夜を束ねて朝になる(前編)
(…おなか、すいた……)
朦朧とする意識の中で、スレッタはぼんやりとそう考えた。
スレッタはサキュバスである。しかし、落ちこぼれのサキュバスであった。男性の精気を吸って生きるサキュバスとしては致命的なほど奥手で、更に恋愛というものに憧れや夢を抱いていたスレッタは、修行のために人間界に来たにも関わらず、誰の精も吸えていなかった。
サキュバスのフェロモンを使えば雄を誘惑することなど訳もないのだが、どうしても好きではない相手と性行をすることに忌避感が強く、結果としてスレッタは現在行き倒れていた。
ぐう、とお腹が鳴る音が響いて、羞恥に染まる。なんと情けない姿だろう。母や姉が見たらがっかりしてしまう。失望されてしまったらどうしよう。
思考が悪い方にばかり向かってしまって、スレッタはもう半泣きになった。そうでなくとも空腹で頭が回らない。視界もどんどんぼやけてきた。私はこのまま死んでしまうのだろうか──そんな予感が脳裏を過った瞬間、どこからか小さく声が聞こえた。
「……み、君、大丈夫?」
(……だれ?)
微かに首を動かして顔を上げると、そこには穏やかに澄んだ緑色の瞳があり──スレッタは、ああきれいな色、と思って、瞼を閉じた。
♦︎♦︎♦︎
ぱちり。
瞳を開けて、スレッタはそのままぱちぱちと瞬きした。視界には真っ白な天井がある。どうやらここは建物の中らしい。
(……わたし、どうしたんだっけ……?)
お腹が空いてお腹が空いて目がぐるぐると回ってしまって、外で倒れてしまったような記憶があるのだが、ここはどう見ても屋外ではない。よく見れば自分はベッドの上に横になって、きちんとシーツまでかけてもらっている。
これは一体、と不思議に思っていると、不意に声がかけられた。
「……起きた?」
「ふぉっ!?」
ぴょん!と飛びあってから慌てて振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。若草色の髪に緑色の瞳をしたその青年は、静かに佇んでいる。黒い足丈の祭服に身を包み、首からロザリオをかけた姿は、恐らく神父であろう。であればここは教会か。
スレッタは内心どきりとした。神父といえば、サキュバスの天敵でもあり、同時に最高の獲物でもある。神父を堕落させることができたサキュバスは非常に優秀であるとされるが、それはつまり神父がそれだけ手強い相手であるからだ。かつて何人のサキュバスが神父を籠絡しようとして失敗し、祓われてしまったか。スレッタは学校で学んだ知識を思い出してぶるりと震えた。
顔を青褪めさせたスレッタの様子を見て、神父はそっと手を伸ばした。それに思わず身体を強張らせたスレッタの頭を優しく撫でると、神父は真っ直ぐにスレッタの瞳を見つめた。
「僕はエラン・ケレス。……君は外で行き倒れていたんだよ。覚えてる?」
「えっ、あっ、は、はい……」
穏やかな声に、自然と身体の力が抜けていく。
エランと名乗ったその青年は、教会の外で行き倒れていたスレッタを助けてくれたのだという。
怪我はないか、気分は悪くないかと尋ねられて、スレッタはどきまきしてしまった。人見知りで緊張しがちなスレッタにとって、このように人と──それも年が近い男の人と──話をするなんて、初めての経験だ。
こちらをじっと見つめてくる澄んだ緑の瞳から目が離せないでいると、ぐう、と間の抜けた音が部屋に響いた。
「今のは……」
「わっ、えっ、あっ、ちっちっちが……!」
「ごめん、お腹空いてるよね。食事を用意してあるから、よかったら」
「あ、……ぁりがと、ございます……」
盛大に腹の虫を鳴かせてしまい、情けないやら恥ずかしいやらで、スレッタは真っ赤になって俯いた。よりにもよってエランの前でそんなはしたない真似をしてしまうなんて、と身を縮こまらせるスレッタに、エランが食事の乗ったプレートを差し出す。ほのかに湯気が出ているそれは、ひどく美味しそうに見えた。
「ぃ、ただき、ます」
「どうぞ」
手を合わせてから、恐る恐る口に運ぶ。
(あった、かい……)
