旅せず佇む、

旅せず佇む、


馬酔木の花が満開に咲いている。ソウル・ソサエティはまだまだ冷え込むが、この花が咲くと「ああ、じきに春やなあ」と100年前も思ったものだ。

「おーかーんー!頼まれてたもん持ってきたでー!開けてやぁ!」

「撫子ォ!一応オレ隊長やねんぞ!仮にも職場でオカン呼びはないやろ!」

「あいたっ!桃姉ちゃん〜オカンがぶった〜!」

慰めてぇ、と隣で母子の会話を微笑ましいものを見る目で眺めていた桃に娘が抱きつく。まったくこの娘は、誰彼構わず甘え倒しよって!

しばらく桃にヨシヨシされていた娘がふと顔を上げた。

「あれ、もう咲いてる花あるんやね。なんかスズランみたいやけどなんの花?」

「おま…アレは馬酔木や!うちの隊花!おまえが抱きついとる桃の髪飾りにも描いてるやろ!」

前に教えたはずなのにこの娘は!興味がなかったからかサッパリ忘れていたという顔だ。頭が痛い。

「馬酔木のお花は可愛いですよね。私もこのお花好きなんです。花言葉も素敵なんですよ、『あなたと2人で旅をしよう』って!」

ニコニコ微笑みながら桃が教える。へぇーと言う顔をする。

「じゃあ、この花うちがあげるなら雨竜やなあ。人生をずっと一緒に旅するんや!」

えへへぇ、と笑みくずれる娘の指には銀色に光る指輪が嵌められている。先日「お嫁に行く予定ができた!」と喜びながら見せてきたエンゲージリングだ。桃は「素敵です!」と目をキラキラ輝かせている。ああ、この子の中で藍染のことはちゃんと片付いたのだな、とほんのすこし羨ましくなる。

別に、藍染と過ごした日々が楽しくなかったわけではなかったのだ。信頼はしなかったが、仕事については信用出来る男だった。互いに強かに酔って身を許したのも、きっと少しは「一緒にいてもいい」と思ったからだ

でもあの男ははじめからオレと一緒に旅をするつもりなど微塵もなかったのだ。わかっていたけども、やはり情けを交わした仲でさえ裏切られたのも、娘を拐かしてオレの代わりに甚振ったのも。全てじくじくと心に血を滲ませる。

きっとアレは恋ですらなかった。あったのは情と微かな花の芽程度の何かだったのだ。きっとアイツが裏切らなければずっと一緒に旅をしていられたのかもしれないという感傷と。

ぼーっと見ていると桃が剪定鋏と端切れを持ってきて馬酔木のひと枝を包んで娘に渡している。娘はニコニコ喜んで、「今日帰ったら雨竜にあげて居間に飾る!」と花に顔を寄せた。

「…桃ォ、ちょうど隊長室に飾る花もないしついでやからもうひと枝とっといてや〜」

「はーい!わかりました!」

「なんやオカン無精やなあ、逆撫でチョイっと刈ればええやろ〜」

「アホ、一応大事な仕事道具やぞ。枝切りに使えるか!」

嘘だ。まだジクジクとしたこの気持ちで馬酔木に触れる勇気がないのだ。

できるのはきっと、眺めることだけ。もう無くした旅の共だった「惣右介」を偲ぶことだけだ。

あの男はオレの「惣右介」ではなくなった。100年前、馬酔木の横で「もうすぐ春が来ますね」と笑った「惣右介」はとっくに死んで、娘の心臓がこの胎で脈を打つのと同じ頃に「藍染」として産まれ直してしまったのだ。

もう二度と会えない男を偲ぶなどらしくないなァと思うのだが、どうしても、恋でなかったはずなのに、傷だってつけるはずではなかったのに、100年前の自分が心の底で蹲っているのだ。

「あーあ、毎年こんな思いせなあかんとはなァ……」

娘たちのはしゃぐ声を聞きながら、馬酔木から目を背けて空を見る。夜の帷が下り始めた空の端は藍色に染まり始めていた。



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