外の世界
“どうしたんだよ?元気ねぇじゃん”
朝の通学路で、あいつが私の顔を覗き込む。
あたしは別に、何でもないと答えておく。
こいつには関係ない。
あたしを置き去りにして、全部終わった事みたいに脳天気にしてるこいつなんかには、もう関係ないんだから、言わなくていい。
だってもし、正直に話したら……
絶対に……あたし……
“……まぁ、それだったら別にいいんだけどよ”
何かを察したかの様に、話題を切り替える。
当たり障りのない、いつもの会話だけど、
本当は涙を隠すので精一杯だった。
“来週の試合、頑張れよ”
あいつはそう優しく言って、校門の前で別れる。
“彼”に目をつけられると、あたしに迷惑がかかると思ってるんだろう。
そういうところが優しくて、
でもちょっと的外れで……
そんなあいつの姿が人混みに紛れた瞬間、急に恐怖と後悔の念があたしを襲う。
ひとりに……なりたくない。
今更なんで?
じゃあ言えばよかったの?
言えば絶対お互い傷つくのはわかってるのに?
だって、あいつがあたしの事どう思ってるかなんて……もう……わかってるのに……
あたしがコーチに……
あんなことされたなんて……
どうやって言えばいいのよ……
ウワガキ
幼馴染の少女をNTRれた少年のその後のお話
チャプター:1 外の世界
「橘くん、“ストリートボール”、やんない?」
「…………やる」
翌日、駅で集合した柳花梨は開口一番に修也にそう尋ね、修也は一瞬の思考の後に答えた。
ストリートボールとは、昨日柳と遊んだアレの様な、少し砕けたバスケの事を指す。柳の誘いの内容はなんとなくだがわかっていたし、それについては考える事などなかった。
……昨日の1on1は本当に楽しかった。
すぐにでも、ここではない何処かで、バスケがしたかった。
たとえ、それがいっときの逃避だとしても、今の修也にはそれが必要だった。
柳は一瞬だけ微笑んだ様な表情を見せ、じゃあ行こうか、とくるりと踵を返して改札に向かう。
……どこにいくとか、何するとかの説明も無しかよ……
そんな相変わらずの柳のペースに、だが二日目にして修也は既に慣れ始めていた。
それより気になるのが、今の柳のファッションだ。
学校の柳の清楚な制服のイメージとは全然違い、こう言うのは、ストリート系ファッションというのだろうか?
ロゴのついたパーカーにミニスカート、キャップを被った柳は、ちょっと華奢な身体に絶妙にマッチしていて、スポーティーな可愛いらしさを醸し出している。コンタクトなのか、それとも伊達メガネだったのか、学校でかけている様な眼鏡はかけていない。
視界に入った程度であれば、彼女が柳である事に気づく同級生は、多分いないだろう。
そんな道ゆく人が誰しも振り返る様な美少女の柳が、肩越しに修也へ振り返る。
「あ、後さ、一応言っておくけど……」
橘くん、その私服、めっちゃダサい。
正直、マジ恥ずかしい。
………………そうだろうとも。
子供の頃からバスケ一筋。最近は少々荒れていたとはいえ道を外さなかって修也にとっては、おしゃれなど遠い世界の話であった。
それ故、そこらのウニクロなどの量販店で親に買い揃えられた修也のファッションでは、そもそも反論できる様な舌すら持たなかった。
私服の修也はダサかった。ただひたすらに。
「……なんかすみません」
「別にいいけど」
もっとも、これから目的地に着くまでおしゃれな美少女につられて歩くクソダサ少年という、市中引き回しに近い扱いに、頑張って耐えなければならないのだ。
……耐えろ修也……いっぱいバスケが出来るんだぞ? このくらいの屈辱……
しかし電車に揺られえて数十分、
辿りついたのは、都心のど真ん中もど真ん中。
街で一際煌びやかな、繁華街だった。
……これ、もしかして、追い討ちをかけられてないか?
流石の修也もこれには参る。
バスケをやるのはなんとなくわかっていたとはいえ、どこに行くかを事前に言わなかったのは、流石に酷いではないか?
