夏の風に飛ばされてしまわぬよう

夏の風に飛ばされてしまわぬよう


「あの、マスターさん。流石に人前で水着のクロと密着は…」

「これがオレにできるせめてもの償いだから、良いんだ」

「今日の夕食のデザートを苺パフェにしてあげたのもその一環ですか?」

「当然!」

「んふふ、奢ってくれてありがとお兄ちゃん♪ だーい好き♥」


廊下を歩くマスターさんにお姫様抱っこされるクロは、マスターさんに頬ずりしながらむふーっと満足げだ。見た目は水着の二臨(簡易霊衣)、クラスはアーチャーのままという欲張りセットだからか、かなり気楽そうだった。

水着のカーマさん……いや、ちゃん? が見せる振る舞いで忘れそうになるけど、アヴェンジャーは元々「復讐心(クロの場合仕事?)を忘れられない」みたいなクラス。相性が良かったらしいエリセさんはともかく、オフでもそんな感じなのは辛すぎる。アーチャー霊基で水着を着るのは、それらをオフに持ち込まないためにマスターさんが考案した策なのだ。「元がアーチャーなら影響を脱するのなんて簡単だ」とかなんとか。

そんなことを考えていると、マスターさんの部屋に辿り着いた。

全員で部屋に入りドアをロック。ルビーやサファイアがキャスターの人達に依頼して構築した、人避けの結界術式も起動しておく。これで“お兄ちゃん”との逢瀬は早々邪魔されない。…まあ、ここ数日はお預け状態なんだけど。

そんなことを考えていると、ミユが服の裾を軽く引っ張ってきた。


「イリヤ。いくらなんでも数日間連続でお兄ちゃんを独り占めするのは横暴だと思う。抗議しよう」

「だ、駄目だよ! わたし達は休みまくったけど、クロは頑張りまくった! なら、ご褒美をもらうべきはクロだよ!」

「それは、そうだけど…」


ミユが目を逸らして黙り込む。

わたし達は、既に事のあらましを聞いている。BBさんのちょっと(ちょっと?)アレな善意が発端となって、お兄ちゃんやクロが本当に大変な目に遭ったということを。だから、クロがお兄ちゃんを独り占めしていていてもわたし達に文句を言う資格はないんだ。


───


「クロの夏を踏みにじって、台無しにしてしまった。オレは、恋人失格の裏切り者だ…」


ある時、お兄ちゃんが涙と後悔を滲ませながらぽつりとこぼした言葉だ。理由はどうあれ、『恋人を蔑ろにした』という自責の念はお兄ちゃんをトイレで吐くレベルにまで追い詰めていた。

お兄ちゃんが絶望と後悔の声なき叫びを上げる度、わたし達は自分がいったい何をしでかしてしまったのかを実感する。

多分、お兄ちゃんとクロが『普通に親しい』だけならここまでにはならなかった。『一生を添い遂げたい恋人同士』という関係性だからこそこうなったんだ。

そして驚くべきことに、お兄ちゃんはあれでも“抑えていた”。抑えつけていた感情が爆発したのは、クロを救い出した後だ。

お兄ちゃんは元に戻ったクロの姿を認めた途端、脇目も振らずにダッシュ。強く抱きしめてひたすらごめん、ごめんと涙ながらに謝っていた。そんなお兄ちゃんは、少しだけ落ち着いた後に開口一番こう言い放った。


「クロ。もう編集なんてやめよう。ふざけてる、こんな話」


───「やめよう。ふざけてる、こんな話」。それは、あの妖精國でアルキャスさんに言おうとした言葉らしい。あの時はお兄ちゃんの世界がかかっていたから結局なにも言えなかったらしいけど、今回は事情が違うとのことだった。

お兄ちゃんがそれを言った理由が、わたしにはなんとなくだけど分かってしまう。

背を見送ることしかできなかったというアルキャスさんの時と違って、クロの負担をある程度まで引き受ける道がお兄ちゃんにはあった。けれど、お兄ちゃんはクロの好意に甘え、その結果…。

それに……全員、笑っていた。子供であるクロの夏を台無しにしていることにすら気づかず、一緒に笑っていたんだ。わたしも、ミユも……そして、本人が言うにはお兄ちゃんも。

気づいて後悔した時には既に手遅れ。多分、イロモノのヨゴレキャラみたいな風評被害は長くついて回る。クロの夏の思い出には、そんな取り返しのつかない汚点がでかでかと残ってしまったのだ。

お兄ちゃんがそれに気づいた時の絶望と後悔は、想像を絶するものだっただろう。

だから、お兄ちゃんがあんな形で令呪を使うのはある意味当然だったのかもしれない。


「令呪をもって命じる。…『クロエ・フォン・アインツベルンのアヴェンジャーへのクラスチェンジを永久に禁じ、水着が必要な場合は霊衣や宝具のみ開放することとする』。令呪を三つ重ね、これを勅令とする」


