家族②

家族②




かつての幼き日。“麦わらのルフィ”と今は呼ばれる青年は、彼の兄に勝つことができなかった。

年齢の差もあっただろう。経験の差もあっただろう。

ただ、一度も勝てぬままに兄が旅立ったことも事実だ。

そしてその後、二人が再び拳を交えることはなかった。

片方は海賊で、片方は海兵だ。出会えば必然、戦うしかない。ただ、一度だけ再会を果たした時はとてもそれでころではなく、お互いに見ないふりをした。

そして、今。

ぶつかり合う必要のなくなったはずの二人が、拳を交えている。


「……これが、エースの弟かよい」


エースの弟と妹の保護を、エース自身は彼の船長に願った。

文字通り甲板に額を擦り付け、何もかもを投げ捨てるようにして。

それに対し、大海賊“白ひげ”は言った。


『オメェの弟と妹ってんなら、手を貸すことを断る理由はねぇ』


誰よりも家族を大切にする“白ひげ”であるからこそ、エースのその想いに応えようとしてくれたのだ。

しかし、二人を刺激しないようにと立会人は一人と指示し、更にその立会人である自分に対して彼はこうも言っていた。


『エースの弟と妹だ。しかも、妹の方はともかく弟の方はガープの野郎の孫でもある。……間違いなく、素直にエースの手は取らねぇだろう』


そしてその読みは見事に的中していた。今、兄弟のぶつかり合いが始まっている。

その戦いは一方的なものになるとマルコは思っていた。色々と大事件を起こしている“麦わらのルフィ”だが、それでもエースの強さには届かないと。

しかし。


「どうしたルフィ。一発でグロッキーか」


無数の攻防。その果てにようやくエースが叩き込んだ蹴りの一撃で地面へと叩きつけられたルフィが、膝をついていた。だが、たった一撃だ。あのエースが、この一撃を入れるのにあまりにも時間をかけ過ぎている。

迷いもあるだろう。しかし、それ以上に二人の戦闘力に思っていたよりも開きがない。


(海軍から逃げ回れる理由がこれかよい)


