悪夢の終わりは
アラバスタ王国、首都・アルバーナ。砂漠の王国、その街並みを一望できるこの時計塔からの眺めは、ウタにとっては決して良いものではなかった。
眼下を支配する砂塵。その中で流れる血と倒れる民衆。王下七武海・クロコダイルによって引き起こされた内戦は、多数の負傷者を出しながらも止まる気配がなかった。
視界の片隅で、見覚えのある人影が動いている。暴走する国王軍と反乱軍を相手取り、被害を拡大させまいと奮闘する仲間たちの姿だ。実力のあるゾロとサンジだけでなく、ウソップやチョッパー、ナミも武器を取り、ボロボロになりながら敵の幹部を撃破してきた。全員が満身創痍だが、仲間であるアラバスタの王女・ビビのために、残った力を振り絞って食らいついている。
そして、ここにはいない船長。ウタにとってかけがえのない幼馴染でもあるルフィは、一度敗北したクロコダイルと戦いを繰り広げているはずだ。
「戦いを……!!やめて下さい!!!」
アラバスタ王国の王女・ビビは、ウタの目の前で膝をつき、止まらない争いを止めようと叫んでいる。この時計塔に仕込まれた砲弾を止めるために砲撃手を倒し、臣下の犠牲を出しながらも、アラバスタの滅亡を阻止した少女である。だが、それでも砂塵が現実を遮り、砂漠の地に流れる血は止まっていない。
「……戦いを!!!やめて下さい!!!!」
ビビの声を聴きながら、ウタは己の無力を呪った。アラバスタに来てから、ウタは結局何もできていない。活躍らしい活躍といえば、砲撃の導火線を身を挺して消したくらいで、それもクロコダイルの策の前には無力だった。時限式の砲弾を取り出す術もなく、ペルの犠牲がなければ、全てが水の泡になるところだった。
ルフィがクロコダイルに敗れたときも、同じだった。ルフィがビビをかばったとき、同時にカニから投げ出されてしまった。その後は、ユバヘ向かう砂嵐と、かぎ爪に貫かれた幼馴染をただ見ているしかなかった。ルフィの代わりにクロコダイルを殴ることも、ルフィを砂の中から助け出すことも、ウタには出来なかった。
ルフィにくっついてアルバーナへ乗り込んだ後、彼はビビに私を預けるとこう言った。
「ウタはビビを頼む!」
人形の私には、一体何が出来たのだろう。ウタは嘆いた。壊れたオルゴールでは、ビビの代わりに叫ぶこともできない。小さな火で焼けてしまう布の体では、下で仲間たちと肩を並べることも出来ない。
さらにウタの心を追い詰めていたのは、ウタにはこの状況をひっくり返すだけの力があったことだ。ウタの持つ「ウタウタの実」の能力であれば、狂乱の最中でも民衆を眠らせ、不要な争いを止めることが可能であるはずなのだ。「ウタウタの実」、そして音楽にはその力があることをウタは確信していた。
だが現実は、壊れたオルゴールがキィキィ鳴るだけの、少し焦げた人形があるだけだった。自身の歌声が禁じられたことを、これほど呪ったことはない。ビビの横に立ち、ありったけの音量でオルゴールを鳴らしてみるが、民衆に届くはずもない。
「ウタちゃん……」
あまりに必死だったため、オルゴールを鳴らすウタを見てビビが一瞬声を止めたことに、ウタは気が付かなかった。その後、より一層大きな声でビビが叫んでいたこともだ。
2人の呼びかけは、民衆には未だ届かなかった。しかし、その声量に呼応するかのように、遠くの大地が割れた。崩れ落ちる建物の向こうから、人が一人、空中に投げ出される。
ウタは、その姿に見覚えがあった。悪趣味な金の腕、巻き上がる砂塵。ルフィを追い詰めた敵、全ての元凶。クロコダイル。
(ルフィが勝ったんだ!)
喜ぶウタの横で、ビビは俯く。
「もう敵はいないのに……これ以上血を流さないで……」
ビビが再び大きく息を吸うのを見たウタは、ありったけの力でオルゴールを鳴らす。もう戦う必要はないのだと、みんなに伝えたかったから。
「戦いを……!!!やめて下さい!!!!」
ウタとビビの思いが届いたのか、突然空が暗くなった。灰色の雲が砂漠の王国を包み、ウタの体が少し重くなる。少しもしないうちに、上空からぽたりと落ちた水滴が、黒く焦げた腕を濡らした。
雨。アラバスタに今一番必要なものであり、一番求めていたものだ。強まる雨脚は、混乱の元である砂塵をかき消し、人々の心に隙間を生んだ。
「もうこれ以上……!!!戦わないで下さい!!!!」
ビビの訴えは、やっと民衆の耳に届いた。武器を捨てる市民たちを見ながら、ウタは様々なことを考える。喜び、無力感、希望、絶望。
(私は……)
小さな体が張り裂けそうなほどの葛藤が、ウタの心をかき乱す。
その横で、王女は高らかに叫んだ。
「悪夢は全て……終わりましたから……!!!」