太公望は思案中です。

太公望は思案中です。


 太公望が江戸の地に召喚されてから早数日、その間に彼が行ったのは、儀に関する情報の擦り合わせも兼ねたマスターとの交流、霊脈からの魔力の確保、霊脈による江戸市中の探査、江戸八百八町の散策《釣り堀探し》、など多岐に渡った。その際霊脈に何かしらの細工がされてあることに気付き、その仕掛けの把握や反攻術式の構築、仕掛けが発動した際に自分達がどう動くかなどの話し合いに時間を多く取られたのは些か痛かったが、得たものもまた多い。

 

(いやァ……逸れのアサシン殿の協力を得られたのは本当に良かったですねぇ)

 

 盈月の儀にはマスターとサーヴァント七人七騎の他に、霊地に紐づけられた逸れのサーヴァントが八騎召喚される。その内、本拠地である神田に紐づけられた逸れのサーヴァントと協力関係を結べたのは、本当に僥倖だった。マスターが幕府に仕官しているため拠点から離れ拘束される時間がある以上、拠点防衛が結界と絡繰人形や怪異だけというのは少々心許なかったのだ。

 

(逸れのサーヴァントは魔力が乏しく弱体化しているとのことですが、李書文殿の本領は拳法の技……多数の陣営が組んで物量で押してこない限りは問題ありませんね! はい次!)

 

 儀を有利に進めるため、そして江戸の各地で趣味の釣りを堪能するために、彼の得技である土遁の術を江戸全土の霊脈に秘密裏に施そうとしていたのだが、その際看過できない仕掛けが江戸全土に張り巡らされていることに気づいた。未完成であるため何を対象にしているのかは把握できなかったが、【支配】と【操作】という効果を見るに碌なものでも無いだろう。この件をマスターに報告した時、彼が目にしたのは激昂だった。

 当然だろうなと彼は内心で頷く。

 対象が怪異であれば江戸市中で都合が良い場所・時に怪異を発生させたり、攻め込ませたりすることが可能だ。但しこれは対抗手段を持つマスターやサーヴァントには効果が薄く、危険度が高まるのは無辜の民達なので可能性としては一番低い。

 対象が人であれば江戸市中の儀に関係の無い無辜の民達を操り他陣営に差し向けられることとなるだろう。それに対する各陣営の動きがどうであれ身動きが取り辛くなることに変わりはない悪辣な手段であるし、各陣営のマスターに効果が及んでしまえば危険度は跳ね上がる。だが、サーヴァントは無事であるためマスターの命の危険を(どんな手段であれ)排した後は下手人へ報復に向かうだろうから悪手に近い。

 ──ならば、対象がサーヴァントだとしたら?

 その答えは云うまでもなく、サーヴァントを操り本来のマスターを殺させて儀は終焉を迎えるだろう。

 斯様な術式が上野──もっと正確に云うと寛永寺から延びている。無辜の民が巻き込まれることに対しては勿論だが、よりにもよって盈月の儀の主催者が陣取る大霊地が起点であることも腹立たしいことこの上ない。叶えたい願いを持って儀に参加している彼女が憤りを覚えるのも当然だろう。

 

(尤も、その後にそれを逆手に取って策を講じたのは流石軍学者と云うべきか……いやァ、本当に気付けて良かった! 他の陣営に気取られないように土遁を仕込もうと深く潜らなければ発見できなかったあの隠蔽術! 流石は清明くんの子孫と云うだけのことはあるなァ!)

 

 もしくは此度の儀に喚ばれたキャスターが仕込んだ可能性もあるが、術式はかつて冠位仲間の一人に見せてもらったことがある陰陽術に癖が似ていたため、やはり主催者兼マスターである土御門のものだろうと彼は当たりを付ける。お蔭でその術式に干渉しないよう霊脈に土遁を仕込むのに予定以上の消耗を強いることとなり、回復に結構な時間を要する羽目になっているが必要経費だと割り切った。

 

(ですが──だからこそ、盈月の儀の不完全さが引っ掛かる……)

 

 盈月の儀の基となっているのは聖杯戦争だ、それは彼も断言できる。何でも願いが叶うと云われている盈月を巡って、マスターとサーヴァント七人七騎が殺し合うのはまさしく聖杯戦争そのものだ。だが、聖杯戦争には逸れのサーヴァントなどという無駄なものは存在しないし、器の中に溜まった英霊の魔力を浄化するための贄となる十五騎目のサーヴァントなるものも必要としない。

 

