悲劇の百王子たち
その壁画を見たとき、ドゥリーヨダナは思わず「うっわ」と呻いた。
嵐のような暗雲から逃れようと泣いて惑う幼子たちが足から悪魔へと変化し、そして完全にカリの姿となってひとびとを襲っている。過去から未来へと流れる方向に壁画を見ていけば、その先でカリたちは勇ましい王子たち率いる兵団に討たれていた。
「うーわ。すっごい悪趣味だな」
呟きながら、なるほどこの地の自分たちは揃ってカリとなったのかぁ、と呑気に思った。カルデアに召喚されて僅かふたつき、たったそれだけの期間で自身の様々な分岐や可能性を見ていたドゥリーヨダナにはそのように受け止める余裕があった。心配なのはむしろ、左右に立つ友ふたりだろう。特にアシュヴァッターマンなど、呼吸すら忘れた様子で絶句している。
「アシュヴァッターマンや。大丈夫か?」
「……」
「だめだな。カルナ、おまえは?」
「……あぁ、問題ない」
「こちらもだめそうだな」
やれやれと息を吐き、ドゥリーヨダナはふたりの腕を掴むと、くるりと踵を返した。壁画はひととおり見たし、後で情報のひとつとしてカルデア側に送信すれば良い感じに分析、解析をしてくれるだろう。ひとっこひとりいないこの場では壁画の解説も求められないし、だとするなら友のメンタルをごりごり削ってまで長居する必要はない。
「おい、ビーマ。貴様もぼーっとしとらんと、さっさと来い。戻るぞ」
「……あぁ」
生返事のビーマに溜息を吐きつつ、ドゥリーヨダナは振り返ってもう一度壁画を眺めた。成人前に弟たち共々カリになったパターンはこれまでになかったなぁ、と思った。
「スヨーダナ、か?」
マスターと、その護衛であるアルジュナたちと合流する前にアシュヴァッターマンの気分転換をしてやろうと市へ繰り出せば、そのように声を掛けられた。
懐かしい呼ばれ方だ。最近では専ら、肉塊のままカリへと至った幼い自分の名になっていたから、一瞬自分が呼ばれたとは認識できなかった。
「……ぁ、あぁ。そうだが?」
呆けた後で首肯し、それからこの地で素性を明かすのは得策でなかったのでは、と気付く。が、既に肯定してしまったものは仕方がない。そう開き直って名を呼んだ男を見れば、それはどう見てもビーマの顔をしていて、ドゥリーヨダナは思わず後ろにいるはずのビーマを振り返った。
「……」
眉間にひとつ皺を寄せたビーマを確認し、それからドゥリーヨダナは(恐らくはこの地に生きているのだろう)『ビーマ』へと改めて視線を遣った。
共にカルデアに喚ばれたビーマと比べると、この『ビーマ』は随分と歳若かった。天性の肉体とはいえそれはまだ発展途上であり、未熟な気配が窺える。きっと、今のドゥリーヨダナであれば簡単に投げ飛ばしてしまえるだろう。そのうえ、表情にまるで覇気がなかった。うじうじと悩みくさった、湿り気を感じる。
「ッ、スヨーダナ……」
湿り気を帯びた瞳がみるみると潤んで、それはやがて涙となった。ぎょっとしたドゥリーヨダナの両手を固く握って(サーヴァントでなかったら多分骨が折れていた。とても痛い)、『ビーマ』がぼろぼろと涙をこぼす。
そして、
「守れなくてごめん」
そんな風に謝るので、ドゥリーヨダナは「はぁ?」と言ってしまった。
『ビーマ』から聞いた話をまとめると、スヨーダナとその弟たちは突然王宮に立ち込めた黒い霧によって残らずカリになったらしい。そして王宮にいたひとびとを襲うと、国中に散っていったとのことだった。
国中に散ったカリはその先で村を襲い、女子供の区別なく大勢の人間を殺し、この数年でひとの数を大幅に削減させた。
そのたびにカリは五王子率いる兵に討たれているが、何度も湧き上がっては災いを齎している。きちんと数えたわけではないが、討ったカリの数は絶対に百を超えているはずだ、と『ビーマ』は言った。
「どう思う?」
宿の一室。マスターの問いに、ドゥリーヨダナは「うーん」と唸る。
ちなみに『ビーマ』の話を聞いたアシュヴァッターマンはショックで瀕死の状態で、カルナも目を見開いて絶句したままだ。カウラヴァと死合ったビーマとアルジュナすら、空気を重くさせている。おまえらちょっと繊細すぎやしないか?とドゥリーヨダナは密かに思ったが、口にするのはやめた。多分言えば、ひとでなしやロクデナシなどの非難がくる。
「まぁ、聖杯の影響だろうなぁ。わし様たちの辿った歴史ではわし様たちは誰ひとりカリ化しなかったが、別の歴史でカリとなった弟たちも実際カリになったのは戦争を始めてから……つまり、成人してからだ。自らの意思で、自らそのスイッチを押した」
