幕間の物語 mon trésor
ハロウィンの人誕生日、と言うらしい。要するに、私が生まれた日。お母さんと、もういないお父さんの血を継いで、私という命が生まれ落ちた日。
人間たちは自分や家族やお友だちの生まれた日をちゃんと記録して、意識して、記念の日としてお祝いする。1年が終わるとみんな一緒に歳をとらされる私たち競走馬にはちょっと分かりにくいことだったけど、ここに──カルデアに来てからは、ほんの少しくらい分かるようになってきたと思う。たまにスタッフさんやマスターの藤丸さんのお祝いをするから。
みんなで美味しいものを食べて、楽しいお話をして、おめでとうって言葉が何度も重なって。私も他の先輩たちがそうしてるようにユーガにひっついて何度か参加したけど、みんなが嬉しそうなのは良いなと思った。人間が喜んでいるのを見るのは嫌じゃない。
ところでタイトルホルダー先輩が最近「カズオの誕生日プレゼントそろそろ決めないと。何がいいかな……何でも喜んでくれるから逆に難しいんだよな……」とかなんとか難しい顔で考え込んでは色んな人に相談している。
それを見ながらふと、私もユーガに何かあげてみようかな、と思った。
当分先の話だ。ユーガの誕生日は秋だから。これはちゃんと分かってる。カルデアに来てから、マスターとユーガとあの3歳の1年間の話をしたときに「じゃあリバティちゃんはユーガさんにとても素敵な誕生日プレゼントをあげたんだね」と言われたから。
ユーガは「主役は俺じゃないから」なんてよくわからない謙遜をしてたけど。私が勝った成果なんだから素直に受け取ってくれればいいのに。
とにかく、ユーガに何かあげようかな、なんて思いついてしまったから、私はそれで悩まなきゃいけなくなった。だって秋なんてすぐに来る。あっという間だ。レースに向けてご飯食べたり走ったりするのと同じで、近くなってから慌てるなんて良くない。「リバティはレース前になると自分で準備できて偉いなあ」なんて褒めてもらってた私らしくない。
それに私、人間がもらって喜ぶものなんて分からないし。レースがあるならそれを勝ってあげたかったけど、カルデアではレースはしない。だから走ること以外にユーガが喜ぶものを考えないといけない。難しい。
そんな風に考えながら、なんとなく気恥ずかしくて先輩たちにも相談せずに、このところを過ごしていたから。
私は、ユーガのための秋の1日の前に、まず自分の日があることなんてすっかり頭から飛ばしていたのだ。
最近の日課になっている素材集めのレイシフトが終わって(私とユーガはよくコヤンスカヤさんやオベロンさんと一緒のパーティーになる)、管制室に戻ってきた。
今日はもう休んでいいよとマスターが言ったからいつも通り部屋か食堂かな、と思ったのにユーガはスタッフさんとマスターに何か話しかけに行って、すぐに私のところに戻ってきた。
「出掛けようか、お嬢さん」
「…………どこに?」
私きょうはもう働きたくない。頬を膨らませて文句を言うと、ユーガは苦笑いして首を横に振った。
「任務じゃなくて、まあ、喜んでもらえると思う」
「楽しいこと?」
「そうなるように準備したつもりやけど」
「……じゃあ一緒に行ってあげる」
「はい、ありがとうございます」
ユーガは慣れた様子で手を差し出してくる。お転婆の相手なんてこんなもんですって余裕が少しムカついて、「子ども扱いは嫌」と釘を刺してから私はその手をとってあげた。
珍しく私用でレイシフトを使ったユーガに連れてこられた先は、とても美しい草原だった。
草木が豊かで、風があたたかくて、空が高くて青くて。深く息をすれば心の踊るような緑の匂いがして、私の気持ちは一息でふわふわする。
「わあ……」と思わず声が漏れてしまって、隣のユーガがなんか嬉しそうに笑うから、私は慌てて口をキュッとした。
「気に入ってもらえそう?」
「悪くないかな」
「あはは、そっかそっか」
ユーガが優しく私の手を引いて歩き出す。今日はなんだかいつもよりもずっと機嫌が良さそうだ。優しいのはいつものことだけど、もっともっと、お日さまみたいな柔らかい感じがする。
どこに行くのと聞こうとして、その前に連れてこられたのはこの草原のなかでもいっとう開けていて、草花の豊かな一帯だった。
