夏の盛り・峠・マイカー

夏の盛り・峠・マイカー


アサは気力を振り絞り、己を奮い立たせる。その視界に広がるのは、多彩なデザインの水着が並ぶショップ。数体の首のないマネキンがモデルのような立ち姿で、水着姿を披露している。

球場警備の依頼を達成し、振り込まれた日当を懐に収めたアサは、ユウコ達に水着ショップに連行されて、店の前までやって…そこで足を止めたのだ。

「何してんの〜?」

「うん…」

前にいたフユが振り返るが、アサは何もしていない。明るく、華やかな店の佇まいを見ていると、アサの足が勝手に後ろに下がろうとするだけなのだ。

アサは意を決して店舗内に踏み込み、水着を試着した姿を2人に披露したりした。店員は優しく接客してくれたが、それが却ってアサの気力を削ぎ落とす事になった。


そして…


「冷た…」

関東圏内のキャンプ場が管理している川の中に、アサは立っている。すぐ目の前には木々が緑の壁となって迫っており、膝の下を透き通る清水が流れ、彼方を目指して通り過ぎていく。

アサは少しでも身体を隠せるタイプを、と選んだパレオ付きビキニの上に、シャツを着ている。

河原にはアサ達の他にも、若い男女や家族連れらしい年齢層のバラバラなグループもいて、アサはずっとそちらの目が気になっていた。

(早くロッジに戻りたいな…)

水着ではしゃぐフユとユウコを見ながら、アサは心の中でぼやく。球場警備の最終日についた危険手当で報酬は一人10万円を超え、3人はキャンプ場内のロッジに宿泊する事ができた。

テント泊もできたが、少女3人でテントに泊まるのはアサが不安だったので、施設を利用する事になった。おかげで高くついたが…。

しかし、いい景色だ。アサが周囲の自然に目をやった時、突然水がかけられた。

「うわっ」

「あははは!なにその声〜!」

犯人はフユだった。アサも川遊びに加わり、3人はしばしの間、戯れる。

(疲れた…)

ロッジに帰ったアサは、用意された布団に包まりながら1日を反芻する。場内の屋外バーベキューハウスで食事をとり、風呂は徒歩7分ほどの温泉。周辺には宿も2軒ほど建っており、日帰りで入浴も可能だ。

他人と長く関係が続かないアサだが、これほど濃密な時間を他人と共有するのも初めてだ。社交性に乏しいからだろう、普段より消耗している。

(まぁ、いいか…)

アサは考えるのが面倒臭くなってきた。一泊なので明日の朝にはここを発つ。そうしたら、またトレーニングの日々だ。

フユ達がキャンプ場にいる頃、姫野キリヤは契約している車の悪魔に乗って、茨城県にある筑波山を訪れていた。ここに首無しライダーが出て、山道を走行する車を狙うのだという。

《キリヤ…起きて》

後部座席で毛布に包まっていたキリヤが、カーラジオから流れる女の声で目を覚ますと時刻は午前0時。

「うおぉ…じゃあ、行くか」

キリヤは大きく伸びをしてから、真紅のアメリカ車を走らせる。狙うのは一度の襲撃につき一台だけらしく、目撃談も僅かだがある。すぐには襲いかからず、ちょっとの間ターゲットと並走するようだ。

「俺の身体をシートベルトで固定して、出てきたら抜かされないようにしろ。ぶっちぎったら正面から突っ込め」

筑波山の首なしライダー、噂から察するに相手は"馬の悪魔"らしい。己の契約悪魔が法定速度を無視すれば、十分勝てる相手だ。



男は孤独だった。

大手の求人からはあぶれ、出世は同期より遅い。実家を出てから人の縁は無くなったが、男にはバイクがあった。

バイクを走らせている間だけ、男は自由だった。愛車のスピードは中毒患者が刺激を増やすように日ごと増していき、やがて山道で事故を起こした。

不運だったのは、両足が見る影もなく壊れてしまった事。

幸運だったのは、言葉が喋れる程度には意識がはっきりしていた事。

「お…お俺の、命…全部やる……。

思い出も…だから、乗せて…ください」

事故を起こした男は、近寄ってきた悪魔に願う。

この世の誰よりも自由になれるあの時間をもう一度。壊れた両足ではバイクに跨ることができないから。

俺にスピードを感じさせてくれ。

馬のシルエットをした頭部が四つに開き、密集する牙が男の首を包む。

「この山を走る車を狙え」

男に微笑んだ悪魔は一体だけではなかった。馬の悪魔に続いてその場に現れた悪魔は、首のない男の遺体を馬の背中に乗せてベルトで括る。

「物語が必要だからな。この山で死んだライダーの霊が生者を恨む…これで行こう!」

馬の悪魔〜首なしライダーの恐怖を添えて〜

筑波山の怪異はこうして生まれた。

"車"によって嘗ての地位を追われた一体と、速さに救いを求めた一人。

「馬が車に勝てるわけねぇだろ!!」

彼らの蜜月に幕を下ろす為、キリヤと車の悪魔は山に来た。深夜に始まったレースの結果、馬は敗北。

己を抜き去った車の悪魔目がけて、馬の悪魔は正面から突撃した。

フロントバンパーを昆虫の顎のように変形させた真紅の車体と首なしライダーで押し合いになる。押し合いの結果は、車の悪魔に軍配が上がった。

防護柵まで押し込まれた際、背中のベルトが切れたのだ。背中の遺体が転げ落ち、身体に漲る恐怖を失った馬の悪魔は、キリヤのグルカナイフによって命を奪われた。


Report Page