常春の箱庭
盃の水面にひとつ、薄紅が落ちる。
見上げた先は澄んだ蒼天。柔らかな陽光に包まれた庭園の中心には、まだ若い桜木が孤独に咲き誇っている。ひらひらと降る花の小雨は止まず、小鳥の囀りがどこかで響いて、ぽちゃん、と姿の見えない蛙が池に飛び込む音が耳を打った。
「…………、」
着流しを纏い、縁側に腰を下ろした男は、眺めた景色に目を細めて息を吐き出す。口を付ける気にもならない酒盃を盆に置いた。恐らく毒など入ってはいまいが、趣味に合わない絵画を肴に飲んだところで不快が臓腑に溜まるだけだ。
そこは箱庭だった。
朝も夜もなく、四季が巡る事もない停滞の世界。変容なき楽園。時間と空間から切り離された、小さな小さな誰かの理想郷。
膨大な魔力によって構築された特殊な結界、その内側。
すなわち、監獄である。
「はるのぶー!!」
唐突に、無邪気な少女の声があった。
男──武田晴信は零しかけた溜息を飲み込んで、その方を振り向く。直後、小さな衝撃と共に視界が薄暗闇に覆われた。
「……おい抱きつくな、離れろ」
一瞬前まで影も形もなかったはずの童女の出現に、しかし男が動じる事はない。恐怖やら苛立ちやらが皆無という訳ではなかったが、そんなものを表層に露呈させる事は彼の矜持が許さなかった。
晴信はその首根っこを掴んで、己に張り付いた小さな影を引き剥がす。拘束は存外にあっさりと解けた。
「今度は何の用だ、『虎千代』」
「仕事に飽きたので遊びにきました!」
「さっき散々遊んだだろうが……。それともようやく俺と死合う気になったか?」
「むう。そんな事しませんよう」
頬を膨らませて抗議する少女──虎千代は、晴信のよく知る宿敵の女と瓜二つ、というか、そのまま幼くしたような姿をしていた。
否、ただの空似ではあるまい。そもそも忘れたくとも忘れられぬほど強烈に焼き付いた宿敵の顔貌を見紛う筈はなく、行動や言動は全く似ても似つかないが、少なくとも元となったのは同じ存在──長尾景虎という人間だろう。
そして。この童女こそが、聖杯の力によって特異点を作り上げた元凶であり、カルデアからレイシフトしてきた晴信をここに拉致監禁した張本人だった。
「だいたい、今のあなたと戦ってもただの嬲り殺しになっちゃうじゃないですか」
「じゃあ力を戻せばいいだろ。戦なら殺すか殺されるまで好きなだけ付き合ってやるよ」
「ヤです!」
幼子らしく駄々を捏ねる少女は見た目だけなら可憐なものだが、その『中身』は色んな意味で可愛げの欠片もない。むしろ毘沙門天の化身を名乗る軍神より悍ましい何かであった。
そんなものに対抗する術を、今の晴信は持たない。この奇怪な結界の影響により、彼はサーヴァントとしての機能と武装を軒並み剥奪されていた。軍配どころか脇差しの一つも持たない丸腰の上、魔術も碌に使えないという病に冒されていた生前の晩年にすら劣る。この有様では元凶たる目の前の童女を殺すどころか、本気で殺意の矛を向けた次の瞬間には物言わぬ肉塊と成り果てる事だろう。無論、策が一つもない訳ではないが、それに関してはとにかく相手に悟られない事が第一である。
それはそうとせめて煙草くらいは返して欲しいものだが、と無聊を慰めるには足りない酒を一瞥しながら晴信は思う。聞き入れられないと分かっている要求の代わりに、彼は一つ童女に尋ねる事にした。
「ならばお前は、俺に何を望んでいるんだ」
何故こんな無意味な真似をするのか、と。
晴信とて別に殺し合いがしたい訳ではない。というか、出来る事ならば穏便に済む方が望ましい。しかしそれ以上にこの状況は不可解だった。まず拉致監禁の時点で訳が分からないし、力を奪うだけ奪って何もしないというのも解せない。
「? 初めにも言ったじゃないですか。はるのぶとずっと一緒にいる事がわたしの望みです!」
「だから、それが何故かと聞いてるんだろうが」
その問いに、少女はきょとんとした顔で首を傾げた後、
