復讐王妃バーヌマティーとアルジュナの話
カルデアに召喚されてしばらく経っていくつかのトンチキイベントを経験してアルジュナへの態度が「関わりは最小限にしましょう」から軟化したバーヌマティーと、特異点でのバーヌマティーの記録とカルデアのバーヌマティーの自分への態度が違いすぎてモヤモヤしてるアルジュナの話
(おまけつき)
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紀元前約5000年前のインド北部にて、微小特異点が発生した。ダ・ヴィンチらの調査によると、クルクシェートラの戦争が起こるおよそ100年前で、「マハーバーラタ」ではマニプル国があるとされる場所であるという。トリスメギストスⅡの演算の結果、この特異点の攻略に適したサーヴァントは、カルナ、アルジュナ、そして復讐王妃バーヌマティーであった。
艦内放送でこのことを知らされたバーヌマティーは、カルナと遊んでいた骰子盤を素早く片付けカルナに与えられた私室を出た。本来ならば非番であるはずだった二人は、素材集めに駆り出されたドゥリーヨダナをよそに骰子遊びに耽っていたのだった。二人がカルナの部屋を出るのを見た偶然通りがかったパーシヴァルは挨拶をし、二人の無事を願う言葉を掛けた。
通常、夫のいる女が夫以外の男と人目につかぬ場所にいることは好ましくないことである。パーシヴァルも、バーヌマティーが召喚されて間もない時に苦言を呈したことがあった。しかし、バーヌマティーの夫たるドゥリーヨダナが、カルナが自分の妻に手を出すはずがないと言い、カルナも即座に頷いたためパーシヴァルも納得したのだった。━━この直後、誰よりも夫を愛するバーヌマティーは「あなたが信じるのはまず私でしょうが!」と言いドゥリーヨダナに華麗なるアッパーを決めていたのだが。
このようなこともあってか、二人で歩いていてもストーム・ボーダーですれ違うサーヴァントたちに特に咎められることはなかった。カルナとバーヌマティーは彼らと軽く挨拶をして、管制室へと着いた。そこには既にレイシフト準備を済ませたマスターとアルジュナ、ダ・ヴィンチとマシュが待っていた。ダ・ヴィンチとマシュが、二人に特異点に赴く際の注意事項を述べた後、四人はレイシフトを行った。
レイシフトの際に離れ離れになってしまうことも多いのだが、今回は運良く四人とも近い場所に降り立つことができた。
「カルナ、アルジュナ、バーヌマティー! 聞こえたら返事して!」
「オレはここにいる」
「私はここです、マスター!」
「カルナは私のすぐ近くにいて、アルジュナはちょっと離れたところにいるみたいよ、マスター」
すぐに合流した四人は、当面の行動を相談した。
「確か、マニプル国が滅ぼされそうになってるんだよね」
「はい。マニプル国が滅べば、この時代からおよそ百年後、私が困ることになります」
「マシュから聞いたんだけど、アルジュナの奥さんの一人がマニプル国の王女様なんだっけ」
「ええ。あなたなら知っているでしょうけれど、アルジュナには複数の妻がいるのよ。その一人がマニプル国の王女、女戦士チトラーンガダー。彼女とアルジュナの間に生まれた息子バブルヴァーハナは、アルジュナの晩年において重大な役割を果たすから、ここでマニプル国が滅ぶのはなんとしてでも阻止しなければならないの」
「ああ。しかし、ダ・ヴィンチらの調査では、誰がが、どうしてマニプル国が侵略されているのかは分からなかった。オレ達は不用意に動くべきではない」
「そうだね、いつも通りの流れだけど、まずは偵察をしなきゃ」
マスターがそう言って考え込む素振りを見せると、バーヌマティーが提案をした。
「じゃあ、カルナはマスターを守りつつ、ここで待っていてくれる? ほら、ちょうどあそこに大木の虚があるじゃない。私とアルジュナの帰りが遅かったら、そこでマスターを寝かせてあげてね」
「なるほど。ここが私の知るマニプル国の百年前であるとはいえ、このメンバーの中で一番土地勘があるのは私です。私が偵察に行くのが最善手でしょう」
「うん、俺もそう思う。よろしくね、カルナ」
「くれぐれもマスターを危険に晒すなよ」
「お前に言われるまでもないな、アルジュナ。……バーヌマティー。お前には偵察の役割は荷が重いのではないか?」
「フフ、心配してくれるのね。カルナ」
「ドゥリーヨダナから、バーヌマティーを見張るよう言われているからな。お前に何かあっては、友に合わせる顔がない」