あの時わたしは、クロの雰囲気がどこか張り詰めたものからいつものそれに変わるのを感じていた。あれが、アヴェンジャーからアーチャーに戻ったってことなんだと思う。

…令呪は、曖昧かつ長期間に渡る命令に使われると拘束力を落とす。それを承知でお兄ちゃんは令呪を切った。つまり、お兄ちゃんには切らなければならない程重い理由があるということだ。


「…オレはさ、クロに夏を満喫してもらいたかったんだ」


腕をだらりと下げたお兄ちゃんの悲しそうな表情と、絞り出すような声音が忘れられない。


「最初は、イリヤの時みたく山あり谷ありで絆を深められたら良いなって思ってた。けど、それはただの幻想だった。オレがこんなことに巻き込んだせいで、今年の夏をクロにとって最悪のものにしてしまった。オレのせいで…!」


膝をついて手で顔を覆う姿に、その場にいた全員が絶句した。お兄ちゃんはぐちゃぐちゃの内心をひた隠しにして、人前では気丈に振る舞っていたのだ。


「クロ。オレに愛想が尽きたなら別れてくれて構わない。もう手伝えなんて酷いことも言わない。だから……だから、もうあんなことやめてくれ…」

「───それは、どうして?」


クロが、血を吐くような懺悔に応えた。


「どうして!? せっかくの水着なんだぞ!? せっかくの夏なんだぞ!? それなのに、クロはいつも以上に身を削ってるじゃないか!! 休みのないクロを見ていると辛くて、苦しくて、一緒にいてもちっとも楽しくならないんだ!!! でも、クロをそうしてしまったのはオレだ! 全部オレのせいなんだ!! オレの…」

「ばか」


俯いたクロが、シンプル極まりない一言でお兄ちゃんの懺悔をストップさせた。


「わたしは、お兄ちゃんに褒めてもらいたくて、頼りにしてもらいたくてここまでやってきたの。…だから、懺悔なんかするより…っ…「良くやったね」って……「頑張ったね」って……褒めてよ、ばかぁ!!!」


懺悔はそこで終わりだった。二人して泣きながら抱き合って、めちゃくちゃに泣いていた。


「リツカ、好き……大好きなの…! わたし別れたくなんかない! ずっとずっと一緒にいたい!!」

「クロ…! オレも、本当は別れたくない…! だって好きなんだ! クロを裏切っちゃったけど、それでも大好きなんだ!!」


…一時はどうなることかと思ったけど、とりあえず一件落着だ。

この一幕を簡潔に表すなら、雨降って地固まる。わたし達は、より強い絆で結ばれたんだ。


───


その後、一日経って回復した令呪一画を使ったお兄ちゃんが『マスターの許可がある場合に限り、アヴェンジャー霊基になることを許可する』と追加で命じたことで、クロのアヴェンジャー霊基完全封印は回避された。「お兄ちゃんやイリヤ達の専属編集じゃ、だめ?」「この夏引き受けた仕事だけはしっかりやり遂げたい」というクロの希望による令呪だったけど、お兄ちゃん複雑そうだったなあ。まあ確かに、水着自体は霊衣として編めるからそう思っちゃうのも無理はない、かな?


───


思考をやめて現実に戻ってくると、まだお兄ちゃんとクロがイチャついていた。でも、どこか雲行きが怪しい。


「というかそもそも、運営がもっとしっかりしてないといけないんだよ。なのにトップはころころすげ替わるし、報連相や警備面も……でも、クロを追い詰めたのはオレもだしなぁ…。…オレ、やっぱりクロの恋人失格だ…」

(この流れ、まずい!)


お兄ちゃん今回の件が割とトラウマになってるから、このまま一人で喋らせたらどんどんテンション下がっちゃう! なんとかフォローしないと!


「お、お兄ちゃんもクロも必死に頑張ったでしょ!? だからどっちにも非はない、それで良いんだよ! この場で責められるべきはわたしだ……あっ」

「このボケイリヤ! 何余計なこと言ってくれてるのよ! そんなこと言ったらお兄ちゃんが反省会始めちゃうでしょ!?」


どうしよう、勢いで言わなくても良いこと言っちゃった!? 口元を手で抑えながらお兄ちゃんを見ると、既にテンションが沈みきっているのが見えた。

ああ、もう手遅れだ。フォローのつもりで言ったセリフが大反省会の引き金になってしまった。


「いや、小学生の夏の思い出をぶち壊しにしたオレが…」

「ち、違うよお兄ちゃん! クロがいないのを良いことにイリヤを甘やかしたわたしにこそ責任が…!」

「美遊は悪くない! そもそもオレがBBを問い詰められるだけ問い詰めていれば…」

「だーー!! もううるさいっ!! イリヤとミユ! 反省会がしたいなら他所でやりなさい他所で! それとお兄ちゃん! わたしにあんな令呪使ったくせに忘却補正持ってるみたいにうじうじするのやめなさい!!」

