彼シャツSS
今日が期限の生物学のレポートの提出を忘れていたことに気づいたのは、寮の部屋に着いて着替える寸前だった。
オレの取りこぼした単位を救済するためのものでもあったのであわてて校舎へ向かって、ジニアせんせに受け取ってもらって。
部屋に戻ってくると、鍵が開いていた。
(アオイだ)
今日は歴史の課題を一緒にこなす予定だった。
アオイにはオレが留守でも部屋にはいつでも遊びに来ていいと言ってからしばらく、最近になってようやく遠慮なく訪ねてくるようになった。
かなりバタバタとして出て行ったから、いつものリュックも、着替えようと思って出した部屋着のTシャツもベッドの上に出しっぱなしになっているはず。
いつもはきちんと片づけているのに、よりにもよって今日。
アオイにだらしないと幻滅されたりしないかと冷や冷やしながら部屋の中に足を踏み入れる。
「ただいま」
いつの間にか当たり前になっていたアオイとのあいさつを口にするのと、
「ペっ、ペパー!?」
声を上ずらせたアオイが、ドアの方を半分振り向いて固まるのは同時だった。
真っ赤になってわたわたと手を動かすアオイは、明らかにサイズの合わないTシャツを着ていた。
ほっそりとした首筋がのぞく丸い襟ぐり。半袖のはずがすっぽりと肘まで隠れて、裾は太ももほどまで隠れている。もともと薄くてほそいアオイの体がますます強調されていた。
「おっ、おかえり! これはその、ごめんね、ペパー! 勝手に! ほんと、あの……っ、ちゃんと、洗濯して返すから……!」
アオイはじわじわと涙目になっていた。
何か、気の利いたことを言わなくては。そう思うのに、オレの視線はアオイに釘付けだった。
どっ、どっ、どっ、と心臓がうるさい。
(夢か、これ……)
「ペパーの、おっきいなって思ったら、つい気になって……」
恥じらいながら言うぐらりとめまいがした。思わずへたり込んでしまう。
「ペパー、どうしたの? 具合悪い?」
アオイがぱたぱたと足音も軽く近寄ってくる。さっと顔色を変えてかがみこんで上目遣いにオレをうかがってくるアオイは、やっぱりオレのTシャツを着ていた。角度が変わったせいで丸い襟から華奢な鎖骨さえ見える。
オレの半分もなさそうな細い腕に、シャツの裾から無防備に伸びる太ももに丸い膝頭。
アオイは親友だ。
親友なのに。
オレはアオイへと手を伸ばしていた。ぐい、と腕を引いて抱きしめる。アオイの体はやっぱり細かった。すっぽりと腕の中におさまってしまう。
「ひゃっ」
「アオイ」
「なっ、なにっ? あの、なんで……っ」
オレを押し返すように小さなてのひらが胸に添えられる。手も小さい。三つ編みが揺れている。小さな耳も、細いうなじも真っ赤になっている。マトマの実そっくりだ。
(アオイは甘そーだけど)
きっと味はモモンの実に近いだろう、などと茹だった頭で考えて、はあー……と深い息を吐いた。わり、と言って何とかアオイを離す。
やわらかな体温とほのかに甘い匂いが離れていくのが名残惜しい。
「いきなり、ごめんな」
「ううん」
やじゃないよ、なんてこの期に及んでも無防備ちゃんなアオイに心臓が痛くなる。
アオイはオレを親友として信頼してくれているのに。
オレのTシャツを着たアオイを前に、どんなきたないことを考えたのかなんて、きっと想像すらもしていないのだろう。
「……あんまさ、他の男の前でそういうことすんなよ」
「しないよ。……ペパーだから、気になったの」
オレだから。
(オレ、だから?)
真っ赤になってうつむくアオイを見つめる。小さい体をますますちいさく縮こめて、まつ毛をふるわせている。ヌシポケモンと対峙するときも、オレの父ちゃんのAIと戦ったときだって、凛としてまっすぐに背を伸ばしていたアオイはオレの親友で。けれど、細くて、小さくて、かわいくてたまらない、オレのいちばん大切で好きな女の子だ。
「そーいうこと言われると、期待しちまうんだけど」
「してもいい、って言ったら、……困る?」
ささやくように言って、アオイが完全に膝に額をついて顔を隠す。
それって。じわじわと頬が熱くなる。どういう意味だって聞き返さなくたって意味はわかっている。
「困るわけねえだろ。なあ、アオイ」
顔をあげてくれ、と懇願するとおずおずとアオイが顔をあげる。クラボの実の色をしたくちびるは、やっぱりモモンの実のように甘かった。