安眠とは
「眠れない時ですか…とにかく仕事ですね。眠くなる辺りまで仕事して眠くなって目を瞑るとすぐに寝付けるんですよ。まぁ担当のためと思うと眠気なんて吹き飛ぶんですけどね」
「………………たわけ」
扉越しから聞こえてくる声…どうやら私のトレーナーが眠れない時の相談を受けているらしい。眠れないというのは誰にも、無論私にも起こり得る話。
普段私を支えてくれる彼が一体どんな秘訣を持っているのか興味本位に聞き耳を立てていると返ってきた答えがそれだ。
「それでも眠気が来る時は来ますからね」
(それは眠気などではない…身体が限界だと訴えている証拠なのだぞ!?)
「それに一度眠れれば心身共にリフレッシュ出来ますからね。また頑張れるって訳ですよ」
(違う!それは思い込みだ!それだけで全て回復する訳ない!身体も…心も…!)
「まぁこれは極端な例ですけどね。彼女の為に…そして女帝の杖としていさせてもらうための覚悟ですよ」
(たわけ…たわけ……たわけ…っ!)
それ以上は聞きたくなかった。
彼が私のために全てを削っている事実を。
彼が摩耗していくその有り様を。
彼が自身を物の様に認識している決意を。
私はその場から走る様に去った。
無意識に瞳から涙を流しながら走った。
他人から見れば現実から逃げていると言えるだろう。
あの時部屋に雪崩れ込めば、その話を遮り否定すれば、彼を止められたと。
——そんな浅はかな考えを私は軽蔑する。
表面しか見ない者には決して分かるまい。
彼の真面目さと優しさ、決心の強さを。
たとえ私でもそれを容易く止める事は困難である事を。
だからこそ、彼を止めるのは今ではない。
だからこそ、彼を止めるのはその方法ではない。
部屋に戻り支度をし、電話をかける。
暫くして外泊許可の申請を始める。
私の答えは…為す事はもう決まっていた。
消灯時間寸前、私はトレーナー室の扉の前に立っていた。
やはり部屋の灯りは付いている。
昨日までの私ならば仕事熱心だと溜息混じりに感心していただろう。
しかし今は心が締め付けられる。
こうしている間にも彼はきっと自らを削り続けているだろう。女帝を支える杖…その役目を全うするために…
「…………全く…たわけが…っ」
ならばその杖に向き合うのが女帝として成さねばならない役目。
女帝の杖が折れる事がない様に…
女帝の杖がその使命を果たせる様に…
女帝の杖が…
…違う!もう杖じゃない!
それにこれは役目などではない!
愛する人を支えていきたいから…!
愛する人と共に歩んで行きたいから…!
トレーナーの事が…大好きだから!!!
私は意を決してドアを叩く。
「こんな時間にどうしたんだろ…今日はここで寝泊まりですよ……」
「私だ、たわけ」
「グルーヴ!?どうしたんだ一体!?」
急ぐ足音と共に扉が開く。
———ここが私の…一世一代の勝負だ。
「もうこんな時間に…ちょ!?」
私は鍵を閉めトレーナーの腕を掴み、引っ張りながら部屋を進む。そうして辿り着いたのは仮眠用のベット。
あまり使われていないと目に見えて分かる綺麗なそれがトレーナーの現状を物語る。
「———ッ」
だがそこで怯んではいけない。腕を引っ張りトレーナーの身体に腕を回し持ち上げる様にし、そのまま抱きしめる形で私諸共ベッドに倒れ込ませた。
「急にどうし……」
「眠れないのだろう?なら貴様が寝るまでこのままだ」
「でも仕事が…」
「また眠くなるまで仕事をするのか?……今日の話、私が聞いていないとでも?」
「なら尚更、君の———」
「たわけ!私の顔を見ろ!この顔を見てもまだ!私のためにと無理をするのか!?」
我ながら卑怯でずるい言葉だと思う。
