわかってる。でも敢えてこういう言い回しにするね。愛してたよ、──)


やがて彼女は、もう一人の彼女に追い付かれ、絆の証を手渡され、先生を信じてキヴォトスに留まることとなり、そしてまた違った形で、"彼"と向き合うことになる。

Report Page