「大丈夫よ。ちゃんと棍棒持ってきてるし、夫に棍棒術を教わっているんだから。……それに、ここは鬱蒼とした森でしょう? アルジュナの弓と私の呪いの力があれば、仮に敵と遭遇しても、森の被害を可能な限り少なくして対処出来るはずよ。今のカルナはランサーだから、槍で戦うと木を傷つけちゃうし」
「そうだね、修正力が効かなくなるまで森を傷つけちゃうのは良くないし。……じゃあ頼んだよ、二人とも! カルナ、一緒に待ってようか」
「承知した」
「では、行って参ります。マスター」
「行ってきまーす! 食べられそうなものがあったら、取ってくるわよ!」
こうして待機組と偵察組に分かれて、偵察組となったバーヌマティーとアルジュナはその場を後にした。
偵察の結果、マニプル国を攻めているのはカリンガ国であると判明した。これを知ったバーヌマティーは一瞬悲しげな顔をしたが、すぐさまこの時代のカリンガ王が聖杯を所持している可能性を思いつき、マスターにそれを伝えることで二人の意見が一致した。偵察中にこちらに気づいた兵士たちはバーヌマティーが死なない程度に呪って戦意喪失させ、命までは奪わなかった。襲ってきた野生動物はアルジュナが射殺した後、皮を剥いでからバーヌマティーの炎で充分に焼き、マスターの食料として持ち帰ることにした。
偵察を終えてマスターとカルナのもとへ戻る最中、二人は他に食べられるものを探していた。森で生まれ森で育ち、何度も森を彷徨った経験のあるアルジュナが食べられるものを採り、バーヌマティーが持つ壺に入れていった。
この壺は、本来はスーリヤ神のものである。バーヌマティーは、かつて自身が手に入れた聖杯により特異点を発生させた際に、ヴィシュヌとシヴァを除く神々を尽く殺したのだが、その際に数多の戦利品を得ていた。そして、サーヴァントとしてカルデアに召喚されるにあたり、その壺を含め戦利品をいつでも持ち出せる状態で現界したのだった。なお、これらは普段はバーヌマティーの霊基と一体化しているため、バーヌマティーは今は自分の霊基のごく一部を切り離している状態にある。
食料が壺の半分ほど集まった時、ふとアルジュナがバーヌマティーに疑問を投げかけた。
「バーヌマティー」
「どうしたの?」
「貴女は、私を憎いとは思わないのですか?」
バーヌマティーは咄嗟にアルジュナを見た。アルジュナの瞳は濁っていた。
「貴女が作り出した特異点での記録を見たのですが……そこでは、貴女は特異点にいる私を殺そうとしていましたね?」
特異点での記憶を欠くことなく保持しているバーヌマティーは、躊躇うことなく肯定した。
「ええ。私は特異点のアルジュナを殺そうとしたわ」
「そして今の貴女は、あの特異点での貴女と変わらず、私の兄ビーマを、神々を恨んでいる……」
「ハァ。あなたって、わざわざ他人を怒らせるような言葉を選ぶほど浅慮だったかしら? アルジュナ。カルデアに帰りたいのなら、そう言えばいいじゃない」
バーヌマティーは霊体化させていた棍棒を実体化させながらわずかに怒りを見せた。それが見えていないのか、アルジュナはバーヌマティーの言葉を遮り話を続けた。
「最後まで聞いてください。……私は疑問に思うのです。あの特異点では私をも殺そうとした貴女が、今こうして私と穏やかに話をしていることを」
アルジュナは、バーヌマティーを直視できなかった。バーヌマティーは、そんなアルジュナから目を逸らすことができなかった。
長い沈黙の後、バーヌマティーはアルジュナの肩を叩いた。
「少し、汎人類史におけるドゥリーヨダナの妻の話をしましょう」
「……どういうことですか?」
「あなたも知ってのとおり、ドゥリーヨダナの妻は私ただ一人です。……けれども、物語とは伝承されていくうちに変容するもの。今では、ドゥリーヨダナの妻は複数いることが普通だと考える者もいるようです」
「そうですね。アーサー王やネロ帝のように、実際は女性であった人物が、後世では男性として伝わった例もありますし」
「ええ。あなたの言う通りよ。……さて、マスターの時代で語られるマハーバーラタの中には、ドゥリーヨダナの妻は私バーヌマティーではなく、マニプル国の王女チトラーンガダーであるとするものがあるそうなのですが」
これを聞いたアルジュナは、慌てて声を荒らげた。
「待ちなさい。チトラーンガダーは、共に過ごした時間は短くとも、この私アルジュナの妻です! そのようなことがあるはずがない!」
