夕暮れの一番星或いは不死鳥

夕暮れの一番星或いは不死鳥



 いつからか頭がぼんやりとすることが増えた。

 はて、その原因は?と霞がかる思考の奥を覗こうとすれば、途端に外から声がかかってしまう。

 それはクラスメイトであったり先生であったり友人達であったり。

 ぼーっとしてどうしたんだ?と顔を覗き込まれ、気を遣われる。


「あ、いや、何でもないよ」


 また後で考えてみればいい。

 そう思ったのはこれで何回目だろう。気づくと思考することも忘れてしまう。それに気づいたのは本当にごく最近だ。

 さてどうしたものか……。

 友人の1人がトイレと席を外したとき、この真綿のような違和感に内心首を傾げる。

 そのままふと廊下へ目をやると、見慣れない金髪の誰かがいた。

 その彼はこっちを見て何故か満足そうに、そして安心した様子で微笑んでいたけれど、パチリと視線が合うと見るからにまずい!という顔をして行ってしまった。

 理科の教科書を持っていたから移動教室の途中だったんだろう。

 もしや自分の後ろに誰かがいたか?と振り向いて見ても、そこにはノートをまとめ直していたり仮眠をとっていたりと思い思いの過ごし方をしているクラスメイトばかりで、あんな風に微笑んで見ているような人はいない。

