恋の歌は、硝子のように美しく
私は歌姫先輩のことを愛している。
今までずっと、思っていたことだ。
同時に、歌姫先輩は私───家入硝子のことを、所詮ただの「友達」としか思っていない。
それも、随分長い昔からずっと、わかっていたことだ。
庵歌姫。
一級昇格査定中の呪術師であり、呪術高専4年生の私の先輩に当たる。
数年前、私が初めて彼女と出会ったときの衝撃は、私が経験したことがないものだった。
あの可愛げな仕草、元気そうな姿、天真爛漫な振る舞い、常にエネルギッシュな性格、諦めない心、それもあって時折見せる優しさ...
気がついたら、私は初めてあってから一日もしない内に彼女の虜になってしまっていた。
幸運なことに、彼女はそれに気がついていないようだ。
どころか、「あの二人と違って本当に素直で可愛い子ね〜!よく懐いてくれるし...あっそうだ!連絡先交換しましょ!...もちろん、特にあの五条とかいうやつには内緒で」
あの二人がいたおかげか、私も彼女に少しは気に入られていた。
あるいはそのまま想いを伝えようかとも思った。しかしすぐに、私は自らの置かれた境遇の残酷さに気がつくことになる。
連絡先を交換して、彼女と電話で話していたときに、私は、自らの想いの無謀さに気がついてしまった。
「なんか私、気のせいかわかんないけどやけに女子に好かれている気がするんだよねー...硝子はまだわからないだろうけど。私の下駄箱の中によくラブレター入ってるし、週一で体育館裏に呼び出されるし、街で男に襲われたと思って押さえたらなんか女子だったし...あーもう「硝子だけが信頼できる」よー、「きっと私のこと、好きにならないだろうから」。本当に良かった!「ずっと『友達』でいてくれる子が、一人は欲しかったの」。」
目の前に雷が落ちた気がした。
「...えっ?硝子?どうしたの、急に黙っちゃって?」
十数秒後、この言葉でようやく意識が覚醒した。
「大丈夫です。いやちょっと、先輩が言っていたことに驚いちゃって」
そう答える私の声は、きっと震えていたことだろう。
今目の前に鏡があれば、きっと私の目が潤んでいるのを写し出しただろう。
それほどまでに、私はショックを受けていた。
(彼女が求めているのはきっと今のままの関係で、私はきっと、彼女に恋心を抱いてはいけないんだ)
(もし私が彼女を好きになってしまったら、彼女は大切なものをひとつ失ってしまうことになるだろう)
(彼女は私を大切に思ってくれている。だけど、それ以上のものはない。彼女に、恋という意味で、愛されることはきっとない)
「すみません。私ちょっと頭痛くなってきちゃいました。じゃあ、また」
それだけ言い、返事も聞かずに、逃げるように電話を切った。
私はあの日、思いを伝えることもできず失恋した。
あれから数年。
私は彼女への気持ちを必死に忘れて、彼女の「唯一の信頼できる『友達』」として振る舞い続けている。
恋心を捨ててはいない。
恋心を捨てられるわけがない。
でもきっと、それを表に出したら、彼女も私も幸せにならない。
そう思い過ごしていたある日、私にとって悲劇的な知らせが届いた。
「歌姫先輩が...一級呪霊の討伐任務で大怪我をした?」
「あぁ。だから硝子。お前に治療を任せたい。」
負傷者の治療中、夜蛾先生から突然告げられた言葉だった。
一級術師に推薦された術師は、準一級に昇格した後単独での一級呪霊の討伐任務に当たる。
曰く、そこで事故が発生したそうだ。
現場にあった呪物、「両面宿儺の指」
歌姫先輩は一級呪霊を倒していた。しかし、その分裂体がそれを取り込んで、特級クラスの呪霊に変貌を遂げたらしい。
その呪霊と相対する中、致命傷を負うが、先輩に会いに来ていた特級術師九十九由基によりすんでのところで助けられたという。
そして今、この治療室まで運んでもらっている最中だという。
彼女を待っている間、頭には一人の後輩の姿がよぎっていた。
灰原雄。二級呪霊の討伐任務に出向き、何故かそこにいた一級呪霊によって殺された後輩。
まるで、あのときのようだ。
任務中に等級が上の呪霊に出会い、そして成す術なく...。
そして目の前に浮かぶ、体を両断された先輩の姿。
もし、灰原のようになってしまったら。
不安で押しつぶされそうになる。そんな中、突如声が響く。
「家入さん!庵歌姫準一級術師を運び込んできました!症状が重篤です!即座に治療してください!!」
運ばれてきた彼女を見る。そして、覚悟を決める。
もう誰も、決して自分の腕の中では死なせはしない!
