好奇心は猫をも殺す
耳を塞いでも頭をぐらぐら揺らす咆哮が、遺跡の小部屋を埋め尽くす。
音量からは考えられない圧を持った悲鳴は、燭台の火を消すことすらなく私たちだけを弾き飛ばした。
「うっ…」
「ナミさん!!!」
サンジ君が庇おうとしてくれたけど、あの咆哮は見えない壁で押し出すみたいに全員を入口のあたりまで飛ばしたみたい。
あいつ、動物系の能力者よね。喋るし。
今のも能力の一部なんだろうけど、また厄介なのが出てきたわね。
「すみませんレオさん!咄嗟に掴んでしまい…」
「大丈夫れす!!遠くまで飛んでいってしまわなくて助かったのれす!!」
間一髪で尻尾を掴んだブルックに、逆さ吊りの状態から元に戻ったレオが慣れた様子で素早く体勢を立て直して縫い針を構えた。
そういえば自己紹介の時に戦士だって言ってたわね。
新世界の国で戦士を名乗ってるくらいだし、もしかしてそれなりに強いのかも。
「ぬう!!悪党め!拙者と同じく妖術を使うとは!」
「妖術?もしかして、悪魔の実の能力のことですか!?」
とぼけたことを言いだした錦えもんに、こっちも剣を構えたブルックが反応する。
ちょっと、能力を使えるなら先に言っておきなさいよ。
「なんだ侍、何も聞かされてねえのか。お前ら、"外付け"の能力が欲しくてあの街を目指してんだろ?」
「何の話だ」
「あ?」
鬱陶しそうに吐き捨てたサンジ君に、相手の方が間抜けな声を出した。外付けの能力って、悪魔の実の能力を食べずに使う方法があるってこと?
「兎も角拙者その"悪魔の実"は存ぜぬが、"世に珍しき果実"を食して後、頭の上に小石など乗せれば自他の装いを自在に変ずることができるようになったのだ!」
「ぼくもぬいぬいの奇術が使えるのれす!なんでも縫い付けられるのれすよ!」
おそろいれすねと嬉しげに続いた声に、みんなして肩を落とした。どうりで能力者だからって説明してもピンとこない顔をしてたわけだ。
「ハハハ!!こりゃケッサクだ!わざわざ手の内を明かしてくれてありがとよ!!」
「なにを!妖術など、所詮我が力の一端に過ぎぬ!!」
そう叫んで虎みたいな、とりあえず化け猫でいいか。化け猫に近付いた錦えもんが、また咆哮で吹き飛ばされる。
「やみくもに突っ込んだってそうなるに決まってるでしょ!!」
「なっ!?なんと勝気な…」
「このままじゃラチがあかねえ…"悪魔風脚"!!」
咆哮が止んだタイミングを見計らって一気に懐に飛び込んだサンジ君の脚が、薄暗い遺跡で熱を帯びて光った。不気味な白い火に照らされていた石壁が、赤を反射してゆらゆらと輝く。
「"腹肉ストライク"!!!」
一瞬だけ驚いたように見えた化け猫は、人獣型に変形して前脚で攻撃を防いだみたいだった。サンジ君の蹴りを防ぐなんて、偉そうなこと言うだけはあるってわけね。
「マジかよお前ら…」
「ここで暴れちゃだめれすよ!!遺跡が崩れてしまうのれす!!!」
呆れかえった化け猫に、レオの忠告が続く。たしかにこんな地下じゃ、壁や柱に強い衝撃を加えるのはまずい。私もこの天井の低さと部屋の狭さじゃ戦いにくいし、一気にやりづらくなったわね。
「そういうこった!生き埋めになりたくなけりゃ大人しくやられてろ!!"牙銃"!!!」
長い二本の牙から放たれた斬撃は、遺跡の床をそっくり同じ形にくりぬいた。これはさっきの咆哮とは違う仕掛けみたいだけど、こうして何度も狙い撃ちされるのはキツいわね。
「ならば!!"狐火流 火柳一閃"!!!!」
今度は錦えもんの構えた刀が炎を纏う。あんたのはどういう原理よ。
「オイオイ、ンなモン振り回してよく"咆哮"を妖術だなんだと言ったもんだ」
炎をかわしてまた大きく距離を取った化け猫は、今度は少し考える素振りを見せていた。能力の外付けの話といいコイツはいろいろ知ってるみたいだし、とっちめてからじっくり話を聞かせてもらわないと。
「皆殺しのつもりだったが、炎を"使える"なら話は別だよなあ!!」
また獣型に戻った化け猫が、大きく身をかがめてジャンプの構えに入る。
「せいぜいおれの手柄になれ!!」
そう言い終わるか終わらないかの内に、ドンッと打撃音が反響した。