 それに、自分と目があったからこそ逃げた……のだと思われるし、用があったのは自分の筈。


「誰だったんだろう……」


 月曜日の、昼休みも終わる頃だった。




 いいのか司、声かけなくて。

 そう頭の中で尋ねるのは、少し前から行動を共にしている騎士であり冒険者であるという春風の男。

 司は理科の教科書とノートをギュッと抱き込みながら頭の中で返した。

 いいんだ、楽しそうにしている類を危険な事に巻き込むわけにはいかない。無論寧々やえむもだ。

 そう言い切ればどこか不服そうなため息が返ってくる。だがそのあとにはまあアンタがそう言うなら。と言葉が添えられた。

 そう、いいのだ。

 音楽が消えた。なんて非日常だけならまだしも、音楽を思い出したり音楽に関連することをすればどこからともなくエネミーというものが現れ襲われてしまう。

 自分はシャルルに運良く助けてもらったが、類や他の人達も助けてもらえるかはわからない。

 だからこそ悪戯に音楽を広めることも巻き込むこともできない。


「まずはオレがオレでできることからだ」


 窓の向こうの友人達に囲まれた類を思い返し、司は1人気合いを入れ口元に笑みを浮かべる。

 もし気落ちしているようならどうしようかと思っていたが、嗚呼よかった、類は1人では無い。友人達と笑い合っていた。

 司は隣には誰も伴わずとも胸を張り背を伸ばし誇らしげに歩く。不可視の友人は、その背を追いながらそっと離れていく司の友を振り返りみつめていた。


 水曜日、どこかのクラスで体育があるらしい。

 騒がしい声と先生の注意する声、駆け抜けていく上履きの音が廊下を通り過ぎていく音を聞きながら、次の授業の準備をとノートを取り出していく。

 そうだ、今日は理科があるんだ。

 緑のノートを取り出してふとあの廊下へ面した窓へと目をやる。

 しかしそこには誰もいない。否、誰もいないわけじゃ無い。

 あの金色の髪をした同級生らしい彼だけがいなかった。


「………今日は、僕が移動教室だしね」


 そう毎度いるわけでは無いことが、何故だか心に引っかかった。ほんの一昨日気づいたばかりなのに姿が見えない事がこんなにも残念だと心が揺れる。

 いつもの友人達は先生に器具運びを任されていて今日は1人で移動しなくてはいけないから、もしかして寂しいのだろうか。

 はて、こんなに寂しがり屋だっただろうか。

 隣に誰もいないのが何故だか無性に寂しくて、なんだか騒がしい何かが足りない気がして調子が狂うような。

 はて、はて。

 首を傾げノートを見つめぼんやりとしていると、いつのまにか教室の中はまばらで今丁度最後の1人が出て行った。

 行かなくては。

 ノートと教科書、それに筆箱とちょっとした機械いじりのあれそれを持って立ち上がる。

 1人になった教室は物静かで、椅子を引き摺る音が大きく響く。

 嗚呼、もしここで突然大きなクラッカーでも鳴らせたら……なんて想像しかけてやめる。

 1人でそうしたところでつまらない。

 もしやるならそう、もっと大勢の人達の中で、いや、むしろその前で……。


「おーいそこのアンタ!」


 廊下に出て扉を閉じたその瞬間、沈み込むような思索が突然打ち消された。

 思わずパ、と声の方を向くと、見慣れない白いメッシュを入れた黒髪の男子生徒に駆け寄られた。

 黄色いカーディガンを着たその人は、ふむふむふむ。とこちらを下から上まで見聞し、パチリと目が合うとニカっと満面の笑みを見せた。


「いやーすまんすまん、マ、あー……友人、そう、友人がキミの事を話していてな、一体どんな奴だろうと見てみたくなったんだ!」

「は、はあ……?」

「いやーしっかし最近の子供は大きいな、これはさぞかし舞台映えするだろう」

「え?」


 舞台……朗読劇のことだろうか。


「アンタがショーをするところ、是非とも見てみたいな」


 そう言って笑う彼の顔が何故だかあの廊下の彼と重なり、ショーという単語が電撃として頭に落ちた気がして、思わず手を伸ばす。


「あの、」


 その手が彼の袖に触れる瞬間。


「シャルル!!」


 廊下に朗々とした声が響いた。

 その声は膨らませた風船の様に張られていて、けれど強く吹き抜ける風の様でもあり、廊下の曲がり角から早足でやってくる1人の人間から張り上げられたとは到底思えなかった。


「おい、オレの制服を勝手に……!お、あ、る……あーいや、すまない。オレの友人が引き留めていたか?ほら行くぞシャルル、B組は理科室に移動するはずだそろそろ行かねば授業に遅れるだろう」

「ええ?もうちょっと話してても」

「ダーメーだ!」


 目の前で繰り広げられる仲良さげな様子

にどこか既視感を覚えるが、何と間違えているのかわからない。

 三宅くん達とはここまで気安い会話の仕方はしていないはず。

 いや、ああそうだ、名前を聞かなくては。


「あの、失礼だけれどキミの名前は?」


 そう問いかけた瞬間、金髪の彼の動きが止まった。

 かと思えばふふんと笑って見せシャルルと呼ばれた彼の手を引きながら片手を上げる。


「なあに名乗るほどのものでは無い!ではさらばだ!」

「あ、おい!ま、またなー!」


 挙げた手をブンブンと振りつつシャルルの手を引き行ってしまった彼をただ見送る。笑顔を見せる前の、ほんの数瞬の悲しげな表情が明るく手を振る姿と重なり際立ち、らしくないじゃないかと何かが焦げた。



 今日は好きな教科である理科の日なのに、どうにも授業に身が入らない。

 どうして彼はあんな顔をしたのだろうか。

 どうして、こんなに気になるのだろうか。

 初めて会う筈なのにあの表情を見た瞬間、らしくない。なんて思ってしまった。

 上の空で聞いていた授業の間中ずっとロボットを組み立てていても、次のロボットの案をノートに書き連ねてみても頭は晴れない。


「……そうだ」


 わからないのなら調べてみれば良い。

 そうと決まれば今まで組み立てていたロボットを組み直し即席のドローンに組み立て配線チェック。

 授業の終わりかけとはいえまだモーターは起動させられないが問題はない筈。

 安い監視カメラを流用している為に手元の画面に飛ばされる映像は白黒で荒いものだが人探しには十分。

 ジリリリとけたたましいベルの音が授業の終わりを告げ日直が号令をかける。


「きりーつ」


 セット


「礼……ありがとうございましたー」


 スタート。

 号令を皮切りに微小な風切り音と共に紫色のドローンは教室を出ていく。

 あの声の大きな金色の同級生を探しに。




 放課後、追尾し続けていたドローンの画像を手元に写す。

 ドローンが見つけたあの声の大きな彼は天馬司と言うらしい。彼が廊下でキメポーズの様なものをする度に騒めく周囲の人々が彼の名を溢すものだからすぐにわかった。だが、シャルルと呼ばれた彼は何故か見当たらない。

