幕間/代奏
ギカレーダとランサーが百(以上)王子に襲われている傍らで。
かの花畑にて、マルグリットとセイバーも同じように黒い影に襲われていた。
おや?
二人はまず、観光地から立ち去ろうとしていたはずだ。何故花畑から離れることが出来なかったのだろう?
その答えは単純で、身動き取れないほどに敵の数が多すぎたからだ。
数がいくらあろうが、影を全て斬り伏せればいいのではないか?
いいや、そう単純にはいかない。
何せ敵には「花魔術で操られた民間人」も含まれていたのだから!
一つ斬り伏せ、二つ気絶させる。三つ斬り捨て、四つ転ばせ。
とんで五十に、「百合の花舞う百花繚乱」。
フルール・ド・リス!
それは全魔力を費やす絶技。「百合の花散る剣の舞踏」「百合の花咲く豪華絢爛」に次ぐ、三つ目の剣舞。
魅了されている人々を魅了し返し、主導権を奪い取る。
正しく無力化するものとして、王家の白百合は花開く。
そして百。百五十!
三連発ともなれば魔力に自信のあるマスターも流石に疲れ果て、ぐったりとセイバーに抱えられている。
しかし、それでも敵は増える。増え続ける。大きく分けて二つの脅威が、そこには現れていた。
一つは、外見に大きな差のない無数の黒い影。
それからもう一つは、虚ろな瞳の幼い子供から老人まで。
民間人の犠牲を許容すれば、この包囲網を切り抜けることは可能かもしれない。
それをマルグリットが許すわけもないし、ならばセイバーだって……
そんな明確な窮地に、ひとつ、竪琴が響く。
容赦のない戦法を許容する、あのアーチャーの奏でる調べが!
………………。
…………。
……。
「一度包囲を抜けてしまえば、何とかなるものですね」
「……まさか、キミが私を助けるとは思わなかった。正直信じられない、理由を聞いても?」
「……そうですね。簡単に言えば……ご婦人の想いを護るのは騎士の務めですから」
「ご婦人……。それ、まさか私の」
「? それが誰かに愛されているひとであるならば、尚更その愛を守る為に身が入ると言うものでしょう? これはその一端、つまりは私の自己満足ですので。そうお気になさらず」
……話が噛み合わない。
どうやら違うらしい。
「……すまない、仕切り直そうか。赤毛の男、竪琴の音。さてはキミがアーチャーだと推測する。これは、恩を売られたと言う認識でいいのかな?」
「そこは『人妻趣味か?』と胡乱な目を向けられても全く、まっったく、差し支えないところですが……。良いでしょう。その気高さと誠実さに免じて見逃します。早く行きなさい、セイバーとそのマスター」
「……えっと、一つ聞いても? キミのマスターがこの指示を?」
「いえ、全く。バリバリに指示無視してます」
「バリバリに」
「報告しようものなら、『そこは影に乗じ、不意打ちして殺すべきだった』とか言われるかと」
「ええ……?」
「……でも、まあ。騎士には思い切りも必要ですよ。騎士にはやらねばならぬ時があるのです。貴方もそうでは?」
「それは……そうだけど」
「私は自らのそれに従ったまでです、白百合の騎士。別に恩着せがましくしてやろう、という魂胆ではありません。……勝手に恩を感じるならそりゃ有り難いですけど」
「ぶっちゃけるなぁキミも!」
「いいからほら。行きなさいって言ったじゃないですか。ここ、私の見せ場なので! 早く帰ってください!」
「ねえ! 本当に開眼するのがそこでいいのかい!? ええと……恩は感じるべきと感じられたら感じておくね!」
「正直でよろしい!!」
「職業的には嬉しくないなあ!?」
「……いや、待った。流石にそのままは」
「おや? 行かぬのですか」
「恩義を感じるかはさておき、行いには適切な対価を払わせてくれ。きっとキミが求めているものだよ」
「はい?」
「情報さ。影の方はまだ推測の域を出ないが……人々が暴徒と化している理由はもう確定だ。花魔術による、非常に広範囲に及ぶ魅了。その媒体として、この甘い香りは使われている」
「なるほど香りと来ましたか。中々避けるのが難しいですね」
「魔術的な素養がなければ弾くのは難しいだろうね。しかもこの術を使っている該当者と思しき男は、十年前に聖杯戦争を開催していた。開催地は——」
