天使再臨

天使再臨



「はあっ、はあっ、はっ!!!」


逃げる、逃げる、逃げる。

一心不乱にベタつくマングローブ林を駆けていく。


「追え!!!逃がすなァ!!!!」

「邪魔すんじゃねェよ政府の犬ども!!!おれらがあのクソ女をブチのめすんだ!!!」

「ちィッ!!!野良海賊め!!」

「構うな!!まずは任務を果たせ!!!!我らの狙いも"天使"なんだぞ!!」


着崩れた赤い軍服をはためかせ、"鋼鉄天使"フローレンス・ナイチンゲールが脇目も振らず逃げ惑う。

共にいた仲間は散り散りになり、追手の狙い目が全て彼女に集中していた。

のみならず、戦列歩兵じみた怒涛の人波が襲いかからんとしている。


「なんで!どうしてこんなことに!!!」


泣きわめき、孤独な逃走を続ける。足を止めれば命を刈られる。刈られるだけならまだしも、尊厳の全てを穢され尽くされるかもしれない。

どうしてと問われれば、必然の因果がめぐってきたとしか言いようがない。

敵味方区別なく人を癒すということは、敵味方区別なく全てを敵に回すということと表裏一体。

まして彼女は海賊。存在自体が万民の敵といっても過言ではない。


「クソッタレがァ‥‥前を走ってんじゃねえよクソ海兵どもが!!!!!」


バララララララ!!!!!


「ぐっ!!」「がはっ…!!」「ぎひゃああ!!!」


共に"天使"を追えど味方などではなく。無精髭面の海賊船長が"北の海"製の新式マシンガンを海兵に向けて一斉射した。

戦場の土を赤く染めた威力は楽園の終着点でも変わることなく、シャボンを赤く染める。

無情に命が散るさまが映り、無精髭船長は確信を深くする。このOK-47であれば、あの忌々しい天使を地に這いつくばらせることができると。

その証明とでもいうべきか、ナイチンゲールはOK-47がばら蒔いた流れ弾で膝を砕かれてしまった。


できれば無様に倒れ落ちる姿をみてみたかった…ものの、2年以上も追い続けた怨敵を手中に納められたのだから差し引きゼロ、どころかプラスといっていい。

海のクズは憎悪と嗜虐に唇を歪ませ、痛みに泣き腫らす天使を見下ろす。


「よォ‥会いたかったぜェ、クソ天使…おれのこと、覚えてるかァ?」

「し、知らない!!あんたなんか知らないよォ!!!」

「とぼけんじゃねェよクソ天使!!おれは!!おれさまは!!!アニーマン王国の第一王子だ!!!テメェが治療だのとぬかして潰した国の生き残りだ!!!」

「だからホントに知らないんだよォーーーー!!!!あた、あたしゃ"鋼鉄天使"なんかじゃない!!もっとチンケな無名の海賊なんだぁああああ!!」

「ふざけんのも大概にしやがれ!!その赤服!!医療鞄!!!おれ様の顔にブチ混みやがった手榴弾!!!全部テメェのトレードマークだろうが!!!!」ドォン!!

「ぎいいいいぃぃやあああぁぁぁ!!!なんでェエェ!!??」


どうしてと問われれば、必然の結果がめぐってきたとしか言いようがない。

"麦わら"たちは己の信念に立ちふさがる全てに宣戦布告を仕掛けた。

並の海賊以上にどこの誰が襲ってこようと文句は言えない立場であり、海軍のみならず同業者からも一目置かれる狂人ども。

こんな単純なことすら理解できていないようでは、自称"鋼鉄天使"が命の危機に陥るのも当然といえた。


「小遣い程度に国民をたった10数人ぽっちを"人間屋"に卸してただけで!!お前はおれを殺しにきやがった!!"ジョーカー"に見捨てられたオヤジも監獄行き、いまはこのザマだ!!」ドガッ、ゲシッ!!

