心臓を動かして

心臓を動かして


誰かになにかを贈るのなら、おもしろい方が良い。


この場合のおもしろいっつうのは『相手にとって』であると同時に、『自分にとって』であればさらに良い。そしてこの『おもしろい』は、誰かになにかを贈るという行為で得られる達成感だとか満足感だとかが占めることの方がそれなりにあるが──どうせなら。


たとえば嬉しい報酬(プレゼント)をちらつかせた50本勝負であったり。


たとえば運命の女神に丸投げしたフラワーギフトで相手がどれだけ驚くかの賭けをしてみたり。


私にとっても『楽しく』あれば、それはそれで重畳なわけなんだが。


「なるほどねぃ。フェッスーはフェッスーのトレちゃんに贈る誕プレに悩んでる、と」

「その呼び方はやめてくんねぇかトランセンド。どういうことか気が抜けんだよ……あと別に悩んでるとは言ってない」

「そうじゃねぇ、悩んでるんじゃなくて、困ってるんだものねぇ」

「ね、アキュートさん、なやむもこまるも似たよーなもんじゃね?」


某日。

すっかり冬の気配は陽射しに散った、うららかな昼下がり。

柔らかな木漏れ日の下、落ち着いた風合いのピクニックシートに思い思いに座り広げられた重箱を囲うウマ娘が四人。水が温めばコートだとかキャメルのカーディガンだとかを羽織らなくても屋外で時間を過ごせるようになるからな。私たち以外にも校舎の前庭で弁当だの惣菜パンだのに舌鼓を打つ連中もそれなりにいる。

色味はミモザか菜の花か。やたらと食欲をそそる卵サンドにかぶりつきつつ首を傾げるトーセンジョーダンに釘を刺すような視線をやって、私はほんのりと湯気の立つ紙コップの焙じ茶に口をつけた。


「だから、悩んでもねぇし、困ってもねぇよ。検討中だって話なだけだ」


ウマ娘三人寄ればかしましいとはよく言ったもんだよな。そこそこ喋るトランセンドに騒がしいジョーダンがいればそれだけで会話に花が咲く。まるで桜の開花にゃ負けねぇとばかり、春先の女子高にとっちゃ『らしい』といえば『らしい』情景だろう。

それに加えて季節柄、誕生日の話題にゃ事欠かない。日本で生まれるウマ娘ってやつは年明けから初夏にかけて誕生日が集中しているからな。特に三月、四月はそれが顕著で、寮主催の誕生日パーティーなんかは週末にまとめて実施されるくらい。

意図せぬプレゼントのかぶりを防ぐため、情報交換も盛んに行われているし。それこそ筍のカレー風味フリッターをうまうまと味わうトランセンドなんかはそのあたりのことに長けていてな。勿論対価は必要だが、世話になる奴も少なくはないだろう。


最も、私が算段をつけているのは対ウマ娘じゃない。

トランセンド曰くの『フェッスーのトレちゃん』──つまるところ私の担当トレーナーに贈る、誕生日プレゼントについてだ。


「あたし、今年のトレ誕はマグカップ贈ったな〜見栄えのねーやつ使ってたから、気分アガりそーなやつ」


やっぱカンキョーって大事じゃん?

などと言いつつ、卵に引き続き、ピンク色のクリームが挟み込まれた一口サイズのサンドウィッチにぱくりとひとくちかぶりついたトーセンジョーダンは、驚いたように目を見開く。


「えナニコレいちごクリームじゃないの、なに?」

「ふふふ、それはねぇ、タルマエちゃんからもらったハスカップとクリームチーズを混ぜたものなんじゃよぉ。どうかしら」

「すげーおいしい! さっすがアキュートさん! ……そういやアキュートさんのトレーナーはあけおめ誕だったっけ?」


スイートコーンが彩り鮮やかなマカロニサラダをよそっているのはワンダーアキュート。

まっすぐなジョーダンの反応に優しく瞳を細めつつ頷いてみせた。


「ええ、そうなんじゃよ〜、あけおめたん。あたしはいつものぽりぽりさんと、手作りの甘酒を贈ったのよ。ここのところ休む間もない連戦だったし、ひと息ついてほしくてねぇ。トランさんは……」

