忘れじの花

忘れじの花



 愛と情熱の国、ドレスローザ。

 そこに広がるのは豊かな緑と絢爛の花々。燦々と降り注ぐ太陽の下、街は行き交う人々の活気に満ち溢れ、どこからか聞こえて来る音楽と芳しいスパイスの香りが誰をも楽しませる、そんな国。

 常はどこを切り取っても賑やかなこの国だが、しかし、今日ばかりは重くしめやかな沈黙に包まれている。


 九年前のこの日、ドレスローザは百七十九名の国民を喪った。


 南の町セビオにある大聖堂では毎年追悼慰霊式が行われ、王族や近隣諸国の為政者、そして犠牲者の親族らが黙祷を捧げる。また、大聖堂に面した広場にも数百名を超える人々が集まり、俯きがちに献花台へと足を進めていた。

 色とりどりの花束や花冠に、故人の愛した酒や果物、幼い子どもの好むおもちゃにお菓子。

 献花台に並ぶ溢れんばかりの贈り物は、未だ尽きぬ悲しみと愛を物語る。


 大聖堂を遠く臨む、港町アカシア。この町の孤児院に面した小さな教会でも慰霊のミサが行われていた。

 アカシアは騒乱の際、多数の勢力が入り乱れた町。被害も大きく、遺児の多くがこの孤児院で育った。

 今、献花を捧げるシスターもその一人だ。

 かつて齢十に満たない少女であった彼女は、騒乱により両親を亡くし、孤児院に引き取られた。当時のことを思い出し思わず零れた涙を拭い、彼女は祈りを捧げる。

 どうか安らかでありますよう。あなたたちの守った平和が永遠に続きますよう。

 もうぼんやりとしか思い出せない両親の笑顔を胸に思い描き、シスターは寂しげに微笑んだ。

 献花台を後にした彼女は、参列者から少し離れた場所を見やり、足を進める。


「こんなところにいらしたのですね」


 手に一本の白百合を携え、孤児院の片隅に佇む黒衣の男。どこか所在なさげな様子の彼は、シスターに声をかけられ、小さく目礼を返した。

 普段はおろしている髪を上げ正装に身を包んだ男は、それでも献花台や教会へと進めず、その場に留まっている。

 いつもそうだった。

 元より、彼はこの教会の聖堂には足を踏み入れたことがない。血濡れた足で安息の地を踏むことは許されない、ましてや神に祈る資格など己にはないのだと、いつの日か語った男の姿を思い出し、シスターはその手を取った。


「行きましょう」


 男の手を引き、シスターは献花台へと進む。彼の姿に気付いた人々が深く頭を垂れ、道を開けた。

 シスターに導かれ、男は献花台へ白百合を捧げる。

 騒乱の最中に現れ、国を救った英雄。跪き、目を閉じる彼が何を思うのかは分からない。

 ただ、その心が少しでも救われれば良い。そう願い、シスターは再び祈りを捧げた。




 時は九年前に遡る。


 ドレスローザを襲う悲劇。

 その序章は南の町セビオから始まった。


 いつも通りの昼下がり、いつも通りの活気。リク王軍の若き巡回兵が小さな異変に気付く。


 襤褸を纏った者が多い。


 確かにドレスローザは豊かな国ではない。街並みは素朴で、スラムとて存在する。しかし、ここセビオの町は極端な貧富の差がない地域だ。また、見覚えのない顔が増えているような気もする。

 違和感は拭えない。しかし、国民が困っているのであれば助けるのがリク王軍兵士としての務め。

 そう考えた彼は、道端に座る女へと声をかけた。


「もし、ご婦人。何かお困りでは?」


 声に気付き、顔を上げた女。

 その手には丸い何かが握られていた。


 女は泣きながら嗤い、手にした爆弾に火を付ける。



 王宮まで響く程の爆発音と振動に、リク王は書類を捲る手を止めた。俄に騒がしくなった王宮に伝令兵の声が響く。


「セビオが何者かによる襲撃を受けました! 武装した集団が町民を襲い、次々と火をつけて回っている模様!」

「病院が爆破され、怪我人を収容できません!」


 椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったリク王。書類が宙を舞う中、彼が部屋を出ようとした時、さらなる報せが届いた。