とはいえ、こんな所に行くとわかっていたところで、こんな場所自分にはほとほと縁がないと考えていた以上、どうする事もできなかったのだが。
唯一救いだったのは、目的地が繁華街のど真ん中ではなく、そこが少し離れたオフィスビル街だった事だ。
そこは摩天楼の隙間に広がる運動公園で、近代的なデザインの煌々と灯りが灯っている。
そこでは、スケートボード、フィットネス、ダンス、ヨガ……国籍を問わない老若男女がそれぞれのコミューンを形成していた。
「うわ、こりゃ凄いな……」
「でしょ?」
それほど大きいとは言えない空間に色んな要素が詰め込まれた、別世界の様なその光景に、修也は圧倒される。
「こっち」
その中の一角、バスケットボールのコートを占有している集団へ向かっていく柳に、修也は落ち着きなく周りを見渡しながら、慌てて柳について行く。
完全なお上りさん状態だ。
コート内は既に十数人程の人が集まり分割して使用しながらも、それぞれ3x3や、1on1、加わるもの、見学するもの、各々の時間を過ごしていた。
「ほぉー、すげーなここも……うぉあ!?」
そんな完全に雰囲気に呑まれかけていた修也を柳はおもむろに突き飛ばすと、コート内に押し込む。
「はーい、ちゅうもーく」
新入り連れてきたよー
柳そう言うと、突然の事にコート内でたたらを踏む修也に、中にいた全員、日本人、外国人、男性、女性、その全員がぴたりと動きをやめて修也に視線を集中する。
そして……
「「「……なんかダサい!!!」」」
……ちくしょう、柳、後で覚えてろよ?
顔を真っ赤にして羞恥に震えながら、修也はいつかの報復を決意した。
◇◇◇◇
「僕は、柊鉄平(ひいらぎテッペイ)。一応、このコミュニティの責任者……みたいな者だ」
「よ、よろしくお願いします。」
柊と名乗る男は右手を差し出し、握手する。
最初に柳から紹介された彼、鉄平は物腰が柔らかいイケメンで、その第一印象からして物凄い好青年だった。
鉄平は早速修也にこのコミュニティについて、その活動についてや、所属することでの義務と権利、その他色々と説明してくれる。
どれもとてもわかりやすく、こういった少しラフなイメージのコミュニティのリーダーが、そういった教育を受けた人間である事に修也は意外さを感じた。
「ただバスケ好きなだけじゃ、こういう事はやっていけないからね?」
そう明るく笑って、突然現れて参加を希望する年下の自分にも、丁寧に接してしてくれた。
「あのカリンが連れて来た奴だからね。多分、君も気にいると思うんだ」
活動はあくまで自主参加。ゲームメイン。所謂“フリースタイル”は専門外。自らの高みを目指し、修練をする為の場……。
煌びやかでファッショナブルな最初のイメージに反して、ここは相当にストイックなコミュニティだった。
なんというか、彼のいう通り既にウズウズと、非常に期待してしまっている自分がいる。
バスケができる。
自分の好きな様に。
誰にも邪魔されずに。
そんな修也の高揚感を感じ取った鉄平は、ニヤリと少しだけ…しかしはっきりと凶暴な笑みを浮かべる。
「じゃあ説明もほどほどにして……やろうか?」
……おや?
さっきまでの温和な雰囲気からガラリと変わる柊の気配に修也は戸惑う。
「ほらほら、コート早く入って入って、入るんだよホラ」
「え……?ちょ、ちょっと……柊さん?」
半ば押し着られるカタチでコートに入る修也と、なんだか危険な笑みを浮かべる鉄平。柳を含めた周り連中は、あーまたか、という表情でコート周りにぞろぞろ集まり始めた。
「久々の新入りだからね。まずはどんなものか知りたいんだよ」
「……よ、よろしくお願いします……」
いささか強引な鉄平に、気圧される修也。
なんだか闘志の様なものが彼の周りに漂っているのが視覚でわかる様だった。
柊鉄平は、平時は非常に好青年だが、筋金入りのバスケジャンキーなのだと修也が理解するのに、そう、時間は掛からなかった。
そして案の定……というかそれ以上に、修也は鉄平に完膚なきまでにボコボコにされた。
柊鉄平という男はそれはそれは無茶苦茶に強かった。
スピード、パワー、テクニック、全てが修也の想像している“上手なプレイヤー“のレベルを遥か上を超えている。
多分全国探しても、これ以上のプレイヤー探すのは、それこそプロの世界に行かないとダメかもしれない……そう想像させる程の強さだ。
自分の肌で感じる強さの壁に、粉微塵に打ちのめされ…
そしてそれが、修也の燻った心に火をつけたのだった。
◇◇◇◇
「動画を……撮って欲しい?」
「ああ、どんだけ俺が動けていないか、ちゃんと撮って欲しいんだ。」
こんな事、柳にしか頼めないんだけど……
携帯を手渡すと、修也はそう花梨に頼んだ。
「別に……いいけど……」
切れ長の目が気恥ずかしそうに視線を逸らす。
花梨はちょっと戸惑いがちにそう同意すると、修也はサンキューな!!と無邪気な笑顔を向けた。
あ、あと、出来れば鉄平さんの動きの撮影も頼む!
