嫁が学生時代の制服を着て弁当を持って来たんだが。
やらかした。
職場であるトレセン学園のトレーナー室に着き、鞄から必要な荷物を取り出した際にお昼のお弁当を忘れた事に気付いた。
『今日はナスとレンコンの竜田揚げと鳥釜ご飯だぞ!』
お弁当を渡してくる嫁の笑顔が脳裏に浮かぶ。
ありがとうとお礼を言って受け取った弁当を一旦横に置いておいたのだが、そのまま鞄に入れずに家から出て来てしまったらしい。
テーブルの上に置き忘れた弁当を見た嫁の悲しそうな顔が想像できてしまう……。
「すまないエース…戒めとして今日はお昼抜きにして晩御飯にお弁当食べるから…!」
「んな事して体壊したらどうすんだよ」
「うう、仰る通りです……」
「ホラ弁当持って来たからちゃんと食えよ?」
「ありがとう…ありがとうエース………………………ん?」
ごく自然とお弁当を受け取ろうとした俺だが、目の前にいる制服を着た嫁の存在に気付き、手を止め彼女を凝視した。
「お、なんだなんだぁ?見とれてんのかぁ?」
「いや、何で学園を卒業して俺の嫁になったカツラギエースが制服を着て此処にいるのかなぁ〜と考えてて……」
まさかタイムスリップしたか?と非現実的な事を考えたが、お弁当を突き出しているエースの左手の薬指の結婚指輪が光っているのを見て、その考えは消え去ったのだ。
そして、エースの背後のトレーナー室の扉の隙間に、たづなさんの姿が見えた。
『ごゆっくり♡』
と、言葉にせず口パクで言うたづなさん。
彼女の名を呼ぼうとした瞬間たづなさんの姿は消え、とりあえず俺は、今目の前に居る制服を着た嫁に対し、言いたい事を言う事にした。
「………何でそんな格好してんの!?」
「あっははは!驚いただろ!」
「驚くとかそう言う問題じゃなくて!!まさかその格好で家から着たんじゃないだろうね!?」
「流石にそこまではしねーよ!コレはこっちに着いてから着替えたんだよ!」
「だとしても歳考えなよ!二児の母親がそんな学生のコスプレなんて!!」
「……似合って…ないか……?」
「うぉっ……」
やめろ、やめてくれエース。
そんな耳を垂れて涙目で上目遣いしないでくれ、その表情は俺に効く。
「……まだ似合ってるよ…と言うより、あの頃と全然変わってなくて恐怖すら覚える……」
「へへっ!結婚してからも体型維持のために筋トレしてるからな!」
ああ、またいつものしてやったり顔だ……。
機嫌が治ったようで何より……。
「……ってか、何だよこの部屋……めちゃくちゃ散らかってるじゃねーか」
「ゔっ!」
エースにトレーナー室を見渡される。
エースを担当して以降、俺は今の子の前に2人担当していたが、その子達はエースと同じ逃げの脚質の子だった。
しかし今後チームを持つつもりなら、今のうちに色々な脚質の子を見ておいた方がいいと先輩トレーナーからアドバイスを受け、今は追込みが得意な子を担当している。
逃げとは全く真逆の脚質のため、1から色々調べる必要があったから、資料を見繕っている内にトレーナー室が紙の束で溢れてしまっている。
整理しようとは思っているのだが、レース研究やらデスクワークやらでなかなか掃除まで手が回せないでいた。
「しゃーねぇな、せっかく此処まで来たんだし、あたしが掃除してやるよ」
「え!それは流石に悪いよ!?」
「いいんだよ、幼稚園に迎えに行く時間まで予定なかったからさ!あ、制服汚したくないし、ちょっと恥ずかしいし……着替えてくるな、仮眠室借りるぜ」
やっぱり恥ずかしかったんだ……。
〜〜〜⏰〜〜〜
「この資料はこっちの棚でいいか?」
「うん、あとコレもそっちにしまっておいてくれる?」
「OKー」
あれからパーカーとジーパンに着替えたエースは、資料を手際よくファイリングして、本棚にしまってくれている。
お陰で紙のタワーが出来ていたテーブルの上が見えるようになり、紙の海が出来ていたソファーも座れるようになっていた。
「本当にありがとうエース……」
「あたしが来てよかっただろ?」
「うん……けど今後はお弁当忘れないようにするね」
「そうだな、忘れられた弁当を見つけた時はちょっとショック受けたぞ」
「ご、ごめんなさい…」
「あはは!冗談だ!」
良心に突き刺さる冗談はやめてくれ……。
「けどすごい量だなぁ、集めるの大変だっただろ」
「殆どはシービーのトレーナーを含めた、追込みの娘を担当していた人からコピーさせて貰った物だよ、もちろん自分でも調べたり、昔の追込みウマ娘のレース記録を見たりして独自に研究はしてたさ」
「ふぅん…頑張んのもいいけど、ぶっ倒れるまではすんなよ、アンタには担当以外にも、あたしや娘と息子がいるんだから」
「ははは……気を付けます……」
「………あ、『トレーナーさん』、この資料なんだけど」
「どれ………ん?」
今、エースが俺のことを担当時代の時の呼び方で呼んだ。
聞き間違いかと思ったが、顔を真っ赤にさせて狼狽える彼女の様子を見ると、聞き間違いではなかったようだ。
「ぅ、ぁ、ごめん!言い間違えた!」
「謝らなくても…けど、久々にトレーナーさんって呼ばれたなぁ」
「む!昔のこと思い出してたから!つい口が滑って…!うああ恥ずかしい…!」
両手で顔を覆って、後ろを向きその場にしゃがみ込んだエース。
彼女のここまで恥ずかしがる姿は新鮮で、可愛らしく思う。
俺は無意識にエースに近寄ると、手に持っていた資料をテーブルの上に置いて、背後からエースを抱きしめた。
「っ!」
「エース、可愛い」
「ちょ…ちょっと…ここ学園だぞ…!」
「もう君は学生じゃなくて俺の奥さんだから、誰も文句言わないよ」
「そうだけどそう言う問題じゃなくて!」
「エース」
「……っ」
少し抵抗したエースだが、俺と目が合うと途端にしおらしくなり、俺の手に自身の手を重ねてきた。
そしてゆっくり目を閉じながら、顔を近付けてきた。
俺も、エースの唇に引き寄せられ、目を閉じようとした……。
「おーい、この前頼まれたデータコピーして来た……ぞ………」
その時、元シービーのトレーナーである同僚が、ノックもせずに室内に入って来た。
俺と、恐らくエースと目が合った同僚は暫く硬直していたが、何を察したのか目を泳がせ、部屋から出て行った。
「終わったら担当にバレないよう掃除しとけよ…」
と、言い残して。
「……何を想像したお前ぇーー!!」
俺は慌てて同僚を追いかけた。
ーーーーーーーーー
ーーーーー
ーー
旦那は同僚を追いかけてトレーナー室から出て行ってしまった。
残されたあたしは、さっきまで間近にあった旦那の顔と、旦那の手の温もりが忘れられないでいた。
このトレーナー室で、学園の畑で、外で会う度に、心臓が高鳴ったあの日を思い出す。
(あたし…何度あの人に惚れ直せば気が済むんだ……)
多分、いやきっと、あたしはあの人と一緒にいる限り、もっと好きになってしまうんだろう。
他の人に見られた事より、また旦那を好きになってしまった自分の事が恥ずかしくて、旦那が戻ってくるまであたしは、ずっと動けないでいた。
終わり