ぱくりぱくりと徐々に勢いよく頬張りながら、スレッタは知らず涙を零した。ぽろぽろと溢れてくる涙を拭うこともせず、スレッタは夢中で食べていた。
「……わいい」
「へ?」
不意にエランが小さく呟いたが、スレッタの耳には届かなかった。何を言われたのだろう、と目線を上げると、エランの瞳が少しも逸らされることなく真っ直ぐにスレッタを見つめていて、スレッタはじわじわと頬が熱くなるのを自分でも感じた。
「ごちそう、さま、でした。おいし、かった、です……」
「どういたしまして」
手を合わせてぺこり、と頭を下げると、エランも微かに頷く。
本当に美味しかった。サキュバスであるスレッタにとって、本来人間の食事はさして美味に感じるものではないはずだけれど、そんなのは嘘だと思うほどに、心の底から美味しい食事だった。
「君、行くあてはあるの?もしないのなら、しばらくこの教会にいるといい」
「えっ……!?」
思いがけないエランの言葉に、スレッタは目を見開いた。──ここにいてもいい。エランの側に、いてもいいのか。
どきんと心臓が跳ねて、とくとくと鼓動を早めていく。もうスレッタの頭の中は自分がサキュバスであることなど吹き飛んでいて、エランのことでいっぱいだった。
「嫌?」
「ぜっ!ぜんぜんっ!嬉しいです!い、いいんですか……?」
「君が嫌じゃなければ。それと、少し仕事を手伝ってくれると助かるかな」
「もっ、もも、もちろん!です!お手伝い、します!」
ぶんぶんと勢いよく頷きながら、スレッタは拳を握った。ふんふん、とやる気が身体に漲ってくる。こんなに優しくて親切な人の側で一緒に働けるなんて、と口元が喜びに綻んでしまう。
「あの、ありがとう、ございます……!神父様って、優しい、んですね」
「そうでもないよ」
「えっ、?」
やはり神父という聖職に就くような人は人格者なのだな、と感心するスレッタの言葉を、エランは冷静に否定した。戸惑いに目を瞬かせるスレッタを見つめながら、エランははっきりと言った。
「君に、興味があったから。──君のこと、もっと知りたい」
「ふ、ふぉぉ……!?」
スレッタはもう真っ赤になってしまって、そのままこてりとベッドにひっくり返った。
♦︎♦︎♦︎
「スレッタおねーちゃん、またねー!」
「こら、シスターでしょ!すみません、シスター・スレッタ」
「いっ、いえいえ!まだ私は半人前ですし……!あの、また来てくださいね!」
またね、と手を振りながら、スレッタはにこにこと笑った。ぶんぶんと手を振ってくれる子どもたちの姿が見えなくなるまで、スレッタは手を振り続けた。
「スレッタ、お疲れ様」
「あっ、エランさ…神父様!お疲れ様です」
「エランでいいよ」
「え、エランさん……♡」
声をかけてくれたエランに、スレッタはぱあっと顔を綻ばせる。人前では彼を神父様、と呼んでいるスレッタにとってその名前は、二人きりのときだけ呼べる特別なものだ。
名前を呼びながら、もじ、と手を遊ばせる。たった三文字の名前を口にするだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるのだということを、スレッタは初めて知った。
「すっかり皆から慕われてるね」
「そっ、そんな〜!」
エランに褒められて、スレッタの心は一瞬にして舞い上がる。ぽっと赤らんだ頬を押さえながら身悶えるスレッタは、しかし次のエランの言葉に凍りついた。
「これなら、もう別の教会に行っても充分働けると思うよ」
「えっ……?」
別の、教会。
エランの口から出た言葉が信じられなくて、スレッタは固まった。自分は今、何を言われたのだろう。別の教会とは、どういうことだ。
愕然とするスレッタを他所に、エランは言葉を続ける。その瞳はどこか昏い影を帯びていた。
「隣町に、大きな教会がある。今の君ならそこでやっていけると思うから、今度からはそこで……」
「いっ、嫌です!」
スレッタは思わず声を荒げた。驚いたようにこちらを向くエランを睨み付けるようにして、スレッタは言い返した。