「ふっふーん。ウチんとこはねぇ、紛失防止トラッカー。カード型でさ財布とかに入れとくやつね。端末と連動して、トラッカーと端末の距離が離れたら報せてくれんの」

「……トランさんそれどゆこと?」

「べつに財布じゃなくてもいいよん。ジョーダンの大事なネイルポーチに入れればさ、もしネイルポーチ落っことしたり置き去りにした場合、ポーチがどこにあるかジョーダンのスマホが教えてくれるんだよ。便利でしょ?」

「だいじなものが迷子にならないようにしてくれるんですねぇ。トランさんのがじぇっと、あたしはよくわからないことが多いのじゃけど……」

「ちなお値段は四千円ちょい。……自分で買うには悩むけど、ひとから貰うなら嬉しいラインを狙ってみた次第〜」


先程までうずらの卵フライが刺さっていたピックを指揮棒みたくくるくる回し、トランセンドはこちらに視線を寄越してくる。ヤマさんどうよ、とばかりにな。


***


卵やきゅうり、ハムのサンドウィッチ。

ひじきにごまに、ハスカップの塩漬けにおにぎり。

筍の土佐煮、アスパラのささみ巻、鶏の照り焼き、卵焼きにスナップエンドウの和え物。その他諸々。


ワンダーアキュート謹製の弁当は、まるで店売りのそれかと見まごうばかりの出来栄えだ。それらをトランセンドと二人でつついてたアキュートに通りすがりざま手招かれ、かくも見事な春の菜を見てしまえば……美味いもんに目がないわけじゃあねぇけどさ、馳走の誘いに甘えちまっても、まあ仕方がないだろう。

ついでにトーセンジョーダンも加わって、既知の同期が揃い踏み。……最も同期と言えど主戦場やらローテやらはばらばらで互いに切磋琢磨しあうような間柄じゃあなかったが。

それでもまぁ、現在に至るまで走り続けている気心の知れた間柄。

別に私は悩みも困りもしていなかったが、ジョーダンもアキュートもそれぞれにお節介なところがあって、情報通ゆえにひとの機微を読むことに長けるトランセンドなんてそのあたりは最たるものだ。

お節介はお節介でも、共通してんのはけして押し付けがましくはないところ。……それを必要としていないと熨斗つけて返すことは簡単だったが、そこまで無粋なことをするつもりもないさ。


口にしていた菜の花のお浸しを咀嚼して飲み込んで、ふっと一息。


「ま、消えもんの方が都合がいいとは思ってるな。……これまでなにかを渡すことがあっても、手元に残るもんを贈ったことはねぇし」


たとえばバレンタインデーの勝負つきチョコレートとか。

クリスマスにゃクリスマスプレゼントと称して勝負の末にコンビニチキンを贈ったこともあったかもしれないな。

思い起こせば私が誰かにものを贈るときは、大抵が手元に残らないものだ。


「あーたしかに? ナカヤマ、あたしのときはビビるくらいの量の花くれたもんね? でもあれたしかに消えものだけどさぁ、毎年誕生日くるたびに思い出すと思うわ。マジでビックリしたし」

「そうすると、……消えるけど、記憶に残るものとかがいいのかねぇ。ナカヤマちゃんの大好きな勝負の報酬として、ケーキとか……?」

「菓子類は遊び甲斐がないのがな」

「なるなる、ヤマさんは用意からヒリヒリしたいんだもんな」

「それに、勝負プラスアルファはいつものことだしなァ……一年に一度なんだし、どうせ贈んなら目新しいもんのほうがいい」


どうせなら。

出来ることなら準備から楽しめて、贈る相手もそれなりに喜んで、手元に残らないものを。

そんな頭を悩ますほどのことでもないから、適当に見繕って適当に渡しちまえばそれで終わりはするけども。

適当に終わらせるにゃ……抵抗を覚える相手になっちまったもんだから、本当に質が悪い。


とは言え、だ。

ウマ娘、三人寄れば文殊の知恵。しかしながら旨い弁当囲んで折角の昼休憩、腹を空かした奴らにとっちゃこの世の春と言えなくもないこの時間、私自身だけならともかく他人をいたずらに悩ませるのも気が引けないこともない。

