小さな怪盗と白い盃

小さな怪盗と白い盃



 とある昼下がり。

 クルーが洗濯に勤しむ中、ドンキホーテ・ドフラミンゴは糸のハンモックに揺られて午睡を楽しんでいた。


「ちょっとキャプテン、そんなとこにいるなら手伝ってくださいよー」

「え? でもおれ、今日当番じゃ……」

「あそれキャプテンの! ちょっといいとこみてみたい!」

「仕方ねェなァ。ほらよ」

「キャプテーン♡」

「フッフッフ、褒めろ褒めろ」


 糸を自在に操り洗濯物干しを速攻で終わらせたドフラミンゴは、クルーの歓声の中、再びうたた寝を始める。

 古参かつ年上のクルーには『良いように使われてるな』『また甘やかしてる』等と呆れられているのだが、本人は上機嫌だ。

 かもめが飛び、海王類も跳ぶ。

 至って平和で麗かな午後。


「そうだ、キャプテン。進路こっちで良いんだよね? 余裕で間に合うけど、出来れば先に言っといてほしいなあ」


 航海士らしく海図や指針と睨み合いながらベポが問う。ドフラミンゴは欠伸を噛み殺しつつ、首を傾げた。


「間に合う? 何か予定あったか?」

「もーとぼけちゃってさ。そういえば、今回は珍しく予告状出したんだね」

「何の話だ?」

「悪徳商人のお屋敷に盗みに入るんだよね? 新聞に載ってたよ」

「この前の商人のお宝ならもう仕分けも終わってるし、何ならお前らも一緒にばら撒いたじゃねェか」

「違うよ! ほらこれ、ここ」


 甲板で新聞を広げて見せてくるベポ。

 その一面に踊るのは『堂々予告状! 王下七武海 “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ』の文字。


「は?」

「いや、だから。一人で怪盗やってくるつもりなんでしょ?」


 クルーが呆れ顔で『またかー』『単独行動反対』等と騒いでいるが、当の本人の心中はそれどころではない。


 いや知らん何それ怖い。


 ドフラミンゴは泣きそうになった。




 記事によれば、事件はとある非加盟国の首都で起きていた。

 数日前、貿易商S氏宅に“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴから予告状が届いたのだと言う。

 予告状にはしっかり日時と目標物が指定されている。件の“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴとやらはなかなか奥ゆかしいタイプの怪盗らしい。


「おれは知らねェぞ。どういうことだ」


 午睡をやめ甲板へ飛び降りたドフラミンゴは、ベポから新聞を譲り受け、紙面に齧り付いていた。


「あらー。最近七武海になって一段と名が売れましたから、偽物が出たんですかね」

「予告状出したことほとんどないもんね。それこそ嫌がらせするときくらいか」

「嫌がらせって。そんな風に思ってたのか、お前ら……」


 ちなみに、ドフラミンゴが予告状を出すのは、略奪行為がメインではなく相手勢力の壊滅や戦力ダウンが狙いである時である。面白いように誘き寄せられてくれるため、重宝していた。

 クルーの酷評にやや傷付いたドフラミンゴだったが、気を取り直して記事を読み込んでいく。


 S氏は主に非加盟国内で商売を営んでいる貿易商であり、黒い噂の絶えない、所謂悪徳商人だとか。

 今回狙われているのは『白の盃』と呼ばれる芸術品で、美しい細工が施された聖杯だ。

 予告日時は五日後。

 ドフラミンゴ達は偶然近くを航行中であり、二日後には現地入りが可能である。


「キャプテンを誘き寄せる為の罠、という可能性はないか?」

「あり得るが、『白の盃』……白か」


 ジャンバールの指摘に頷きつつ、ドフラミンゴの意識は他へ向かっていた。


 恩人の故郷、フレバンス。今は亡きその国の名産品。珀鉛は美しい白色の鉱物であったらしい。フレバンスの滅亡により、珀鉛製の商品は希少となりつつあるが未だ取引されている。