納得がいった。“七武海”の一角を落としたこの男は、単純な戦闘能力だけなら海軍本部中将、その上位にある。

これで大佐を名乗るのだから、詐欺もいいところだ。

だが、それでも差はある。

今のままでは、“麦わらのルフィ”に勝機はない。

エースは、白ひげ海賊団二番隊隊長だ。その実力は、間違いなく本物であるのだから。


「……やっぱり、エースは強ぇなぁ」


小さな笑みを含んだ言葉。

どこか誇らしげな雰囲気を纏いつつ、ルフィが立ち上がる。


「けど、おれはもう負けられねぇんだ」


腰を落とし、両手を太腿に。


「“青雉”の強さを見た。世界の広さを見た。ウタと一緒に、いつか超えてやるって……どっちが先かって、勝負を始めた」


ルフィの足が、まるでポンプのように蠢き始める。


「けど、いつかじゃ駄目だ。今強くならなきゃ、おれはウタを守れねぇ」


ドクン、という鈍く、重い音が響く。

心臓の音だと気付くのに、少しだけ時間がかかった。


「おれにとっての“正義”は、それだけだから」


蒸気。

ルフィの体から、白い煙が噴き出す。


「……ルフィ。お前は」

「いくぞエース。おれの技はみんな、一段階進化する」


噴き出す蒸気は、何かが起きていることを明確に示している。だが、その正体は未だ不明だ。


「“ギア、2”」


ギア、と言ったルフィに、周囲の者たちが注視する。普段なら突拍子のないことをする男であるが、ここでふざけるような男ではない。

何が来る、とエースが見定めるようにルフィを真っ直ぐに捉えた。その彼に対し、ルフィは狙い撃ちの構え。

体を半身に、拳を引いて。まるで狙いを定めるように左手を前に出す。


「“ゴムゴムの”」


避けて、カウンター。エースの思考はマルコにも読めた。この男は、ただ倒すだけでは駄目だ。力の差を見せ、心を折らねば。

そうしなければ、きっと死ぬまで戦ってしまう。

だが。

次の瞬間に目に入った光景は、周囲の全員を驚愕させた。



「“JET銃”!!!!」



轟音と共に、エースの顔面へと拳が叩き込まれた。

マルコも、エースも、七武海の二人も、ウタも。

突然の、先程までとは文字通り次元の違う速度の一撃に驚愕する。


「……ぐっ」

「“スタンプ”!!」


起き上がるエースに追撃。だがそれは、エースが身を屈めて避けた。

更なる追撃。海軍で戦いの訓練を受け、優秀な多くの師に恵まれたルフィは六式も体得している。

高速の移動術“剃”による、接近。ほぼゼロ距離で、二人の拳が激突した。


「「ぬぐっ!!」」


一瞬、互いに堪えるが衝撃で互いに後方へ吹き飛ばされる。

共に、無言で立ち上がる。そして、再び戦闘態勢。

最早、言葉は必要なかった。



◇◇◇



二人の“家族”の激突から、ウタは決して目を逸らすまいと視線を向け続けた。

油断をすれば涙が溢れそうになる。だが、駄目だ。それは許されない。

あの日から、戦えなくなった自分。恐怖で体が震え、動けなくなってしまった自分。

ルフィは、そんな自分の代わりに戦い続けている。

ならば、せめて。

せめて、目を逸らすことだけはしてはいけない。


「……目を閉じようものなら、引っ叩いてやったところじゃが」


そんなウタを見て、ハンコックが呟く。彼女の視線の先には、二人の兄弟の戦い。

それは最早、この世の戦いとは思えなかった。

激突する度に周囲に甚大な影響を与え、しかし、その当事者たちは止まらずに動き続ける。

轟音が繰り返し響く中、しかし、戦いの趨勢は傾きつつあった。

それは、残酷なまでの地力の差。

徐々に、しかし、確実に。

ルフィが、押されている。


「ルフィ」


だが、ウタは目を逸らさない。

信じているのだ。

信じると決めたのだ。

彼を、信じると。



◇◇◇



それが決着の一撃であるということは、直感で理解した。

互いの視線が交錯する。エースは無意識のうちに笑みを浮かべたいた。


(あのルフィが、こんなに強くなってるとはな)