 どこか別の場所にいるのかとドローンで校内を探索してみるがどこにもいない。どころか誰かの口に登っている様子もなかった。

 あんなに目立つ彼の近くにいる友人ならば一緒の口に乗ってもおかしく無い筈。

 早退でもしてしまったのだろうかと考えているうちに、ではさらばだ!と言い残し彼は教室を去っていく。

 帰るらしいのでドローンを自動追尾モードにして気づかれないよう距離を空けて後を追う。

 スタスタと背筋よく歩いていく彼が向かって行ったのは人通りの多い大通り。

 そこで彼は唐突に背負っていた鞄を下ろすと、鞄からマジックで使う様な伸縮自在のステッキを取り出した。


「え?」


 こんな大通りでマジックでもするつもりだろうか。

 思わずコントローラーの画面から顔を上げ通りの向こうの彼を見る。

 小さな人影は行き交う人々の合間に見え隠れし目を離して仕舞えばすぐに見失ってしまいそう。

 一体何をと画面に目を落とすと、彼は深く息を吸っているところだった。


「………往来を行きます皆々様!!」


 スピーカーと現実の声が重なる。

 その声は思わず人を立ち止まらせる朗々と響くもので、通りを挟んだこちらにまで届くほど。

 思わず画面では無く通りの向こうにいる彼へと目を向けてしまう。


「この度誦じますは万夫不当の英雄譚!!夢想に生きた冒険者のお話でございます!」


 その声につられるように、点滅しかけた青信号を急いで渡り足を止め出した聴衆の後ろから様子を伺う。

 不審そうな目もなんだと驚くような目を受けても尚自信に満ち溢れ、日暮れを受けて煌めく目は一等星の如く。

 臆せず、俯かず、ただキラリと光るその目で聴衆をぐるりと見渡しまた息を吸う。そして語られたるは冒険者であり騎士である夢想で生きた者の話。

 彼の口から溢れる信頼する十二勇士との旅路を辿る物語は光を帯びていて、熱がこもる語り口調に合わせ動く体はしなやかに、手にあるステッキはまるで本物の剣の様に舞う。

 彼が一薙ぎすれば聴衆は思わず後退り、剣を弾かれた様にステッキを手から溢れ落とせば一歩踏み寄りあ!と悲鳴をこぼす。

 彼が語り演じればそこは、見知らぬ国の見知らぬ戦いでありながらそのあり様がまざまざと目に浮かぶ。


「───かくして!十二勇士と共に進む旅路は果て無く進み!今尚武勇と栄光を産み続けている次第!」


 カチン。とステッキが腰元の虚空の鞘に収められ縮む。

 それと同時に彼が頭を下げ恭しくお辞儀をすれば、聴衆からは天晴れの拍手とやんややんやと声が飛ぶ。

 自分も、その中の1人だった。

 呆然とその姿を見つめながら、ただ無心で拍手をしていた。この無心の拍手でしか、観劇後の空気を霧散させずに賞賛する唯一の手段だった。

 彼は驚嘆、興奮、感動に輝く瞳その全てを一身に受け止め、あの煌めく瞳が楽しげにぐるりと見渡す。

 ハ、と目が合った。


「あ、」

「ではこれにて!」


 しかしそれは束の間で、彼は少し驚いた様子を見せたが、一言だけ言い残すと余韻を引き剥がすかのように鞄を持ち逃げる様に去って行った。

 熱に当てられた聴衆達は、凄かったね、面白かったねと口々に言い合いながら人混みに混ざり流れていく。

 ぼんやりと突っ立ったまま動けずにいるのは自分だけだった。


「………今、のは」


 舞台。

 朗読劇。

 

「あれは、いったい……」


 あれは、朗読劇というには余分な動作が多くて、大袈裟で、でも目が離せない。

 一挙手一投足全てに目が惹きつけられる。


「あれは…」


 本当に朗読劇なんだろうか。

 本当に、そういうものなのだろうか。

 ふらふらとする足どりで自分も人混みに混ざる。

 今、凄まじいエネルギーのようなものをあの朗読劇で受け取った筈なのに、あれをもっと、更にずっと良くできると頭の中が騒いでいる。

 ぶくぶくとあぶくのように湧き立つ何かに急かされるように、今この瞬間を忘れないうちにと、足が走り出していた。

 息急き切って家に帰り自室へ飛び込み引き出しが外れんばかりに勢いよく開けノートとペンを持つ。

 あのシーンではあの動きだったけれどあの動きをこの動きにして右手側へ動けばもっと、このあらましならばこう語れば更に、そうだ、ステッキを振る音に合わせて効果音が出せるスピーカーを用意して…!