「子供の頃ならカリにならないってこと?なんかこう、頭にきて衝動的にカリになっちゃうとかしない?」
「莫迦者。リターンが少なすぎるわ。大体、ちょっとカッとなったくらいで切り替えられるようなスイッチでもない。気楽に点けたり消したりできる電灯のスイッチとはものが違うのだぞ」
はぁ、と溜息を吐き、ドゥリーヨダナは顔を顰めた。
「壁画に描かれた百王子たちは、それはもう哀れな様子で泣き惑っていた。『スヨーダナ』たちの意思でないことは明白だろう」
「誰かが聖杯を使って『スヨーダナ』たちをカリにした?」
「そうだ。大体、あの『ビーマ』も守れなかったと悔やんでいたのだぞ?もしも『スヨーダナ』が自らの意思でカリとなったなら、ドヤ顔のひとつでもかましとるはずだ……その場合、ちょっと考えなしにも程があると思うが。わし様とて、あの歳の頃であれば、まだ自分を天秤に掛けるほど思い切った行動は取れん」
さて。で、あれば。
一体誰が聖杯を手にし、『スヨーダナ』たちをカリにしたのか、だが。
心当たりは一人しかいないなぁ、とドゥリーヨダナは思うのだった。
──そのとき、宿の外から悲鳴が聞こえた。
またカリが!そう叫ぶ声に、ドゥリーヨダナは棍棒を手に窓から飛び出していった。
──巫山戯るな。
ふぞけるな、ふざけるな、ふざけるなよクソ野郎め!!!
カリと相対した瞬間、ドゥリーヨダナは憤怒に身を焦がした。カリ相手にではない、愛おしい弟たちをこんな不幸に堕とした者に怒っていた。
ドゥリーヨダナの前には、カリが二体いた。シミュレーターなどで相手にするカリに比べると、一回りが二回りは大きいだろう。しかし、ドゥリーヨダナの目には、そのカリはまだ年端もいかぬ弟の姿に見えた。
それは、九十九の弟のうちの誰かではなかった。
しかし、それは間違いなく、ドゥリーヨダナの弟だった。言うなら、ドゥフシャラーの後に生まれた弟だろう。ドゥリーヨダナでは知らない弟だ。けれど、たとえ知らないとしても、間違いなく弟だった。
それが、泣いて、怯えて、傷付いている。
兵が向けてくる刃が恐ろしいと泣き、
自分の身体が誰かに操られるようにして暴れ回ることに怯え、
自分の手足がひとの肉を切り裂いて血に塗れていくことに深く傷付いていた。
怖い、こわい、こわい痛い、いたい、痛い苦しいもう嫌だ、助けてたすけて、こわい、兄ちゃん助けて、嫌だよ怖い苦しいつらい、兄ちゃん、兄様、兄上、兄貴、助けて、たすけて──兄ちゃんを助けて
泣き叫ぶ声が、カリの恐ろしい咆哮となる。
街の人々が、それが恐ろしいと逃げ回る。
カリを討とうと集まった兵たちの鎧の音を耳にしたドゥリーヨダナは奥歯を噛み、宝具を展開した。弟たちが馬を駆ってカリへと突っ込み(ドゥリーヨダナの思考と同調した弟たちは、誰もが無言だった)、その後には何ひとつ残らなかった。
「胸糞悪い」
ギリリと歯を鳴らし、ドゥリーヨダナは宿へと戻っていった。
『ビーマ』…まだ成人に届かないくらいの年齢。鍛練の時間もなくカリ討伐に駆り出されるため、実践経験はカルデアのビーマが同じ歳の頃よりも多いが、肉体自体はむしろ未熟。先述のとおり、鍛練に当てられる時間もなく、休息の余裕もほとんどないからである。『スヨーダナ』との対立もまだ決定的なものになる前で、むしろ『ビーマ』の方に『スヨーダナ』の弟たちをいたずらに怪我させたという非がある状態。そんな頃に『スヨーダナ』たちがカリとなり、討伐しなくてはならない存在になってしまったせいで苦悩と悲嘆と自罰的な気持ちが強い。ビーマシリーズ(?)でメンタル最弱。
『スヨーダナ』…元より悪性寄りではあるが、まだ決定的な何かをしでかす前。弟共々、聖杯で無理矢理カリ化させられている。『スヨーダナ』の弟たちは肉塊で生まれた王子を切り刻み、ギーの壺に寝かせたことで生まれたということを拡大解釈し、『スヨーダナ』の肉を削いでギーの壺に寝かせれば無尽蔵にカリが生まれてくるという苗床にされた。九十九の弟たちは既に亡く、新たに生まれる弟たちもどんどんと犠牲になっている。苦痛と恐怖と悲しみで既に狂ってしまっている。
ドゥリーヨダナ…今回ばかりはさすがにブチギレている。
なお、この『ビーマ』と『スヨーダナ』はあくまでも悲劇に振り回された登場人物であり英雄でも反英雄でもないため、座には刻まれることはない。