「わっ、私、はっ!エランさんの側にいたいんです!他の教会になんか、行きたくないです!」
勝手な言い分だ、とは自覚していた。とてもシスターの発言とは思えないような台詞だが、スレッタにとっては嘘偽りのない本心だった。
微かに身体を震わせてすらいるスレッタを見て、エランは何度か瞬きをしてから少し俯き、意を決したように口を開いた。
「僕は、……神父と言っても、正式なものじゃないんだ」
「……?」
エランの言葉に、スレッタは内心で首を傾げた。どういう意味だろうか。スレッタからすると、エランはとても立派な神父に見える。
「きちんと認められたわけじゃない。そもそも僕は……身寄りがなくて、この教会に居候させてもらっていたんだ。前の神父が、……高齢になって故郷に帰ることになって、僕が引き継いだような形になっているだけだ」
「そ、うなんです、か……」
きゅ、とスレッタは無意識に手を握っていた。──身寄りがない。それはどれだけの孤独なのだろう。家族が大好きなスレッタにとって、それは想像するだけでも恐ろしいことだ。
エランは目を伏せたまま、どこかスレッタの視線を避けるように言葉を続けた。
「だから、僕のことを認めてない人も大勢いる。……君も、僕なんかと一緒にいても、何も良いことはないよ。悪いことは言わないから、早く他所に行った方が」
「なんてこと言うんですか!」
ほとんど反射的にスレッタは叫んでいた。驚いたように顔を上げたエランの手をぎゅっと掴んで、スレッタはぐいと顔を近付けた。
「エランさんは、優しくて親切で、すごく、すごく素敵な人です!誰がなんと言おうと、立派な神父様です!」
エランの瞳が見開かれる。その緑色をぐいと覗き込んで、スレッタは大きく宣言した。
「私の好きな人のこと、悪く言わないでください!!」
今度こそ、エランは声も出なかった。
ただ目を瞬かせ、眼前の少女を見つめる。きらきらと煌めく透き通った空色の瞳は真正面からエランを射抜き、その心臓まで貫いた。
止まっていた血液が一気に流れ出したかのように、身体中に温度が巡ってゆく。やがてじわじわと頬が熱くなるのを感じて、エランは自身が赤面していることに気付いた。
そんなエランの様子を見て、スレッタははっと我に返った。──もしかして自分は、とんでもないことを言ってしまったのではないか。
どの言葉もスレッタの本心だが、最後の一言はさすがに言い過ぎたような気がする。あれではまるで告白ではないか。
スレッタがエランのことを大好きなのは真実だが、スレッタはそれを隠すつもりでいたのだ。それをこんな、勢いに任せて言ってしまうなんて。
「スレッタ、あの…」
「すっ、すっ、すみませんでした〜!!」
かああっと音がするような速度で全身を赤く染め上げたスレッタは、エランの言葉を遮るように叫んで、自室目掛けて脱兎の如く駆け出した。
♦︎♦︎♦︎
「スレッタ、あの」
「あーっ!畑のお野菜に水やりするのを忘れてました!」
「スレ」
「すみませんすみません、失礼します〜!」
スレッタ、と開いた口のまま、エランは伸ばしかけた手をたらんと下げた。あっという間もなくスレッタの姿は見えなくなる。あの子は足が速いんだな、とどこか見当違いなことを考えてから、エランは小さく肩を落とした。
(……避けられてる)
スレッタに避けられている。
そのことを改めて思い知って、エランは深く溜め息を吐いた。心がずんと重くなる。陰鬱な気持ちで聖書を眺めるが、内容は碌に頭に入らない。これでは神父失格だな、と考えてから、エランは首を降った。
──そもそも自分は、正式に認められた神父ではない。
スレッタに告げたその言葉すら忘れかけるなんて、どれだけ自分は彼女で頭がいっぱいになっているのだろうか。エランは少し呆れてしまった。
エランは身寄りがなく、この教会に居候させてもらっていた──それは嘘ではないが、真実の全てではない。
あの時スレッタに告げようとして告げられなかったことが、エランの心に暗い影を落としている。
(僕は、)