まぁあとは自分でなんとかやるさ、と、話を終わらせる口火を切ろうとしたその時だ。

ぽん、とトーセンジョーダンが掌を打った。


「んじゃさ、いっそのこと逆張ってみんの、どう?」


***


逆張り。

本来の意味としては投資の手法のひとつで、相場の流れに逆らい市況の裏をかく売買方法なんだとか。

もっとも株だのなんだのには今のところ興味はないし、発言した当の本人もそんな意図はないだろう。……本来の使い方を知ってるかも怪しいな。


それはさておき。

ニュアンスから考えるなら、望むことの逆を行け、っつうことになるだろうか。


確かに消えもんも勝負つきのプレゼントも、私にとっちゃ定番も定番のド定番。新鮮味なんてひとつもありゃしねぇ。

贈る相手ごとにその内容は異なるから飽き飽きしてるなんてことはないし考え甲斐もあるってもんだが。


「おじゃましまーす!」

「ジョーダンちゃんもナカヤマちゃんもいらっしゃい。好きなところに座ってねぇ」

「あ。ヤマさん冷静になった表情してら。ま、もう賽は投げられた、ってことでひとつ」

「……まったくだぜ」


放課後、場所は栗東寮。

トランセンドとワンダーアキュートの部屋に足を踏み入れた私の表情を、部屋の主はいとも簡単に暴こうとする。それと同時に現実をつきつけてくるんだから、つくづく厄介なことこの上ない。

トランセンドの言うとおり。既に賽は投げられた。私の手にはわざわざ手芸店まで出て買ってきたリネン生地のハンカチがぽつんと入った小さなビニール袋が提げられている。

部屋の中央に置かれたローテーブルの上には木組みの裁縫箱が置かれ、アキュートに導かれるまま私はその前に座ることとなった。


ジョーダンの提案はこうだ。

勝負もなにもない純然たる消えないプレゼントを贈ってみるのはどうか──アキュートの旨い弁当を空にして満腹になった私は、きっと気が大きくなっていたんだろうな。腹が満たされると眠くなるし。なるほどそりゃあ分が悪そうだと、何故か乗っちまったんだよ。


冷静に考えりゃそんなのごくごく普通のプレゼントに他ならない。それ以外の何になるってんだ。


元凶もとい発案者、そして私の買い物についてきてネイルチップに使うらしいビーズパーツを入手したジョーダンは上機嫌この上ない。遠慮の『え』の字もなく、キルトカバーがかけられた、おそらくアキュートのベッドに腰掛ける。美浦寮に所属している私と違い、訪ね慣れてるのが丸わかり。

だからその分、なんとなくだが敵地に踏み入れたような、そんな心地になる。レースあんまかぶんねぇ奴らだし、敵も味方もねぇけどさ……それでもなんとなく、深く息を吸って、浅く吐いて、気合を入れ直した。


「それじゃあはじめていこうねぇ。刺繍糸、いろんな色をそろえてるから、遠慮なく使って頂戴ね」


クッションを敷き私の隣に座るアキュートが木組みの裁縫箱を広げると、その言葉通り色とりどりの糸の束が私を迎え入れる。程良く几帳面な同期らしくグラデーションを描きながら並ぶ数十本もの束の中、私の指先が選ぶのは紫の糸だった。


……何を始めるかって?