 S氏は『白の盃』などないと主張し、他の美術品が狙いとして自社の警備員を配備し対処する様子だ、と記事は締めくくられていた。

 『白の盃』の実態や所在はともかく、S氏は中々後ろ暗い商人のようだ。

 非加盟国において海軍の助けは得られず、またドフラミンゴは七武海故に非加盟国での略奪を許可されている。しかし、S氏の属する国では独自の公的警備隊が組織されていたはずだ。わざわざ自社の警備員のみで対応する必要もないため、公的関与を避けたい理由が別にあるのだろう。

 なんともきな臭い。


「まァ、何にせよ、行ってみるか」


 ドフラミンゴは呟いた。



 二日後、とある非加盟国の酒場にてドフラミンゴは情報収集に勤しんでいた。

 怪盗参上の報道を受けて湧き立つ町に本人がいるのもどうかと思うが、一応変装はしている。下手にフードを被ったり何か付け加えるとかえって怪しいため、髪を下ろし、スーツをやめてラフなシャツ、サングラスのデザインを大人しめなものに変えた程度。体躯が体躯なだけに目立つのは仕方ないが、堂々としていれば意外にバレないものである。

 先程まで席を共にしていた流しの女歌手によれば、S氏は中々のタマで加盟国向けに非合法な奴隷商も営んでいるようだ。しかも、奴隷は誘拐や脅迫で揃えてくるというからどうしようもない。

 そもそも加盟国では奴隷の時点で一応非合法だが、ここは非加盟国。政府の法の外である。とはいえ、国家の法には触れるらしく、故に今回、自社警備員で乗り切ろうとしているのでは、とは女歌手の談。

 昼間にお茶をした侍女から屋敷の様子は確認できており、仕事を装ってS氏の営む会社の職員に接触し当日の警備情報も引き出せた。S氏宅に出入りしている針子の少女から裏口の様子も聞き及んでいる。

 侵入自体に問題はないが、気にかかる点が一つあった。

 頭を悩ませていると、別卓で飲んだくれていたクルーが寄ってくる。


「兄貴、まーた女の子たぶらかしてたでしょ。おかしくないです? 何でそんなモテモテなの? ひどい! おれ達というものがありながら!」

「酔ってんなァ……店員さん、水をくれねェか。フッフッフ、ありがとうな」

「……ふしぎー、ふつうにたのんでふつうにありがとうっていっただけなのにあのこ、めがはーと」

「ほら、水飲め水」

「あにきー♡」


 流石に街中でキャプテンと呼ばれて正体が露呈してはかなわないため、外では『兄貴』と呼ばせている。クルーには歳上も多いのだが、この呼び名はクルーたっての希望なので好きにさせていた。


「まァ、こんなとこか」


 情報収集もすんだ。気がかりな点は拠点でさらえばいいか、とドフラミンゴは席を立つ。あまり長居をすると留守番のベポが寂しがって文句を言うのだ。

 酔い潰れたクルーの肩を担ぎ店を出る際、先程の店員が手を振っているのをみて、軽く手を振りかえす。他のクルーの目が冷たいが、気にしてはいけない。



 拠点に戻ったドフラミンゴが確認したのは、つい最近『商品』に加わった奴隷の名前であった。

 酒場の歌手が述べるに、その奴隷はこの街の貴族の末っ子だったという。貴族といっても名ばかりで、父と姉妹の三人暮らし。ささやかな商店を営むも、S氏に商売上でも追いやられていたとか。加えて、最近は父親が床に臥せっており、その治療費のために姉妹が奔走していたらしい。