「軍と海賊がアカシアにて交戦中! 海賊が徒党を組んで海岸部より上陸し続けています!」

「賞金稼ぎが現れ、国民に! こ、国民に『守ってやるから』と金銭を要求しています!」


 瞬く間に混乱に陥った王宮内でも悲鳴が上がる。

 建物が揺れるほどの衝撃。下階で爆発が起きたと気付き、リク王は兵士と共に走り出した。


「精鋭をセビオに向かわせ制圧しろ! タンクは私と共に来い!」


 指示を出しながらタンク軍隊長と共に階段を一気に駆け降り、王宮の入り口へと辿り着いたリク王。

 その目に映ったのは地獄だった。


 逃げ惑う人々の背を追い、刃物を振り回す者。響く銃声と倒れ伏す民。つんざく様な悲鳴。子どもの泣き叫ぶ声が唐突に途切れ、新たに火の手が上がる。

 辺りに漂うのは肉の焦げる匂いと土煙。

 醜悪な笑い声が響き、助けを求める声が一つ、また一つと消えていく。


 王の目に憤怒が浮かんだ。震える拳からは血が滴り、噛み締めた歯が音を立てる。


「セビオを襲ったのは何者だ」

「拿捕した者によれば、他国の市民のようです」

「非加盟国の暴徒か」

「いえ、加盟国に所属する反政府組織だと彼らは訴えています」

「何だと?」


 唖然としたリク王の目の前で、一際激しい爆発音と共に大鐘楼が崩れ落ちた。

 降り注ぐ瓦礫は、国民もそれを追う者も平等に圧し潰し、炎と諸共に数多の命を消し飛ばす。


「海軍に連絡は?」

「未だつきません。推測ですが、海賊と結託しているものかと」

「何故、そう考えた」

「アカシア侵攻に海軍が拓いた軍用通路が利用されています。また、これは私事ですが、友人が海兵に斬られ……くそ!」


 言葉を切り俯く兵士の声は憤りに震えていた。リク王はその姿を視界の端に捉え、痛ましさに目を眇めつつ状況を整理する。


 これまでも、非加盟国の民が加盟国内で抗議行動を起こすことはあった。だがそれもデモ程度で、一方的な暴動に発展するケースは少ない。何より『加盟国』の反政府組織が自国でなくドレスローザで暴動を起こす意図が読めない。

 また、海賊が徒党を組んで現れる状況も不自然だ。小さな同盟ならともかく、大挙して押し寄せるなど考えられない。

 海軍の動きも確かに疑わしかった。近年、海賊が支配する非加盟国と弱小加盟国の争いが激化している。前者に情報を流し、利を得る者の存在が囁かれていた。推測とはいえ、頭に留めて置く必要はある。

 国民に金銭を要求している賞金稼ぎ達は恐らく、海賊に押し負け、国民からむしり取る形に方針を変えたのだろう。


 そして、この事態の影には黒幕がいる。

 暴動と襲撃、その全てが同時に起こるはずがない。これは狙って引き起こされた戦火だ。

 ドレスローザは今、侵攻を受けている。


「お父様……何が起きているの?」


 侍女と護衛に連れられ、ヴィオラが姿を現した。青褪め震えてはいるが無事であることに安堵を覚えつつ、状況を共有する。口許に手をやり瞠目した彼女は、しかし、前を見据えて姿勢を正した。


「まずは正確な状況把握ね」


 ヴィオラが千里眼を発動する。

 捕捉できる範囲は、国内のみならず遠方の海域全域に渡る程の超広域。アカシア周辺の戦線を把握して状況を述べた後、彼女はセビオに視線を飛ばした。

 血の気の失せた娘の顔を見つめ、リク王は臍を噛む。

 ヴィオラとて王族、有事に力を奮うは当然のことだ。しかし、親として、惨事をつぶさに確認せざるを得ない彼女の心境を思うと、胸の潰れるような心地がした。


「セビオにキュロスがいる。おね……奥方と娘さんも一緒よ、こちらに向かっているみたい」

「そうか。無事だな?」

「ええ、制圧も進んで……お姉様、後ろ! やめて! いやあ!」


 安堵の混じった声で話していたヴィオラが突如叫び出す。届くはずのない手を伸ばし、それでも飛び出して行こうとする彼女を、羽交締めにして侍女が止めた。

 座り込んだ彼女の目から涙が溢れる。


「どうした⁉︎」

「お、お姉様が撃たれ……え? あれは、何?」


 侍女に抱きしめられたまま、駆け寄ったリク王を見上げ、彼女は呆然と呟いた。


「何があったんだ?」

「誰かが、お姉様とレベッカを守ってくれたの。背の高い剣士……あんな方、この国にいたかしら。いえ、そもそも、突然現れたような……」


 よろけながら立ち上がったヴィオラを支え、リク王はセビオへと視線を向けた。急速に火の手が弱まっている。何か、地響きのような音が響く度に煙が消失し、歓声が上がっているのだ。