エランは身寄りのない行き倒れだった。それだけでなく、記憶すら持っていなかった。あるのはただ、自分がエラン・ケレスと呼ばれていた──ような気がする、というひどくぼんやりとした記憶だけだ。
明らかに怪しい、素性の知れぬ存在であるエランを、それでも前神父は受け入れてくれた。エランはそれにとても感謝し、彼に恩返しすべく教会で懸命に働いていた。
──あの時までは。
今でも苦いその記憶が蘇って、エランはぐっと顔を顰めた。憎々しく拳を握って歯軋りし、唾棄するように吐き捨てる。
「サキュバスめ……」
エランを助けてくれた前神父は、サキュバスによって堕落した。
神父を堕とすことはサキュバスにとってこの上ない名誉らしい。半裸で息を荒げる前神父に跨りながら、そのサキュバスはさも自慢げにエランに語った。
あまりの光景に吐き気すら覚えて蹲ったエランは、そのままサキュバスに襲われた。服を剥がされ拘束され、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべたサキュバスがエランを喰らおうとした瞬間、エランはその女を思い切り蹴り上げたのだ。
金切り声で悲鳴を上げたサキュバスが、何やら訳の分からないことを喚いて逃げ出したので、エランはすんでのところでその純潔を奪われなかった。
だが、その後は悲惨だった。
サキュバスの誘惑に負けて堕落してしまった前神父は、聖職に相応しくないとして更迭されてしまった。ただでさえ小さかったこの教会は、瞬く間に信徒を失っていった。
行くあても帰る場所もなかったエランは、それでもなんとか教会を立て直そうとした。けれどなんの後ろ盾もないエランにできることなど無いに等しかった。幸いにも教会は畑を持っていたため、ある程度の自給自足はできたが、そんなのは焼け石に水だ。
ほとんど誰も居なくなってしまった教会で、エランは一人神父の真似事をしながら空虚な日々を過ごしていた──スレッタと出会うまでは。
(スレッタ)
あの日、教会の近くで行き倒れていたスレッタを見つけた時、エランの心には言い知れぬ感情が渦巻いた。前神父から聞いたかつての自分にそっくりなスレッタの姿に、エランはまるで同胞に出会ったかのように感じたのだ。
小動物のように身を縮こまらせ、不安そうにぽろぽろと涙を零すスレッタの姿は、エランの心を激しく揺らした。スレッタは神父様は優しい、なんて言っていたが、それは間違いだ。スレッタという少女に興味があったから、下心があったから彼女に心を砕いたまでのことなのだ。
──そしてその下心は、日に日に大きくなっていた。
スレッタは明るく前向きで、素直で純粋な少女だった。彼女が笑うだけで、エランの心に柔らかい陽が射す。ぽかぽかと暖かいそれは、凍りついたようなエランの心を溶かしていった。
スレッタの人柄に惹かれたのか、教会にも徐々に人が増え始めた。常に仏頂面のエランには怖がって近付かなかった子どもたちも、スレッタには懐いている。スレッタを通して、エランもかつて以上に人と交流をすることができていた。
いつしかスレッタは、エランにとってかけがえのない存在になっていた。
(「私の、好きな人のこと」……)
そんな彼女から好意を寄せられているかのようなことを言われて、エランとて内心平静でいられなかった。あの言葉の意味を何度も尋ねようとして失敗して、それでも日に日に想いは強くなっていく。
もし。
もしもスレッタも、自分と同じ気持ちだったら。
(スレッタ)
ぐ、と拳を握る。
数回深呼吸をして、エランは意を決した。
──スレッタに、全てを話そう。
自分の過去も何もかも、スレッタに打ち明けるのだ。彼女なら、彼女ならきっと、受け入れてくれる。スレッタを信じるのだ。
心臓が不安に脈打ち、恐怖に瞼を閉じてしまいたくなるのを堪え、エランは足を進めた。どれほどの間考え事をしていたのか、既に夜の帳が降りている。この時間帯なら、恐らくスレッタは自室にいるだろう。
暗い教会の中を進み、スレッタの部屋の前へと辿り着く。ノックをしようとした瞬間、エランの耳に信じられない言葉が飛び込んできた。
「……うん、大丈夫!心配しないで、お母さん」
(……!?)
