夢のような世界で

夢のような世界で

一二一


意識を取り戻したローがまず初めに思ったのは、「嗚呼…今回の夢は最初から明晰夢なのか」という落胆だった。

ローは普段は夢なんて滅多に見る事がない。起きている時間の方が長いからだ。見れたとしても、悪夢の方が圧倒的に多い。大抵は過去の映像の再生、フラッシュバック。もしくは実際は見たわけでもない仲間達がドフラミンゴに殺される光景。死なせてしまった人達からの罵声、怨嗟の声。幸せだった頃の光景なんて滅多に見ることが出来ない。

なのに今回は夢だとわかっているのに、ポーラータング号の目の前にいた。服も、現実でドフラミンゴの気まぐれで着させられた厚手の白いシャツだ。右袖はひらひらと風に揺れている。帽子だけはかろうじて自分の物だったが、この潜水艦に乗って旅していた頃とあまりに違いすぎて、ローは夢の中だと言うのに涙が込み上げてきそうだった。


「あれ、キャプテン? もう戻ってたんですね!」


背後から明るい声が掛けられる。懐かしい声だ。もう二度と聴けないと思っていた。会いたかった。謝りたかった。でも、それはもう出来ない。今回の夢の中のアイツらは、きっと何も知らないのだから。先程の明るい声がその証拠だ。


「────ペン、ギン。………意外と、早くようじが済んだんだ」


咄嗟に左側から振り向いて、ローは右袖を隠す。これが所詮夢だとわかっていても、慕ってくれる船員の前で右腕がない姿なんて見せたくなかった。そして、そこにいるペンギンを見た。ハートの海賊団の白のツナギに身を包み、特徴的な帽子を被ったその姿。なにもかも懐かしかった。


「そうなんですね。ベポと本屋行くって言ってたからもっと掛かると、思ってて───、」


だがペンギンの声が不自然に途切れる。先程まで笑顔を浮かべていたその顔が見る見るうちに青褪めていくのが見えた。ローは何故ペンギンがそんな表情をするのかわからず混乱する。

振り返ったローの顔を見たペンギンは、その顔にある痛々しい傷に気付いたのだ。暴力が日常的になっている今のローにとって、顔の怪我も痛みも最早気にするものではなくなっていた。だから顔にある傷のことも忘れて、普通に対応しようとした。


「一体なにがあったんですか!?」

「……な、なにがって───」

「あんたが顔にそんな傷を負うなんてッ、相手は一体……いやそんな事より! 手当しましょう手当!」


もっと傷をよく見せろと、ローはペンギンから無理矢理帽子を取られてしまう。そして露わになった頭の傷や青痣を見てペンギンは更に顔色を悪くさせた。

これは夢なのに、ペンギンから治療されようとしている事態にローはわけがわからなかった。夢なら傷なんて気にもされずにこのまま会話が進むんじゃないのか。ただ昔のような、平和だった頃のように話をしてみたかっただけなのに。

どうにも反応が鈍い船長を無理矢理船の中に連れて行こうと、ローの右腕を掴もうとしたペンギンの手は空を切った。いや正確には服の袖だけを掴んでいた。


「────は?」


いやいやちょっと待て、と。すぐさまペンギンは手を服から離した。正面からその姿を改めて見てみる。ローが着ないような厚手の白いシャツ、黒いズボン。そして風に揺れる何もない右袖。どう見ても、右腕がそこには存在しなかった。


「え、……キャ、プテン? な、なん……右、右手は? あんたの右腕が、ないん…ですけど…」

「そ、れは────」


───見られた。見られてしまった。どうして夢なのに上手くいかないのだろう。心配してくれるのは嬉しい。優しい夢だと思う。だけどその分、いつもの悪夢の方がマシなのかもしれない。今のおれにはもうこんな風に心配してくれる人はいない。みんないなくなった。みんな死なせてしまった。所詮自分は無力なんだと改めて突き付けられる気がした。


ローは無意識に左手で右腕の断面を強く強く握りしめていた。激しい痛みを感じる。服の上から爪を立てる。やはり痛い。どうして夢なのに、こんなに痛いんだろう。歯を食い縛りながら膝をつき蹲る。見られたくない。逃げたい。

そう思った時ローは巨大な青白いドームを、ROOMを発動させていた。長い間、海楼石の枷を嵌められていた為に能力なんて使えることも最早忘れそうになっていたのに。これでようやく逃げれるとローは笑みを浮かべる。


「キャプテン!? ちょ、待って──!」

「シャン、ブルズ……」


止めようとしたペンギンの目の前でローの姿はかき消えて、入れ替わるように現れた欠けたカップが地面へと落下し砕け散った。

ROOMは既に消え去っている。砕け散ったカップの残額を見ながら、ペンギンは最後に見えたローの顔を思い出していた。何が何だかわからなかった。あんな薄暗い笑顔を見たのは初めてだったのだ。今のは本当に自分達が知るトラファルガー・ローだったのだろうかと疑いたくなるほどに、朝方に別れた姿とはかけ離れていた。


「───い。おい! ペンギン!」

「ハッ!」

「……やっと反応したか。そんなとこでなに突っ立ってんだお前」

「────キャプテン?」


後ろを振り向くと、そこにいたのは今しがたシャンブルズで消えたローだった。黒いシャツに、デニム。右腕に鬼哭を持って、左手は腰に置いてこちらを見ている。ペンギンの記憶通りの姿をしたキャプテンだった。


「み、────」

「……み?」

「み、右腕が…ある……」

「……………右腕だと?」


一瞬虚を突かれたように目を見開いたローは、思わず聞き返す。右腕がドフラミンゴによって一度は斬り落とされた事は船員達に話したことがない事実だった。まさかバレたのか。


「お、おかしいな……おれ白昼夢でも見てたのかもしんないです」

「白昼夢だって?」

「つい今しがたキャプテンに会って、最初は気付かなかったんですけど傷だらけでおまけに右腕はないわで…あり得ないっすよね!ははは、は……」


きっと夢だったのだろうと笑おうとしてるペンギンを横目に、ローと一緒に戻ってきたベポはソレを見つけた。


「どうしてキャプテンの帽子がここに落ちてるんだろう?」

「…え」

「帽子?……確かに、おれのだな。随分と汚れちゃいるが。おかしいな、スペアも定期的に洗ってるはずなんだが……おい? どうしたペンギン」


やはり夢じゃなかったのかもしれないとペンギンはその帽子を凝視する。ローが被っているのと比較すれば確かに薄汚れたその帽子は、つい先程までこの場にいた傷だらけの”ロー“の存在を証明していた。


「まさか、本当にいたのか? おれソックリの奴が」

「ソックリなんてものじゃありませんよ……どこからどう見てもキャプテンそのものでした。能力だって………あっ」

「おい、ちょっと待て能力だァ? ソイツは能力者なのか!?」


何かに気付いたらしいペンギンにローは詰め寄ろうとするが、その前にペンギンが焦ったように潜水艦の甲板へと駆け上がる。


「急にどうしたの!?」

「カップだよ!そこに粉々になってるカップ!……思い出したんだ、それが先月ウニの奴が壊して倉庫の奥に仕舞い込んだカップだったってのを!! あのもう一人のキャプテン、今はポーラータング号の下層にいるかもしれない!!」


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