姉妹になるまえ
ミオリネとグエルの子供の頃の話酷く大人しい女の子だった。
活発で元気な女の子だと噂で聞いていたのに、その噂の女の子は大人の後ろにぴったりと張り付き、座った目でこちらを見つめていた。澄んだ青空のような瞳なのに、その目は酷く濁っており、顔色も悪くよく見れば目の下に隈だってある。
「お嬢〜?ミオリネ様は怖い子じゃないですよ〜?」
背中を押されては、女の子はのそりと後ろから出てくる。ほんの少し自分より大きな身長の女の子。どこを見ているか分からない目を見つめながら、私は手を伸ばした。
「初めまして」
「……」
「挨拶も出来ないの?」
女の子は黙ったまま、伸ばされた手を握る。その手は青紫のアザを沢山作っており、握り返すのに少し勇気が必要だった。痛みを感じさせないように、ゆっくりと握る。二、三回上下に振ってはその手を離した。
「ねぇ」
「……」
「…ねぇ、この子耳が聞こえないの?」
「ミオリネ様」
ラジャンの咎める声に唇を尖らせながらもう一度ねぇ、と問い掛ける。人が話してるのになんでこっちを見ないのよ、という怒りが私の心を占めていた。父もそうだった、私の言葉を聞かず、勝手に全部決めて、喋りかけても無視をする。目も合わせず、心を閉ざして。
「ミオリネ様」
「なに」
「ごめんなさいね、ミオリネ様」
ラジャンの部下の男が、サッと私と女の子の間に入って仲裁をする。後ろに隠された女の子は、しゃがみこんでは膝を両腕で抱えながら、頭を隠すように項垂れた。その姿はまるで、怯える子供そのもので。
「彼女、声が出ないんですよ」
諸事情でね。ラジャンの部下がお茶目に片目をつぶる。そのお茶目な声と仕草とは裏腹に、子供でもわかるぐらいに冷たい目が私を見下ろしていた。
これが、私とミオリネ・レンブランと、ベネリットグループ御三家筆頭、ジェタークヘビーマシーナリーのご令嬢、グエル・ジェタークとの初の顔合わせ。まだ姉妹になる前の私たちの話だ。
「グエル、来たわよ」
ドミニコス隊が在住する、フロント施設のある一室に私は来ていた。ドアを叩けばゆっくりとだが扉が開く。
「……」
言葉を喋らない女の子…グエルは、困ったような顔をしながらも私を部屋に招き入れる。もしかしたら招き入れてないのかもしれないけど、そんなの関係なかった。
「今日はお菓子を持ってきたの、最近流行りのドーナッツ。グエルはどれが好き?私はイチゴ」
「……」
「あとゲームも。シューティングゲーム。今日は負けないから覚悟しなさい?」
「……」
私が話しかけてもグエルからの返事はない。帰ってこない返事に怒ることもせずに私は話したいことを話し続ける。イチゴのドーナッツを取り、まだ中身のある箱を見せれば、グエルはココナッツの被ったチョコレートのドーナッツを摘んだ。ひとつをちぎり、口の中に含む。もそもそと食べる姿を見ながら、私もその横でドーナッツにかぶりついた。
43日。
彼女が、森で行方不明になり、ラジャンの部下に保護されるまでにかかった日数。例えフロント内の、整備され危険のない森だとしても、ほぼ1ヶ月半森の中をさまよった彼女の心はぽっきりと壊れてしまったらしい。なぜそんな森で行方不明になったのか、なぜジェタークの人間は彼女を探さなかったのか。そんなの彼女の体を見ればわかる。未だに消えない手の鬱血痕、時々脚から見える包帯、首に巻かれた包帯の隙間から見える酷い痣。まだ幼い自分でも、彼女が酷い虐待を受けていたという事実はすぐに分かった。心労と、人間不信。ドミニコス隊の中でも彼女はケナンジさんにしか心を開いていない。何故かと疑問にも思ったが、どうやら森の中にいた彼女を救ったのが彼らしい。1番初めに助けてくれた大人だから、彼女はその人にだけ心を開いているようだった。
陽気な音楽とともにスコアが表示される。また彼女の勝ちだった。うー!と吠える私の横で彼女はゆっくりと紅茶を口に運ぶ。こくりと1口飲んだ彼女は、美しい動きでティーカップをソーサーに置き、静かに床に下ろした。
ちらりと此方を彼女が見る。私は悔しい顔でもう1回、と言えば目をつぶった彼女が再びコントローラーを手に持った。
何も無い日、父が居ない日。私は必ずと言っていいほど彼女の部屋に来るようになった。初めは怯えさせた謝罪を込めてだったが、いつの間にか彼女の部屋が居心地良くなってしまったのだ。嫌がりもせずに律儀に私を部屋に入れる彼女は、律儀に私の持ってくるゲームを一緒にしてくれる。友達さえ勝手に決められ、勝手に捨てられた私にとって、初めての同性の友達。1歳だけ年上の彼女は、なんというか謎の包容力があり、私がきーっとなれば宥めてくれて、逆に落ち込んでいれば優しく包んでくれる、そんな人だった。母を亡くしたばかりで荒れていた私にとって、その優しさはとても染みた。染みすぎたのだ。所謂懐いてしまったというものだった。お菓子を食べて、ゲームをして、一方的に喋る私をグエルは受け入れ、帰る時は必ず私の姿が見えなくなるまで手を振ってくれる。そんな彼女にいつの間にか、私自身が彼女と離れがたくなっていたのだ。
ぽろん、とタブレットが光る。どうやら使用人が迎えに来たようだった。グエルもそれに気付いたのか、ストップ画面に移行してはそのままゲームを終了させた。散らばったお菓子や、本を片付けながら私はグエルをちらっと見る。何を考えているか分からない彼女の横顔はいつ見ても凛々しく、優しい顔だった。
「次は負けない、今度こそ勝つわ」
返事はない。分かっている。彼女は話せない。でもいつか、いつの日か彼女が話せるようになったら。そしたらもっと、楽しくおしゃべりができるようになりたい。
ノックの音が聞こえ、グエルは扉を開いた。使用人がお迎えです、と手を伸ばす。私はその手を取り、ドアの向こうに足を向けた。
「またな、ミオリネ」
ばっと振り向く。手を振る彼女は、優しい顔でこちらを見つめていた。
「次も私が勝つよ」
「っ…つぎは、わたしがっ!」
絶対私が勝つ!そんな涙声の私の声に、初めて聞く彼女の笑い声は被さる。想像してた通りの、泣きたくなるほど優しい声だった。
父に才能を買われた彼女が、私の姉として養子としてやってきた。毎日ゲームをするから!という私に、姉になった彼女は「毎日はダメだぞ?」と叱るように、優しく額に指をこつんと当てる。いちごのドーナッツと、ココナッツの振りかかったチョコレートドーナッツを、今度は半分こしながら、姉妹になった私達は今日もシューティングゲームに勤しむのだ。