「ヤマさんヤマさん」

「……何だよ」

「デザイン図、出しといた方がいいよん。いくらヤマさんが裁縫手馴れててもさ、刺繍自体は未経験でしょ〜?」

「それ! 聞いてよトランさん、ナカヤマったらさぁ〜どんなん作るか聞いても教えてくんねーの! あたしビーズパーツのココロエ? あっから盛るの手伝えるのにぃ」

「……帰ったら見せてやるって言ったろ。……これだよ」


学校終わり、寮には戻らず制服のまま手芸店に直行して、そのままジョーダン連れて栗東寮まで来たからな。季節の陽気に少しばかり色味が重くなった藤色のスカート、そのポケットに手を突っ込んで四つ折りにした紙を取り出す。ご立派なデスクチェアから身を乗り出すトランセンド、隣のアキュート、それから背後からジョーダンの視線を受ければ今すぐこの安っぽい藁半紙を破り捨ててやりたかったが──賽は振られて釘も刺された。ここまできてウダウダ言うような私じゃないさ。

広げたA4用紙にシャーペンで書いたのは若干線の歪な正方形。その右下の隅に……デザインなんて言うには不相応な、児戯に等しい落書きをちょこんと置いた──


「あらあら、かわいいねぇ」

「いやいやアキュさん、こりゃなかなかの芸術肌ってやつじゃ?」

「……。あ、出た出た。ナカヤマ、デザインはインターネットの力を借りるのがいいと思うわ。ほら、ししゅーのズアン出したったから、見ろ?」


……この季節になりゃ窓辺のすみれは毎日咲くだろ?

だからといって見慣れたそれを上手い具合に出力出来るかっつうと、また話は変わってくるわけさ。

これだから出したくなかったんだよ。ド肯定してくるアキュートに、軽く茶化してくるトランセンド、いつものノリで笑うわけでもなく真剣に心配しやがるジョーダン。ああ、同期たちの優しさに泣けてくるぜ、チクショウ。


私の目の前にはリネンの無地ハンカチ。

それからアキュートが用意してくれた刺繍糸、刺繍箇所を張った状態にするために使う刺繍枠、刺繍針。

ここぞとばかりにトランセンドが取り出してきたモバイルプリンターから出力された『すみれの花』の刺繍図案。


そう。

何をトチ狂っちまったんだろうな?

私はリネンのハンカチに花の刺繍をするべく、ここにいる。


どうしてこうなったのかは昼間の私に聞いてくれ。


***


逆張り──つまるところ邪道を捨て王道を選ぶことにしたところで、ランチタイム中の次の議題は『何をプレゼントするか』に変わっていた。

マグカップ、甘酒、ガジェットツール。同期たちの、同期たちらしさや理由のあるラインナップをあらためて眺めれば、普段消えものを贈る以外してこなかった自分の選択の幅のなさが顕になるってもんだ。

こういう時に行動が早いのはジョーダンで、ネイルチップを嵌め込んだ指先を器用にスマホのディスプレイに滑らせて「ま、やっぱ日用品がテッパンじゃね?」と検索結果を表示させる。


目上に贈るプレゼントランキングは消えものを除けばジョーダンの言うように日用品、あとは文房具類の類が並ぶ。ペーパーレス化の進むこのご時世ではあるがボールペンだのなんだのはあって困るもんじゃない。

あ、こんなんとかいーかも、とトランセンドが指したのは端末用のタッチペン。今でこそ気温が上がって凍えるような空気の中トレーニングすることは減ったものの、真冬の空の下、素手で端末を操作するトレーナーの姿はまあまあ寒そうだったしな。タッチペンならそもそも季節を問うこともないだろう。

こういうのもいいわねぇ、とワンダーアキュートが瞳を細めたのは酒呑み用のグラスだ。路線も違うしトレーニング内容がかぶることもあんまりねぇからアキュートのトレーナーについては詳しかねぇけど、甘酒を贈ったあたり酒が趣味の手合なのかもしれない。

頭を突き合わせ品定めをする中、難色を示すみたく唸ったのはトーセンジョーダン。これ、ダメなん? と指差した先にあるのはハンカチで──


「そうじゃねぇ、このデザインなら、バリオンステッチでやってみるのもいいんじゃないかしら……」


そんな昼休憩を終え、授業を終え、手芸店に向かい、トランセンドとワンダーアキュートの部屋に腰を落ち着けて──ジョーダンが提示しトランセンドが出力した図案を、トレーシングペーパーと複写紙でハンカチに転写する。私に絵心はないかもしれねぇが細かな作業が苦手なわけじゃないからな。そのあたりはさくっとこなし、改めて使用する刺繍糸を取り出したところで。