「——この街ですね。そして十年前にも、この香りと魅了の術式はきっと使われていた」
「知っていたのか、キミも耳が良いな……。しかし主催者は、今回の聖杯戦争においてサーヴァントを召喚していない。私は七騎全ての詳細を確認した、これは間違いない。つまり彼は、争いに参加しないままに聖杯だけ奪おうと画策しているわけだ。恐らくは、あの影を使って」
「下手人の居場所に心当たりはありますか?」
「……そうだなあ。どうせならこの先は有料ということにしよう。首謀者への対応に協力してくれると言うのなら明かすよ」
「おや。実質タダより恐ろしいものはない、と言いますが……是非お聞かせ願いましょう」
「やっぱり最初からその気じゃないか」
「————これで貸しの差し引きはゼロだ。ランサーの分もおまけしておいてくれると助かるよ、私達は同盟を組んでいるのでね」
「そこがどうなるかは断言は出来ませんが……ひとまず、あなた方を逃そうと思うに値する情報でした。俄然身が入ります」
「いやいや。私からの情報がなくても、影の相手を引き継ぐつもりだったよね?」
「毒花の甘い香りが街に満ちるのは許し難い、ただそれだけですよ。……さあ、お行きなさい。いい加減私の弓も暴れたがっていますので」
「そうかい、ではさようなら。騎士同士、何か機会があれば語り合ってみたいものだけどね」
セイバーは独り言のように呟いて、そのまま駆け出した。
白百合の騎士の姿が消えるのを確認してから、円卓の騎士は弦に指を掛けた。
……何年経っても忘れられない、人を脳の髄まで魅了する香。
ただの良香と呼ぶには異常なこれを、アーチャーは既に知っている。
思えば、此度のマスターとは碌に会話もなかった。
彼は人と親しくなることに忌避感があるようだった。
主人の向ける警戒めいたもの感じ続けていた弓兵だが、弓兵自身は特にそれを不満には感じなかった。
……だって、ほら。
喪った妻によく似た髪質の男が来たら、流石にちょっと気まずいじゃないですか。
そりゃ。はい。写真立ての中を見てしまったら、もう納得するしかないというか。
それで会話出来なくても、仕方ないでしょう。うん。
しかも音楽家要素まであるとか何なんですかもう。
ともかく。少しパワハラされた程度で不貞腐れるほど、騎士トリスタンは狭量ではありません。
ただ。
今は亡き隣人との思い出を、踏み躙られるのはよくない。
美しい花を、人を貶め傷付けるために使うのはよくない。
「彼を遠い過去に捕え続ける忌まわしき呪い。恐るべき残香。それを断ち切る一助として、私の調べに意味があるのならば」
きっと彼女の死は、ガス管がどうとか事故だとかそういうものではなくて。
「……いや、意味は無いとしても。ええ、ソプラノの美しい奥方」
きっと、十年前の非日常に巻き込まれてしまったが故のことで。
「自らを死に追いやった香を愛されるなんて、腹立たしいことこの上ありませんでしょう?」
そうして隠された真実を知らなかったことは、無論誰にも責められない。
それを理解した時、どう行動したかで全ては決まる。
知ったのならば、行動しなくては。命令外であろうと気にするものか。
そもそも、主人が内に秘めた思い出を覗き見した時点で……従順な使い魔としては失格もいいところなので!
ここはもう開き直るべし。
「全く、ご主人も女心がわかっていらっしゃらない。これからは夢枕に散々立つとよろしい。何なら私、実はホラーなBGMとかも弾けますので演出にいかがでしょう……と、売り込みつつ」
それにしても、セイバーは良いものを見せてくれた。アーチャーはそう零して、獰猛に微笑む。
ただ実力行使するだけではなく、「花香以上に相手を魅了する」ことで術を解くことが出来ると示してくれるなんて!
それこそ腕の見せ所というもの。
「……さて。気の強い赤毛の方。我が主人の愛したそのひと。その嘆き、その祈り、その憤り。この嘆きの子が代奏を務めましょう」
無尽蔵の影、無辜の民、どちらも正しく捌いてこその強者だ。
……故に。
一つは五体を切り刻もう。
一つは感動を叩き込もう。
一つも過つことなく、正確に、明確に。
「————高らかに謳え、我が弓!」