「全くその通りです。この私の夫ドゥリーヨダナが、私以外の女を妻になどするものですか! ……しかし、この話がマスターの時代まで伝わったということは、すなわち、英霊である私がその影響を受けることを意味します。私達にとっては不幸なことに、インドネシアに伝わったマハーバーラタでは、バーヌマティーがアルジュナの恋人とされていますから、なおのこと親和性が高いのです。きっと、あなたの妻チトラーンガダーと、ドゥリーヨダナの妻として語られたチトラーンガダー、そしてバーヌマティーが習合した結果ああなったのでしょう」
「習合……まさか!」
習合という言葉を聞いたアルジュナは、ある結論に至った。アルジュナが目を見開いたのを見たバーヌマティーは、にっこりと微笑んで話を再開した。
「私、復讐王妃バーヌマティーは、99人の義妹と、義母と義妹の怒りを習合した存在です。ですから、私というサーヴァントは、バーヌマティーに強く影響を与えうる概念を取り込みやすいのでしょう。ゆえに、この私は特異点の私がカルデアで召喚されるにあたり、あなたの妻チトラーンガダーや、インドネシアで語られるバーヌマティーの影響を受けたのだと、私は考察します」
アルジュナは後ずさりした。バーヌマティーとご禁制する気など毛頭ないためである。そんなアルジュナの様子を見て、バーヌマティーは笑った。
「何をしているの、アルジュナ。あなたも知っているでしょう。私が夫ドゥリーヨダナに忠実な妻であることを。……影響といっても、あなたが憂うほど大きな影響ではありませんよ。たかが後世の異説如きが、私の夫への愛をねじ曲げられるはずがありませんもの。ただ、あなたへの怒り、恨み、憎しみ、殺意がすっかりなくなってしまっただけです」
「…………だから貴女は、私には普通に接するのですね」
「ええ、そうよ、アルジュナへの怒りから解き放たれた私は、あなたという男を冷静に見ることができたのです」
そう言うと、バーヌマティーはアルジュナの肩に腕を回した。二人の影が、仲間のような形をとって地面に落ちた。
「私は、息子ラクシュマナをあなたの息子アビマニュに殺された母。そしてあなたは、息子アビマニュを我が夫ドゥリーヨダナ、我が義弟ドゥフシャーサナ、ジャヤドラタに殺された父。……もう分かるでしょう? この私にとってアルジュナとは、自分と同じく戦争で息子を亡くした者なのです」
それを聞いたアルジュナは、目を閉じて暫く口を閉じた。そっと瞼を上げたアルジュナは、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「…………貴女は、私のことをカルナを殺した男だとは、思っていないのですか」
バーヌマティーは、困ったように眉を下げながら笑って言った。
「カルナから聞きましたが、カルデアではあなたとカルナの関係は良好なのでしょう? ならば、戦いに関与していない私が口を出すのはお門違いもいいところです。あなたがカルナに矢を向けるのならば殺しますが……そんなことはしないでしょう?」
「カルナがマスターのサーヴァントである限りは」
「フフ、ならば問題はないわね。……さあ、マスターとカルナのもとへ帰りましょう。アルジュナ」
こうしてアルジュナの疑問は解決され、二人はマスターのもとへご馳走と朗報を持って帰ったのだった。。
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案外、特異点は簡単に解決された。
バーヌマティーがカリンガの王女であることを利用して、彼女が霊体化してカリンガ国に潜入したのだ。アサシンではないため気配遮断スキルを持っていないバーヌマティーではあるが、カリンガの王女であった頃の記憶を生かし、巧妙に聖杯を回収することに成功した。途中、カリンガ軍の抵抗に遭うも、マスターはカルナが守り通し、アルジュナは敵を眠らせる矢を放ち、バーヌマティーが眠りの呪いをかけたことで普段インドに発生する特異点とは異なり、非常に平和的に事が終わった。
特異点攻略から帰った四人は、簡単なメディカルチェックを終えると、報告書の作成に取り掛かるマスターを除き、三人は廊下を歩いて食堂へと向かっていた。渋るバーヌマティーを、この時間ならば大丈夫だとカルナが説得したため、バーヌマティーも重い腰を上げて行ってみようと思ったのである。
食堂では、ドゥリーヨダナらが待っていた。
「カルナ! バーヌマティー! よくぞ無事に帰ってきた、わし様はお前たちが誇らしいぞ〜!」
「ただいま、あなた! 私達にかかればちょちょいのちょいだったわよ!」