 思い出すのは夕刻、S氏邸宅を遠巻きに睨んでいた少女。拳を握りしめるその姿には何らかの事情がありそうだった。


「『白の盃』は実際邸宅にあるらしいが、気になるのは奴隷商の方だな。予告日、警備が手薄になるはずだ」

「本命は奴隷商の方ってことですね」

「そうなると、予告状は貴族の子が出した可能性もあるのか。すげェ肝っ玉だ」


 クルーの意見に頷き、ドフラミンゴは作戦を説明する。奴隷に関しては単なる推測ではあるが、お宝奪取のついでに悪徳商人の鼻を明かしてやるのもいい。

 もちろん、ドフラミンゴは理解している。S氏が失脚すれば路頭に迷う人間は多くいる。また、奴隷を解放したとて彼らが生きる手立てがあるわけでもない。

 だが、ドフラミンゴは怪盗である前に海賊。悪党の質で悪徳商人に劣るのは忌むべき事態である。


「お前ら、準備はいいか?」

「アイアイ、兄貴。決行まで何する?」

「そりゃあ、観光だろうなァ。色んな場所があるみてェだ。各自楽しめよ?」

「さすが、兄貴! ちょっとアングラなとこ覗いてもいいです? 暗黒街とか?」

「フッフッフ、おれ達ァ悪党だ。いちいち確認する必要もねェ……羽目外すなよ」


 わいわいと騒ぐクルー達を見つめ、ドフラミンゴは口許を緩めた。



 来たる作戦決行日当日。

 クルーは邸宅を中心に配備し、能力で作った影武者を同行させている。

 正直、S氏の警備員など海で鳴らしたクルーの敵ではないのだが、警備員らに怪我をさせても良くないため、寄生糸を使える影武者を向かわせた。

 今頃、警備員達は愉快にダンスを踊ってじゃんけんに勤しんでいるはずである。警備員達のS氏への忠誠心は皆無で、『あーれー身体が勝手にー』などと棒演技を披露する声が繋いだ糸から聞こえてきた。


「さて。ベポ、どうだ?」

「いるみたいだね。あの子、すごいなあ」

「フッフッフ、いくら警備が手薄と言っても無茶しやがる。嫌いじゃねェがな」


 屋根の上でしゃがみ込み、眼下に奴隷商の倉庫を臨む。見上げれば夜空。

 奇しくも今宵は月夜。満月である。

 過去、スーロン化で暴走したことのあるベポは一応サングラスをかけている。意味があるのだろうか。さらに言えば、夜なのに前が見えるのか。確かに見聞色は達人級ではあるのだが、単純に気になった。

 己のことを埒外に首を傾げたドフラミンゴだったが、気を取り直して前を見る。

 警備員に見つかり、歯を食いしばりながら涙目で追いかけられている少女。

 年少者を助けようと奮闘するその姿に口の端を上げ、ドフラミンゴは飛翔した。



 あとはもう、こちらのペースである。

 ベポのサングラスが吹き飛びあわやという瞬間があったが、運良く月が雲に隠れことなきをえた。警備員をまとめて糸で拘束。いつものようにしょぼくれるベポの肩を叩き、ドフラミンゴはへたりこんでいる少女の下へと向かう。


「おい、妹君はどこだ?」

「えっ、あ、か、“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ? ほんもの……?」

「フッフッフ、サインはあとでくれてやるから、まずは妹の場所を教えな、かわいい怪盗さん」


 しゃがみ込んで頭を撫でてやると、少女はおずおずと奥を指差した。

 鉄柵の向こうには睡眠薬でも投与されているのか、ぐっすりと眠る少年少女達。さらに別の檻には屈強な男や妖艶な女性がとじこめられている。種族はバラバラ。S氏はなかなか手広くやっていたようだ。

 胸糞悪さを鼻で笑うことで誤魔化し、ドフラミンゴはベポに視線をやる。


「アイアイ、キャプテン。まかせて!」


 何故かカンフースタイルで檻を蹴り破り、さらに別の檻を左右へ押し開くベポ。その後ろを追おうとすると、少女が服の裾を掴んできた。

 どうしたのかと振り返れば、少女は泣きそうな様子で俯いていた。


「ごめんなさい! 枷の鍵は本邸にあるの。私、調べきれなくて……」

「ああ、成程。もしかすると、その鍵ってのはこれのことか?」


 ドフラミンゴは指にかけた鍵束をくるりと回す。

 戦闘の最中、本邸での略奪が完了し、影武者が戻ってきたのだ。当然狙いの聖杯も手に入れている。他の財宝については本邸組のクルーが運んでいることだろう。

 何にせよ、あまりに上手くいって笑いが止まらない。


「フッフッフ、“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴに抜け目はねェのさ!」


 キラキラした目で見つめてくる少女に気を良くし、ドフラミンゴは高笑いしていた。『また調子乗ってるな、キャプテン』とベポからは白い目で見られているのだが、お互いサングラスをかけているため気付けない。


