始発点
□
身体ががくりと揺れる感覚で、私は目を覚ましました。
周囲の景色は眠る前とは様変わりしていて、身体に伝わる振動が、自分のいる場所を確かに示しています。
そこは見知らぬ電車の中でした。
いつの間にか椅子に座り、鉄棒にもたれかかるように私は眠ってしまっていたようです。
周囲を見渡してみたところ、その車両には誰も乗っていないようで、奥の方に目を凝らしてみても、別の車両に誰かが乗っている気配もしませんでした。
車窓に写る景色もみたことのない場所。
どこまでも続くような水鏡を、朝焼けに似た日の光が照らし、雲が煌めく空を無尽に写しています。
眩しく差し込む光だけが、明かりのついていない薄暗い車内を照らしていました。
ここはどこなのだろうか。そう思い、電車の行き先案内板があるであろう場所を見上げますが、そこにはなんの情報も書かれていませんでした。
案内板も、広告も、路線図もない。ひたすらに殺風景な車内。情報と呼べるものが徹底的に廃されているのです。
ただ、なんとなく。
この電車がどこに行くのかは理解できました。
「はぁ…」
小さくため息を吐き、背を後ろにもたれかからせます。頭を反らして天を見上げます。
これと言ってすることもなく、淡々とその時を待つための場所…というヤツなのでしょうか。
ゆっくりと、ここに至った経緯を思い返していきました。
「……失敗でしたね。」
ここに至ったからこそ、どこか他人事のようにこれまでの自分を見返して、思うのはそんな一言。
目指したいもの、欲しかった理想。そのためにやれることをやってきたつもりでした。ですが、結末がコレではすべてが無意味です。
私は周囲に恵まれず、人望がない。かつてならばそのことに責任を転嫁していたところでしょう。ですが、こうなってしまっては、流石に言い逃れできません。
私は、失敗したのです。
果たしてどこからだったのだろう。いつからだっただろう。
あの女がいなくなった時?
ヴァルキューレの横領?
カイザーの裏切り?
リン行政官への裏工作?
先生の懐柔?
FOX小隊の背信?
何もかもうまく行かずに、結局矯正局送りにされた時?
どれも必要なことだったはずですが、今となってはどれも失敗だったように思えます。
私の行動は常に正しいと思い、そしてそれを理解してくれる人間を待ちわびていました。ですが、結局そのような人間は一人も現れず、私は利用し利用され、そして裏切られるだけで終わりました。あの女のようにはなれませんでした。
できたことより、できなかった事の方が多い生き方でした。
けれど、ここにたどり着いてしまった一番の失敗は、
『アリスの勇者パーティに入ってください!』
あの提案に乗ってしまったことでしょうか。
思い出す。あの愚かしい少女との出会いを思い出す。
最初は挙動不審な彼女に話しかけ、おもいっきり殴られたのだったか。
その後、うまく利用してやろうとついていった。それがあの時とれる選択で、一番マシな策であるように思えたから。
「どうして、ついていってしまったのでしょうね。」
天を見ていた頭を下ろし、思わず自嘲の笑みを浮かべます。あの選択肢をとってしまうこと自体、まず私らしくもない選択でした。彼女のことなんてほおっておいて、先生を騙しながらシャーレで動けば、カイザーあたりといくらでもやりようがあったでしょうに。
思い出す。あの悪夢のような日々を思い出す。
彼女が行けば、人はついてくる。輝ける瞳で、まっすぐに歩いていくその背に、迷える少女たちがついていく。その道中はあまりに騒がしくて、非合理的で、目に入るのならば精一杯にすべてを掬い取ろうとする無理な旅路。
彼女は私の手をとって、そんな旅路を引き回した。私はいつも泥だらけで、悲鳴をあげて、イヤだと言った。けれど、彼女はそれを聴きはせず、楽しそうに笑うばかりなのです。
「いつだって、逃げ出せたはずなのに。」
確かに、彼女は私を強引に引っ張っていきましたが、常に側にいたわけではありませんでした。彼女一人で行くこともありましたし、私一人になるタイミングもありました。
でも、私は彼女についていきました。なんだかんだ、最後まで。