かつて彼が語った、『いつかエースだって捕まえてやる』という言葉。それはもしかしたら、本当にあり得た未来だったかもしれない。

だから、悔しい。

こんな自分とは違い、光の道を歩めたはずの二人が。

誰よりも幸せになって欲しかった二人が。

こんな、こんなことになっている事実が。


「来い、ルフィ!!」

「“ゴムゴムの”!!」


拳に炎を集中させる。

この技は、己に与えられた二つ名そのもの。

エースの代名詞とも呼べる技。


「“JETバズーカ”!!」


放たれた超高速の一撃。


「“火拳”!!」


しかし、ルフィの一撃は。

駆け抜けた炎が、呑み込んだ。

周囲に炎が燃え移り、煙が舞う。


「馬鹿野郎」


呟くように、エースは言う。

それは、誰に対しての言葉であったのか。


「ルフィ!」


ウタがルフィの名を呼ぶ。無駄だ、とエースは思った。

完璧に入った一撃だ。立てるはずがない。

だと、いうのに。


「…………!」


ゆらりと、白煙の中をルフィが立ち上がった。上等だ、とエースは呟く。


「いくらでも相手をしてやる」


だが、彼が構える前にウタがルフィの元に走り寄った。何を、と言いかけたところで、ようやく気付く。

意識が、ない。

“麦わらのルフィ”の意識は、もう既に消えていた。


「……そうまでして、通す意地かよ……!」


拳を握り、思わず唸る。

ウタの嗚咽が聞こえる。意識を失ってなお構えをとる彼の手を握り締め、ゆっくりと下げさせる。


「いい弟だよい」

「ああ、そうだな。……自慢の、弟だ」


噛み締めるように言うと、エースはウタへと声を張り上げる。


「先に言った通りだ! おれはお前たちを連れて行く!」


涙を零す瞳でウタがこちらを睨む。そして、震える手で構えた。


「ああ、そうだな。それが、お前らの誇りだったな」


ルフィを庇うように立つウタの姿に、思うところはある。だが、ここで退くことはしない。それでは、何の意味もない。

思わず、左頬に触れた。ルフィに殴られた場所が、まだ痛い。


「……世話の焼ける弟と、妹だ」



◇◇◇



エースの弟と妹。ルフィとウタの二人を医務室に運び込むと、白ひげ海賊団は出港した。その直前、“海賊女帝”と“火拳”の間に一悶着はあったが。


『この二人に万一があった時は、わらわが貴様らを皆殺しにしてやる!!』


その言葉を笑うことはできなかった。エースは帽子を被り直し、こう応じた。


『大事な家族だ。……絶対に守るさ。今度こそ』


失ってしまった、もう一人の家族の顔が浮かぶ。

もう、二度と失わない。

そのために、ここに来たのだから。



二人の治療は既に始まっている。エースもまた別室で治療を受けた後、少し一人になりたいとして部屋に引っ込んでいた。

目的は果たし、海を行く白ひげ海賊団。だが、その甲板。海賊“白ひげ”が君臨する場所に、奇妙な来客が来ていた。


「おれは海賊だ。“革命軍”なんぞがおれのところに来る理由があるとは思えねぇが」

「今日は私用だ。立場は利用させてもらったけどな」


白ひげの前にいるのは、海賊船に似つかわしくないきちんとした衣装の男だ。ぞの男は船に乗り込む際に持ってきた巨大な酒の入った樽を前に押し出すと、白ひげたちに告げる。


「“赤髪”から、あんたは酒が好きだと聞いた。急な乗船の礼だ。飲んでくれ」

「……あのハナッタレはどうしてる」


僅かに、白ひげの声が低くなった。海軍本部准将、“海軍の歌姫”ウタ。彼女がかの大海賊“赤髪”の娘であることは、彼とそれなりに深い繋がりがある者はよく知っていた。

家族を置き去りにし、挙句この状況だ。事情があることは察しているが、かといって何よりも家族を大切にする白ひげに許せるものではなかった。

だが、目の前の男は笑みを浮かべ、拳を握る。


「ぶん殴っておいた」


その言葉に、流石の白ひげも一瞬言葉を失った。そしてその直後、大いに楽しそうに笑う。


「グララララララララ! やるじゃねぇか! おい、盃を用意しろ!」


後に、船員の一人は語る。

オヤジがあんなにも楽しそうなのは、久し振りであったと。



◇◇◇



注がれた酒を口に含むと、白ひげは怪訝な表情を浮かべた。


「上等な酒じゃねぇな」

「昔、おれたちが義兄弟の契りを交わした時の酒だ。……この場に来るなら、それが一番だと思った」


サボ、と名乗った男が言う。白ひげはその言葉を聞くと、一気に酒を飲み干した。


「あァ……悪くねぇ」


言いながら、彼は目の前の男の話したことについて考える。

かつて、義兄弟の契りを交わした四人の子供。しかし、そのうちの一人は天竜人にとって船を砲撃され、命を落とした。

その後、兄は海賊に。

弟と妹は、海軍に。

記憶を無くした兄は、革命軍に拾われた。

そして先日。あの二人の起こした大事件のニュースがきっかけで、記憶を取り戻したのだという。


「信じてもらえねぇのはわかってる。けど、おれは」

「にわかには信じ難い話ではある。だが……単身ここに乗り込んでくる奴が、そんな嘘を吐きにきたってのも現実味がねぇ」


それに、と。

空になった盃を見て、白ひげは言う。


「いい酒をくれた礼だ。信じてやる。……おい、ティーチ。案内してやれ」

「ゼハハハハ! いいのかオヤジ!」

「構わねぇ。嘘であったところで、エースがこいつを殺すだけだ」


エースの家族を騙るってのはそういうことだと、白ひげは言う。


「ありがとう」


そんな白ひげへサボが頭を下げ、ティーチの案内に従って船内に入っていく。それを見送り、白ひげは呟いた。


「……一体、どうなってやがる」


四人の義兄弟。その全員が、この世界に大きな影響を及ぼし得る立場にある。

こんな偶然があるのだろうか?


(ロジャー……お前が待っていたのは、あの四人か?)


かつて彼が語っていた、世界をひっくり返す存在。

それは、彼らのことなのだろうか。


時代が変わるかもしれない。

白ひげは、空を見上げながらそう呟いた。



◇◇◇



自分の部屋で座り込みながら、エースは二人のことを考えていた。

ルフィの攻撃を受けた場所が、まだ痛む。

二人の確保はできた。だが、これからをどうするか。あの二人を守りたい。しかし、ずっとこの船に乗せておくことはきっとできない。

もう二度と、失いたくない。失わせない。

だが、どうやって?

どうやって、守ればいい?

