夏の終わりに冬の暗闇

夏の終わりに冬の暗闇

457623

 昔から勘がよくて、人じゃないモノの影がちらちら見えていた。

 なんでも先祖に、歴史に名前が残るようなすごい人ではなかったものの、そこそこの陰陽師がいたとかで、その子孫である僕にもちょっとだけ素質があったらしい。でも、そんなものないほうがずっとよかった。ただ見て感じるだけで何かできるわけでもなく、今よりうんと幼いころは、怖いものを見てよく泣いたり体調を崩したりしていたものだ。特に黄昏時はひどくて、少しでも日が落ち始めた時点で一歩も家の外に出られなかった。

 それがよくなったのは、今は亡きばあちゃんがどこからか古ぼけたお守りを持ち出して来てくれたから。先祖と交流があったとってもすごい陰陽師が作ったっていう魔除けのお守り。代々伝わってきたというそれをばあちゃんはこっそり僕にくれて、それ以来、僕は人じゃないモノに悩まされることはなくなった。お守りを持ってさえいればあいつらに気づかれなくなって、うっかり目があってつきまとわれることもない。だから僕は24時間お守りを大事に持ち歩いていた。

 古いお守りを持ち歩き、あそこは嫌なのがいるから行かない方がいいとか、肝試しに行った友だちにお祓いをすすめたりとか、そんなことをしていれば自称霊感のあるオカルトマニアと学校で噂されるに十分で、僕はちょっと浮いていた。友だちも少ないし、放課後にみんなでどこかに遊びにいって過ごすということもあまりしなくて、ぜんぜん人がいない寂れた神社に入り浸って、ぼんやりと一人の時を過ごしてばかり。

 住宅街の奥の雑木林にひっそりある神社はぼろぼろで、入り口の鳥居は傾いていてそのうち倒れてしまいそうだし、本殿に通じる石段は左右を囲む木々が大きく生い茂っていて、神社が森の中に埋もれていることが見てわかる。賽銭箱はいつも空っぽ。こじんまりした社務所もあるけどいつもすだれが下がっていて開いたところは見たことがない。それでも完全に放置されているわけではなくて、たまーに境内の草を刈ったり建物の様子を確かめたりと最低限の手入れをする人がいるのは知っている。何度か見かけたことがあって、冴えないおじさんだった。

 そんな様子の神社だから、僕の勘はここに「何もいない」と告げていた。本殿にも、端っこにある小さな社にも。もしかしたら昔はいたかもしれないけど今はどこかにいってしまったらしくて、その神社はただ物理的に神社の形をしているだけの場所になっていた。そして、それこそが入り浸っている理由だった。何もいなくても、神社の形をしているだけでよくないものはあまり近づいてこない。そして何もいないなら、何か気を悪くさせてひどい目にあわされたりとかも心配しなくてすむ。神様だろうが魔物だろうが、人じゃないモノへの不信感は僕の中で根強く育っていた。

 

 その日も僕はその神社に来ていた。

 夏の終わりが近くなっても相変わらず暑くて、でも木々が生い茂った神社は日陰が多くて風が涼しい。持ち込んだ棒つきアイスをすべて食べ終わっても棒をずっと口に咥えてゆるく噛んだりぴこぴこ動かしたりしながら、僕は何時間もそこでぼーっとしていた。学校で少し嫌なことがあってむしゃくしゃしていたせいで、この静かな場所で心を落ち着かせたかったのだ。

 でもなかなか心は落ち着かなくて、いつもより長居をしてしまった。気が付いた時に空は茜色になっていて、風が肌寒く感じる。もう黄昏時だ。昔は空がこんな色になる前に泣きながら家に帰っていたことを思い出して、お守りのありがたみを実感する。それでもさすがにもうそろそろ帰ろうと、重い腰を上げて立ち上がった。

  そんな時だった。

 石段のほうから、とても、とても、とてもよくないものが、近づいてくるのがわかったのは。

 咥えていたアイスの棒がぽとりと地面に落ちる。頭のてっぺんからバケツ一杯の氷水をぶちまけられたように全身が冷たくなって、息が詰まった。今まで感じてきたものたちがすべて霞むほどの、ひたすらに恐ろしい何か。本能が今すぐ逃げろ、隠れろと叫ぶ。

