子守唄の話

子守唄の話

ななしのだれか


おやすみおねむり波の音

雪より白きこの町に

白い宝のこの町に

かもめもどくろもやってくる

一目見たいとやってくる


 白く輝く美しい町。だれもがその白に憧れて、たくさんの人が訪れた町。赤と黒に染まった、今はもうない俺の故郷。

 幼い俺は、ラミの手を引いて町を歩く。

 太陽の光をいっぱい受けて、町はきらきら輝いている。

 今日も賑わう市場を抜ける。

 笑って俺達を見送るシスター。

 すれ違う友達に手を振って、俺とラミは家路を急ぐ。

『兄様、今日のおやつはなにかな?』

『母様がパンケーキを焼いてくれるよ』

『やったあ! 母様のパンケーキ!』

 繋いだ手をぶんぶんと振ってラミが笑う。俺も笑って、町を行く人達も笑っている。

『ただいま母様!』

『父様、ただいま』

『おかえりラミ、ロー。母様がパンケーキを焼いているから、二人とも手を洗って、うがいをしてきなさい』

『『はい、父様』』

 大病院の我が家に戻れば、父様が迎えてくれた。洗面所で手を洗っていると、母様の『焼けたよー』という声が聞こえてくる。パンケーキが楽しみで足踏みするラミと一緒にうがいをして、俺達は母様のもとへ向かう。



その子がなんで泣きましょう

おやすみおねむり街の子よ



『母様ァ〜〜〜!!!

 父様ァ〜〜〜!!!』

 路上に転がる、銃に撃たれて、冷たくなっていく父様と母様。

『感染者 二名 駆除』

 やめろ。俺の父様と母様を、害虫みたいに言うな。やめろ。

『シスターァアア〜〜〜〜〜〜〜〜!!!』

 涙の水たまり。シスターの手から落ちた十字架。

 友達はみんな、地面に伏せて、動かない。

『病院がァー!!!

 ラミー〜〜〜!!!』

 真っ赤な炎に食べられる病院。妹は、ラミは、あの、中に。



おやすみおねむりフレバンス

銀より白いフレバンス

花さえ白いこの町は

百年さきもまだ白い



 泣いて、泣いて。

 喉が枯れて、血を吐いて。

 俺以外はみな死んだ。

 滅んで眠った白い町。

 穢れてしまった黒い町

 それでも俺は泣き続けた。



その子がなんで泣きましょう

お休みお眠りフレバンス



 くるしくて、かなしくて。

 もう、しにたい。

 せかいのすべてを、こわしたい。

 こわしてやる、ころしてやる。


 そんな俺に聞こえてきたのは、もう、俺以外、誰も知らない子守唄。何度もラミに歌ってあげた、フレバンスの子守唄。

 思い出す、遠き日の記憶。

 小さい頃。ラミが生まれたばかりの頃。もう兄様だから大丈夫と、一人で寝ようとして、でも寂しくて怖くて寝れなくて。

 そんな俺に父様が、子守唄を歌ってくれた。母様はラミに付き添っていたから、見に来てくれた父様が、俺の為に歌ってくれた。


 ――兄様になっても、お前だって、かわいいかわいい、私達の息子だ。

 おやすみおねむり、愛しい子――


 ああ覚えてる。忘れはしない。

 この歌声は、父様の声だ。

 だいすきな、尊敬する、俺の自慢の、父様だ。




「とう、さま……」

 彼が零した寝言に、ぱちくりと目を丸くする。父様。そうか、父様か。そんなに俺の歌声は、父様の歌声に似てたのか、なあ、もう一人の俺よ。

 小さくすうすう寝息を立てる、彼の頭を優しく撫でる。寝顔は存外幼いんだな。

 俺はまた歌いだす。懐かしい子守唄を。

「おやすみおねむり愛しい子

 夢より白いフレバンス

 水平線も染まる街……」

 俺とお前、平行世界の同一人物。だから同じ夢を見て、互いの記憶を共有する。だから悪夢も共有する。望むまいと、分かち合う。

 久しぶりに見た、故郷の滅び。二度とは帰らざる幸福な日々。奈落に落ちる白い町。絶望。悲嘆。苦痛。憎悪。破壊衝動に呑み込まれる。

 そんな彼の真っ黒な夢を見たからか、ぐっすり寝入っていたはずが飛び起きてしまった。気になって気になって、隣のベッドの彼を、もう一人の自分を見れば、うんうん魘され、脂汗を流していた。