「グギ!!がはっ!!」

「みていろクソ天使‥‥これからお前と、"麦わら"を地獄に叩き落としてやる‥‥その金で、おれはもう一度王座にのし上がるんだ」


悪名とは"箔"、すわなち金銀財宝にも匹敵する。

数々の事件を起こしてきた"麦わら"たちが狙われるのは必然といえた。不精髭面の海賊・アニーマンもまた、頂点を目指して荒波に乗り出した夢見る男のひとり。

仇敵の怯えた目を見下した彼の目には、爛々と輝く希望に満ちていた。


しかし。


「その意気や良しといえるでしょう。ですが、目の前の現実すら見えてない貴方にくれてやるほど、船長の首は安くないのですよ」

「あァん?!一体だ、いや、その声――!!!」

「ヒイイイィィィ!!!!」


ゴオオオオオッツ!!!!


不精髭面の海賊が自らの致命的勘違いに気付いた瞬間。

蒼炎の火柱が、マングローブの地面を抉り焼いた。

砲撃というにはあまりに鮮やかで、火炎放射というには絶望の度が過ぎる。

アニーマンが"麦わら"に相対する実力があれば、この燃焼砲の洗礼も耐えきることができただろう。


「が‥‥は……」


しかしながら、彼は己の身を焼く熱線に絶望の困惑を抱くのみで、全く事態が呑み込めていない。

焦げ茶のスーツで身体を引き締め、漆黒のコートを纏う烈女は、つまらなさそうに「殺菌完了、ウチの船長の相手には不足にもほどがあります」と一息つく。


「も、もしかして、」


自称"天使"は悟った。

服装こそ違うが、ワンマンアーミーじみた重火器武装に薬鞄。髪こそ伸ばしているものの手配書に瓜二つの冷徹なる眼差し。

敵をベッドに拘束して"チョッパー"なるメスで人体の神秘を探らんとする、狂人看護師。


「ゆ、許してください!!!ほんの、ほんの出来心だったんですぅ!!船長に騙されて、」

「"赤い十字"を御存知ですか?」

「は?」


自称"天使"の懇願など意に介さず、鋼鉄の看護師はガチャガチャと"アサルトメディスン・改"を操作する。

バズーカじみた形状だったソレは世にも不思議な形状変化を繰り返し、アサルトライフルの形へと変化していく。


「"このマークを身につけている者は、医の心得があるもの"。端的にそれを記すシンボルです。世界政府の定めにより、医療従事者でもない者が"赤い十字"を身につけることは許されません。医者に助けを求めたものの、相手はただの素人だった‥‥なんてことを防がなければいけませんからね。世界政府に思うところはリヴァース・マウンテンほどにありますが、これが素晴らしい信念だということは認めねばなりません」

「あ、あの、」


話が通じない。鋼鉄の看護師は、まるで自分と対話してるかのように喋り続けている。

にも関わらず、淀みない動きで弾倉充填や排莢チェックを行っている。

はたして誰を撃つつもりなのか。


「私は"人を病と見做す"、"目的のために物資を奪う"ことを心に決めてからは"赤い十字"と決別しました。人を病ませる病原菌の如き人間がいる、それが世界を病ませている。世界を、時代を整えるには、海賊の髑髏がもっともふさわしい……ある藪医者から、それを学びました」

「……」

「ですので」

「ひっ」


自称"天使"は恐れ慄いた。

銃口を向ける"鋼鉄天使"が、天女のごとき優しい笑みを浮かべていたからだ。


「私たちの"信念"を、髑髏を。勝手に使用する病原菌はいち早く"滅菌"しなければなりません……ああ、そういえば貴方は"フローレンス・ナイチンゲール"と全く縁もゆかりもない人間だそうですが……それでも案内してくれますね?"麦わら"のところに」


これは決闘でも闘争でも、ましてや脅しですらない。

信念に背乗りした誅罰であり命だけは見逃す慈悲。

"天使"に、"看護師"に、命を握られる恐怖に。

名も無き海賊は敗北した。


「ヨッ、ヨロコンデェーーーーーーー!!!!」

「いいお返事です、"病人"として非常に好ましい態度ですね」


人は噂する。"鋼鉄天使"は聖女なのか?狂人なのか?

"麦わら"たちの目的は混沌か?破壊か?

下火になっていた話のタネが燃え広がるときまで‥‥あとわずか。

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