 パニック状態だった。神社へ出入りする道はあの石段しかなくて、神社の周りの森は茂みが深くて逃げられるような場所じゃなく、強引につっきろうとしても草木にひっかかっているうちに見つかってしまうだろう。なら、どこかに隠れるしかないのだ。でも本殿の戸は固く閉ざされているし、それは社務所も同じ。

 瞬間的な逡巡のあと、隠れ場所に選んだのは、境内の隅にある小さな社の裏の茂みの中だった。森をつっきることはできなくとも、せめてそこに隠れることはできる。

 葉の隙間から神社の敷地がよく見えた。命綱である古いお守りを握りしめて息を殺していると、やがて石段を誰かが登ってくる。それは、たまに神社を手入れしているあの冴えないおじさんだった。滝のように流している汗がてかてかしていて、ひどく怯えた顔をしている。

 そしてその後ろから、真っ黒な背の高い人影が石段を登ってきた。

 急に空気が冷たくなって、夏なのにここだけ冬になった気がした。

 それは上から下まで黒ずくめで、もう秋が近いとはいえ夏にするような恰好じゃない。たなびく長い銀色の髪が夕陽の赤を反射していて、凍った血の川のように見えている。凍え死にそうな冬の暗闇をそのまま切り取ってきたような黒い影。

 あれだ。あれが、よくないモノだ。人の世にあってはいけないモノ。逢魔が時に現れるモノ。震える身体が茂みを揺らしたりしないように気を付けながら必死で息を抑えた。

 あの影だけでも恐ろしいのに、その後ろからさらに同じく黒ずくめで大柄な人影が石段を登ってきた。あれも同じくらい恐ろしい気配がして、冬の暗闇の一部のように見えた。何体かがセットになって現れる人じゃないモノは時々いるから。

 冬の暗闇の人影たちはそのままおじさんを連れて社務所に向かった。おじさんにドアを開けさせている。少し遠いけれど、それでも今いる場所からは開かれたドアから室内がよく見えていて、つまりは向こうからもこちらが良く見えると言うことだから、出て行ったら見られるかもしれないと思うと今のうちに逃げるということもできなかった。あんなに恐ろしい存在に、この古いお守りがどこまで効果があるかわからない。

 恐怖に震えながら、ただ起こる光景を見ていた。

 部屋の奥に追いやられたおじさんが戸棚の鍵をあけて何か取り出して差し出している。それをひったくった大柄なほうの影が何か言えば、おじさんは上ずった声で喋って、大柄な影にさらに問い詰められては首をぶんぶん横に振って、逃げ道を探すようにあちこちに視線を動かしている。

 長身の冬の暗闇が、氷よりも冷たい声で喋ったのが聞こえて、それから。

 爆竹のような音がして、おじさんが血まみれになって倒れた。

 あのおじさんは死ぬ。そのことはおじさんが冬の暗闇に追い立てられるようにして石段を登ってきた瞬間から確信していた。でもいくらわかっていても、実際にそれを見るのとではショックが違う。悲鳴をあげないようにするので精一杯だった。

 冬の暗闇たちは、死んだおじさんをつま先で転がしてポケットを確かめたり、死体のそばで平然と戸棚をあさって中のものを回収している。やがて気がすんだのか社務所を出てきて、石段のほうに向かい始めた。僕はただただあの化け物が一刻も早く去ってくれるように祈った。

 でも祈りは通じなかった。

 ふと、背の高いほうの冬の暗闇が足を止めた。そして方向を変えて数歩歩き、膝を折って、地面から何かを拾い上げる。その手にあるものを見て、血の気がひいた。

 拾われたのは、僕がさっきまで咥えていたアイスの棒だった。

 背の高い冬の暗闇はそれをじっと見ている。そして手袋を外すと、素手の指先でゆっくり棒をなぞって、大柄な影に何か告げた。とたんに、大柄な影はきょろきょろと周囲を見回しはじめる。その仕草の意味はすぐにわかった。

 ばれた。

 ばれたんだ。僕が神社にいたことが。あのアイスの棒一本で!