失敗だったのに、その道を選んでいました。
浮かべた自嘲は、答えがあまりに明白で、わかりきっていたから。
「…あぁ。」
悪夢のように、騒がしく。
理想とはあまりに、ほど遠い。
けれど、彼女に頼られるのは、
同級生に信頼されるのは、
後輩に慕われるのは、
「悪くなかったですね。」
超人としては、失敗だったかもしれませんが。
ただの一人の生徒として、勇者ごっこに興じるのは、存外悪い気分ではなかったから。
まるで悪い夢に落ちるように、気づけば夢中になってしまったから。
だから、きっとこんなに気分がいいのでしょう。
失敗は本来、もっと悔しいもののはずなのに。認めたくないものなのに。
このまま電車に揺られているのも悪くないかもしれない。そう思えるほどに、心は穏やかに、凪いでいました。
気付けば、電車はゆっくりと速度を落とし始め、チラリと車窓を覗けば、先に何か駅のようなものが見えました。
「さて…。」
ふらりと立ち上がり、ドアへ向かいます。足取りは軽く、気分はいつになく晴れやかで。流れていた景色がゆっくりと静止する寸前の扉の前に立ち、届くはずのない言葉を思わずどこかへ投げ掛けました。
「せいぜい、ハッピーエンドを目指してくださいね。アリスちゃん。」
扉が静かにゆっくりと開いた。
□
「……。。」
ソレを見た時の自身の胸中に去来した感情をなんと表現すべきであろうか。
悲しくはなかった。だが、嬉しくもなかった。
少なくとも、今にも泣き出しそうな瞳をこらえて、ぎゅっと口を結んだ少女に運ばれてきた彼女を見て、ざまあみろなどと思えるほど、私は冷血ではなかった。
突入作戦が無事終了した後、校舎にいなかった彼女を探すため、勇者部隊達に私は同行していた。
そして、一人、先行したアリス隊長がソレを見つけて戻ってきた。
共にいた彼女の仲間達の反応は様々で、その場でへなへなと崩れ落ちるものもいれば、俯いて思わず目をそらしているもの、顔をひきつらせて駆け寄っていくもの。だが、そこにある感情は、彼女の仲間たちが、彼女に向けていた感情は痛いほどに理解できた。
この女に、いいように使われた。
気付けば正義を見失っていたのは、私達が愚かだったからだ。
だが、この女を恨んではいた。他者の信頼をコケにするような薄っぺらさに憤慨していた。
だから、この女もシャーレに来ていると聞き、先生にハッキリと忠告した、『あの女は、信頼する甲斐のない女です。』と。
先生は返した。『"生徒を信じないと、先生は始まらないから。"』
信じた結果が、これか。
こんな結末を先生は望んでいないだろう。信頼を裏切ったと言えるかもしれない。
仲間を助けるために一人残って犠牲になったその姿が、かつてのあの時の私と重なる。
背負いきれない責任を無理に背負おうとして、一人深淵に飛び込もうとした自分。
明日を待たずに、たった一人ですべてを投げうって、仲間を残して死のうとした自分。
ああ、この感情に一番近い表現が理解できた。
怒りだ。
「…ふざけるなよ。」
つかつかと歩み寄る。地に寝かされた彼女に、勇者部隊の仲間たちが必死の表情で治療を始めている。少女は悲しそうに下を向き、じっと、じっと堪えている。
「こんな所で死ぬな、アナタはまだ責任を果たしていない。」
下を向き、声が荒くなっていく。
「まだ、誰も諦めていない!戦っている!」
「こんなところで満足するのか!?違うだろ!!アナタはもっと貪欲だったはずだ!!」
「生きろ!折角手に入れたものを投げ出すな!!」
信じるに値しなかった室長が、私達には少しも向けてくれなかった真剣さで、誰かのために何かをしてみせた。
変わったのなら、変われたのなら、それをこの一瞬で終わりにするなど、許せない。
満足した表情で死のうとしているアナタを、かつての部下として送り出すことなどできはしない。
「次の機会を…捨てるにはまだ、早すぎるだろう……!!」
囚人である私達には、この先もまだ清算があるのだ。
思い描いているものは違うだろうが、未来のために、戦ってきたはずだ。
その未来に、自分がいなくていいなどと、そんな愁傷なことを思うような女ではお前はない…!