そう付け加えて、嬉しそうにコートに入り、張り切った彼の願いします!!の声が夜の公園に響く。
携帯を受け取った花梨の顔が、ほんのり上気している事に、気づくことはなかった。
それから暫く、修也は1on1のローテーションを回しに回しまくった。体力の続く限りに。
その間の修也は
抜かれて……
防がれて……
負けまくった。
殆どのメンバーに抜かれ、多分10回に一回くらいしかディフェンスに成功していない。
だが、それで良かった。
自分の落ちたところ、足りないところ、必要なところを確認したかったのだ。
……無論、全力で。
コートの中の修也はカッコ悪くて、無様で、
だが物凄く楽しんでいる。
その姿を、花梨はいつのまにか笑顔を浮かべながら、ずっと撮り続けていた。
体力の限界か、コートで修也が大の字になった。その光景にみんなの笑い声と拍手が起きる。
“いいぞ!”
“ナイスファイト!!“
疲れ果てた修也の顔に笑顔が咲いたところで、花梨は動画を切った。
これは、私も中々に楽しかった。
これなら橘くんも、満足できるだろう。
そしてふと、気付いた様に手元の機械をじっと見つめる。
……橘くんの、携帯。
ごく普通のスマートフォン。
ふと魔が刺して、携帯に保存した写真を覗いてみる。
友人との写真、バスケ部時代の写真、
花梨の知る、橘修也がそこにいた。
続きを見たくて思わずスワイプして現れる、
……あの子の写真。
2人の姿、普段の姿、ポーズがついた姿、そして隠し撮りみたいな写真。
どれも笑顔で、それが花梨の心にさまざまなな感情が沸々と湧き立たせるが、すぐに心から消去する。
……やめよう。
修也が再び立ち上がり、対面の相手に向かい、構える。
花梨は再び撮影ボタンを押し、彼に焦点を合わせる。
今の彼を見る。集中する。目に焼き付ける。
それが今、柳花梨に出来る事だった。
「ぷっはぁーーーー……しんど……」
全身汗だくになりながら、修也はコートの傍にある観客用のベンチに重たい体を引きずって座り、息を整える。
やはり半年のブランクは相当に重い。
……色んなものが、落ちている……
「よう、さっきはいい感じだったぞ」
「あ、……えーと、毒島…さん?」
毒島と呼ばれた大男は、初対面でよく覚えているな、と笑いながら観客席の階段を登ってやってくる。
毒島泰斗(ぶすじまタイト)は、鉄平が紹介したコミュニティの中核メンバーの1人だ。
色黒く日焼けした2メートル近い全身筋肉のマッチョマンだが、ユーモア満載の気さくな青年で、何とびっくり、現役大学生だそうだ。
リーダーである鉄平の信頼も厚い、さしずめコミュニティのNo.2といったところだった。
隣いいかい?、と毒島は修也の横、2人分のベンチを使ってどっしりと座る。
「君、新入りにしては、結構やるじゃないか」
カリンもおもしろい奴を連れてきたもんだ。と毒島の細い糸目が少女を見つけ、修也もそれに続く。
コートでは柳が他のメンバーと3x3を楽しんでいる。
ここで見る彼女は、学校での無感情な姿とはまるで別人の様に生き生きとしていて、表情豊かにメンバーとも笑顔で交流している。
多分、ここが柳の居場所で、学校はその間に留まる唯の止まり木に過ぎないのだろう。
なんとなく柳の本当の顔が見れて、少し嬉しくなった。
ふむ……と、いつのまにか毒島の細く鋭い目が修也を見据えていた。その視線に修也は気付き、毒島に視線を戻す。
「良い目を持ってるし、判断力もある。だが肝心な……」
「フィジカルが、足りてない?」
「今日見た限りではな」
頭だけで勝てる勝負じゃねーからなぁ、と
毒島は子供の胴体くらいある二の腕を掲げて、力瘤を作る。
「“筋肉は地球を救う!!”どうだ?お前も『同志』にならないか!?」
そうガハハと豪快に笑う毒島。
流石にそこまでは要らないとは思うが、確かにフィジカルは修也の致命的な弱点だった。
体力、筋力、バランスは、すべての運動の根幹だ。
テクニックや作戦というものはすべてその上に成り立つオプションでしかない。
そして、今の自分には半年程のブランクがある。
でも、とにかく、やるしか無い。勝つ為に、そして目一杯楽しむ為に。
「俺、やってみます、それで、もっと勝てるなら!!」
毒島は腕を組んで、うんうんと頷く。
「よろしい、じゃあトレーニングのメニューはどうする?」
「是非もらいます。でも色々やりたいので……」
「セットメニューは自分で組みたい…か。良い心がけだ」
修也の言葉に毒島は白い歯でニッカリと笑う。
凄まじい威圧感だが、頼もしい事この上ない。
最初は凄く緊張したが、どうやら修也はたった1日だけで、自分がこのコミュニティを相当に気に入ってしまっている様だった。
眼下の別のコートでは、鉄平が他のメンバーを1on1で翻弄している。
動きが華麗で正確で、正直どんな練習をすればあんなになれるのか、よくわからない。
だが、少しでも近づく事ができれば……
「また……絶対、来ます。」
よし!!と、毒島は笑い、右手を差し出した。
「俺達はいつでも君を歓迎する」
今日より強くなって、また来い!!