「だがまァ? こんな鍵がなくとも枷くらいは外せる! フッフッフ!」


 さらに調子に乗って覇気を披露するドフラミンゴを放置し、ベポが鍵束を用いて奴隷達を解放していく。ついでに台帳なども探し出し、公的警備隊に突き出す証拠も集めていた。実に出来た部下である。


「すごいわ! やっぱり本物の怪盗は違うのね!」

「フッフッフ! フッフッフ!」


 そんなこんなで、“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴは本日も絶好調であった。




 日が明けて翌朝。

 S氏検挙に湧く町の片隅、とある貴族の営む商店店舗兼邸宅にて、少女とドフラミンゴはコーヒーを啜っていた。

 ちなみに、ベポは公的警備隊にリークした後、直帰している。曰く、『キャプテン高笑いしすぎて面倒くさい』。

 未だ目覚めずベッドで眠る妹を見つめ、少女は吐息をこぼした。


「怪盗さんが来てくれなかったら、どうなっていたことか。本当にありがとうございました」

「かまわねェ。だが、無謀は無謀だな。他に方法がねェのはわかるが……」


 この国において、公的警備隊の武力は貴重だ。証拠もなしに動いてくれるわけはない。少女が焦って行動したのも致し方ないことだった。

 また、何がなんでも妹を助けようという気持ちは、ドフラミンゴにとっても理解できるものだ。


「まァ、お前のおかげでおれもお宝を得た。これでよしとしようじゃねェか」


 ドフラミンゴが取り出したのは美しい細工が施された聖杯。『白の盃』と呼ばれる美術品である。

 読み通り、珀鉛製と思しきそれを見つめ、ドフラミンゴが頷いた瞬間、それは起こった。


 聞こえたのは能力の展開音。


 咄嗟に少女に右手を伸ばしたドフラミンゴだったが、それ以上は何も起こらず、戦闘体勢のまま首を傾げる。


「怪盗さん、それ……!」


 少女が指差す先はドフラミンゴの左手。先程まであった白の聖杯が跡形もなく消えている。

 代わりに現れたのはリボンで一括りにされた金塊と薬袋、そしてメモ。

 筆圧の低さも相まって芸術点の高い悪筆には何となく見覚えがあった。

 金塊ごと握り潰しそうになったドフラミンゴだったが、見上げてくる少女のきらきらした視線を受け、すんでのところで思いとどまる。

 金塊はともかく、メモと薬袋は姉妹の父に向けたものであろう。そういえば、病床にあると言っていた。


「怪盗さんは手品もお上手なんですね」

「“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴに不可能はねェ」


 少女を見下ろし、ドフラミンゴは無理矢理笑う。

 聖杯と入れ替わり現れたものが何であるかを理解し、少女が目を潤ませて呟いた。


「それはお薬ですか? まさか、お父様のために……」

「ああ、そうだ。だが、少し待て。ちょっとだけ待てよ」


 薬はいい。辻斬りよろしく突発的医療行為を働くあの男が渡すものであれば問題ない。悪党ではあるが医者でもあるのでそこはいいのだ。

 しかし、このメモ。あまりに字が汚い。これが自分の字だと思われるのは誠に遺憾だ。沽券に関わる。

 ドフラミンゴは少女を待たせて机を借り、メモを読み始める。

 綴りが潰れて見えない上に丸なんだか線なんだか判別しにくい字を四苦八苦しながら解読、内容を写し取った。台紙は“怪盗”時に稀に使う厚手の紙、予告状だ。

 メモの内容は、患者名と基本情報、発症時期及び症状と経過、他持病、『直近の』処置。そしてその病態に明るい近医の名。

 人はそれを紹介状という。