”…そうだね。”
「…!」
熱に浮かされたような叫びに返された、大人の深く、静かな声。
気づけば、上空にはバラバラとなるヘリの業音が響いていた。
”先生に、任せてほしい。”
疲労と憔悴ですりきれたその顔はとても悲しそうだった。
だが、何か大きな覚悟をしていることを感じさせる瞳で、じっと、彼女を見つめていた。
□
私の責任だ。
彼女を牢から出した。
リンにはいい顔をされなかったし、何よりも疑問そうな顔だった。
理由は単純だった。
生徒には、何度だってチャンスが与えられるべきだと、そう思っているからだ。
何度失敗してもいい。先生が責任を取る。
そして、何度だって、私が声をかけて、説得し続ける。
全員の面倒を見るのは、あまりに無茶だが、
生徒一人ぐらいなら、手が届くと、そう思っていた。
けれど、生徒とは成長していくものだ。
気づけば彼女は、私の手から抜け出して、出会うはずのなかった生徒たちと手をとって、歩きだしていた。
こんな状況でも、生徒の成長は好ましい。きっと、先生がいなくとも、彼女たちならもう歩いて行けると信じていた。
子供でも大人でも、成功を重ねた先の選択の結果が、失敗であることなんていくらでもある。
それが、取り返しがつかないことも、当然ある。
失意と後悔に苛まれる結果しか残らないこともある。
けれど。
無駄な足掻きだとしても。
生徒たちが、希望を捨てていないのに。
先生が、希望を捨てるわけにはいかない。
”大人のカードを取り出す。”
□
カラン。
私の言葉と共に、電車は停止した。ガクリとした揺れが車両に響く。そして、私の足元から乾いた音がした。
殺風景な、何もない車内と相反した、派手で目立ちやすいデザイン。どこからともなく現れた、転がってきたソレ。
安物のコーヒーの空き缶。
その味はよく知っている。
かつてならば、泥水と罵り、吐き捨てた。その味が、随分馴染んだ味になった。
そう、あの日々の終わりに飲んでいた味だ。
思い出す。あの大人との夜を思い出す。
「まだ、先生のコーヒーを飲んでいませんでしたね。」
ああ、あの大人に頼んだのだったか。この一仕事に相応しい一杯を。
「まったく。いつも随分楽しそうに私の報告を聞いていましたね。」
そんなに楽しそうでしたか、報告している時の私は。
「先生と話しているとしったら、皆さん良く集まってきましたっけ。」
お陰で改竄も難しくて、夜中まで騒がしかったり。
「先生がさらわれてからの報告は、できていませんでしたね。」
一人で勝手にいなくなってしまって、本当に大変だったんですよ?
「ねぇ、先生。」
先生。
「どうしてこんなに、まだ、死にたくないのでしょうか。」
死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない。
まだやるべきことがある。したいことがある。約束を果たしてもらっていない。
超人でありたい。理想を叶えたい。
一休みしたい。コーヒーを飲みたい。
セナさんもミネさんも、きっと私を治療しようとしている。私一人に手を割いている場合ではない。
カズサさんがまた暴走するかもしれない。やれやれとまた冷笑して足をひっかけてやらねばならない。
フウカさんは落ち込んでいるだろう。あなたが会いたい人は、こんな所にはいない。
アリスちゃん。
まだ、泣いているのですか?