図案を見ていたアキュートが、すでに取り出していた針とは別の針を取り出してきた。


「ばりおん?」

「あ、コイルみたいにするやつだっけ。ぐるぐるぐるーって」

「薔薇の刺繍をするときによく使う刺し方なんじゃけど……」

「刺繍の種類にゃ馴染みがねぇから良い提案があるならご教示頂きたいところだが」


裁縫仕事もけして不得手じゃなかったが、そりゃあくまでボタン付けだったりかがり縫いだったりとごくごく普通のことくらい。精々小中の家庭科の授業で習って、日常に活用出来る程度のもんだ。

恐らくその言い方から基本の手縫いじゃなく応用の飾り縫いに近いものなんだろう。


「こいる?」

「こういうのじゃよ〜」


先程からずっと鸚鵡返しをしているジョーダンに見えるよう、アキュートが物入れから手のひらほどのサイズの正方形を取り出した。少しばかり分厚いそれはおそらくコースターの類だろうか。視線をやると、四方に薔薇の花が飾られ、ただ布を針と糸が往復しただけの縫い方とは違う立体感が見える。


ただ……こういうのは見ただけで理解出来りゃわけないからな。


大方の予想通りこてんと首を傾げて見せたジョーダンに微笑みかけて、アキュートは適当な端切れを手に取った。ピンクッションに刺さっていた針を端切れに二刺し。針の中央あたりから針先を目指して、ぐるぐるぐると刺繍糸を針に巻きつけていく。

しっかり巻きつけた糸だけ押さえて針だけ引き抜いてまた布に潜らせれば……。


「ね、コイルみたいっしょ? ウチもガジェポにこの飾り縫いの刺繍してもらったんよ。ほら、ウチのメガネ」

「えっすご。針にぐるぐるした糸が外付けみてーに残るんだ? アキュートさんプロくね?」

「そんな褒めても何も出ないよぉ。……ぽりぽりさんあげようねぇ、トランさん、お皿とつまようじ、用意してもらえませんかねぇ」

「りょ〜ハスカップぽりぽりさん略してハスぽりさんのおなーりー」

「で、そんなプロい刺し方を私にやらせようってのかい? アンタは」

「あら。市販のニット帽に穴をあけて上手に処理できるナカヤマちゃんだもの。出来ないなんて思ってないけれど……」


なんてさも当たり前みたく瞳を瞬かれるもんだから、やってらんねぇよな。


ストレート。

アウトライン。

フレンチノットにサテンにチェーン。レゼーデージー。

転写されたすみれの花と茎と葉に合うような刺し方を選んで、リネンのハンカチに針と糸を潜らせていく。

ひと針ひと針、テキトーに流さないように。丁寧に、だなんて柄じゃあねぇけどさ。

普段から色とりどりのネイルに触れてるからだろう。色彩勘の鋭いジョーダンがすみれの花色にもう一色加えてきたり、何を思ったのかトランセンドが刺繍をする私の手元動画を撮ろうとしてきたり。うっかりアキュートに乗せられてすみれの刺繍に加えて幾つか装飾を施しちまったりさ。