「──だって、痛かったから」
そう、答えた。
今にも泣き出しそうに歪んだその幼い顔に、男は今度こそ瞠目する。
「晴信が、病で死んだと聞いた時から、ずっと、ずーっと。どうしようもなく痛くて、いたくて、酔えぬ酒もつまらない戦も慰めにはならず。無意味だと悟りながらも武田の墓を暴き、物言わぬ骸に語りかけ、近しい血と肉を捏ねて空の人形を創り続けた果てに──最後の最期になってようやく、私は気づいたのです」
絶句しながらも目を背ける事なく少女を見据える男の顔に、細く小さな指が触れる。
「かなしい」
魔性を示す真紅の瞳から、雫がひとつ、こぼれた。
まるで傷口から溢れた血のように。幼子の柔らかな頬を透明に濡らす。
「貴方がいないと寂しい。虚しい。貴方がいない世界なんて嫌だ! ……きっと、交わすものは刃でなくとも良かったのです。本当は互いの立場など忘れて、ただ言葉を交わしたかった。貴方の事を知りたかった。もっと貴方と共に在りたかった!」
愛を夢見る乙女のように頬を仄かな朱に染めて、悲壮の中に歓喜を浮かべて、童女は甘やかな声で想いを歌う。
喪失と思慕。
灼熱の如き苦痛を伴う情。
なるほど確かに、これ以上に人間らしい感情もあるまい。機構の神には決して持ち得ざる心だろう。たとえそれが、傍目には狂気に映るものでしかないとしても。
「だから遊びましょう、晴信! ずっと一緒に、縛るものなど何一つないこの世界で、全てが終わるその日まで!」
今度はまた無邪気な笑顔になって、きっと産声を上げたばかりの子供は高らかに告げる。
皮肉なものだ、と男は思う。長尾景虎という女は、正しく神に近付くほど人らしくなり、しかし人に近付くほど人ではないモノに成り果てるのだから。
それに、同情はない。憐憫など以ての外だ。
ただ、その想いと在り方を否定する事もしなかった。
「……はぁ。仕方ない、少しなら付き合ってやる」
「やったあ! 大好きですはるのぶ!! ではお絵描きしましょうお絵描き!」
あまりにも分かりやすい好意と歓喜を示す童女に何とも言い難い感情を抱きつつ、晴信は渡された紙と筆を受け取る。
彩管を揮うのは元より好むところだ。それに元凶たるこの少女をここに繋ぎ止めておけば、あるいは何かの時間稼ぎ程度にはなるかもしれない。少なくとも無為を過ごすよりは良いだろう。
(まあ、あれがまともな戦力になるかは微妙なところだが……というか、もしかするとあいつの中身は──)
ふと、ある光景が脳裏によぎる。
この箱庭に囚われる寸前。
鉄錆の臭いが染み付いた薄暗い部屋に、ある残骸を見た。
四肢を捥がれ牢に繋がれた『それ』は、しかし多くを剥奪されてなお、死してはいなかった。気まぐれに殺されなかっただけか、あるいは何かに生かされているのかは分からないが。
もう一人の自分。
神将と呼ばれる、武田の守護神たる己だった。
晴信自身はそんなものになった覚えは全くないのだが、それがどのような存在かは不思議と感覚的に理解できてしまった。武田の血を捧げて召喚される、象徴としての神格。そのため正確には『武田信玄』そのものではない。姿形や能力の元になっているだけで、恐らく最初から人としての自我は失われている。
召喚者が誰かなどもはや知り得ない。彼が命と引き換えに何を望み願ったのかも。ただいずれにせよ、その神擬きが碌に役目を果たせぬまま無様を晒している事は明らかだった。
武田の神将が聞いて呆れる、と仮にも己から派生した存在だからこそ文句の一つも言ってやりたかったが──しかし改めて考えると、あれは少しばかり違ったのかもしれない、と晴信は思う。
その男の目には、確かな赤が燃えていた。
望まれて在るだけの神にあるまじき、人の持つ炎が。
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☆自己解釈設定
・虎千代(景虎オルタ)