小さく緩やかな丘になっているところもあって、青々とした野草が柔らかく風に揺れている。花も咲いていた。桃色、黄色、赤、白、色とりどりの綺麗で可愛い花畑。澄んだ青色の空が気持ちよくて、目の前の草木も花も全部全部、とても、とても良い景色だった。
「ユーガ!どうしたの、こんな良いところ!私知らなかった!」
ぎゅっと繋いだ手に力を入れながらユーガを振り返る。彼は笑って、ヘシアン・ロボとその上の首無しさんに教えてもらったと言った。
「色々考えたけど、お嬢さんに喜んでもらえそうなとこはやっぱりここやなぁ思って。当たってそうで良かったわ」
「大正解!だって、とっても素敵だもん!草もお花もこんなにあって、広くて……!ねえユーガ、私」
「走ってきてええよ」
私の気持ちなんてお見通しというようにユーガが優しくGOサインを出してくる。そのために連れてきてくれたんだ、とちゃんと理解するより前に、私はユーガを置いて駆け出した。
柔らかな地面を蹴る。両足が弾む。草木の感触がする。
息を吸い込むととても気持ちいい。頑張ろうとしなくても、私の両足はどんどん加速していく。
緑の上を走り回る。楽しい。あっちを走ってこっちを駆けて、私の行きたいところに自由に走る。
「──たのしい!」
ぐんぐん伸びやかに動く脚がうれしい。風をきって、空の雲を追いかけて、綺麗なお花畑を抜けて、私は走る。カルデアにきてから、いま一番楽しい。
「楽しい……きれい、素敵、きもちいい!」
赤、白、黄色、桃色、緑、青、きらきらして綺麗で素敵な世界。いっぱいに息を吸い込んで、ちょっとだけ立ち止まって両手を広げて、ふわふわした気分のままくるくるくるくる回った。
回りながら、遠く離れたところで私を見守るユーガを見つけた。
優しい顔をしていた。
私を見るときによくしてる、なんて言ったらいいか分からない顔。先輩たちは、宝物だよって言ってた。
「……ユーガ」
私は回るのをやめて、ユーガを見る。何かあったと思ったのか、ユーガが不思議そうな顔になって、私の方に走ってくる。
「お嬢さん?」
でもユーガは人間だから、私より走るのがずっと遅い。そりゃもう鈍い。比べ物にならない。私は自分から迎えに行ってあげる。
「ユーガ」
「お嬢さん、どうした?楽しくなかったか」
「違うってば。凄く楽しい。当たり前でしょ」
「なら」
ユーガが私に手を伸ばしてくる。私はよく分からない気持ちのまま、その手をとって、文句を言った。
「ちゃんと一緒にいて」
「────」
ユーガが目を見開く。他の人たちと比べると少し茶色っぽい瞳が丸くなって、私に何か言おうとする。私は我慢できずに捲し立てた。
「遠くから見ないで。私を連れてきたんでしょ。私だって連れてってあげるんだから。ちゃんと、私の近くで、私といて」
「……お嬢さん」
ぎゅうっと手に力を込める。このカルデアにきてから、私に与えられたもう一つの形。本来ならあるはずのない、ユーガたちと同じカタチをした身体。ユーガと同じ手でユーガの手を握って、ユーガと同じ足で、地団駄を踏む。
だって、私はちゃんと、彼のことを相棒だと思ってるのだ。
「…………そうかぁ」
ユーガが小さく呟く。勝手に何か大事なことを分かったような顔だった。
「お嬢さん、レース走るの楽しい?」
「勝つの好きだもん、私」
みんな褒めてくれるから。ちょっと気持ちがわーってなるけど。ユーガ曰く走るときの私はキャーッて興奮してるらしいけど。
なんでそんなこと聞くんだろう、と考えて、私はすぐに不機嫌になった。
「ちょっとユーガ」
「うん」
「私に勝手に責任を感じないで」
私たちは人間の言うことを聞いて走る。どこを走るとか、いつまで走るとか、誰を乗せて走るとか、全部人間の都合だ。褒められるのも怒られるのも人間の都合。ユーガたちは、そういうことを難しく考えるらしい。先輩たちが時々そう話している。
色んなことがあるのは私だって知っている。知っているけど、だからと言って私がどうかは関係ない。私とユーガに、簡単に当てはめてほしくない。
だってそんなの、面白くないし、嬉しくない。
「生まれて、育って、走って。私はユーガとここまで来たのに。それ以上に何がいるの」