答えが出ない問いの中。不意に、ノックの音が響いた。


「エース隊長。客だぜ」

「……誰だ」


相手は答えず、入ってくる。


「何の用だ?」

「随分とルフィの奴にやられたな、エース」


その声に、エースは弾かれたように顔を上げた。

視線の先。そこにいたのは一人の青年。

だが、わかる。わかるのだ。

この青年は、この男は。


「サボ。なんで」


掠れた声を上げながら、エースが立ち上がる。サボは帽子をとると、頷いた。


「遅くなってすまねぇ。事情は後から説明する」

「後からって」

「それよりもだ、エース」


エースの肩を掴み。


「ありがとう」


サボは、そう言った。


「二人を助けてくれて、ありがとう」

「……馬鹿野郎。当たり前だ」


礼を言われることじゃない。そう言いながらしかし、エースは胸の支えが取れたような気がした。

自分にとっての家族でも、白ひげ海賊団にとってはそうではない。しかも元海軍で、天竜人から追われる立場。どうしても、負い目があった。

けれど。

サボなら。

己と同じ、あの二人の家族なら。

そんな負い目もなく、わかってくれる。


「今、おれは革命軍に厄介になってる。おかげでここにも来れた」

「革命軍だと? じゃあルフィの」

「ああ、ドラゴンさんの下で色々やってるんだ。……ああ、そうそう」


エースの肩から手を離し、サボは笑う。


「『合わせる顔がない』なんて言ってたから、一発ぶん殴っておいた」


その言葉に、エースは笑った。

サボだ。この、一番冷静でありながらしかし、家族想いなこの男は間違いなくサボであった。

二人して笑う。そしてひとしきり笑った後、サボが真剣な表情で言葉を紡いだ。


「エース。これまでの話よりも、これからの話だ。あの二人の置かれてる立場は、相当厄介だぞ」

「……ああ、わかってる」

「いや、わかってねぇ」


いいか、とサボは言葉を紡いだ。


「“英雄”ガープの孫であるルフィは、アラバスタの件を筆頭に海軍の新時代の英雄として認知されてる。ウタも“海軍の歌姫”なんて呼ばれて、ルフィと同じく英雄扱いだ。二人で揃って活躍してるせいで、二人で一つみたいになってるが」

「昔からそうだったな」


エースは頷く。あの二人はいつも一緒だった。気がつけば二人で何やら勝負を始めて、その勝敗でいつも揉めて。

それを見て笑うのも、この兄二人の日常だった。


「懐かしいな。……まあそれは置いておいて。そんな二人が、天竜人なんていう理不尽のせいで一気に転落人生だ。海軍は今、相当内部が混乱してる」

「そうなのか?」

「離脱者も続々と出てる上に、派閥同士の争いまで起こってるそうだ。元々溜まってた天竜人への不満が今回のことを切欠に表に出てきた、ってのもあるだろうが」


元々、歪んだシステムだ。何かを切欠にこうなることは予想できた。


「そんな中で、天竜人をぶん殴ったルフィと、そのルフィと共に逃げるウタは一種の崇拝を受け始めてる。……当たり前だな。多分、誰もがやろうとしてできなかったことをあいつらはやってるんだ」


理不尽に泣かされた者は、多くいる。

苦しみを味わった者も、多くいる。

その者たちにとって、たった一人のために世界の神に真正面から抗い、そして今もなお逃避行を続けている二人はある種の希望でもあるのだ。


「だからこそ厄介だ。影響力ってのは得難い才能でもある。あの二人を手に入れられれば、あの二人に希望を持つ連中を丸ごと自分の陣営に引き込める。そうなると、ありとあらゆる組織があいつらを狙ってくる」

「……海軍以外にも狙われるのか」

「世間的には、白ひげ海賊団が先んじて動いたって印象だろうな。おれたちとの関係が表に出れば風向きは変わるだろうが、余計な火種にもなる。四皇幹部と、革命軍幹部の兄がいるんだぞ? たった二人引き込むだけで一気にパワーバランスが崩れる」


民衆からの支持と、周辺の人間関係。表沙汰になっていない関係図を考えると、あの二人は最早一種の特異点だ。

海軍にも、海賊にも、革命軍にも。

あの二人は、本人の意図せぬところで深く関わっている。

 

「だとしたら、ますます下ろすわけにはいかねぇな。あの二人を守らねぇと」

「ああ。だが、それじゃジリ貧だ。だから、エース」


サボがエースを見つめる。その表情は、真剣だ。


「おれは天竜人のシステムを破壊する。あいつらを神から人間に引きずり落とす」


そのための革命軍だ、とサボは言い。

だから、とエースに対して言葉を紡いだ。


「エースは、“海賊王”になれ」


何を、とエースは言った。その彼に対し、サボは言葉を続ける。


「“海賊王”は言った。『この世の全てをそこに置いてきた』と。世界そのものをひっくり返さねぇ限り、あの二人は救えねぇんだ」


エースは、一度目を閉じた。

一度、二度、と大きく深呼吸をする。

そしてゆっくりと、言葉を紡いだ。


「……迷惑な話でな。おれも、ルフィも、ウタも。世界的大犯罪者の血を引いてる」


“海賊王”、“世界最悪の犯罪者”、“四皇”。

その血を引く彼らは、生まれ落ちたその時からあまりにも重い業を背負っている。


「おれはこの道を選んだが、あの二人は違う。海軍に入って、ちゃんと真っ当に生きてたんだ。……ありえねぇ話だが、あの二人に逮捕されて監獄にぶち込まれるんなら、おれは納得したと思う」


生まれにおける業に、抗いきれなかった自分とは違って。

あの二人は、光の道を進んでいたはずだ。


「幸せに、なるべきだった」


なって、欲しかった。

なのに。

この、世界は。


「やるぞ、サボ」


世界を変える。

エースが、そう宣言した。


「このふざけた世界を、ひっくり返してやる」


かつて、“海賊王”は時代を変えた。

ならば、エースは。

その血に翻弄され続けてきたエースは、世界を変える。

そうして、大切なものを守るのだ。


後の歴史において、未だ答えが出ない後の大事件の始まり。

それは、たった二人の決意から始まったのだ。



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