(もしかして、わざと根幹部分を排した聖杯の設計図を残した? 一体何のために? ん~色々と気になることはありますが、儀とは関係ないことですし今気にしたところで意味ないかァ……次)

 

 マスターの案内による江戸市中の散策──流石に普段の装いでは目立つからと和服に着替える必要はあったが──はとても有意義なものだった。見慣れない街並みに行き交う人々の明るい笑顔、少し前まで戦乱の世だったとは聞いたが、中々どうして逞しい民達だ。思わず嬉しくなっていた彼だが、マスターの表情は思わしくなかった。それが気になり尋ねてみると、返ってきたのは切なる思いの吐露だった。

 

 ──この世は歪なのです。

 

 口では太平の世が謳われながら、不平等で苦しむ民草が絶えない現実が目の前にある。それはおかしいことだと嘆くマスターに、初対面で感じた幼さは錯覚では無かったかと彼は悟った。加えマスターは自身の正体──ある人物によって造られた贋造生命《ホムンクルス》であることと、まもなく寿命を迎えること──を明かし、己が願いすらも口にしてきたのだ。

 

 ──真に平らかなる世を築く。

 

 世間知らずの幼子の願いと切り捨てるのは悪手と見て肯定を示したが、その際のマスターの大きな喜びようは流石の彼をして罪悪感を覚えてしまうほどだったのは記憶に新しい。

 

(まァ、マスターの意識改革については地道にやっていくとして……)

 

 問題は、そう──マスターの身体だった。マスター自身は『儀に勝ち盈月を得て願いを叶えるまで保てば良い』とのことだったので、『ならば儀を耐え抜ける状態かどうか定期的に確認しよう』という建前でマスターの身体を診させてもらった時に発覚した、とても惨たらしい機構である【現行人類に成り代わるべき、新人類の発生・増幅装置】のことだ。

 

(いやァ、あの時はマスターの意識が無い状態で良かった良かった)

 

 その機構に気付いた時、彼の視界は一瞬にして赤く染まった。それ程までに彼にしては珍しく、造物主に対し激しい怒りが込み上げてしまったのだ。そのような彼の様子を仮にマスターが目撃していた場合、色々と誤魔化す必要が出てきただけに本当に良かったと当時の彼は胸を撫で下ろしていた。尤も、今となっては自分のサーヴァント相手とはいえ何故容易く信頼し身体を預けることが出来るのかと、別の意味で頭が痛い状況下にあるのは蛇足だ。

 何はともあれ、この機構が発動し霊脈に接続した状態でも年に一人の増殖が限度であるため現状では大した問題にはならない。だが、マスターが盈月を手にした際最悪を想像しなければならなくなったのは確かだ。

 

(直近にして最大の目標は、マスターの身体の調整……)

 

 幸い彼の生前の顔見知りの中には、マスターのような人造人間がいた。造り方や転生のさせ方などは雑談交じりに教えてもらっていたため、材料さえ揃えればあのふざけた機構をどうにかするのは可能である。問題はそれを、マスターに気付かれることなく準備しないといけないことだ。

 

(誰か都合の良い協力者が欲しいところですね……何のしがらみも持たずに、マスターと深い関わり合いもなく、魔術に対して理解ある存在で、善意でもって協力してくれるような稀有な人材が──居るわけがないですよねぇ!)

 

 自棄になって笑い飛ばした後、彼は肩を落として深く息を吐く。最悪マスター殺しまで視野に入れないといけないため、気分が重くて仕方がない。

 勿論それ以外にも、盈月の儀を勝ち抜くための情報収集や作戦や仕掛け、盈月そのものの調査、儀に関係の無い人々を巻き込まないための一工夫など、やらなければならないことが目白押しだ。

 

(それでも、まァ……)

 

 しかし、彼がその顔に浮かべるのは、悲壮感ではなく獲物を目前にしたような笑み。

 

(この程度、達成できずして冠位は名乗れませんからね)

 

 その笑みを常に浮かべるにこやかなものに切り替えて、彼は薄く目を開く。

 

「まァ、やってやろうじゃありませんか」

 

 この数日の交流で、彼もまたマスターを気に入っているのだ。だからこそ、彼は一人誓いを口にする。

 

「この太公望呂尚、マスターの御心を護り、盈月の儀を見事勝ち抜いてみせましょう!」

 

 ──まァ、この件が終わったら晴明くんを殴りに行きますがね! ……殴らせてくれるかなァ!

 

 愉しげに笑う知り合いの声が、遠くから聞こえた気がした。

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