エランは息を呑んだ。咄嗟に気配を消して口を押さえ、扉の前にしゃがみ込む。
(「お母さん」……?)
口内でその単語を転がして、エランはその意味を遅れて咀嚼した。お母さん──つまり、スレッタには家族がいるということか。
エランは自分の心の中に、黒い感情が広がっていくのを感じた。
スレッタには家族がいる。エランとは違う。彼女には帰る場所がある。待ってくれている家族がいる。エランと、違って。
ぎり、と知らず歯を噛み締める。エランの瞳にじわじわと昏い影が落ちていく。──やめろ。スレッタに家族がいるのなら、それは喜ぶべきことだ。裏切られたなんて思うべきではない。もともとエランが勝手に思い込んで期待していただけだ。やめろ。やめろ。彼女を憎むのは間違っている。
必死に自身に言い聞かせるエランを嘲笑うように、スレッタの声は明るく続いた。
「……ちゃんと、サキュバスの修行も頑張るから!」
エランは呼吸を止めた。
恐る恐る、震える手でそっと扉を開き、隙間から部屋を覗き込む。
そこには、黒く長い、先の尖った尻尾と、つんと突き出た角を持った、悪魔の娘がいた。
(──っ!)
今度こそ、エランの心は真っ黒く塗り潰された。
驚愕に見開かれた瞳にはゆっくりと狂気が滲んでいく。握りしめていた拳はいつの間にか皮膚を破って血が滴り落ちていた。
(スレッタ)
スレッタの無邪気な笑顔が、かつて自身を襲ったサキュバスの嫌らしい笑みに上書きされていく。スレッタの軽やかな声音が、嘲笑を含んだどす黒いそれに変わっていく。
(きみは、きみはぼくとはちがう)
エランはその場に崩れ落ちた。絶望したように、両手で顔を覆う。指の隙間から覗いた瞳はどこまでも昏い。
初めて好きになった相手はサキュバスだった。神父を誘惑し、堕落させるために近付いてくる悪魔だった。エランはそれに気付かずに、まんまとその罠にかかり、スレッタに心を奪われてしまった。
(スレッタ、きみは)
「君は、──僕を、騙していたのか……!」
暗い教会の中で、一人の怪物が呻き声を上げた。
♦︎♦︎♦︎
コンコン、と音がして、スレッタは慌てて角と尻尾を引っ込めた。
今日は久しぶりに母や姉と会話できて、嬉しくてつい尻尾をぶんぶんと振ってしまっていたのだ。こちらの世界では隠すように言われていたのに、と少し反省しながら、スレッタはうきうきと扉に駆け寄った。
この教会にはスレッタとエランの二人しかいない。つまり、スレッタの部屋を訪ねてくるのはエランだけだ。こんな時間にどうしたのだろう、と疑問に思いつつ、恋しい相手の来訪にスレッタの心は浮き立ってしまう。
あの告白紛いの台詞について聞かれたらどうしよう。でもあれは自分の本心なのだから、正直に想いを伝えてしまおうか。
大好きな家族と会話できた。大好きな人が会いに来てくれた。そんなふわふわとした心境のままに扉を開き、スレッタは笑顔で出迎え──目の前に立ち塞がるエランの姿に、ざわりと背筋が寒くなるのを感じた。
「エラン、さん……?」
様子が、おかしい。
スレッタはじり、と後退りした。いつものエランではない。あの美しい緑色の瞳が、一度もこちらを向かない。目線が合わない。いつもエランは、真っ直ぐにスレッタを見つめてくれるのに。
ざわざわと騒ぐ胸を押さえたスレッタに、エランがついと顔を上げた。その瞳に、スレッタはひゅっ、と息を呑む。
──昏い、溟い、どこまでも濁った瞳。