ドゥリーヨダナに肩を抱かれたバーヌマティーは夫に抱きついて広い胸板に頬を擦り付けている一方、同じく肩を抱かれたカルナはそんな二人を微笑ましく見ている。突っ込んだら負け、と自分に言い聞かせて全米が称えるレベルのスルースキルを発揮したアルジュナは、近くの椅子に座っているカリ化ヴィカルナに声をかけた。
「ヴィカルナ。ただいま戻りました」
「アルジュナ殿! ご無事で何よりです」
「……おや、ドゥフシャーサナがいませんね。彼は今どちらに?」
「ドゥフシャーサナ兄さんは、アシュヴァッターマンと二人でシミュレーターで珍獣の肉を狩っているところです。私は、来るなと言われたのでドゥリーヨダナ兄さんと一緒に皆さんを待っていたのですが……」
「ああ、貴方にはカリステーキの前科がありますからね……」
アルジュナは、伝え聞いたカリステーキ事件を思い出して苦笑いするしかなかった。
やがて、カリ化ドゥフシャーサナとアシュヴァッターマンが帰還すると、二人の得た珍獣の肉をエミヤが調理し、ささやかな食事会が開かれた。成り行きで参加したアルジュナだったが、案外こういう機会も悪くないと思い、自分のオルタがドゥリーヨダナとその派生サーヴァントたちと頻繁に交流している理由をなんとなく感じ取ったりした。
しかし、突風とはふいに吹き荒ぶものである。
「エミヤ、そろそろ交代の時間だろ? 少し早いが来…………」
その暗紫色の髪の男を見た瞬間、バーヌマティーはガタン! と音を立てて立ち上がるや否や全身を燃やし、男に突撃しながら怒りのままに、ストーム・ボーダー中に響くほどに絶叫しながら霊基から分離させたヴァジュラを顕現させて攻撃した。
「今日こそ貴様の頭を砕いてやる!! 己の罪を数えるがいい!! そして死ね!! ビーマセーナァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ちょっ、やめろって義姉さん!!」
「ダメです、義姉さんは一度ああなると止まりません」
「……それもそうだな! ったく、さすがは兄貴の奥さんだよなー」
そんな義姉の様子を見て諦めの境地に達したカリ化ドゥフシャーサナとヴィカルナは、エミヤの揚げたポテトをポリポリと齧っていた。
「スヨーダナ、今食堂に行くのは危険です。プリンは明日にして、代わりにガネーシャにお菓子をもらいに行きましょう」
スヨーダナを抱っこしながらふよふよと食堂に入ろうとしていたアルジュナ・オルタは、暴れ狂うバーヌマティーを見てすぐに引き返した。
「やめて、義姉さん……!」
「行くな、ドゥフシャラー。あれはお前のために怒り、悲しみ、嘆き、戦う女なのだ。バーヌマティーを止めるためにお前が参戦すれば、あれはますます止まらなくなるぞ」
義姉を止めようとする魔性ドゥフシャラーを、ユッダが引き止めた。
「止まれバーヌマティー!! これ以上ビーマを攻撃するのであれば殺すぞ!!」
「うっさいわね!! あんたはパールヴァティーでもドゥルガーでもカーリーでもぶっ殺しておきなさいよ!! 私の邪魔をするな!!」
「……エミヤ。俺、帰っていいか?」
「むしろ今こそ絶好の帰るチャンスだろう」
恐ろしいスピードで駆けつけてきたユユツオルタが、バーヌマティーとの戦いに参加した。そのせいですっかり蚊帳の外になってしまったビーマは、エミヤの勧めもあって厨房にいるサーヴァントたちに一言謝罪してから速やかに帰った。
と、このような大惨事になっているのだが、人理修復を成し遂げ、七つの異聞帯を切除した歴戦のマスターはすっかり感覚が麻痺してしまっているようで、こんな反応である。
「あーあ、二人ともインドの神々の愚痴を話してる時は仲良いのに喧嘩しちゃって……」
「そんなことを言っている場合ですかマスター!?」
アルジュナが声を荒らげてそう言うのも、至極当然の話であった。
なお、バーヌマティーとユユツオルタが揉めに揉めた末、少し落ち着いたユユツオルタにはゲンコツを一発落として正気に戻らせ、それでも尚暴れるバーヌマティーにはキスをして大人しくさせたドゥリーヨダナは、しばらくの間食堂の危機を救った英雄としてサーヴァント達に一目置かれることとなった。
そしてユユツオルタとバーヌマティーは、反省を促すため一ヶ月ほど食堂を出禁になったのだが、元々食堂には行きたがらないバーヌマティーにとってはあまり効果がなかったという。むしろ彼女にとって痛手となったのは、アルジュナ・オルタに事の顛末を聞かされたスヨーダナにしばらくの間避けられたことだったとか。