 ギギギと音が歪みペン先が潰れても構わず書いた。

 インクがなくなればその場に捨てて、鉛筆でもボールペンでもシャーペンでも色鉛筆でもなんでも使って書いた。

 ノートが無くなれば新品の予備のノートを取り出して、それも無くなれば学校のノートに、それも無ければプリントの裏、チラシの裏。

 教科書の余白にまで手を出しかけたところで、けたたましい目覚まし時計のベルが鳴る。

 ハ、と顔をあげると、窓からは何故か明かりが差していた。

 よくよく耳をすませれば小鳥の囀りまで聞こえる。


「あれ、もう朝……?」


 時間が飛ばされた。と思ったが、部屋を見渡してみれば黒だの赤だの青だの緑だので書かれた演出案が机にも床にも散らばっていた。

 元々雑多な部屋が更に雑多に、自分が腰掛けている椅子の周りでノートと紙の小高い山を作っていた。

 今は何時だと慌てて時計を見ればまだ身支度はできる時間だが朝のシャワーを浴びるにはギリギリの時間で、慌てて演出達を詰め込み制服の変えと共に浴室に飛び込み、烏の行水を済ませ濡れた頭のまま今度はリビングのトーストを掴み家から出る。

 行ってきますもそこそこに学校へ急ぎパンを押し込めばば始業の5分前。

 なんとか教室に滑り込み何食わぬ顔で席に着いてから、鞄にめいいっぱい詰めてきた一夜にしてクタクタになったノート達を開く。

 そこにはインクが切れてはペンを変え特筆する為に色を変え脳に手が追いつかないとばかりに急ぎ足の崩し文字が罫線など無視して羅列されている。

 それは自分の好きなものをぐちゃぐちゃに放り込んだよりもなお酷いおもちゃ箱のようで、夢中になっていた時は読めていた筈の文字が読めなくて思わず1人笑ってしまう。

 いつもなら落ち着いて書く筈の設計図のラフも落書きじみていて必要な数値も長さも書かれていないし材料だって書かれていない。

 けれど何をしたかったのかは不思議とわかる。崩しすぎて文字は読めないけれど、どれほどの熱量とワクワクした気持ちでこれを書いていたかがわかる。

 一冊だけでは収まらなかったノートの中の自分に煽られまた1人笑う。

 嗚呼、まだまだ試したい事が溢れてくる。

 日直の号令中もずっとノートを見つめ続け、着席の声と共にまだ余白が残るページにシャーペンを走らせた。



「きりーつ」


 その言葉に思わず肩が跳ねた。と、同時に鳴り響いていたけたたましいベルの音にも気づく。


「れーい」


 慌てて体を曲げてありがとうございましたと声を揃え授業が終われば、次の授業まで5分ある。

 いつもなら友達とひと時の会話の花を咲かせるところだが、不思議そうで何か言いたげな3人へ少し隣へ行ってくるよ。と声をかけて席を外す。

 ノートを一冊携えて隣の教室のドアを開けると、自分のクラスも変わらずざわざわとした雰囲気と緩んだ空気感が漂っている。

 さてお目当ての人物はと目を走らせるが、いない。


「ねえ少し良いかい?」

「はい?」

「天馬くんを探しているんだけれど、今日はお休みかな?」

「あー社会の先生の手伝い頼まれてついてってたよ。結構やらせたがりな先生だからかかると思うけど…待つ?」

「そう……ありがとう」


 トイレにでも行きかけていたらしい男子学生が廊下の突き当たりへいそいそと歩いて行ったのを見送る。

 今日は6限だし2時間目終わりの休みも昼休みもある。今捕まえるよりも書き溜めて会いに行こう。

 そう決めて教室に戻ったが、この算段が甘いものだとはこの時は思っても見なかった。

 休み時間が来るたびに教室へ赴いても何かしらを頼まれていたりこちらが頼まれ事をしていてなかなか会えない。

 頼みのドローンは索敵のために稼働しすぎてつい先ほど充電が尽きた。


「もう放課後というか、やっと放課後と言うべきか……」


 探そうとすればするたびにすれ違っている。ような気がする。

 ノートを掻き分けドローンの場所を作り鞄の中にいれ、さて行くぞと肩にかける。