 怖い? 苦しい? 辛い? 悲しい? 全部だろう。俺だってそうだ。心が痛い。痛くて痛くて、泣きそうだ。苦しいことは数え切れないほどたくさんあって、でもこの痛みは別格だ。

 眠りながら、涙を滲ませる彼をどうにかしてやりたくて、でもこんな姿を見られるのはプライドが許さないことくらい、自分だからこそよく分かる。

 だから歌った。もう俺以外、誰も覚えてない故郷の歌。父様と母様が何度も歌ってくれた、ラミに何度も歌ってあげた、白い町の子守唄。

 どうかぐっすり眠れるように。おやすみおねむり、もう一人の俺。さざなみの毛布に包まれて、怖い夢はあっちへいけ。

 毛布にくるまったままベッドの側に座り込み、手を伸ばして、リズムに合わせてとん、とんと、彼の腹を優しく叩く。何度も自分がされたように、何度も繰り返しそうすれば、彼は少しずつ和らいだ。


 ――――歌が伝わって良かった。


 なぁ俺、自分の記憶が信じられなくなったことはあるか? 否が応でも月日を重ね、記憶の家族が少しずつ掠れていく恐怖を感じたことはあるか? 家族の声に確証が持てなくなったことは? その思い出が現実か夢か分からなくなりかけたことは? 家族だけじゃない、シスターも、友達も、故郷さえもが不確かになっていく気持ちを、味わったことはあるか?

 白い町から逃げ出したから、弔うこともできなかった。遺品の一つどころか、写真一枚すら残らなかった。みんなみんな燃えてしまった。形見は自分自身だけだ。

 でも、生きれば生きる程に、在りし日はどんどん遠ざかる。忘れたくないのに、これ以上失いたくないのに、家族は、故郷は遠くにゆき、輪郭が少しずつ崩れていく。苦痛と絶望が積み重なる程、幸福な記憶は削れていって、俺の中から消えてしまう。いいことだってあったはずなのに、どんどん、思い出せなくなる。

 だから、歌が伝わって良かった。

 思い出の一つ。家族のよすが。少し忘れてしまったから、歌詞もメロディーも合ってるか、心配になる子守唄。それでも俺が歌わなければ、世界から消えてしまう子守唄。

 そんな下手くそな歌で、お前が安らげるなら良かった。同じ痛みを知るお前を、少しでも癒やせたのなら良かった。

 もう一度、お腹から頭へと手を伸ばし、彼をそうっと撫でてやる。

 

 なあ、俺の声、父様に似てたかな。

 もうよく思い出せないから、似てるかどうかわからないんだ。

 お前は俺と違うから、きっと、ちゃんと覚えてるんだろうな。

 ああでも、似てなくてもそれでもいい。

 おやすみ俺よ、よい夢を。

 せめて夢の中だけでも、どうか幸せに笑ってくれ。

 おやすみおねむり、愛しい子。


「その子がなんで泣きましょう

 おやすみおねむり愛しい子……。


 おやすみおねむり波の音

 雪より白きこの町に

 白い宝のこの町に

 かもめもどくろもやってくる

 一目見たいとやってくる……」


 腕が、片方だけでも残って良かった。

 だって、彼を撫でてやることができる。

 自分と違う、短い黒髪を撫でながら、俺はまた、子守唄を歌う。

 俺なんかの子守唄で良ければ、いくらでも歌ってやるからな。

 強く正しい、トラファルガー・ロー。

 俺の理想の、トラファルガー・ロー。

 お前に悪夢は似合わない。

 だから俺が持っていく。

 弱くて間違いだらけの俺こそ、悪夢はふさわしいのだから。

 おやすみおねむり、いとしいひと。



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