化け猫が地面を蹴った音じゃない。石段の上、小部屋の出口の向こうから、赤い光が空を切る。
「…!!このチビ…!!!!」
「ぬいぬい完了れす!!」
こっそり通路に抜けて感圧板を叩いたレオが、目にも止まらぬ速さで遺跡の欠片を化け猫の頭に縫い付けた。すかさず石段の上まで飛び乗った錦えもんの掛け声で、大きな体に丈夫な布と縄が巻き付く。
「火牛も動けぬ九里縛り!!とくと味わえ!!」
「こんなモン…!!」
中段に落っこちた化け猫は、すごい力で縄を引きちぎろうとしてる。かくなる上は。
「よくもコケに…!!?」
「"サンダー=チャージ"!!!」
マスクの剝がれた目の前で炸裂した雷光に、化け猫の悲鳴が響いた。こんな穴ぐらに引きこもってるからそうなるの。
「"魂のパラード"『アイスバーン』!!!」
「あと任せたぞ、レオ!!!」
たまらず両目を覆った化け猫が、凍った床の上を蹴り転がされる。
摩擦の消えた地面じゃ踏ん張りも効かない。そのまま壁までご招待よ。
「いくれすよ!!"高級仕立 パッチ★ワーク"!!!!」
小さな体を信じられない速さで翻したレオに至る所を縫い付けられて、ようやく化け猫の動きが止まった。
しゅぼ、と耳に馴染んだ音を追って、煙草の匂いが鼻をかすめる。
「暴れりゃ生き埋め…だったな」
サンジ君のトドメの一言で、化け猫はとうとう観念したように項垂れた。
「これがあの"咆哮"とやらの発生源だったようですね」
ブルックはそう呟いて、化け猫が落とした歪んだ獣の手を凍らせた。切り離されて手首から先だけになったそれは、私にでも分かるくらいに嫌な感じがする。
「こんなモンまでゴロゴロしてるとは、てめェの言う"あの街"…ヤーナムってのはまた随分と悪趣味だな」
「それにこいつが持ってるってことは、こいつらドフラミンゴと繋がりがあるってことじゃないの?まったく!ヤーナムに行く前からこんなことになるなんて!!」
あれこれ言い合う私たちと話が飲み込めない残りの二人をだんまりで見ていた化け猫が、身動きができないままで鼻を鳴らした。
「マヌケ共が…ビッグ・マムや百獣に喧嘩売る”程度”の気軽さで、あのジョーカーに手を出すつもりか?」
「ジョーカー?」
聞き覚えのない名前に首をかしげた私を見て、化け猫はポカンと口を開けた後、糸が体に食い込むのも気にせず笑い出した。
「ハ、ハ…ハハハハハ!!本当に救いようのねえ馬鹿共だ!!ジョーカーの名すら知らねえとは!!!」
嘲りに怯えと焦りを混ぜこんだ座りの悪い笑い声は次第に尻すぼみに消えて、化け猫は雷雲を待つ風のような調子で言葉を吐き出す。
「好奇心で海賊やってるクチなら…お望み通り、あのイカレた男の秘匿の街に行ってみりゃあいい。もっとも、お前らがここを生きて出られたらの話だけどな…」
秘匿の街、"外付け"の能力、この化け猫曰くのイカレた男、ジョーカー。
ヤーナムには、四皇に挑むよりも危険な何かが隠されてるって言うの。
「そのジョーカーってのが何を隠してようが知ったこっちゃねえがな」
不穏な沈黙を、革靴の固い音が破る。
サンジ君は、変な姿勢のまま壁にくっついてる化け猫を見下ろして言った。
「トンタッタの王国で話は聞いた。この国の病はてめェらの仕業だな?」
「それがどうした?それこそお前らにゃなんの関係もねえ話じゃねェか」
隠しも悪びれもせず言い放った化け猫に、レオが息を呑む。
王族と特に繋がりの強いトンタ長は、国の調査で地下に病の元凶があると分かったんだって言っていた。やっぱり全部、こいつらの仕業だったんだ。
「ひとつ訊くが…人様の食い物に手を出すクソ野郎をコックが許すと思うか?」
煙草の煙を吐き出したサンジ君の目は、真剣だった。
しなびた市場で、かき集められた食材を見つめていた時と同じ目だった。
「てめェらがご丁寧に踏みにじったのはおれたちコックの聖域だぜ。知ったか野郎」
そう、そうよね。子供を攫ってコソコソしてるようなこんな連中に、これ以上好き勝手されてたまるもんですか。
「進みましょ!こんな奴に時間を使ってられないわ!」
「もちろん、ナミさん」
薄く笑ったサンジ君は、皆を守るみたいに前に立って暗い遺跡の奥へと歩き出した。