 ワクワク達が肩に食い込みずしりと重いが、それよりも悪目立ちする筈の捕まらない彼を見つけなくては。


「天馬?天馬ならそこに……あれ?さっきまで黒板消してくれてたんだけどな……廊下の黒板消しクリーナーのところじゃないか?」

「司?司なら女子のゴミ捨てを手伝ってたよ、多分外のゴミ置き場にいるんじゃないかな」

「え?司くん?それならゴミ捨てを手伝ってくれた時に落とし物を見つけて、届けてくるーって言って2階の図書室の方に行ったよ」

「司先輩ですか?確かに俺が落とした栞を届けにきてくれましたが……その後?確か国語の先生のところに提出をし損ねたノートを渡してくると。多分一階の職員室に居ますよ」

「おや神代くんとは珍しい、え?天馬くん?嗚呼それなら屋上にいると思うよ。最近屋上で何かの自主練だかをしているらしくて……んあ?神代くーん?……彼、あんなに素早く動けたんだねえ」


 たらい回しにされること5回、階段を上り下りすること11回。

 こんなにも階段を短時間に上り下りするのは初めてで太ももが張り始めている。しかしそれでも足を急がせずには居られなかった。


 だんだんと重く遅くなっていく駆け足と、だんだんと夕暮れに濃く赤く染まっていく階段。

 そうしてようやく屋上へと続く階段を前にして、鉄扉の向こうからまたあの朗々とした声がした。


「─────!──────!!」


 相変わらずの声だ。

 そう思った。何故だかそう思った。

 丸いドアノブを飛びつくように捻って扉を開ける。

 そこには、星を腰元にたなびかせ夕暮れへ手を伸ばし立つ天馬司がいた。


「───待ってくれフェニックス!嗚呼どうして、どうして僕は届かない!」


 悔しさ、無力感、その全てが込められた言葉。

 あの燃えるような夕暮れがまるで去っていったフェニックスが染めあげた空のよう。

 そこへ手を伸ばす"少年"は、懊悩し、届かぬものに手を伸ばし踠く無力な子供でしかない。けれどその立ち姿は膝を着こうとも諦めず立ち上がる者の立ち方であった。

 嗚呼だがしかし、だけど、でも、この光景をもっと、もっと最高のものにしたい!


「司くん!」


 思わず飛び出して、驚いて振り向く彼の肩を掴む。


「天馬司くん!キミ、演出には興味ないかい…!例えばこの、こんな演出なんだけれどね?」


 ドサっと屋上の地べたにおろした鞄からはノートが溢れ、その中の一冊を手に取りページを捲る。


「ちょっと待っておくれ、昨日見た朗読劇の演出を……あれ?どれに書いたかな……も、もう少し待っておくれ」


 気が急いては急くほどノートは見つからなくなっていく。

 鞄を覗き込む体勢からついには地面に広げ膝をつきやっと目当てのノートを見つけ掲げ見上げると、ポカンとした彼がこちらを見下ろしていた。

 そして、ふ、と息が漏れる音の後、ハの字に眉を下げた彼がそのノートに手を添え、泣きそうなのを堪えながら尚笑う。


「手の横……こんなに汚れてるじゃないか……それにこんなに沢山……………是非、是非とも聞かせてくれ、このノート全ての演出に120000%の力で応えてみせる!」

「それは…大きく出たね…」

「当たり前だ!全力でぶつけられるものには全力で当たるのだ!それだけの熱量が、この手とノートからわかる」


 ノートを受け取られ差し出していた手の小指がわ側面を見てみると、そこには流しきれなかった色とりどりがついたままで、指先にはまだ真新しいインクだってついていた。


「どれだけかかったって良い。全部教えてくれ、類」


 どうしてそこまで受け入れてくれるのか、どうして名前を知っているのか。そんなことなんて吹き飛ぶくらい、キラキラとした星のような瞳が僕を見つめていた。

 その輝きはどんな一等星とも違う輝き。


「あ、あ……!」


 その日僕は、未だ届かないスターを目指し続けるフェニックスの姿を思い出した。


「………じ、じゃあ司くん、まずは昨日のショーの話からさせて欲しいな…!」

Report Page