川尻吉良々の『バッド・ロマンス』

川尻吉良々の『バッド・ロマンス』


広瀬由花子が川尻家へ訪れたのは11時半だった。夫の友人である川尻早人からの依頼は、中学生の妹への家庭教師。だが通勤初日にして、由花子はこの労働の意味に疑問を感じていた。


「あなたの成績表……見させてもらったわ」


自室のある2階への続く階段を登る川尻吉良々は振り返らない。兄と共に由花子出迎えた彼女の態度は、兄が家へを出てすぐに変貌した。


笑顔は無くなり、会話は最小限。心ここに在らずの表情で、兄の残した紅茶の水面を見つめるばかり。


時間になり、部屋への移動が始まってもそれは変わっていない。


「家庭教師が必要な成績じゃあなかった」


やはり答えない。振り返りもしない。


「ま……頼まれたからにはやらせて貰うわ」


「広瀬さん」


吉良々は、廊下の突き当たりの扉の前でやっと振り返り、声を発した。扉には『吉良々』と書かれたプレートがぶら下がっている。


「……何かしら?」


「部屋……もう少し綺麗に片付けてもいいですか」


由花子は拍子抜けした。ただならぬ雰囲気を発する吉良々であったが、中学生らしいことを気にしていたようだ。沈黙の理由も、部屋のことが気がかりだったが客人の手前立ち上がれなかったというのが真相だろう。由花子は笑顔で了承した。


吉良々はホッとした顔で扉を開けて自室に入った。その顔で安心したからだろう。


由花子は、ドアノブが小さく爆ぜたのを、見逃してしまった。

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正午を告げる鐘が鳴った。由花子は未だに扉の前に立っている。


かれこれ30分、由花子は扉を開こうと試みていた。


(スタンド能力……それも、強力な!)