悪魔にだってこんな瞳をした者はいないというほどに濁って澱んだ瞳に射竦められ、スレッタは身体を硬直させた。
本能が逃げろと警鐘を鳴らしているのに、身体が少しも言うことを聞かない。かたかたと小さく震えるのみで、身動き一つできない。それでもスレッタは必死に唇を動かして、エランの名を呼んだ。
「エラン、さん?ど、したんで」
「黙りなよ、この淫魔」
冷たく言い放たれた言葉に、スレッタは呼吸も忘れた。
エランの声音には今まで聞いたことのないような冷徹さと侮蔑が込められていて、それだけでスレッタは心臓が止まりそうになるのに──エランは、スレッタのことを淫魔と呼んだ。
つまりそれは、スレッタの正体がエランにばれてしまったということだ。
あ、と唇が震える。言いたいことはたくさんあるのに、どれも言葉にならなかった。
隠しててごめんなさい、騙すつもりはなかったんです、私は本当にあなたの側にいたかったから、──そのどれもが身勝手な言い訳に過ぎないと、スレッタ自身が一番よく分かっていた。
気が付けばエランはもう眼前に立っていた。じっと見下ろしてくる視線は冷たく、氷のようだった。
小さく震えながら、それでもスレッタは口を開いた。まずは謝らなくては。そして事情を話すのだ。エランならきっと分かってくれる──そんなスレッタの想いを嘲笑うように、エランの手がぐに、とスレッタの胸を鷲掴んだ。
「い…っ!」
「さすがサキュバスだね。男に媚を売るのが上手だ」
「ち、ちがっ、んう……!?」
ぐに、と押し潰すように乱暴に乳房を揉まれ、思わず顔を顰める。矢のように降ってきた冷たい言葉に反論しようとした唇を、エランのそれが覆い隠した。
「んっ、んぅ…!む、んっ、や、いゃ、っ……!」
驚きに開いたスレッタの口から、ぬるりとエランの舌が侵入してくる。それは奥で縮こまっていたスレッタの舌に絡みつくと、ずるりと引き摺り出して舐めしゃぶった。
じゅるじゅると耳を塞ぎたくなるような淫靡な音がして、唇の端から唾液が溢れる。いつの間にかスレッタはベッドに押し倒され、エランにのしかかられていた。
「んーっ!んん、んぅ……っ、む、んんー!」
エランの舌は傍若無人にスレッタの口内を犯していた。上顎を突き歯列をなぞり舌を絡ませ弄び、更にごくりごくりとエランの唾液を流し込んだ。スレッタはまるで自分が溺れているかのような錯覚すら感じた。
(エラン、さん、やだ、)
こんなのは知らない。スレッタはキスだって初めてなのだ。初めてキスするならエランとがいいと夢見ていた。けれど、こんなのは。
スレッタの瞳にはもうたっぷりと涙が溜まっていた。エランはそれをひどく冷たい目で一瞥すると、その手をスレッタのシスター服のスリットから侵入させた。
「ん、ぅ、ひゃあ……っ!?」
エランの大きな手はスレッタの太腿をなぞりながら奥へと進み、その秘部を無遠慮に暴いた。
ぐっとクロッチごと押さえつけられ、スレッタの身体がびくりと跳ねる。自分でも碌に触ったことのない場所をエランに荒らされているのだと思うと、言いようのない感覚が全身を駆け巡った。
「……もう、こんなに濡れてる」
「ひっ、やだ…っ!やぁっ、あぁん!だめ、やぁ!」
「淫売」
エランの声音には嘲りの色が混ざっていて、スレッタはぼろぼろと涙を溢した。
違う。スレッタがこんなに乱れてしまうのは相手がエランだからだ。大好きな、初恋の人だからだ。だからこんなに呆気なくはしたなく乱れてしまうのだ。