でも扉を開けてトレーナーの顔を…摩耗し切ったその顔を見た時から、私は涙が止まらなかった。
だからこそ、この殺し文句と言える言葉が咄嗟に出てきてしまっていた。
でもこれは決して殺し文句でも何でもない。限界の先へ突き抜けてしまおうとする…今まさに折れてしまいそうなトレーナーを止めるために…
それだけじゃない、私もトレーナーと本当に向き合うために本心から出た言葉……
そんな私の顔を見て、私の震えた声を聞いてトレーナーはハッとした顔を見せた。
「グルーヴ…俺は…」
「謝るな…決して貴様の事を否定する訳ではない…」
「でも俺は……間違って…」
「たわけ…それは半分だけだ…貴様は誰も敵わない程の研鑽を積み続けているのだぞ?……ただ、無理をし過ぎている…それが半分の、貴様の間違いだ…」
困惑している彼を優しく諭す。思えば私は彼に厳しくしてしまっていた。
模範とあらんとするために、強い言葉を…心身共にボロボロで限界の彼に…
だからこそこれは彼だけの問題じゃない。私も向き合わねばならない問題なのだ。
「貴様だけだ…私には貴様しかいないのだぞ…。私に媚び諂わず面と向き合い支えてくれる人は…私の意見を尊重しつつ、時に言い争いになっても決して私を見離さなかった人は…」
普段素直になれない分、彼への想いが止まらない。
だかそれは、その分私が見て見ぬ振りをしてきた証拠。故に伝えなければならない。
私の気持ちを…その想いを…
「だから…無理をしないでくれ…貴様の支えあっての私だ…貴様を犠牲にしてまで得る勝利…それに賞賛や栄光など価値はないも同じだ…」
「………………」
「私は貴様の事を"杖"として選んだ…だがもう違う…貴様は私の"半身"だ!」
それは一つの決意と告白。彼を縛り追い詰めている鎖を解き放つための…
そして本当に二人で一緒に未来へ向かって歩んでいくための…!
「これから貴様と共に歩めるのなら…トレーナーが私の"半身"だと思ってくれるなら…あなたがずっと一緒にいてくれるなら…私のこの願いを…想いを受け入れて…お願い…!」
「…………!!!」
それを聞いたトレーナーは身体を震わせながら私を抱きしめ返した。顔は見えなかったがきっと泣いていた。
「分かった。君のその想いもその願いも全部受け止ったよ。俺もこれから君と歩んで行きたい…。だからもう君を悲しませはしない…だから心配しないでくれ」
「…っ、ありが…とう…ありがとう…!」
よかった…私の想いも願いも全部受け止めてくれた…。そんな優しさに私はいつも支えられてきたんだと、改めてその幸せを噛み締めたのだった…
「お言葉に甘えて今日はこのまま眠らせてもらうよ」
「たわけ。今日"は"じゃないぞ。今日"も"そして今日"から"だ。流石に毎日は難しいが…週末は大丈夫だからな」
「でもそれだと周りに…」
「その点は問題ない。同室のファインにも説明はしてある。最も彼女も自身のトレーナーと時折外出しているしな」
「そ…そうなんだ…」
「それに会長や寮長にも承諾は得ている。当然理事長にも今回の話は通してあるからな。……貴様の働き過ぎさは名指しで過労の問題…そのケースとして真っ先に上がると聞いた。私がその旨を話したら是非とも頼むと頭を下げてお願いされたのは驚いたぞ…全く」
実際理事長にあの時の話をした時、彼女は顔を真っ青にしていた。事情は知っていて何度も呼び出してお願いをしたがやはり無理をしていたと。
権限を使えば簡単だが、ウマ娘のために尽力している者に対してそれを強権で強要するのはどうなのかと悩んでいたと。そして今回の彼の話である。
そこで私が週末は見張る名目で一緒にいると伝えた所、食い気味にその場で承認が降りたのである。