修也もその力強い握手に負けない様に、強く握り返した。
◇◇◇◇
それから暫く、修也はトレーニングに明け暮れた。
筋トレ、基礎練、実践、筋トレ、基礎練、実践 その繰り返し。たまにコミュニティに顔を出し、ボロ負けして、動きを確認して、また練習。
「やっぱアンタ、動きが良くなってると思うよ?」
そう少しだけ笑顔を見せる花梨はずっと、いつものコートで修也の練習に付き合っていた。
無論、修也をこてんぱんにしつつ、だが。
「だって、アンタだけ上手くなったら、イヤじゃん?」
恥ずかしそうに目を背けてそう答える彼女に、修也は感謝と、
……そして少しだけ別の感情が生まれ始めていた。
暫くすると、彼らが主体にしている3x3のゲームにも誘われたが、修也は今はと前置きした上で、わがままを言って1on1の相手をしてもらっている。
メンバーのみんなも
“だんだんと動きに追いついてくるスリルも、悪くない”
といって、快く引き受けてくれた。
そんな調子で数週間で、最近はボロ負けから、調子がよければ五分五分くらいの戦績にはなってきていた。
「へーっ、橘くんのお父さん、スポーツメーカーの人なんだ」
今日も帰りの電車のベンチシートに2人、並んで座る。
コミュニティに顔を出した帰りは大体途中まで、柳と一緒に帰るのがお決まりのパターンだった。
「そ。でも、親父はどうも野球やって欲しかったみたいだけどな……柳の家は?」
「ウチは美容室。チームのコートの近くでやっててさ。あそこにいるのも、そっからの縁。」
へぇ、と答えながら修也はふと考える。都心のど真ん中で、柳があそこに在籍してるくらい長くやっていけてる美容室とは、結構すごいのではないだろうか?
「……柳って、ひょっとして……セレブ?」
「なぁにー?アンタひょっとして、アタシに奢って欲しいの?」
どこかおっかなびっくりな修也の問いかけに、柳は揶揄うように笑う。ちょっとシャープだけどキラキラとした瞳、柔くさらさらとした髪……少し意地悪そうで屈託のない柳の可愛らしさに、ちょっとだけ修也の心の時が止まる。
「い、いやいや、な、なんか色々上等な物持ってるからさ」
「それって…………まさかアンタも、あの噂の事、信じてるんじゃないでしょうね?」
慌てて取り繕う修也に対し、その噂さ、マジでなんなの?と、笑顔からがらりと変わる柳の鬼気迫る表情に、思わずたじろいでしまう。
可愛いが、滅茶苦茶おっかない。
……しかし、と、出会った時を思い返す。
柳はこんなに感情豊かな子だっただろうか?
いや、そんな女子という感じでは無かった。
もっとこう、無表情というか感情が表に出ていない感じだった。
修也はどちらかと言うと……
「なんか今の柳が、俺はすげーいいと思う」
「…………は?」
思わず口にした言葉に、思わず呆気に取られている柳。
そりゃそうだ。怒ってる相手から、すげー良いと言われても、今の流れでは意味がわからないだろう。
だが、
「……………ばか」
目を逸らし、思わず顔を赤らめる柳。
初対面の時の印象を覆す柳の表情に、先程より強い胸の鼓動を感じる。
柳がどうにも、滅茶苦茶に可愛い。
美しいとか、綺麗とか、どこか他人行儀なやつじゃなくて…
……可愛い……
そうだ。これが“可愛い”というヤツだ。
なんだがようやくだが、少しずつ心の鬱屈さが取れてきた気がする。
……修也は……自分は少しづつ前に進んでいるのだ。
一歩ずつだが着実に。
しかし……
月日の重さを、当たり前という気持ちの強さを
修也は、甘く見ていた。