底無しエレジー
「優希」
「うん?」
灰原が呼ぶと、花束をかかえた神門は振り返った。
「本当にいいの?」
「うん。いいの」
さっき、神門は「南行き」と書かれたチケットを、迷うことなくやぶっていた。これでもう、神門はどこにも行けない。
「でも雄はここにいてね。いつか建人が来たとき、ボッチじゃかわいそうでしょ」
「七海は優希にも会いたいと思うよ」
「私は会いたくないなー。恥ずかしいし」
「言い逃げしてたしね」
「だってしょうがないじゃん」
神門は笑った。
フラれたら、と思うと怖かった。
でも、フラれなかったらと思うと、死ぬのが怖くなった。
どっちも怖くて、答えが聞けなかった。
「でも、」
神門はかかえた花束を見た。一本ずつ増えていくバラは、今は10本になっていた。
「毎年、返事をくれるんだもん…」
ボロッ、と太陽の色の目から涙がこぼれた。
「私は約束やぶったのにさ、建人はちゃんと約束守るんだもん。私を覚えてるんだもん。…ズルいよ。だから会ってやんない」
「後悔しない?」
「建人が死んじゃうより、ずっとマシ」
神門は花束を抱きしめた。
「七海にも、僕にも、先輩にも、先生にも、家族にも、会えなくなっても?」
「…私、せいいっぱい生きたでしょ?」
「…そうだね。イタズラたくさんしてたからね」
「センセーが、後悔のない死はないって言ったとき、じゃあ、後悔しないように生きてやろうって思ったの。だから、死ぬまでにやりたいことリスト作ったし、それを全部やった。だから、後悔はないよ」
神門の目に涙はなかった。太陽がそこにあった。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
灰原はクラスメイトを見送った。
長い黒髪の後ろ姿が、出口に消えていくのを、ずっと見ていた。
虎杖が駆けつけたとき、七海はすでに瀕死だった。片目は無くなっていたし、体の半分は火傷していた。しかも、七海の目の前には真人がいた。
(間に合わねぇっ!)
人を助けろって言われたのに。なのに!
必死で走る虎杖を、七海が見る。
七海の体に、真人が触れる。
パァン、という破裂音。
虎杖は目を見開いた。そこに、同じように目を見開いた真人がうつる。
信じられないという顔で、真人は自分の腕を見た。肘から下がない。
あのとき、たしかに真人の手は七海に触れた。
しかし、その瞬間にはじかれた。そのことに気づいたときには、肘から下がみじん切りにされていた。
なにより信じられないのは、切られた腕が再生しないことだ。
「なんなんだよ、アンタ…」
真人の言葉は、倒れた七海に向けられたものではない。真人から七海を守るように、二人のあいだに立つ黒髪の少女に向けられていた。
少女が真人に指を指す。その場所は切られて、再生しない。真人の両腕と両足を切り落とした少女は、自分より小さくなった相手を見下ろした。太陽の色をした目は冷たい。
少女は最後に、真人が七海にしたように、真人の胸に触れた。パン、とはじける音がして、真人の体は消えた。
「なぁ、」
虎杖は声をかけた。
お礼を言うべきなのか、オマエは誰だと聞くべきなのか迷っているうちに、少女は七海のそばに膝をついた。
(あ。足がある…)
ユーレイじゃないってコトなのか? と、虎杖は一瞬現実逃避した。でも、もし幽霊なのだとしても、悪い幽霊ではないのかもしれない。ナナミンを助けてくれたのだから。
(けど、ユーレイと呪霊の違いってあんのか?)
首をかしげる虎杖の前で、少女は七海に顔を近づけた。唇同士が触れるか触れないかのところで停止して、少女はなにか考えてから、七海の額にキスをして消えた。
消える直前、少女は小声で言った。
「お花、ありがとう、建人。ずっと好きだよ」
そして、虎杖を見て、少女は自分の唇に人差し指を当てた。その顔はイタズラ好きの少女に見えた。