紆余曲折の末、刺し終わる頃にはとっくのとうに日は暮れて、いつの間にやら部屋を出ていたジョーダンがデカめの盆を両手に入ってくる。


「フラワーちゃんが夜ご飯にどうぞってばくだんおにぎり作ってくれたからナカヤマも食って帰らね? いまから美浦戻ってもめぼしい夕ごはん売り切れてるっしょ」

「ふふふ、お昼の続きみたいじゃねぇ。お茶、淹れましょうか」

「ケトルの準備はできてるよん。ささヤマさん、出来上がったハンカチは汚れないようにしまっちゃおうねぇ〜」

「へーへー」


食って帰るなんて一言も言ってねぇけどさ。

腹の虫にゃ逆らえないだろ。しょうがねぇか。


***


酷使、とまではいかないが掬っては縫い巻いては掬い戻っては掬った指先を、温茶が注がれ熱を帯びたプラスチックコップに触れることで労る。

寮食のおかずの残り物を良い塩梅で組み合わせて握られたばくだんおにぎりに舌鼓を打ちつつも、他愛もない話をした。今年の若駒の奴らの話とか、年始、シニア一年目に突入したクラシック路線の奴らが苦戦気味の話とか。ティアラの連中に押され気味なあたり、まるで私達の世代みたいだな、とか。ま、ウマ娘にも早熟晩成それぞれあるし、いつ誰がどう芽吹いてどう花咲くかなんて、三女神にしかわからないだろう。

アキュート特製ハスカップぽりぽりさん略してハスぽりをつまみつつ、気の向くままだらだらと喋っていれば、日が暮れるどころかどっぷり夜も更けていた。


「みんなおやすみ〜、ふぁ〜……またあしたぁ」

「ジョーダンちゃん、おやすみなさい。ナカヤマちゃんもまた明日、ねぇ」

「アキュさん、ウチちょっと美浦にヤボ用あるからヤマさんとデートキメてくるね。先寝てていーよ」


何だかんだで風呂も借りちまった。程よく温まったからだろう、大欠伸のトーセンジョーダンが眠気と戦いながらも自室へ戻るのを見送って、ワンダーアキュートにも「おやすみ」と返す。

そうして、来たときよりもわずかに重くなったリネンの正方形を入れたビニール袋は指先に、重さはさして気にならないスクバを肩に、トランセンドとともに美浦寮までのほんの短い夜道を進む。

もう息が白く濁ることはなくなったが、ちかちかと星の瞬く夜空は澄んでいて、ほんのりどこか肌寒い。


「喜んでもらえるといいねぃ、『ポケットチーフ』」

「喜ばないことはないだろうがね。気に入るかはともかくとして」

「きっとダイジョーブ。根拠はないけど」

「ねぇのかよ」

「いや、探せばあるやも?」

「どっちだよ」


相変わらずこいつはのらりくらりと掴みどころがない。見つけたとしてもお出しするには対価を頂かないとね? なんていたずらっぽく肩をすくめるトランセンドを、鼻で笑ってやった。


そう。

私が昼間、手芸屋から買ってきたリネンのハンカチは幾つかの刺繍を経て、『ポケットチーフ』に変化していた。変化といっても正方形のリネンハンカチなのは変わらない。けれどそこにハンカチとは別の意味を持たせた。


トランセンドの言葉を借りるのならば──拡張。


「固定用のホルダーの方は少なくとも明後日には届くと思うよん。しばし待たれよ」

「世話になる」

「いあいあ、ショップポイント倍増期間だったし逆にラッキー、みたいな? や〜しかしヤマさんがハンカチにするって決めたときはどーしようかと思ったぜぃ、ほんとに」

「テーマが逆張りだったからな」


いかにも苦戦しましたみたいな風情でヤレヤレと頭を振るトランセンドが何を言いたいかっていうと──昼間、ジョーダンが「これ、ダメなん?」と眉をひそめたハンカチにある。

ハンカチっつうのはさ、一見すると贈りやすいプレゼントだ。使わない日はないし嵩張らない。ポケットにでもカバンにでも入れておける。値段も素材もピンキリだが、相手にあった手頃な値段のものが必ずある。

あとはなんと言ってもデザインが豊富だから選択肢が広がる。折角贈るんだ。大事に大事に仕舞われるよか使い倒される方がいいし。


ただその反面──よろしくない意味もまた存在する。


「人間生きてりゃ遅かれ早かれ別れの日が来るんだ。それを考えりゃハンカチを贈ろうが贈らまいが何も変わらないだろ」


別れ。悲しみ。

それが、ハンカチを贈る行為に内包される『よろしくない』意図ってやつでな。ハンカチは涙を拭くために使うからっつう話だが便所なりなんなりで手を洗う際に使う方が多くないか?