今一度手を伸ばす。想定するのは、ドアノブを掴み、左右どちらかに捻り、前後どちらかに押すか引っ張るかする。それでドアが開き、そこには憎たらしいあの小娘がいる……


「『やはり』…触れないッ!」


手を伸ばし、手を伸ばし、手を伸ばし、手を伸ばし……


そして触ることができない。明らかに異常なことが起きている。


「あなたのことは……兄さんから聞きました」


扉の向こうから声がする。距離からして、扉を挟んで一歩もない。


「兄さんの友達 広瀬康一さんの…… 『美人な』奥さん…… それがあなた」


「そうよ…… それがどうしたっていうの?」


普段なら機嫌が良くなるところだが、この異常事態ではそうもならない。棘のある由花子の返答に、吉良々は臆せず続ける。


「そう 美人… それが問題なんですよ、広瀬さん…………

 私の名は『川尻吉良々』 年齢14歳

 自宅は杜王町郊外の住宅地にあり… 彼氏は兄さんがいるから必要なし…


 学校は『ぶどうヶ丘中学校』の学生で、毎日遅くとも夕方5時までには帰宅する

 タバコや酒などの非行は勿論せず、カラオケなどの遊びも嗜む程度 

 夜11時には早人兄さんの布団に忍び込んで床につき、

 必ず8時間は睡眠をとるようにしてる…


 寝る前に兄さんの手を40分ほど頬擦りし抱きつきながら床につくと

 ほとんど朝まで熟睡よ…  赤ん坊のように疲労やストレスを残さずに朝、兄さんの

 匂いと暖かさに包まれながら目を覚ませる… 

 学校の身体測定でも異常なしと言われたわ」


「あなた……! 何言ってるのよッ!」


もはや敬語すら使わなくなった吉良々に、由花子は狼狽する。それを無視し、続けて吉良々は語りだす。


「私は常に『心の平穏』を願って生きてる人間ということを説明しているのよ…


 『兄妹は結婚できないこと』にこだわったり、兄さんが女の子に惚れられる『トラ  ブル』とか

 兄さんを寝取ろうとする『雌猫』をつくらない…というのが、私の学校生活に対す

 る姿勢であり、それが自分の幸福だということを知ってる…

 もっとも、闘ったとしても私は誰にも負けないけどね」


「あなたまさか……嫉妬しているっていうの⁉︎ 私は既婚者なのよ!」


「嫉妬? それは違う…私は危惧しているのよ 兄さんは魅力的だから… 兄さんの

 友達なんだから、

 あなたの旦那も悪い男じゃあないんだろうけど……

 『私の』兄さんはそれ以上なの…………」


由花子の眉毛がピクリと動いた。


「それに………………まぁ………………

 金輪際…未来永劫ありえないことだけど…………

 兄さんがあなたに惚れたりすると面倒なのよね………

 だからこの家から消えて欲しい…そして2度と訪れないで欲しい………………

 でなければ、今ドアノブに触れないように……

 旦那や他のものに触れないようにしなければならない」


「これは………………あなたがやっているのね………………」


由花子はドアノブに向けた手を下ろした。彼女の長い髪がゆっくりと動きだす。


「スタンド…………だったかな? 『バッド・ロマンス』と名付けてそう呼んでる

 の…触ったものを『爆弾』に変え、爆発させる………それが能力

 爆発で吹っ飛ばされたものは……『爆心地』から遠ざかる………

 兄さんへ近づく女を、私は何度も遠ざけてきた……女だけじゃないのよ?

 くだらない遊びに誘う男とか、意地悪な上司とか………………

 私の爆弾で吹っ飛ばされ、永遠に怯えて近付けない………

 あなたも、そうなりたいのかしら」


「………………よく、わかったわ」


由花子の眉の動きが止まる。もはや怒りは抱いていない。


「それじゃ………二度とこの家に………」


「けど断る」


「えッ⁉︎」


「『ラブ・デラックス』!!」


由花子の髪が動き出し、扉の四方の隙間に入り込む。


「これはッ 『髪の毛』⁉︎」


「あなたのその『バッド・ロマンス』……良い能力ね 

 好きな誰かを危険から遠ざける……………私もかつて『そうしたわ』」


ラブ・デラックスが扉を『外した』。そのまま、気配のする方に放り投げる。


「うああああ!! 『バッド・ロマンス』!! 防御しろォォッ!」


宙を飛んだ扉が、繰り出されたラッシュに粉砕される。そのままラッシュが由花子を襲うが、ラブ・デラックスに止められる。


「けど、それは『正しく』なかった………『正しい愛』じゃあなかったのよ………………!!」


拳を受け止めながら、由花子は進む。

青春の記憶、広瀬康一との思い出を想起しながら。


「早人くんが好きなのね……………実に結構!! 

 でも『独りよがりの愛』は危険よッ!!」


「知るか───ッッ!!! ドアみてーにブッ壊してやるわッ!!」


激昂した吉良々が本体ごと襲いかかる。

それを容易く抱き止めながら、由花子は吉良々の耳に口を寄せる。


「早人くんと『結婚』する方法を教えてあげる」


吉良々が飛び退く。


「私はかつて『恋』をした

 好きで好きで、愛おしくて堪らなくて……………間違えた。何度もね………………

 そして自分の愛が間違っていることを知った………………

 姿が変わっても、どんなに醜くても………………

 『真実の愛』とは! 

 例え魔法の解けた『シンデレラ』のように灰を被っていたとしてもッ 

 ありのままで互いに『思い合うこと』!!

 自分たち以外を消し去るなんて、間違っている!!」


「………………⁉︎」


「そして私は康一くんと結婚した………

 今でもお互い思い合っていると、愛の確信があるわ………」


「………………………………あなたは」


「吉良々ちゃん、私があなたに『教える』………

 かつて私が、そうして貰ったように………………」




後日、扉を直しに来たリーゼントの男と共に妹の授業風景を見た川尻早人は、

揃って腰を抜した。


「すごい…………ボディーバランスの均整って、そんなに大事なんですね……!」


「ええ、『魔法』のようにすぐにはできないけど………

 トレーニングと食事の管理で、あなたはさらにカワいくなれるッ」


「吉良々が……………女の人と仲良くしてる……………」


「こいつはグレートだぜ………………」



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