女帝と杖と夕立と
(しかしここまで雨が強くなるとはな…)
ある日トレーナーは学園近くの河川敷を1人歩いていた。今日は天候が不安定のため、担当には今日は自主練又は休養を指示している。
そしてデスクワークを粗方片付けて1人歩いていた矢先、夕立に見舞われたのだ。
耳を澄ませば幸いにも雷は鳴っていなかった。しかし激しい雨は絶え間なく彼の身体を打ちつける。
「偶には雨に打たれるのも悪くはないな…」
そう呟きどこか力無い足取りで歩いていると自分を呼ぶ声が聞こえた。
トレーナーが振り返ると同時にその声の主…担当のエアグルーヴに抱きつかれていたのであった。
「どうしたんだグルーヴ?このままじゃ風邪をひ…」
「それはこちらの台詞だたわけ。それより貴様…机にあったもの…何故私に黙っていた?」
雨に打たれながらグルーヴは詰問する。
トレーナーの机にあったもの…それは彼と彼女宛に送られてくる手紙の事であった。
レースにおいて多くの勝ちを挙げるウマ娘は当然数多くのファンというものが存在する。
しかし勝つ者がいれば負ける者もおり、無論その者にもファンはいる。故に勝った者に対してのバッシングやその者が負けた時に誹謗中傷をする者も存在する。
だがそれ以上にトレーナーへのそれは彼女達に比べて段違いであった。
結果論や机上の空論を振りかざすだけではなく、何もしていない自分達の妄想した道筋にそぐわないと言うだけでその手の手紙を送り付ける…それどころか犯行声明や脅迫紛いのものまで存在する。
それはエアグルーヴのトレーナーも例外ではなく、そう言ったものは処分するのだが今日は偶々机の上に置いたままであったのだ。
「いつからだ?」
「君が初めてレースを勝った日からかな」
「——————ッ」
「まぁトレーナーだしこの手のものは日常茶飯事だよ。だから大丈夫…」
「なら何故、貴様はこんなにも冷え切っているんだ」
雨は更に激しさを増す。抱きつき顔を見せないまま語るグルーヴ。表情は分からないがその身体は震えていた。
「まぁ雨に濡れてるしな」
「違う!貴様の心の事を言っているんだ!大体何故!私に相談しない!」
「……君は真面目で優しい子だよ。だからあんな大人の汚い悪意なんか見てしまえば絶対に考えてしまう…俺の事はどうでもいいけど、君への言葉はきっとレースにも練習にも響いてくる。だから黙ってた」
「たわけ…たわけたわけたわけ!黙ってれば解決するなんて保証はないだろう!?それとも貴様は私が———」
ビシャァァァァン!!!
グルーヴがそう言おうとしたその瞬間、空を引き裂き大地を砕く様な轟音と共に雷が近くに落ちた。
「大丈夫か!?」
トレーナーが問いかけるも顔を俯かせながら無言で地面にへたり込むグルーヴ。
「向こうにある橋の下なら凌げるか…グルーヴ、立てるか?」
「…………」
「なら背負っていくか。捕まってろよ」
「…………」
無言のグルーヴを背負ってトレーナーは近くの橋の下へ向かって走っていった。
「よし…ここなら雨風凌げるか…降ろすよグルーヴ」
「………………」
トレーナーがグルーヴを降ろそうとするが彼女は力無く座り込んでしまった。
「………まさか熱があるんじゃ」
「………………」
そう言ってトレーナーがしゃがみ込んで顔を覗こうとすると再びグルーヴは抱きついてきた。
「……また、貴様に助けられた…」
「何言ってんだ、君のためならどんな事でも…」
「でも私は何も出来なかった……ッ!」
「一体どうしたんだ———!?」
不思議に思ったトレーナーが彼女の顔を見る。
彼女は、泣いていた———
「噂では聞いていた…トレーナーというものは誹謗中傷と隣り合わせだと…だが知らなかった!あんなにも酷いものだなんて!」
「まぁ最近は特にエスカレートしていたしな…」
「血のような文字や脅迫文、そんなものが毎日送られているなんて知らなかった!それなのに貴様は何も無かったかの様に振る舞っていた!そんな貴様に私は強い言葉を投げかけてしまっていた!こんなに貴様の心が冷たくなっている事も知らずにずっと!」