勇者には涙は似合いませんよ?
「こんなところで、死んでたまるものですか……!!」
開いた扉の先に、一歩を踏み出さない。
ここで降りたくないと、全身が叫んでいる。
「ねぇ、カヤさん。」
声が、した。
しばらく聞いていない。けれど忘れることはない。
焦がれ、目指し、それでもなおその間にある距離に絶望した。
そんな女の声が後ろから投げかけられた。
「終点にたどり着いた電車は、どこに向かうと思いますか?」
振り返ることはできなかった。
まるで全身が固まってしまったように、その場に釘付けになっている。
横に目線は向けられず、車窓に映る反射した画を見ることもできない。
「そう、もう一度走り出すのです。」
「電車にとっての終点は、新たなる始まりの地点とも言えるでしょう。」
「カヤさん。」
「あなたにとっての終着点は、ここですか?」
口だけが動かせた。
あなたに言いたいことなど山のようにある。
だが、今返せる返答は一つだけだ。
「いいえ、ここが私の始発点です。」
はっきりと、静かに、努めて冷静に、いつもの私のように、どこか煽るようなその言葉に言い返す。
ふっと小さく空気がゆらぐような、吐息が聞こえたような気がした。
電車の扉が閉まる。先ほどと逆方向に発進し、がくりと車内に揺れが走り、私の硬直も解かれた。
慌てて振り返っても、そこには誰の姿もない。気配もない。たちのわるい幻覚でも見ていた気分だ。
「まったく。こんな所であなたの幻覚を見るなんて…」
「激励にしては、縁起が悪いですよ。会長。」
電車の外の景色が光に包まれていく。速度が上がっている。どこに向かっているのか、考えるまでもない。
穏やかさとはかけ離れた、いつものように根拠のない自信に溢れた笑みを私は顔に浮かべていた。
□
アリスとホシノは二人きりで戦っていました。互い以外に邪魔はなく、顔色も表情も誤魔化し一つ効きません。
小鳥遊ホシノは、砂漠の浄化を図るアリスにやはり襲い掛かってきて、けど、その瞳はどこまでも暗く、淀んでいて、あの時とはどこか精彩を欠いた動きをしていました。
どうにかしのぎきりながら、アリスはホシノに静かに告げます。
「ホシノ、貴方は強いです。でも、アリスは別の強さを教えてもらいました」
「ふぅん……?」
何もかもに疲れてしまったような。今にも死にそうな顔をしたホシノに、
「決して強くはなかったけれど! 気高い精神を持っていたわけでもないけれど! それでも、どんな自分でも貫き通して堕ちる事無く生き抜いた強さをアリスは知っています! それを、教えてもらったのです!」
絶対に負けないという覚悟を込めて、彼女のあの笑みを思い出しながら、アリスは銃を構えなおしました。
「そっか…アリスちゃん、君は仲間に恵まれたんだね」
ホシノの返答は静かでした。けれど、その答えを聞いて何かを理解したように、ふっと穏やかな表情になりました。
「そうです! アリスは最高の勇者パーティに巡り合えました! だから……!」
「もういいよ。今にも泣きそうなアリスちゃんからソレを奪った魔王を、倒すといいよ」
その後のホシノの顔は、泣きそうな暗い絶望の笑みでした。
こんな魔王を、果たして勇者は倒してよいのでしょうか。
「ちょっと、勝手に殺さないでくれますか?」
ヘリの音がして、拡声器から聞こえてきた声に、思わずアリスも、ホシノも驚愕で目を見開いた。
だって、その声は、もう二度と聞こえないと思っていたから。
「さあ、超人の帰還ですよ?諸手をあげて歓迎しなさい!」
「…はい!おかえりなさい!カヤ!」
「……そっか。」
その場の誰もが理解する。理解できた。
希望を捨てるには、まだ早いのだと。