 何が悲しくて恩人の仇の助手を務めねばならぬのだろうか。

 予告状改め紹介状に封をし、記されていた近医の名を書きつけた。一瞬悩んだ後、真の差出人の名も書き加える。


「待たせたな。これをお前のお父上に渡してやれ」

「怪盗さん……本当に、本当にありがとうごさいます! このご恩は一生忘れません!」


 金塊と薬袋、紹介状を受け取り、背伸びして頬にキスをくれる少女。その頭をぐしゃぐしゃと撫で、ドフラミンゴは笑う。


「お大事にな」


 怪盗の台詞ではないと気付いたのは、少女の家を出て暫くしてからのことだった。






 時は流れ、数週間後。


 ドレスローザ王宮の離れ。庭園に設置されたガゼボへと続く緑廊を二人の人影が歩いている。


「珍しいわね、あなたがお茶に付き合ってくれるなんて」


 そう言って微笑むのはこの国の王女、ヴィオラだ。美しいと評判の姫だが未だ伴侶も婚約者もおらず、次代統治者として父王の下での学びに力を入れている。

 巷の噂ではある海賊に恋しているとかいないとか。

 姫のからかい混じりの言葉に、同行者は困ったように首を傾げた。


「お誘いを受けたのは一年ぶりかと存じますが……」

「だってあなたって忙しい人なんだもの」

「御心にそえず、申し訳ありません」

「とんでもない。この国がどれだけあなたに助けられているか。少しからかってみただけよ、気にしないで」


 両手を振って笑う姫に、男は小さく笑みを返し俯く。


「随分と陽射しが柔らかくなりましたね」

「ええ。じきに冬が来るわ」


 夏の長いドレスローザにも冬は来る。冬はかつて王太女であったスカーレット姫の葬儀が行われた季節。今も国民はその一日を黒衣で過ごすのだ。

 しかし、スカーレットは存命であり、葬儀もパフォーマンスで行われたもの。国民の多くは真相も経緯も知っており、黒衣の集団に浮かぶのは変わらぬ笑顔である。

 ヴィオラは、国民と違い年柄年中黒衣の男を見つめた。


「……あの、姫様。そのように見つめられますと、穴が開いてしまいそうです」

「あら、ごめんなさい。九年も経つのに、姿が全く変わらないからどうなっているのかと思って」

「正しく歳を重ねられるほど、真っ当に生きていない証拠でしょう」

「また卑下する。お父様に言い付けるわよ」

「ふ。懐かしいですね」


 九年前、国を襲った騒乱の最中、男は突然現れた。

 ある事件からリク王と国民に大恩を感じていたというこの男は、争いを厭うドレスローザの矢面に立ち、襲い来る全ての外敵を薙ぎ払ったのだ。

 血濡れた姿でドレスローザの地を踏みたくない、海賊は海賊であるから、と港から内に入ろうとしなかった男。

 そんな一種潔癖でどこか陰気な彼を引き込んだのは、リク王とヴィオラである。

 事あるごとに引け目を訴え地位を辞しながらも、生活支援等でドレスローザを支え続けているこの恩人のことを、ドレスローザの民は心から愛していた。

 ヴィオラもまた男を愛していた。それは男女の愛というよりは信愛に近い。男の手をひいて街を歩み、彼が自身を卑下する度に父王に耳打ちしていた日々のことを、姫は懐かしく思い出す。


「姿は変わらないけれど。今にしてみれば、あの口調も懐かしく思えるものね」

「……お戯れを」


 ふいと顔を逸らした男の耳は薄らと赤く染まっていた。

 出会った当初の男はもっと荒んだ目をしており、騒乱の最中など語調も荒々しくヴィオラに詰め寄ったこともあった。それもドレスローザを思ってのことではあったが、現在の慎ましやかな態度を見るとなかなか信じがたいものがある。