…2人共幸せになと言葉を添えられて。
「むむむ…」
「何がむむむだたわけ。それに私がいれば貴様の今後の予定の調整や私への相談も容易いだろう?」
「そこまで言われちゃ降参だ。だからこれからも頼むよ……グルーヴが暖かくて眠くなってきたな…」
「……!…ならこのままゆっくり眠ってくれ…だからおやすみ、私のトレーナー」
「ああ…おやすみ、俺のグルーヴ……」
トレーナーが眠ると心の中で張り詰めたものが消えたのか私もすぐに眠りについたのであった…
早朝、朝日もまだ上ってない時間。
私は昨日の夜のままの状態で目を覚ます。
目の前には気持ち良さそうに眠るトレーナーの寝顔。
やり遂げたんだ…トレーナーを救う事が出来たんだと私は感慨に浸る。
二人の腕は互いの後ろに回されがっちりと固定されている。このままでは互いに動けないがそれでも構わない。この状態が何よりも安心できる、どんな時よりも幸せだと実感できるから…
私は彼を起こさない様に背伸びする様に体を伸ばす。
(トレーナー…すき、だいすき)
そして目の前の彼の唇と自身の唇を重ね合い彼の熱を確かめる。
すると彼が目を覚ます。一瞬驚いた顔をしたが、私と目が合うと何も言わずにそのまま私に身を委ねてくれた。
「朝だぞトレーナー……おはよう」
「おはようグルーヴ……って学校は!?」
「今日は土曜だぞたわけ」
「!?朝練の時間が……」
「まだ朝練の時間には早すぎるぞ?」
「あ……そうだったな」
「その事を忘れるほど疲れていたのだな…だから朝練までこのまま……」
そう言いながら私はさらに身を寄せる。
「偶には君とこのままでもいいか…」
「そうだな…時には惰眠を貪るのも悪くはない…な」
再び私達は唇を重ね照れ隠しに笑い合う。
そして抱きしめ合い、互いに外の肌寒さを感じさせない暖かさに包まれながら、再びまどろみの中へ身を任せたのであった……
「眠れない時ですか………そうですね、暖かくしていれば眠くなりますよ。前は眠くなるまで担当のために働くなんて言っていましたけど…」
彼がインタビュアーの質問にそう答える。私は聞き耳を立てていたあの時と違い、彼の横に座りその答えを聞いていた。
「でもそれは無理して倒れる事と変わらないんだと、そして本当に大切な事を妻が教えてくれたんです。な?グルーヴ?」
「たわけ……しかしその事については半分正解で半分間違いですね。私も夫から教えられたんです。本当に支え合うという事がどういう事かを」
今度は一人じゃない。
私達は誇らしげにあの時と同じ質問に面と向かってそう答えたのだった。
質問が終わり、普通の1日に戻りそして日も暮れた。私達はあの時の様にベッドで横になる。あの時からこうすればお互いによく眠れるのだ。
「どうした?グルーヴ?」
「あなた…その…今日も"夜更かし"しても大丈夫な日か?」
「ああ、今日も君と"夜更かし"してその後グッスリ眠ろうか」
ただ一つ、あの日から違う事といえば私達が"夜更かし"をする様になった事である。
「"夜更かし"の準備は出来た?」
「構わない…だからお願い…あなた…」
しかしあの時の彼の"それ"とは違うもの…
それはあの時の様に誰かのために一方的ではなく、互いが想いをぶつけ合い、確かめ合うという事だろう。
ただ、その"夜更かし"も私達が"必要"な時以外にはしなくなるだろう。
何故なら私達"だけ"の歩みでは無くなる…そうはっきりと断言できるから。
最も私達"だけ"ではなくなっても"夜更かし"が絶えることなく続いたのはまた別の話だが。それはまたいつか話すとしよう。
だから———
これからもずっと…ずうぅぅぅっと
一緒にいてね、あなた