怖い尊氏が好き2
まだ2人の兄弟が子供の頃の話である。
尊氏は直義を探して庭を歩いていた。天気は晴れて自身もすこぶる健康だがなんだが腑がざわざわする。
尊氏には時々こういった時がある。そうなったら弟を何を置いても探さなくてはならない。
それはいつもの勘ではあったが尊氏は密かに自分と弟の繋がりが直義の不調を知らせているのだと考えている。直義は分身なのだ。
しばらくすると人気のない奥まった場所で直義が泣いているのを見つけた。
しっかり者の弟はあまり泣く事は無かったが涙を流す時はいつも人に見せぬように隠れる。そんな弟を探しだしては慰めるのはいつも尊氏の役目だった。
兄にだけわかる場所に隠れる弟が尊氏には可愛くて仕方がない。
「直義。こんな所にいたのか」話しかけると弟は顔をあげてこちらを見る。
大きな瞳からは大粒の涙がとめどなくこぼれ落ち続けていた。弟の目が溶け落ちてしまいそうで心配になる。
「あにうえ」
いつもより舌足らずに自分を呼ぶ弟を抱き上げて膝に乗せ、裾で涙を拭ってやった。
「何故そのように泣いている?誰かにいじめられたのか?」
直義は黙ったまま首を振る。
「なら訳を我に話してくれ。お前が泣いているのを見るのは辛い」
そう言うと弟はためらいながらも少しずつ口を開いた。
聞けばどうやら直義を寺にやった方が良いのではと言う声が家人にあるらしい。武の才能がない弟君は寺にやった方が幸せだと言われ、直義は悔しくて泣いていた。
それを聞き、弟は否定したがやはりいじめる輩がいたのではないかと尊氏は思った。ふと苛立ちが沸いて重い泥が足にまとわりつくような嫌な感覚がする。
しかし直義が「兄上のお側でお力になりたいのに。自分が情け無い」と続けた事で少し気分が良くなった。
可愛い尊氏の弟は家人に侮られた事よりも兄と離れ役に立てなくなる事を恐れている。
いじらしい弟の頭を撫でながら「我がお前を寺になどやるものか。だから泣かずとも良いのだ」と言った。
本心だ。なぜ大事な弟を他所へやらなくてはいけない。
「でもみな私には武芸の才がないと言うのです」と弟はしゃくりあげながら訴えてくる。
「可哀想に…」
尊氏は顔を顰める。弟の悩みを取り除いてやりたかった。
直義の武の才が平凡である事は尊氏も理解していた。しかし武など自分や家人が補えばいいだけの話だ。
弟には弱点を補って上回る人並外れた知力と政治の才がある。そして鍛錬や研鑽を弛まぬ姿勢と足利への忠信でいずれ一門から一目置かれる存在になるだろう。
武の自分をその知で支えてくれる両輪となるに違いない。
そんな弟を尊氏は誇りに思っている。
…だが、一体それが何だというのだろうか?
「ならば直義は武芸などしなくて良い」
口からでた言葉は考えていた慰めや励ましの言葉ではなかった。
「直義は苦手な戦など出ずとも良い。
かわりに好きな本を読んで箏を奏で、ただ我の帰りを部屋で待っていてくれればそれで良いのだ」
泣いている弟を見て思わず飛び出した考えだったが中々いい案だと尊氏は思った。
直義が武が嫌だと言うのならば、足利に利益をもたらさないのならば、その才能を磨かないのならば尊氏は簡単に弟を手元に置く事ができる。
才のない部屋住みの庶子を気にかけるものなどいないのだから。
尊氏が武家の頭角を表し、そしてその見返りに弟を望めば誰も文句は言えなくなる。
「うん。いいな、それはいい」
ふと尊氏の頭に初めて会った頃の赤子の弟が思い浮かんだ。あの頃の弟はいつも屋敷で尊氏を待っていて笑顔で迎えてくれた。
温かくほんのりと甘い匂いがして、尊氏が手を滑らせれば容易く死んでしまうだろうにじっとこちらを見ながら安心しきった表情を浮かべる。
何の役にも立たず庇護がなければ生きていけないか弱い生き物。
そんな弟でも尊氏は愛した。成長した直義がなんの才能ももたない白痴だったとしても尊氏は変わらず弟を愛しただろう。
逆にいえば直義の才が100年に1人のものであり他に代わりがいなくとも、尊氏にはその稀有な才よりたった1人の弟であるという事実が勝るのだ。
「…兄上?」
考えに夢中になっていた尊氏は困った顔でこちらを見上げてくる直義にようやく気づく。
弟は慰めてくれた事に礼を言うが尊氏の提案にはやんわりと否と答えた。
「兄上。しかしそれでは私は足利の、兄上のお役に立てません。
弱音を吐くなど武家の子に相応からぬ振舞いでした。精進いたします」
やはり直義は生真面目で良くできた子だった。少しだけ残念に感じたが弟が足利の為に働く事を望むなら否やはない。
「そうか。お前が決めたなら応援しよう。流石我の弟は賢く強いな」
そう褒めると直義は嬉しそうに笑い体をすり寄せてきた。
「だが辛くなったらいつでもこの兄に言うのだぞ」
その時はこの愛しい弟をしまってしまおう。
「はい」兄の腕に抱かれ直義は頷く。