夜遊び

夜遊び


 福利厚生がしっかりしてるよな。

 およそ海賊団に似つかわしくない感想を抱きながら、食堂の壁に貼り付けられた紙を見つめる。海軍にいた頃にも似たようなものを見たことがある。出勤表、もしくはシフト表と呼ぶべきだろうか。船内に存在する仕事や当番を船員ごとに割り振った一覧表である。

 細かく記されていて、当番の種類や休憩によって色分けもされていて見やすく作り込まれている。不公平が出ないようによく考えられているのが一目瞭然だった。自由を愛し、奔放に生きるという海賊のモットーを置き去りにしがちな海賊団は、組織としてしっかり機能しているせいかとても居心地が良い場所だった。

 休憩や休日を指す黄色で塗りつぶされた部分を指でなぞる。真横に書かれているのはおれの名前だ。どうやら明日は一日オフでいいらしい。よほどのことがなければゆっくり出来るだろう。おれの名前よりも上に位置する欄も明日は黄色で塗られていた。思わず口端が上がったのは不可抗力だ。

 恋人と休みが被って浮かれない男はいないだろう。今日の夜から明日にかけておれと恋人は自由なのだ。

「ロー」

 浮足立ったまま目当ての姿を見つけて声をかけた。青い空と潮風の似合う凛とした佇まいの女性がこちらを向いた。

「コラさん、どうかしたの?」

 首を伸ばして精一杯こちらに近づこうとする姿に目を細める。背を曲げて自分の影でローを覆うように覗き込む。今すぐに抱き上げて連れて行ってしまいたいほど愛らしく思えて、なるべく誰にも見られたくなかった。

「今夜は一緒にのんびりするかァ」

「うん……、そのつもり」

 ほんのりと赤らんだ頬を隠すように視線が外れた。分かりやすく恥じらう姿もまた愛おしい。恋人と休息日が揃っている。意図することが分からないほど間抜けではないが、わざわざ確認する作業すら今は楽しかった。

「また夜に」

「またね」

 短く約束を取り付けてローは船員が呼ぶ声に応じるべく背を向けた。おれの恋人であり我らがキャプテンはいつも多忙で人気者なのでなかなか独り占め出来ないのだ。





 ノックをしながら呼び掛ければ応じる声がした。ドアノブを捻り、中に入ってまず頭をよぎった言葉は“臨戦態勢”だった。

 真っ白な洗いたてのシーツが、ぴん、とベッドを覆っている。昨日船内の寝具を一斉に洗ったから。それでベッドメイキングしたのだろう。

 かすかに漂う花を思わせる匂いもする。以前に似合っていると褒めた香水の匂いだ。

「コラさん」

 部屋の中央にいたローが歩み寄って腕を引いた。

 いつも部屋で寛いでいるときはキャミソールにハーフパンツが定番なはずなのに装いが違った。薄くて軽い生地で出来たネグリジェを身にまとっている。それも脱がせてくださいと言わんばかりに前開きになっているデザインだ。

「これは……」と一瞬だけ身構えた。引かれる手には逆らわずにベッドへと誘われる。

 どうにかして一線を越えたいという意気込みだけは伝わってくるセッティングだった。促されるままにベッドに腰掛ける。どう切り出すべきか少し頭を悩ませた。

 一夜を共にするなんていうのは、とてもいい閃きのようでなければいけないと、昔教わったことを思い出す。お酒とか場の空気とか色々なものを組み合わせて、相手の体をセックスしたいと思うところまで疼かせるのが上手いハニートラップらしい。相手がセックスという手段を閃くように仕掛けるのだ。そうして体も心も籠絡していく。こちらからセックスをちらつかせて対価を得ようとするやり方は下策だとも教えられた。

 おれが今まで手段としてやってきたセックスはそういうものだ。上手い閃きでなければいけない。ありもしない永遠の愛の予感を相手に与えてベッドに潜り込むのだ。

 なのでこんなにグイグイと好きな相手に迫られるというのは全くの未経験だった。

 そして心も体も準備出来ていない相手に迫られるのも未経験だ。

 おれの体にローが密着してくる。まとう空気だけで緊張しているのが伝わってきた。ぎこちなく身を寄せて、触れるだけのキスをする。すべてが拙い触れ合いでなんとか乗り切ろうとしていた。

「コラさんこれでいい?」

 おれの肩に手を乗せて、ローがおずおずと問いかける。

「準備したの、初めてだから上手く出来てないかもしれないけど」

「そっか」

 どこまで準備したのかは追々聞いていくとして、服を脱ごうとした手を握り込んで留めた。

「今日はいちゃいちゃするだけな」

 包み込むように抱き締めて、頬を撫でながら唇を重ねる。

 たどたどしく差し込んできた舌を引っ張り込んで、吐息ごと奪う勢いで貪りたいという欲求を押さえつけながら優しく応じた。

 息が上がってしまう前にやめると、ローは眉を下げて泣きそうな顔をしていた。心が痛くなるからそんな顔をしないで欲しい。仮にここで一線を越えたとしても更に泣かせてしまうだけなのは目に見えていた。

「初めての子はやっぱ嫌だった?」

「そういうわけじゃねェよ」

 ローの腰を抱いて細い体をそっとベッドに横たえる。押せばころんと倒れてしまいそうだった無防備な肢体は、組み敷いても無防備なままで体温が上がった。

 体中にキスしたいとか一晩中触っていたいとかそういう変な考えを頭の外に蹴り飛ばす。

「やらなきゃダメとか義務感が先に来る間はやらねェってだけ」

「義務じゃない。私はやりたいって思ってる」

「無理して体を繋げるだけが愛情表現じゃねェ」

 まだ何か言いたげだった口の端にキスをした。言ってもどうせ分からないので行動で教えるまでだ。

「こうやって触って」

 寝間着の上から体を撫でる。体温を感じられるほど薄い生地は撫でつけるとぴったりと肌に張り付いてローの曲線美を教えてくれる。

「好きだって思いながら肌を合わせて」

 指と指を絡め合う。しっとりと吸いつく感触がして、隅々まで手入れして挑んでくれたのだと改めて知る。

「好きだって気持ちが溢れそうになって」

 頬にキスを落とす。花を集めたような優しい匂いが強くなって、うなじに鼻を押し当てた。

「体が欲しいって思えるようになったらでいい」

 締め括るようにぎゅっと抱き締めた。触れ合うだけで分かることは沢山ある。おれのためにローが準備してくれていたことや、一線を越えないと言われてから緊張が解けたことも。

 ただ一方的に暴くだけが愛を交わす方法ではないと伝えたかった。

「コラさんはずっとそういう風に誰かを抱いたの?」

「お前が初めて」

 すんなり言葉が出せたのはそう訊かれると予想していたからではない。まごうことない本音だった。

 おれには一生縁のない交わり方だと諦めていた。誰に対しても欲しいだなんて思ったことがなかったから、おれは愛情表現としてのセックスなんてしたことがない。出来やしないと諦めていた。諦めていたのに、ローとはしてみたいと思ったのだ。そういう情が湧く相手をようやく見つけられた。

 もう顔も忘れてしまった誰かに嫉妬を燃やしている口ぶりが可愛いとは、流石に野暮だから言わないけれど。

「これから『気持ちいい』って思えることだけ教えるから焦るな」

 ゆっくりとお預けにしていた寝間着のボタンに手をかける。セックスの前段階だけでも気持ちよくなれる方法はいくらでもあると、爛々としてきたおれの目にローが気づかないように首筋を吸った。

 夜はまだ始まったばかりだ。




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