「あなた、あっちが素でしょう? ベビー5から聞いてるわよ」

「私とて敬うべき方には敬意を払います」

「お父様とか?」

「姫様にも」

「ふぅん? 『世間知らずの小娘』とか言ったわよね」

「……もう、お許しください……」


 顔を袖と外套で隠し、消え入るような声で恥じる男に、ヴィオラは思わず吹き出してしまった。


「可愛い人」

「こらこら、ヴィオラ。そのように男を揶揄うものではないぞ」

「あら、お父様。いらしたの」

「私がいてはいかんのか? こら、ロー。いちいち跪くのをやめなさいと言っておろうに」


 ガゼボには先客がいた。既に準備されたテーブルも三人掛けとなっている。話を聞きつけたリク王が席に掛けて二人を待っていたのだ。

 リク王に勧められ席についた男の顔は未だやや赤い。からかいすぎたかしら、などとヴィオラは反省する。


 陽射しも柔らかな午後。庭にはトンタッタ族の手により整えられた華園が広がり、夏の終わりに咲く花々が咲き乱れている。一陣の風が運ぶ花香が茶の香りと混じり、三人の心を和ませた。


 暫く談笑していた三人だったが、リク王が思い出したように手紙を取り出す。


「ロー。君宛に届いた手紙だ。遠方に住まう医者からだが、覚えはあるかね?」


 王宮に届く手紙は大抵中を検められるものだが、王の客人として過ごす男に手紙が届く事自体が珍しい。医師同士のやり取りという可能性を考え、封を切らずにリク王から本人に確認することにしたと言う。

 男は封に書かれた名前を見つめ、暫し考えているようだった。


「ある病に明るい方なのですが……ああ、成程。確かに私から連絡を取っています。その返事でしょう」

「医師としてのやりとりであれば、急ぐこともあろう。私達のことは気にせずここで確認しなさい」


 男は手紙を受け取りそのまま懐に入れようとするが、王の言葉を受け謝意を示しながら封を切る。真摯に文字を追っていた視線が柔らかくなったのを感じ、ヴィオラは他人事ながら胸を撫で下ろした。

 吉報のようだ。

 静かに見守っていたリク王が伸びをして席を立つ。


「さて、手紙も渡せたことだ。あまりさぼって大臣らを困らせてはいけないからな。私は戻るとしよう」

「私はもう少しここにいるわ。ロー、あなた、お父様に付き合ってくださる?」

「勿論構いませんが、姫様、お疲れですか?」

「違うの。だって、花があまりに見事なんだもの。もう少し見ていたい」


 頭を下げ、リク王と共にガゼボを去る男の背中。

 ヴィオラは指で丸を作り、二人の姿を透かし見る。


 重く暗い感情。憎しみ、嘆き、怒り、空虚さ。九年前から変わらず、悍ましいほどの悪意。それらは未だ男の内で燃え続けている。

 だが、その黒い感情は誰に向けられるでもなく、今、男の胸に根差すのは仄かな願いだ。


『ずっと、こんな時が続いたら』


 願いを自ら打ち消さんと蠢く悪心の中にあって、その光は消えかけた灯火のように揺れている。


「叶うといいわね、ロー」


 ヴィオラは小さく囁く。

 優しい囁きに頷くよう、花々が揺れていた。





(蛇足)

 それぞれの日常編です。時系列的には頂上戦争から一年後辺りを想定。

 この話のifミンゴが単なる略奪を繰り返すうちに、怪盗と呼ばれるようになったのは何故か。

 それは、どこぞの黒い男が色々仲介して流行らせたプロパガンダ的エンタメ小説に悪党をバッタバッタと切り倒す空飛ぶ怪盗が出てくるため、というのがなんとなくの裏設定です。

 当初は局所的に流行っていただけなのに、うっかりその周辺で略奪を繰り返したifミンゴの姿に、市民がダークヒーロー性を見出してしまった的な。

 ifミンゴのおかげで小説も流行ってWIN-WINですね。ifロー自身は正当な読者なのでダークヒーローはあまり好かないかもしれませんが……。


 DR編にはやはり幸福な日常回が必要かなと思っての後半です。このifローはキュロスをモデルケースに演技を組み立てていそう。

 ティータイム中、トンタッタ族がお菓子つまみにきていますが、妖精伝説のため全員スルーしていました。

 ifローは、ヴィオラには見えちゃうので、もういっそノーガードに。さすがに悪事は裏でやるし、一対一で覗き見してくるとも思えないし、善良な人間は他人に善良さを勝手に見出して勘違いするから大丈夫、なんかあったらシュガーにお任せとか思っています。


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