多分アルターエゴ。恋情という名の狂気に堕ちたifの長尾景虎から分かたれた『人』の側面。謙信のような『人間らしい神様』ではない、真に人心を獲得した可能性の姿。故にこそ己が欲望に忠実。しかし人としてはまだ未熟なためか、幼い子供の姿を取っている。まあ間違いなく混沌・悪。
『長尾景虎(上杉謙信)』としては本来有り得ざる可能性であるため、景虎の根幹とも言える神性は失われ、魔性に反転している。それにプラス色々と混ざっている模様。なんか知らんけどめっちゃ強い。相変わらず戦闘は好きだが、義云々ではなく殆ど加虐趣味に近い。晴信とだけは戦以外の事をしてみたいと思っている。嫌いなものは酒と毘沙門天の化身。
本当の望みは『何のしがらみもない世界で(生前の己が愛した)晴信とずっと一緒に生きる』事。カルデアの晴信を拉致監禁してからは一時的にその望みが叶っている状態となったため、それ以降は人形(晴ノッブ)の製造を停止している。ただし手癖のようなもので武田の血を引く者を見ると積極的に捕まえようとする。武田特攻とかありそうで怖い。
・晴信
カルデアの武田信玄。特異点にレイシフトしたら一人だけなんかいきなり魔王城のド真ん中に召喚された上、秒でラスボス本人に見つかって監禁された哀れな人。虎千代に対しては従順なフリをしているが、裏ではどうやって反撃しようかと色々画策している。虎千代の告白を聞いた時はマジか……となったが、別に嫌悪とかは特にない。それはそれとしてカルデアを裏切る気は毛頭ないので絆される事もない。謙信?あいつはただのライバルだし……恋とか億が一にもあり得んだろ。
・景虎
カルデアの上杉謙信。特異点へのレイシフトを虎千代に拒否られている。晴信がいる川中島にこの私がレイシフトできないとか何のバグですか? 多分ラスボス戦の直前とかに召喚される。
虎千代に関しては、『晴信に恋? 私が? あはははは!なるほど確かに正気ではないようですね!!(ぐるぐる目) 』という感じ。気付いているのかいないのかは不明だが多分ツンデレである。ただしこちらはやはり花より戦。
・神将
四肢切断されている武田の神将。カルデアが来るよりもそこそこ前、特異点に召喚された勝頼が血を捧げて呼び出した。核には虎千代の生前を見届けた彼が宿っているが、余程の事がなければ自我として出てくる事はない。ちなみに勝頼は消滅する前にもれなく『材料』にされた模様。
個人的にはこいつが敵に回っても面白そうだと思っている。カルデアの謙信&信玄vs虎千代&神将とかどうですかね。
・信繁と信廉
カルデアが来る以前(勝頼よりは後)に特異点に召喚された武田の弟達。信繁は晴ノッブとして虎千代サイドに潜り込む形で諜報活動を行い、信廉は何故かラーメン屋としてそれを支援しながら特異点に召喚された野良鯖などの戦力を集めて回っている。
信廉は『まあそういう事もあるだろ』程度で割り切っているが、信繁は『兄上と武田の皆を貶めたあの女だけは何としても滅ぼす』といった感じで内心割と本気でブチ切れている。なので自ら進んで晴ノッブの材料にされに行った。覚悟ガンギマリすぎて信廉はちょっと引いた。
・特異点
年代的には江戸の初めくらい。場所は川中島の一帯。現代の古戦場史跡公園があるあたりにあからさまに禍々しい城(虎千代の居城)が聳え立っている。対抗陣営(武田&真田&カルデア一行)の拠点は多分海津城(松代城)。あとこの時空における生前の景虎と晴信+塩留めの太刀を祀った塚?が妻女山にあったりする……かもしれない。
ちなみにカルデア以外の晴信が特異点に鯖として召喚されなかったのは、そもそも浮遊霊の方が存在していたため。もしかすると最初に聖杯を手にして虎千代を召喚したのは彼かもしれない。もしくはこのタイミングで聖杯戦争が勃発して綾さんか景勝くんあたりが召喚したか。
(書いてる人が基本Wikipedia知識オンリーな戦国初心者の川中島にわかなので色々と間違ってるかもしれない。なんかおかしかったらごめんね!)