あとはハンカチが手巾って呼ばれることから手切れをイメージするってのもあるらしい。もっとも今頃はそういう意味合いが気にされなくなってるみたいだが。大体、一方的に投げ渡すんじゃないんだ。意図を伝えりゃ誤解は防げる。


「あいつなら別れの意図には取らない。ほぼ勝ち筋は見えてるが私の勝負の意図もあった。大体そんな意味があったとしてもまだ別れてやるつもりもない」

「それでも。冗談でもさみしーことは言っちゃダメだよ」


街頭の真白い光に伸びた影が動きを止める。立ち止まったトランセンドは先程までの茶化すようなものから、伊達眼鏡の奥、瞳がしめす表情を変える。

いつもの捉え所のなさはどこへやら。まるで諭すようにさ。


「わーってるよ。んなこと」


遅かれ早かれと言ったって、気配すら感じられない別離の瞬間はあるもんだ。気配があったとて、感じられないまま時間を消費することだって往々にして存在する。

……私の『奇跡』は襲い来る別れを乗り越えたが、忍び寄るそれに太刀打ちできないことだってある。あってしまう。


「だから柄でもない刺繍なんて施して『ポケットチーフ』にしたんだろ。ったく、ノセられちまった私も私だが、調子外れにも程がある」

「ん。いつもと違うヤマさん見てたらゾクゾクしちゃったよね」

「勝負なら付き合うがヒトで遊ぼうとするな。高くつくぞ」

「じゃオールウェザーでどう? フランスの次はドバイへ飛んじゃおうぜ。ヴィクぴも歓迎してくれるよ、きっと」

「ドバイにゃカジノはねぇんだろ? ……ま、考えといてやるよ」

「うぇ、フランスにはあんの?!」

「ある」


カジノバリエール・アンギャン・レ・バンっつうカジノがさ。……学生だから入れなかったが。


幾つかの街灯の下を通り過ぎ、そうこうしているうちにたどり着いた美浦寮の前、トランセンドはひらひらと手を振った。野暮用があるとは言ってたがそういうことか、このお節介め。

トランセンドだけじゃない。ジョーダンだってアキュートだって、どうかと思うくらいにお人好し。こそばゆいどころじゃねぇよ。でも、余計な世話だとぶった切れるほど情がないわけじゃない。


そうだな、きっと、おそらくの話だが。

昨年秋、『先生』を連れて挑んだ凱旋門賞で、私たちは本懐を遂げられた。私たちの賭けの結果はご覧のとおり。現在は無期限の休養中。次走予定は未定も未定。真っ白に燃え尽きちまったわけじゃあねぇけどさ、平穏な日々に現を抜かす。


もしかすると。

このまま、春風にでも吹かれて掻き消えちまうんじゃないのかって、思いでもしたのかもしれない。

そんな儚い柄じゃねぇってのにさ。


***


『てかさ、なんでナカヤマは、残るものを贈るの、イヤなん?』


悲しみの意図を含むハンカチをポケットチーフに拡張すべく、ワンダーアキュートの手を借りつつも刺繍に向かっていた私の背にそう聞いてきたのは、トーセンジョーダンだった。


思い起こすのは私にしては余りに平穏な夕刻と夜を過ごしたあの日のことだ。


メイクデビューを迎えるまでは夜になりゃ裏路地をほっつき歩くことも多かったし、そうじゃなければ同室とヒリつく遊びにしけこむか茫洋と一人でいるくらいの私が、同期──友人にも似た奴らの部屋で時間を過ごしているなんて、あの頃の私に伝えれば鼻で笑われちまうかもしれないな。計らずともトゥインクル・シリーズで走り始めて凱旋門賞へ辿り着いた私自身の変化に呆れながらも、ジョーダンにしては慎重に様子を窺うような声音の問いに、私はどう答えただろうか。


トランセンドに取り寄せを依頼し、数日前に届けられたジャケットの胸ポケットに収まるホルダー。それに、刺繍を施し手洗いした上でアイロンをかけしゃんとさせたリネンの正方形を折り畳んで差し込んだ。丁度、胸ポケットから刺繍をした一角が見えるような塩梅で。トライアングラーって折り方らしい。同室じゃあるまいしフォーマルな場にゃ縁がないからその時調べた程度だが。