生まれるところは選べない。私はお母さんとお父さんの子として生まれて、先生のところに行って、ユーガを乗せた。ドゥラメンテの子。父の夢を繋ぐ期待の子。3つの冠を戴いたお姫様。走って、勝つことを望まれて、いつかは子どもを産むために生きていく。
でもそれが人間のいう幸せか不幸せかなんてどうでもいい。私は、リバティアイランドは、ただ生きている。それだけで良い。その近くにいる人間に、ユーガだって含まれている。それで良いじゃない。
ユーガは黙って私の話を聞いていた。カルデアに来たから、私たちは同じ言葉を交わせる。この一時が過ぎたら夢みたいに消えてなかったことになる時間でも。
「────いっしょに、おりたいなあ」
ユーガが呟く。いま召喚されているより先の時間、元の世界で、先の私とユーガがどんな風になるかは分からない。分からないけど、いつか私がターフを去るそのときまで、私の手綱を離したくないと、ユーガはそう言った。
だから私は好き勝手に答える。
「いればいいじゃん」
「またそうやって。……まあ、そうやな」
「そうでしょ」
私はユーガの手を引いて歩き出す。ユーガがついてこれるように、ゆっくりと。ここに来たときとは反対になった。
風が気持ちいい。本当に素敵な場所だ。カルデアに戻ったら、ヘシアン・ロボと上の人にはありがとうを言わないといけない。
「ねえ、ユーガ」
「うん?」
「なんでここに連れてきてくれたの?」
「なんでって」
ユーガがおかしそうに繰り返す。そっかぁ、やっぱ気づいてへんかったかぁ、と穏やかに呟かれて、私はムッとする。なによ、と立ち止まって振り向くと、ユーガは笑っていた。
さっきとは違う、優しくてあったかい表情。
「お誕生日おめでとう、お嬢さん」
「………………あ」
何度か聞いた、お馴染みのフレーズ。
スタッフさんに、マスターに、皆で言ってきたお祝い。最近タイトルホルダー先輩がカズオさんに言うために練習してて、私も秋の日のためにたまーにこっそり練習してる祝福。
そういえば、私の番もあるんだった。
「生まれてきてくれてありがとう。それから、ここまできてくれて、ありがとう。……会えて良かった、本当に」
ユーガが微笑んでいる。リバティ、リバティ、と可愛がってくれる先生たちをふと思い出した。
それから、先輩たちのお話。人間たちが私たちに向ける穏やかな顔の意味。
コントレイル先輩は、私たちは宝物になれるんだって、そう話していた。
「……ユーガのお祝いばっか考えてた」
「ええのに別に」
「良くないでしょ。なんで私はお祝いされるのにユーガのお祝いしないの。ちゃんとできるんだから」
「ハイハイ。……秋なんてすぐやろなぁ」
「きっとね」
「楽しみにしてますよ、お嬢さん」
「任せなさい、泣いて喜ぶつもりでいるといいんじゃない?」
ユーガが笑う。顔をくしゃくしゃにして、楽しそうな明るい声だったから、悪くないなと思った。
「敵わへんなあリバティには」
「ふふん、そうでしょう!」
私たちは歩き出す。ゆっくりゆっくりと散歩をする。先頭を争うような苛烈さはないけれど、悪くない。私はオンオフの切り替えができる子なので。
柔らかな草木を踏んで、花の匂いを吸い込んで、いつの間にか私の隣に並んだユーガの横顔を見つめて、私は私のことが大切で仕方ないらしい人間に甘えてみることにした。
「ねえユーガ」
「うん?」
「私ってユーガのなに?」
ユーガは迷いなく返してきた。本当に、一切の躊躇なく。言葉を選ぶこともなく、とっくに気持ちも覚悟も決めているように。
それは悪くない響きの言葉だったから、私は機嫌良く笑った。元の姿でも鼻を鳴らして鳴いてあげただろう、きっと。
幕間の物語 mon trésor
「ところでお嬢さん」
「なに?」
「前にマリー王妃のお茶会みたいなのしたい言ってたけど」
「だってかわいいもん。お姫様っぽくて」
「カルデアに戻ったら、紅茶とお菓子とお花の用意がありますが」
「………………ユーガが準備したの?」
「まあ。誕生日だから」
「そういうのはもっと早く言ってよ!私が疲れたから部屋帰るーとか言い出したらどうする気だったの!?戻る!」
「ハイハイ、仰せのままに」
「ユーガもちゃんと付き合ってよね!」