弔い

弔い



セイバー・宮本武蔵の霊基消滅が確認されたと、マスターから知らされた。

彼女の霊気情報を犠牲にして苦境を切り開き、第六異聞帯の剪定が成功したとのこと。

宮本武蔵というサーヴァントは、もう二度と霊基グラフから現界することはない────。



「………立派な最期だったんだナァ」

想定していたよりも控えめなお栄のリアクションに、ジークフリートは虚を突かれた気分だった。

深夜。間接照明にぼんやりと照らされたカルデアの廊下に設置された取り留めもない形のベンチ。その一つに、お栄が並んで腰掛けたジークフリートは、次の言葉に迷った。

カルデアでは全てのサーヴァントが常時現界しているわけではなく、日によって交代制で入れ替わり立ち替わり現界し各々自由に過ごす。

現界したジークフリートは第六異聞帯攻略成功の報告と、それと併せて武蔵の件を聞いた。そして、同じ日に現界しているはずだったお栄にそれを聞かせるのは自分の口からにさせてほしいとマスターに頼んだ。お栄にとって宮本武蔵という剣士の存在は特別なものだと、あの夏の記憶が訴えていたからだ。

ジークフリートは話を切り出す機会を伺いながら一日を過ごし、夜も更ける頃にお栄を静かな廊下に呼び出して、マスターから聞いた武蔵の最期を語った。

そのリアクションが、先のそれであった。

「……あぁ。武蔵らしい、最期と言える」

我を取り戻したジークフリートは相槌を打つ。お栄は深く頷いて俯いた。

お栄にとって宮本武蔵は特別な存在──だったはずだ。

かのラスベガス特異点で武蔵は自分の不始末にお栄の力を頼った。あの時『宮本武蔵』という名を聞きお栄が顔色を変えたのをジークフリートはよく覚えている。武蔵の名は、脅威を前に足を竦ませるお栄が勇気を振り絞る力を与えた。彼女にとって武蔵とはそれだけの価値がある、東洋における伝説の剣豪だ。

そのため、正直なところ。ジークフリートは、武蔵の最期を聞いたお栄が取り乱すものと思っていた。少なくとも、大きな声をあげて驚き泣きじゃくることはあるのだろうと。

だからマスターではなく自分から伝えて、その動揺を受け止めてやりたいと思ったのだ。

ところが実際は、驚くほど落ち着き呟くように武蔵の最期を称えた。想定していた反応と違ったことに、これは差し出がましいことをしたかもしれないとジークフリートは首を掻く。

しっとりとした沈黙が薄暗い廊下を静かに走る。

照明に走る電線が唸る小さな音は耳につく。

小さな動揺を引きずるジークフリートがどう話を続けるかを考えているところで……ふと、小さく鼻を啜る音がした。それは間違いなく隣のお栄からしている。

俯いたお栄の顔を覗きこんだジークフリートは息を飲んだ。彼女は両目に今にも零れそうな涙を浮かべて、口を真一文字に結び、肩を小さく震わせていたのだ。

ジークフリートは無意識に、そして咄嗟にお栄の後頭部に手を回し胸元に抱き寄せる。それと同時に胸や腿に熱い雫がぽたぽたと落ちるのを感じた。

華奢な肩が小刻みに震えている。胸元を掴む手に力がこもる。

時間差で、子猫の小さく儚い鳴き声のような、微かな嗚咽が聞こえた。

ジークフリートは自分の誤算を振り返る。

お栄は確かに幼気で感情的な少女だが、同時に立派な剣士でもあった。葛飾北斎という剣士のルールに則れば、泣き喚いて悲観するよりも敬意を持って弔うのが先立つのだろう。

自分が案ずるべきは、泣きじゃくる彼女を宥めることではなく、割り切りつつも耐えきれない喪失の悲しみを受け止めてやることだった。

「…武蔵殿、満足、したのかナァ…ッ…」

「……きっと、満足して逝ったに違いない」

震えた声を絞り出すお栄の頭を更に強く抱き締めて答える。「そうだといいな」と更に絞り出したお栄は、何度も鼻を啜りながら涙を拭っていた。

お栄はそのままジークフリートの胸を借りたままか細い声で泣く。ジークフリートはお栄の頭を撫で、肩を抱き、寄り添うように黙って目を伏せた。

暫くそうして、目を晴らしたお栄は涙を拭いながら顔を上げた。

鼻を真っ赤にして鼻水を啜ると、ぽつりぽつりと武蔵の思い出を語り始めるので、ジークフリートもそれにあわせて口を開く。

初めは弟子である伊織の名を騙っていたこととか。特異点の原因になってしまった自由奔放が過ぎるところとか。

おれは美女は好きだけど、武蔵殿のすとらいくぞーんはいまいちわからねえな。とか。

どう見ても武蔵なのに別名を名乗るのは無理があったと思う。とか。

気持ちの良い姉さんだったナ。とか。

剣の腕は類を見ない剣士だったな。とか……。

「……つくづく亡くすには惜しい御仁だったナ…」

「……そうだな」

二人はそっと目を合わせて微笑む。お栄の表情はすっきりしたと言わんばかりに落ち着いて、まだ赤い鼻と目尻に涙の跡が残る以外には晴れ晴れとしていた。ジークフリートが一つ安堵の笑みを浮かべる。お栄はふぅ、と深呼吸して腕を伸ばした。

「ありがとな、旦那。わざわざ時間取って話してくれてヨ」

お栄が微笑む。気遣いもバレれば気恥ずかしい。ジークフリートは大したことはしていないと困ったように笑うが、お栄は首を振った。

「やっぱりサ。目の前から誰かがいなくなるのは辛いモンだ。相手が旦那じゃなかったらもっとわんわん泣いてとと様に笑われてたかもしれねぇ」

あはは、と笑うお栄の表情には、すっかり踏ん切りがついたという笑みが滲んでいた。それでも、言葉の端々には滲む喪失を恐れる気持ちにも嘘はないのだろう。こんな短時間に気が完全に晴れるわけもなく、気遣わせないよう空元気で振る舞うその様子は健気で痛々しかった。

ジークフリートは言葉なく、またゆっくりお栄の頭を胸に引き寄せた。

「あは、なんだよぅ?」

お栄が笑う。ジークフリートが背中をぽんぽんと優しく叩くと、お栄も表情を緩めて静かに目を伏せた。無理をするなという彼のメッセージが伝わったのだろう。

お栄は泣くでもなく、静かにそうしていた。ジークフリートも黙っていた。きっとお栄は胸の中で武蔵を悼みながら喪失と向き合っているのだろう。

「おまえの気が済むまでこうしていよう」

呟くと、お栄は小さく頷いてありがとうと答えた。


誰のものであろうと、涙は胸が痛むものだ。

いつも太陽のような彼女が見せた涙は、尚更胸を締め付けた。

泣かないでくれ。

そう口にしようとしてやめたのは、泣かせたくないのがただの自分のエゴだからだった。

この子のしたいようにさせたい。出来ることなら笑い続けてほしい。

だから、自分は泣かせないようにすればいい。

ジークフリートは、絶対に退去しないよう、お栄を泣かせないように振る舞おうと心に誓った。


深夜、間接照明に静かに照らされたカルデアの廊下。

その沈黙はささやかな追悼に添うようにしっとりとして、どこか優しかった。

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