けれど、スレッタにはそれを証明する手立てがない。スレッタの秘部は、もう言い訳のしようがないほどどろどろと涎を溢し、くぱくぱと口を開いてエランを欲しがっていた。
秘部からはもうぐちゅぐちゅと聞くに耐えないような音が響いている。あっさりとエランの長い指を咥え込んだそこはきゅうきゅうと吸い付き、必死で雄に媚びていた。
「もう三本も入ってる。分かる?さすが淫魔だね、どろどろだ」
「わ、からにゃ、あぁあん!やぁ!ゆびやらぁ!ぬいて、ひゃうぅう!あっ、あっ、だめ、だめ、やあぁあ!」
かつて一度も、何者にも侵入を許したことのなかったスレッタの秘部はすっかり色付いて花開き、蜜を溢れさせて雄を誘っていた。太く長いエランの男の指がばらばらに動いてスレッタの膣内を我が物顔で蹂躙するのに、ナカは歓喜に畝ってしまう。頭の中で何度も白い火花が散って、スレッタはもうどうにかなりそうだった。
「乳頭もこんなに尖ってるね。あんな乱暴にされたのが気持ち良かったんだ?」
「ちが、っあぁぁあっ!やっ、ひっぱっちゃ、あぅ!やめて、やらぁ!あっ、あぅぅぅ……っ!」
ほんの僅か、乱暴に揉まれただけの胸はその先端を尖らせて膨らみ、エランの手に犯されることを望んでいる。
つんと尖った先端をぐいと引っ張られて、スレッタは全身をがくがくと震わせた。痛みすら感じてしまうような乱暴さなのに、スレッタの脳を灼くのは暴力的なまでの快楽だった。
好き勝手に犯されているのに、それを悦んで受け入れてしまっている。
エランの平坦な声がそれら一つ一つを指摘していくたび、スレッタは大粒の涙を零した。次から次へと溢れ出る涙を、エランの舌が舐め取る。べろりと大きな舌に舐め上げられ、スレッタは本能的な捕食の恐怖と──それ以上に大きな、被虐的な悦楽が身体を支配していくのを感じた。
「あっ、やぁ……♡たべ、ないれぇ……♡もう、ゆるひて、くらしゃ…♡♡」
媚びるような声音だと、自分でも思った。
全身を使ってのしかかってくるエランの雄の気配が、スレッタの全身を責め立てる。緑の瞳に見下ろされた箇所が焼けるように熱くて、視線だけで孕まされてしまいそうだとすら思った。
エランが無言で衣をはだけさせると、ずろり、と猛り切った剛直がまろび出て、スレッタの視線はそれに釘付けになった。
びきびきと血管の浮き出たそれは限界まで唆り勃っていて、先端からはじわりと先走りが滲み出ている。スレッタが生まれて初めて見た男性器は、これ以上ないほどに雄の気配を溢れさせていた。
「あ、あぁ……♡やぁ、らめ、ぁ……♡♡」
「そんな媚びた声で言われても、なんの説得力もないね。──神父の精液が欲しかったんだろう?お望み通り、好きなだけ注いであげるよ」
嫌なのに、悲しいのに、サキュバスの──或いは雌としての本能が、好きな男が自分で興奮しているということに歓喜してしまう。きゅんきゅんと子宮が疼いてしまって、じゅくじゅくと蜜を溢れさせてしまう。
それでもなんとか、じりじりとベッドの上を這うようにして逃げようとするスレッタの腰をがしりと鷲掴んで、エランがその昂りをスレッタの秘部に擦り付ける。
「あっ、あ…♡!やめて、やめてくださ、…!たすけて、たすけて、えらんさん……!」
ひっくひっくとしゃくり上げながら懇願するスレッタに、エランはそっと触れるだけのキスをして──ひどく冷たく言い放った。
「死ぬまで犯してあげるよ、僕のサキュバス」
「ひうぅ!やっ、あぁ…っ♡、やめ、あぁーーーっ♡♡!」