雨は激しさを緩めず振り続け、雷も絶えず鳴り響く。しかしそんな事お構いなしにグルーヴは叫ぶ様に話していた。
「貴様が…トレーナーが追い詰められていた事を気付けなかったのが悔しかった!さっき気付けたあの時も素直に言えなかった事が悔しかった!それなのにまた私はトレーナーに助けられた…そんな私が情け無くて…情け無くてぇ…」
再び俯きながら身体を震わせるグルーヴ。堪えようとしていたが、もはや彼女の感情は限界だった。
「もういいんだグルーヴ、君がそれ以上こんな事で悩み苦しむ必要なんて無いんだ」
優しく抱きしめ返して大雨や雷の音に掻き消されないように耳元で囁く。
「でもそれだとトレーナーが!」
「それでも良いんだ、君が理想や夢に向かって走る事を女帝の杖として支えれる事…そして何より君が皆と笑っているのを見れれば頑張れるんだ」
「たわけぇ!杖は女帝と共にあるんだぞ!ずっと側にいるんだぞ!勝手に壊れようとするな!……勝手に置いていくなぁ……私を独りにするなぁ…」
雨の音に掻き消えそうなグルーヴな悲痛な願い。気付けば抱きしめていたトレーナーも涙を流していた。
「ありがとうなグルーヴ…こんな俺をそこまで心配してくれて…」
「たわ…け…こんななんか…じゃない…次そんな…事を言えば…絶対に許さない…からな…う…ううっ…あぁぁぁ…っ…!」
グルーヴは大雨に負けない様な大粒の涙を瞳から流し、そして雷の音にも負けない様に泣き続けたのであった。
「落ち着いた?」
そうトレーナーが聞くとグルーヴはコクリと頷いた。
「それじゃ戻るか…雨はまだ止まないか…んじゃタクシーは…」
そう立ちあがろうとしたトレーナーの腕をグルーヴは掴みまた強く抱きしめる。
「暫くこのままでいろ…これからも私が貴様の身体も…心を温めてやる…絶対に冷えてしまわない様に…ずっと…」
雨の音だけが響く空間。2人は暫くそのままでいたのであった。
「まだ止まないけど少しは治まってきたな…」
「なら戻るぞ、無論2人で歩いてだ」
そうして雨の中2人で河川敷を歩く。互いの手は握られ、身体を寄せ合って歩いている。
「これが…"支え合う"という事なのだな…どちらか片方だけが"支える"のではない…2人一緒に分かち合う…」
「グルーヴ……」
「先程は貴様を杖と例えたが違うな…貴様は私の半身…もう私には無くてはならない存在だ…」
「だからこれからもずっと一緒だ…」
歩きながら深呼吸をして呟くグルーヴ。
「勿論、君とならどこまでも」
そんな彼女にそう答えながら握る手を強くし、更に身体を寄せるトレーナー。
「しかしゆっくりで良いのか?風邪引いたり…」
「たわけ、それはお互い様だ。それにこの時期はレースもないからな。それにもしそうなっても貴様とならすぐに取り戻せるしな」
「ははっ、責任重大だな… それじゃ一緒に風邪を引こうか?」
「た、たわけ…引かない方が良いに決まって…いや…そんな事が偶にはあってもいいかもしれんな…」
「ま、その時はその時さ。それじゃ戻ったら暖をとって…」
「無論、貴様と一緒にだ。言った筈だぞ?ずっと一緒にいるとな」
振り向いてトレーナーにそう伝えるグルーヴ。その顔は満面の笑みを浮かべ、他の誰よりも幸せそうであった。
いつしか夕立は過ぎており、空の向こうから晴れ間が見えていた。
「そんな話もあったな…」
「全く…あの後貴様だけが風邪を引いて…」
「悪い悪い、しかしそんな話をしている時に限ってこの天気ときたもんだ」
かつての思い出を語る2人。振り向くといつかのような夕立が降り続けていた。
「それじゃ、またあの時みたく風邪を引いてみるか?」
「たわけ…そうやってまた貴様だけが引くに決まってる…それにもう"2人だけ"の話じゃないんだぞ?」
そうやってグルーヴは自らのお腹を優しく撫でる様にさする。
「え……?グルーヴ…まさか!?」
「そういう事だ。だから外が止むまでこうして一緒に寛いでいこう」
突然の報告に動揺する彼をよそに隣り合って座り、身を寄せるグルーヴ。
「これからもよろしくな、グルーヴ」
「こちらこそ頼むぞ。……ありがとう、"あなた"…」