「「「…ハイ」」」


クロの一喝により場が静まり返る。

もう間違いない。今のクロからは、偉大なる姉のオーラが放たれている。…はい、わたしの方が姉とかナマ言いました。クロお姉ちゃんの方がよっぽど姉に相応しいです。


「全く世話が焼けるわねー。良い? 人間、過ちは犯すものよ。スパダリだって常にスパダリムーブできる訳じゃないの。わたしのは、お兄ちゃんが偶然しちゃった非スパダリムーブと、修羅場と、忘却補正が噛み合っちゃった結果の不幸な事故。だから、この件はこれでおしまい! 分かった?」

「…ありがとう。元気づけてくれたんだな。オレ、いつもきみに支えられてばかりで恥ずかしいよ」

「恥ずかしく思う必要なんかないわ、わたしだってお兄ちゃんに支えられてるもの。…今のわたしは身も心もお兄ちゃんのもの。カルデアに居着いたわたしが帰るべき場所は、他でもないお兄ちゃんの腕の中なんだから」

「クロ…」

「お兄ちゃん…」


良い雰囲気になったお兄ちゃんとクロが、ゆっくりと唇を重ね合わせる。恋愛映画のワンシーンのような、ロマンチックで愛を感じる一幕だ。最初はバードキスで、段々ディープキスになっていく情熱的なキスには、わたしとミユも見惚れざるを得なかった。

そんな甘々キスが一段落したあたりで、わたしは気になることを言ってみた。まあ、目の前でえっちに発展するのを牽制した訳じゃないけど。


「そういえば、今回の件で謹慎処分中の人達って今どうしてるんだろ?」


──お兄ちゃんはあの後、今回の事態を引き起こしたBBさんをはじめ、ハワトリアで勝手をしたり、事態をややこしくした人達を会議室に集めて全員に本気の説教をかました。わたしやミユは何も知らなかったから来なくて良いと言われたけど、責任を感じていたからあえて出席した。…正直、めちゃくちゃ心に刺さった。

自責その他諸々をないまぜにし、鬼の形相を通り越して能面のような表情をしたお兄ちゃんは「こんなことになったのはマスターである自分の監督不行届に主な原因がある」と前置きした。その上で、『サバフェス運営の存在意義』『情報共有の不足ないし軽視により発生した大規模な混乱各種』『急な方針転換によりサバフェス参加者が被った被害』などについて淡々と、かつ理論的に解説。これまた淡々と改善要求を突きつけてきた。


・それらのしわ寄せを、結果的にとはいえ小学生であるクロに押し付ける自分達の情けなさ

・クロの夏を台無しにし、自分もそれに加担してしまったこと


という私情込みの議題も交えつつ、最後は「改善が見られなかった場合は当該サーヴァントの自由行動を一切禁じ、監視役の設置や霊基の封印措置まで視野に入れる」とまで言ってのけたため、結構な数の人達が泡を吹いていた。


「お兄ちゃんがあんなに怒ったんだから、あれで少しは変わってくれるよね。次のサバフェスこそはほんとのほんとに平穏無事に…」

「甘いわねイリヤ。あんなエゴの塊みたいな連中が言って聞く訳ないでしょ?」

「あー…」


言われてみれば確かにそうだ。ビーストもかくやなプレッシャーを放つあの時のお兄ちゃんを前にしても、反省するイメージが浮かばない人がカルデアにはちらほらいる。BBさんとか、BBさんとか。(一応)事態解決に動いたりしていた人達(アルキャスさんとかモルガンさんとか)の方がよっぽど動揺や反省の色を見せていた辺り、多分この想像は間違ってない。


───


そうして色々なことを話しつつ、いつものように夜が更けていく。

時刻は深夜、そろそろ寝る時間だ。

わたしとミユは眠気がくるまでトランプで遊ぶことにしたけど、お兄ちゃん達は既にベッドの中。わたし達用に取り寄せたキングサイズベッドの中心にお兄ちゃん、両サイドには人型ボディのルビーとサファイア。そして、お兄ちゃんの身体の上という特等席には当然クロがいる。

今日はルビーとサファイアが両サイドの日だった。つまり、わたし達はさらに外縁部で「お兄ちゃん分が足りない」と嘆きながら寝ることになるのだ。ババ抜きで気を紛らわせたくもなる。


「やっぱりトランプって三人以上の方が楽しいよねー。今度はスマホでルール検索しながらポーカーでも…」

「───夜這い、かけようかな」

「み、ミユ?」

「? どうしたのイリヤ?」


どうやら、無意識下での夜這い発言だったらしい。禁断症状とかかな? 暴走とかしちゃうんだろうか。

…お兄ちゃんとクロが満足する前に暴走したら、わたしが身を呈して止めた方が良いかなぁ…?

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