 だって、ついさっきまで咥えていたから。きっとまだ湿っていた。素手で触れればすぐにそれがわかっただろう。それを咥えていた人間がついさっきまでいたはずだと。

 心臓がうるさいくらいに暴れ始める。

 見つかればどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。今すぐ逃げたいのに、動いたらきっと茂みが揺れる音で気づかれる。見つからないことを祈るしかない。お守りを強く握りしめる。

 大柄な影は本殿をぐるりと回って中を覗き込み、やがて閉ざされた戸を破って中に入っていった。そして長身の冬の暗闇は、僕が隠れている茂みの前にある小さな社に向かってくる。距離が近くなるごとに真冬の冷たさが強くなって肌を刺してきた。出来る限り身を硬くして、身動ぎひとつしないようにすることしかできない。

 冬の暗闇は無遠慮に小さな社の戸を破って開け放った。もちろん中には誰もいない。そのままここにはいないと思ってくれればよかったのに、社の周辺を調べ始める。隠れている茂みのすぐ隣まで近づいてきて、本気でもうだめだと思った。

  でも、見つからなかった。

  僕が隠れている茂みの目の前までやってきて、中をほとんど覗き込んでいるにも関わらず、冬の暗闇は僕の存在に気づかない。その冷たい瞳が夕陽でぎらりと赤く光っているのが見えるほどの距離まで近づいたのに、不自然なほどに焦点が僕にあわないまま、うろうろと虚空をさまよっている。

 それで気づいた。

 見えないんだ。

 お守りを手にしてから僕のことを気にしなくなった人じゃないモノたちと同じように、僕のことが見えていない。真冬の寒さの中で、手の中のお守りがカイロのように温かく思えて、決して手放さないように手の力を強める。

 それでも違和感はあるらしく、冬の暗闇はしばらく僕の隠れる茂みの前で立ち尽くしていて、でもやがて別の場所へ向かう。神社の境界をなぞるように歩きながら草木を確かめていて、無理やり通って枝が折れた痕跡なんかを探しているみたいだった。

 このまま諦めるまで隠れているべきなのか悩んで、でも、今は見えていなくても時間が経つとわからないのが怖くなる。だって、見えていないにも関わらず、僕の隠れる場所の前で立ち止まっていたのだ。お守りの効果があるうちに早く逃げるべきじゃないかと思った。あの冬の暗闇にお守りが通じたのだから、気配的にはその一部らしい大柄なほうの影にもきっと効くはず。

 冬の暗闇は今は社務所を調べているようで、人が隠れられそうな棚を開けている背中が見える。もう一つの影はまだ本殿を調べているらしく、中から物音が聞こえた。天井裏でも見ているのかもしれない。

 両方とも建物の中だ。

 きっと今しかない。

 どうかうまくいってくれとばあちゃんとご先祖様に祈って、そっと茂みから出る。かさりと草が揺れる音が出て、背中を向けていた冬の暗闇が振り返った。その瞳がこちらに向けられて思わず硬直してしまったけど、やはり見えていないらしく、視線は僕を素通りしていく。そろそろと社から離れても、目が追ってこない。

 冬の暗闇がふたたび社の近くまで歩いてきて、僕の真横を通り過ぎていった。

 緊張でからからになった喉にごくりと唾をのみ、静かに石段のほうに向かう。このまま逃げ切って、家に帰って、夕飯を食べて、何も見なかったことにする自分自身を思い描いた。普通なら殺人事件を見たと通報するのがまともな人間なのかもしれないけれど、殺したのは人間じゃない化け物なのだ。人じゃないモノとは一切関わらない。それが今まで生きてきた経験で学んだことだったから。

 もう少しで石段だ。焦らず静かに。お守りがある。きっと大丈夫。そんなふうに石段にばかり目を向けていたから、本殿から出てきた影にすぐには気づけなかった。

 そして気づいた時には遅かった。

「兄貴!いやした!!」

 大柄なほうの影は、まっすぐに僕を見て、高々と告げる。

 そこで致命的な思い違いをしていたことを知った。あれは、冬の暗闇の一部なんかじゃない。人間だった。近寄られただけで背筋が凍る冬の暗闇に怯えることもなく平然と一緒に行動できていた、到底信じられない――人間。

 このお守りが通じるのは人じゃないモノだけだ。

 ただの人間には通じない。

 

 なりふり構わず石段に向けて走ろうとして、乾いた爆竹の音がして胸に灼熱の痛みが弾けて足がもつれて倒れた。追ってきた足音に背中を思い切り踏みつけられて地面に縫い留められる。口の中にみるみるうちに血の味が広がった。

