御剣秀之助による推し活日記①
「大丈夫ですかー、檜佐木副隊長」
「御剣……なんとかな」
ぐったりと倒れたままの檜佐木を上から覗き込んで、秀之助はにこりと笑った。上半身をどうにか起こした檜佐木は頬を伝う脂汗をぐいっと拭う。
「勝てる戦いだったのにどうして手を止めちゃったんですか?」
「……やっぱあん時見てたのお前か」
やれやれと言った風情で溜息を吐く檜佐木とは対照的に、御剣は人懐っこい笑みを崩さなかった。
「綾瀬川さんの行動は明らかな離反でしたよ。剣を引けとか投降促してる場合ですか?そんな甘っちょろいことしてるから出し抜かれるんですよ。聞いてます?檜佐木副隊長。あなたの欠点はそういうところじゃないですかね」
「……忠告ありがとな。肝に銘じとくよ」
――そういう言葉を求めてるわけじゃないんだよなぁ。
すうっと目を細めて、その横顔を見つめる。
そこそこ直接的に煽ったのにこの人は怒ることもへこむこともしないのか――それが秀之助の抱く率直な感想だ。
檜佐木は秀之助の前では滅多に表情を動かさない。後輩で階級も下の男にかなり舐めたことを言われているというのに礼の言葉さえ言ってのけるのだ。
余程悪意に鈍いのか、性善説とやらを信じているのか。どちらにしてもつまらないの一言に尽きる。
(この人は、一体どういう時にその顔を崩してくれるんだろうなぁ)
「立てます?手、貸しますよ」
「ありがとな」
差し出した手を掴まれるまま、ぐっと力を入れて彼が立ち上がるのを手伝ってやると丁度四番隊の隊士が近付いてくる気配がした。
秀之助が彼らを呼ぼうと口を開いた、その瞬間。
突如空を駆けた声に動きが止まる。
(天挺空羅……虎徹副隊長の声か?)
檜佐木も同じことを思ったようで、中空に視線をやって固まっている。
そうして告げられた「事件」の真相は、秀之助を驚かせるに十分なものだった。
(藍染隊長が裏切り……?市丸隊長と東仙隊長まで……!?)
「……嘘だろ、」
しかしその驚きは、秀之助より幾らか低いところから聞こえた言葉に霧散する。言わずもがな、それは檜佐木の声だ。
ちらり、視線を向けた先で端正と称するに相応しい顔立ちが歪んでいく。
「隊長が……裏切り……!?」
震える声で漸くその言葉を吐き出した檜佐木の顔。今まで信じていたものがあっさりと崩れ落ちた時の、愕然としたその表情。
「……………ッ!!」
ぶわ、と頭の天辺から爪先まで高揚感が駆け巡る。歪に上がりそうになる口角を必死に抑えて、振り払われる前に檜佐木からさりげなく手を離した。離した手をそのまま自分の口元を覆うように持っていけば、傍から見ればショックを受けているようには見えるはずだ。
(……ああ、ああ、ああ!その顔だ、その顔がずっと見たかった!あなたのそういう顔が私は見たかったんですよ、檜佐木副隊長……!!)
ああ、これだから。
これだから私はこの人の顔が好きなんだ。
口を覆い隠した手の下で、また口角が歪みそうになる。秀之助はこの時初めて、自分の手が大きいことに感謝をした。