背を弓形に仰け反らせ、全身をがくがくと震わせて、スレッタはもう何度目かも分からない絶頂を迎えていた。
もう、今が何時なのかも分からない。いつまでも夜が続いているような気がする。スレッタの胎の中は既にエランの精液がたぷたぷと充満していて、剛直を激しく抜き差しされるたびにびちゃびちゃと愛液と混ざり合って泡立っていた。
ずっとナカを犯し続けている剛直は衰える気配もなく、執拗にスレッタの膣壁を抉っている。もうすっかりエランの形を覚え込んだナカがぐにぐにと畝り、もっともっとと吸い付くのが自分でも分かって、スレッタはぽろぽろと涙を零した。
「こんなにされても感じるんだ、今まではどんな男の精液を飲んできたの?この淫乱」
「ひぅ…っ!ちが、ちが、あぁっ♡!のんれない、!そんなこ、しれないぃ……♡」
「嘘吐き。じゃあどうしてこんなに乱れてるの」
「えらんしゃ、らから…!あなたらか、ひぅうぅ!やっ、あぁあ♡!もうむり、♡!おなか、こわれちゃ♡♡も、ぬいて、やだぁ!」
「……よく言うよ」
嘘なんて吐いてない。スレッタはつい先程まで処女だったのだ。
けれど、その言葉はエランに届かない。スレッタが何か言えば言うほど、エランの瞳は冷たく凍りついていく。火傷しそうなほどに熱い剛直とは裏腹に、エランの表情はどこまでも冷たくて、スレッタはもう死んでしまいたくなった。
「やだ、やぁ!あっ、ン、♡もうやらぁ、♡!たすけ、んうっ、♡♡あっ♡やぁ♡あっ、あぁーーーーーっ!!」
最奥をごつりと一際深く穿たれて大量の精液を注ぎ込まれて、スレッタは背を限界まで仰け反らせて絶頂した。びしゃ、という水音がして、秘部から何かが噴き出たことを感じながら、スレッタはゆっくり目蓋を閉じた。
(えらん、さん……)
最後に視界に映ったのは、どこまでも昏く濁った緑色だった。
「…………」
スレッタが意識を飛ばしたのを確認して、エランは自身の剛直を引き抜いた。ごぽ、と音を立てて溢れる精液は白く粘り気を持っていて、ところどころゲル状の塊になっている。エランはそれを冷めた目で一瞥すると、指で掬い取ってスレッタの膣内に押し戻した。
びくんびくんと、意識のないスレッタの身体が跳ねて震える。それを無視して全ての精液をナカに押し込んでから、エランは改めてスレッタを見下ろした。
ぴくぴくと震える健康的な褐色の肌には、至る所に噛み跡と鬱血痕、そして白濁が散らばっていて、いっそ痛々しい。抱かれたというより、一方的に喰い潰されたという方が正しいような有様だった。
微かに上下する細い喉に手をかけて、エランは低く息を吐いた。
徐々に力を入れて、締め付けていく。スレッタは目覚めない。あれだけ乱暴に蹂躙されたのだから、しばらくの間は意識が戻ることはないだろう。
つまり、今が絶好の機会だ。
(祓う、べきだ)
彼女の正体はサキュバスだ。神父が祓うべき魔物なのだ。実際、今の彼女には長い尾と角が現れており、その腹には妖しく光る淫紋すらあるのだ。紛うことなき淫魔の証で、エランにとって最も忌むべき存在だ。
ぐっと力を込めて、その魔を祓おうとして──エランはだらりと腕を落とした。
「スレッタ」
呼ぶ声に応えはない。
けれどエランの脳裏には、エランさん!と明るい笑顔を向けるスレッタの姿がありありと存在している。
「スレッタ」
頬に熱いものが伝うのを感じて、エランは自分が泣いていることにようやく気付いた。
どうして自分が泣いているのか、その理由には気付かないふりをした。