絶対に、彼女は私の手で救って見せる!!
3日後。
歌姫先輩は一命をとりとめた。しかし、未だ目を覚ましていない。
彼女の体はきれいな状態に保たれている。しかし、顔に大きな火傷の跡が残ってしまった。
反転術式では火傷までは治せない。これは仕方のないことであった。
むしろ今は、本当に彼女の意識が戻るかが心配であった。
反転術式を施す他、現代の最先端医療を施してもいる。
私はすでに一般の医師と同等の知識を持っていると言っても過言ではない。
そんな私だから言えるが...彼女が目を覚ますかは、彼女の頑張りによるだろう。
私がこれ以上何かを行うことはできない。あとはただ祈るのみ。
体調が安定してきた。あとは、最後の望みに託すのみ。
私は彼女の手を握る。
「お願い先輩、どうか起きて...」
「初めて会ったあのとき、先輩言いましたよね。きっと一級術師になって、五条も、...夏油も見下してやるって」
「先輩、二人とももう特級ですよ?まだ一級術師にもなってないのに、なんで先輩は死ぬんですか?まだ、先輩の人生はこれからなんですよ?」
「せんぱ...歌姫。色々あったよね。冥さんと任務にいってた時に襲われかけたところを五条が助けてあげたり、あと私と出かけてた時もたくさんの女の子にナンパされてたし」
「初めて歌姫が東京に来たあの日は楽しかったよね。ギャーギャー騒いだり、カラオケ行ったり、もう忘れられないよ...」
「私、一緒にいて楽しかった。歌姫ともっと一緒にいたい。随分前に言ってたよね。私とはずっと友達でいたいって」
「でもね、私はそうしたいと思わなかった。ずっと、ずっと、あなたと恋人になりたかった。ずっと、好きだったよ?」
「だから、死なないで、お願い。目を覚まして。私のことは好きにならないでもいいから、...私が好きな歌姫で、ずっといてほしい」
視界がぼやけている。歌姫が寝ているベッドに水滴が何滴も落ちる。
やっと言えた。私らしい口調も、歌姫への接し方も、全部いつもと違ったけど、これが私の本心。
彼女にだけは、私を知っていてほしい。この、本当の私を。
ずっとそばにいてほしい。今までよりももっと近く、甘い時間を過ごしていたい。
ゆっくりと、自分の顔を彼女の顔にちかづけていく。
自分でも、唇が潤んでいるとわかる。
彼女の目は未だ閉じたままだ。
互いの距離が限界まで近くなって、私の荒い息が歌姫の唇にかかる。
ゆっくりと、私の唇と歌姫の唇が触れ合う。
銀色の糸を引き、ゆっくりと離れていく。
それを見てしばらくして。
庵歌姫。誰よりも愛しい彼女がゆっくりと目をあける。
「硝子...」
「歌姫...」
「硝子、私、全部聞いてたよ。目を覚ましてはいなかったけど、夢の中でそに言葉が私を起こしてくれた。」
どちらともなく、二人の顔が近づく。
「ありがとう。硝子。そしてごめんなさい。ずっと、気付けなかった。同じように思っていたのに、言い出せなかった。」
お互いの目が潤んでいるのがわかるほどに近い。
「私は硝子とずっと一緒にいたい。もう離したくない。きっと、硝子も同じだよね?」
私は涙が止まらない。返事ができない。必死に首を縦に振る。
「...嬉しいよ。ありがとう。」
二人の唇は互いのそれをとらえている。もう、我慢することはない。
何年も蓄えてきた想いを確かめ合うように、唇が近づいていく。
二人は唇を触れ合わせ、そしてしばらく離れることはなかった。
しばらくして二人は目を合わせ、笑みを交わす。
その表情はお互いが見てきた相手のどの瞬間よりも美しいものだった。