 姉の無事が分かり、気を取り戻したヴィオラが再びアカシア周辺を見つめる。その顔に今度は驚愕が浮かんだ。


「今度はどうしたんだ」

「分からない。海賊船が宙に浮いて、いきなり真っ二つに……」

「どういうことだ?」


 口頭での説明が困難だったのだろう。ヴィオラが自身の見た情報について直接共有を申し出た。頷いたリク王は彼女の許しを得て記憶を共有する。


 沖合。

 真っ二つに分断された海賊船が多数浮かんでいる。

 港とアカシア。

 奮闘する軍より海岸側、崖の上に立つ杖を携えた大男が液体を飛ばし、海賊船を振り回している。打ち付けられ合った船が木っ端微塵に崩壊し、火の手があがった。

 風に乗って町へ流れた火は延焼する間もなく、突如起こった吹雪によって消し止められていく。

 町中では、黒衣の男が兵や民に応急処置を施し、何か指示を飛ばしていた。

 セビオ。

 兵士とキュロスが暴徒を捕縛する背後を、背の高い剣士が守っている。

 蛇の如くうねる剣が国民の間を縫って暴徒を斬りつけ、はためく外套が銃弾を弾いて逃げる民を守った。

 また、怪我を負い倒れている国民が波打つ地面によって運ばれ、別の場所では隆起した岩が炎を圧し潰す。


「どこの手のものかは分からんが援軍のようだな。有難い」


 呟いたリク王は顔を上げ、傍に控えていたタンクに指示を与える。


「セビオはまだ危険だ。怪我人は王宮へ運び込むよう通達しろ」


 自らも馬に飛び乗りセビオへと発とうとするリク王。ヴィオラが己もと走り出すが、リク王によって制止された。


「お前はここに残りなさい。運ばれる民を頼む」

「────分かったわ。お父様、皆、どうかご無事で」


 ヴィオラの能力は直接戦闘や防御には向かない。王宮に残って状況を把握、運ばれる怪我人の中に間者が紛れていないかを判断する方が理にかなっているのだ。

 彼女自身、それを理解しているのだろう。きつく唇を噛んだ後、無理矢理に作った笑顔で応える。

 娘の成長を喜ばしく思いつつ、リク王は気を引き締めた。


「道を拓くぞ!」


 王の呼びかけに応え、雄叫びが上がる。




 王宮からセビオに伸びる街道を軍馬が駆ける。

 リク王率いる王軍は立ちはだかるテロ集団を制圧し、拘束していく。

 ドレスローザはここ八百年に渡り戦争のない国。兵らは暴動に対しても出来うる限り攻勢には出ず防衛に徹している。また、敵もテロ集団と言えど練度は低く、軍の精鋭には敵わない。

 セビオの外れに到達したリク王は、自ら指揮を取り王宮への誘導を始めた。


「こちらへ! 自力で動ける者は動けない者を支えて移動してくれ!」


 声を張り上げるリク王の姿を認め、力なく座り込んでいた国民の目に光が灯る。


 我らの王が守ってくれる。

 我らの王が助けに来てくれた。


 リク王への信頼が彼らを奮い立たせた。


「急いで! 子どもと重傷者を先に!」

「立てるか? 無理ならおれの背に乗れ! 行くぞ!」


 動き始めたセビオの民を兵らが誘導する中、伝達用の映像電伝虫がリク王を見つめ、各地の広場にその姿を映し出した。

 リク王は己の不甲斐なさに涙さえ浮かべ、それでもと声を振り絞る。


『アカシアには海賊が、セビオでは暴徒が現れ町を襲っている! 痛みも憤りもあろう! 申し訳ない! だが、今は戦わず、皆で手を取り合って避難所か王宮へ向かってくれ! 必ず助ける!』


 王宮へと誘うリク王の叫びに民らが喝采を上げる。


「王様を信じろ! 今は逃げるんだ!」

「セビオを救え! おれ達も向かうぞ!」

「アカシアの皆を助けるのよ! 治療道具をだして!」


 戦乱に巻き込まれていなかった地域の民らにもその映像は届き、国中の民が互いを助けるために動き始めた。

 ある者は港へ向い、怪我人を支えながら避難所へ走る。またある者は逃げ遅れた子どもを抱えて王宮へと向かう。行手を阻む賞金稼ぎに金銭を投げつけ、彼らはそれぞれの生きる道へと走り始めた。


 ヴィオラと繋がる電伝虫から各地の様子がリク王に伝えられる。国民が一斉に避難を始め、追撃も軍の奮闘によって押しとどめられているようだ。

 リク王は一つ息を吐き、近くで座り込んでいた青年へと手を差し伸べる。


「立てるか」


 顔を上げた青年は痩けた頬を緩ませ、笑みを浮かべた。

 彼がリク王の手を取ろうとしたその瞬間、幼い声がその場に響く。


「おうさま、だめ! その人わるい人!」


 咄嗟に反応したタンクが王へと手を伸ばし、その身体の前に割り込もうとする。

 しかし、青年は王ではなく、警告を放った少年へと視線を向けていた。

 爛々と輝く落ち窪んだ目。

 その手には一丁の銃。


 銃声。


 取り押さえられた青年が、ひどく驚いた顔で呟く。


「なんで」


 広場のスクリーン。

 そこに映し出されたのは、倒れ伏すリク王の姿だった。

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