 胸が気が狂いそうに痛い。

 ああ死ぬんだ。

 視界に影がかかかって、痛みにあえぎながら見上げた。

 身も心も凍らせる冬の暗闇の化身がそこにいる。激痛に視界が滲む中で、銀色の氷の川が夕闇のわずかな光を受けて輝きながらさらさらと流れていた。その隙間から瞳がじっと僕を見下ろしてくるけど、やはり焦点はあわない。ただ、ここに僕がいるはずと知っているから、その方向を見ているだけ。

 ゆっくりと目を細めて、冬の暗闇は舌打ちをした。

「……見えねえ。そういうことか」

「兄貴?」

「ウォッカ。そいつの持ち物を全て取り上げろ」

 男は化け物に言われたとおりに僕の制服のポケットをひっくり返した。買ったアイスのお釣りの小銭と生徒手帳。やがて僕が何か手に握りしめていることに気づいて、手を開かせようとする。なけなしの力で必死に抵抗しようとしてもうまく力が入らなくて、あっさり奪い取られた。

「こいつは……お守りですかい?」

「よこせ」

 大事な大事な、ばあちゃんにもらった、命綱だったお守り。冬の暗闇はそれを不快そうに見つめ、強く手の中に握りこむ。お守りは黒い炎を上げ、みるみるうちに灰になって、指の隙間からこぼれ落ちた。ああ。

「俺の目から逃れることができるほど強力なシロモノがまだ残っていたとはな……」

「兄貴の目を?じゃ、じゃあ気配に敏いはずの兄貴が見つけられなかったのも」

「鳥籠で囲んでいる以上は小鳥を逃すことはあり得なかっただろうが……お前のおかげで余計な手間がかからずにすんだ。よくやったなァウォッカ」

「へへっ、滅相もねえです!兄貴はいつも俺が見落としちまったもんを見つけられるんで、たまには俺の方が兄貴の見えねえもんを見つけねえと面目立たねえですぜ!」

 化け物に向けて誇らしげに言う男の声。

 ずっと、この世で怖いものはみんな、逢魔が時に現れる影ばかりだと思っていた。だからニュースで誰かが誰かを殺した、なんて事件を見てもぴんとこなくて、実は人間に化けた化け物の仕業だったのかもしれないとすらぼんやり考えていて。

 人間だって化け物と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に怖いものだったって。平気で何人も人を殺して、その死体を足蹴にして、化け物とつるんで笑える人間もいるんだって。そんな簡単なことに気づけなかった。気づきたくなかった。

「さて、こんなもんが複数あると厄介だ。出所を探っておきてえが……」

 冬の暗闇の瞳と、今度こそ、目が合った。

 ひぐ、と喉から悲鳴が溢れそうになって、代わりに血を吐く。まともに息ができなくて痛くて苦しくて口をはくはくさせていれば、嘲笑が降ってくる。

「肺に穴開きのこんな有様じゃあ、この小鳥はもうさえずることはできねえなァ……」

「すいやせん、足を狙ったんですが」

「問題ねえよ。身元がわかってりゃどうとでもなるさ……」

 音が遠ざかって、もう冬の暗闇たちが何を喋っているのかもわからない。

 少しづつ視界が溶けて濃くなっていく逢魔が時の暗さの中に、いつまでも氷の川が銀色にゆらめいている。寒くて、本当に寒くて、指先から凍えてもう動けなくて、息ができなくて苦しくて、でもその苦しさすらも寒さで凍りついて消えていって……

 真冬のように寒くて暗い……

 さむい……

 さむ……

 

 

 ……ゆっくり頭を撫でられた気がした。

 あたたかい。

 ばあちゃんの手だ。

 ごめんね。せっかく大事なお守りくれたのに。

 ばあちゃんは謝ることないよ。

 本当にごめんね。

 ごめん。

 僕も謝るなって?でも……

 バカな子ほどかわいい?ひどいな。

 でも、うん。

 

 こんなに寒い中、迎えに来てくれてありがとう。





(※動かず隠れ続けていてもお守り通じないウォッカに見つかってジ・エンドだし、なんとかしてウォッカに見つからずに逃げられたとしても石段の下で見張りしていたモブ構成員に見つかってジ・エンドだし、アイスの棒を落とさずにいて黒服デュオがそのまま帰っていたとしても誰もいなくなってから安心して出てきたところで後からやってきた死体処理班と鉢合わせしてジ・エンドになるので、夕方まで神社にいた時点で実は完全に詰んでいた。黒服デュオに遭遇した時点で死確定なので生存ルートは夕方になる前に帰ることのみ)


Report Page