そうすることで、ハンカチはポケットチーフに変わる。ジャケットの胸ポケットから顔を覗かせ華やかさを演出する。盤外戦術──私のトレーニング以外じゃあちらこちらに足を伸ばさなきゃならないトレーナーにとって、なくても困るわけじゃないが、あっても困るわけじゃない、そんな贈り物になったんじゃないだろうか。元々はリネンのハンカチだから、手拭きにも使えなくはない。


それらを簡素なギフトバッグに入れてしまえば、もう後戻りはできやしない。これまた簡素にラッピングを施して、私は部屋を出た。休日の寮の騒がしさを潜り抜け足を向けるのはトレーナー寮だ。あらかじめLANEで出てくるよう呼びつけてあるから、あとは約束の時間を守るだけ。

午前10時、春の陽射しの眩さに思わず目を眇めつつ、何かに挑む時のように、大きく息を吸い込んだ。視界の端、敷地の境界に沿って植えられた桜が、風に揺れてちらちらと舞い落ちる。いずれ、土に還るために。


何かが終わり、何かが始まる。そんな春。

アスファルトを踏みしめながら、友人たちとの遣り取りに再び思い巡らせる。


『そりゃあ、残っちまうもんは始末に悪いからな。それに、大事なのは私が贈ったことじゃない』


ジョーダンの問にそう答えれば、傍らのアキュートがかすかに首を傾げたんだったか。まるでどうして? とばかりの仕草に私はこう続けた。


贈り物を渡した時、どれだけ相手の胸中で喝采が溢れたか。その心臓を震わせることが出来たのか。ただ、それだけでいいんだと。

そういう純たる歓喜に、ノイズなんて少なけりゃ少ないほうがいいだろう?


背後、我が物顔でアキュートのベッドを陣取るジョーダンの表情はわからない。けどまぁアキュートのいつも柔和な眉がかすかに下がったし、その意図を解していれば恐らくはジョーダンも同じような顔をしただろう。

惑うアキュートに庇いだては不要とばかりに視線を遣れど──同い年のクラスメイトにゃ効くそれも、一つでも年上の相手には効かないこともあるもんで。


『でもねヤマさん。それを愛おしいなぁって思っちゃうタイプのひともいるわけさ』


ヤマさん曰くのノイズ、ってやつをね。

手にしていた端末を机上に置き、脚を組んだトランセンドはふふんと鼻を鳴らしてみせる。


『覚えていたいからわざわざ古びたフィルムを復元して、リバイバル上映なんかやっちゃったりして。みんな、美しいものだけを愛しちゃうわけじゃあ、ないしねぇ』


あぁ本当に、──柄にもないことをした。


別れの象徴にもなり得るハンカチに、やったこともなかった刺繍をしてさ。

しかも何をトチ狂ったのか、すみれの花のワンポイント。ポケットチーフにすりゃあ、丁度、ジャケットの胸ポケットから覗いて、心臓の上でその存在を証明するみたく。

それが、今年、私が私のトレーナーに用意をした誕生日プレゼント。まあ喜ぶだろうよ。おそらくな。無条件にってわけじゃないがトレーナーの奴、そこそこ単純だし。趣味かどうかまでは判断つかねぇから使われるかまでは知らないが。


幾つかの角を曲がり見えてきたトレーナー寮の玄関に、すっかり見慣れたシルエットがある。……こっちに気づくの早すぎだろ。ぶんぶんと両腕を振る──私のトレーナー。

待ち合わせの時間までまだあるのにさ。どうして既に待機してやがるんだか。ま、そんなことは腐っても言わないが。君もだよねだとか言われたら面倒なことこの上ないし。


誰かに何かを贈るなら、おもしろい方がいい。

よくある定番よりも、心臓を楽しく動かせるようなものがいい。


なぁトレーナー、無期限休養もそろそろ飽きてきた頃合いだ。

もうそろそろ私とアンタの心臓を動かしていきたかないか?


新しい春の始まりに向けてさ。



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