地蔵菩薩(10)
TSHパロ ※R18。NL要素あり。※尊直 ※体格差のある兄弟。
主要人物:尊氏(既婚)・直義(未婚)
~1333年12月 地蔵菩薩(10)~京の二条高倉邸にて~
こんどは、衾の上で、胡坐を組んで座り込んだ裸の兄は、そのたくましい足の上に、白い脚をおおきくひらかせた弟を引き寄せ、向き合って座らせた。
「直義、直義、直義」
と、兄は、弟の耳もとで、くりかえしその名を呼び、その白い頬に何度も顔をすりよせては、そのちいさな唇にくちづけ、ただひたすらに、弟にあまえた。
弟は、慈愛にみちたまなざしで、自分にあまえてくる、おおきなこどものような兄をみつめ、しずかにほほ笑む。
白い腿で兄のたくましい腰を挟んだ弟は、兄の分厚い背中に、白い両脚を差し交え(さしかう。互いに差し伸べて交差させる、という意味)、そのおおきくひらいた足のあいだに、あやすように、幾度も兄をやさしく引き寄せては、そのたびに、兄のするどい頬に、慈しみにみちたくちづけをあたえた。
その慈しみがもたらしてくれるよろこびに酔う顔になった兄を、その白い胸に抱き取った弟は、兄の頭を何度も撫ぜては、かわいい、かわいい兄上、と、かぎりないあまやかしにみちた声で、その耳もとに、くりかえし、くりかえし、やさしくささやき、
「幾十度(いくそたび。いくたび、何度となく、という意味)でも、お吸いになりなさい」
と、兄のおおきな口に、はじめて、みずから乳を含ませてきた。
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兄は、思った。
地蔵菩薩は、小児(こども)の成長を見守ってくださる、慈愛にみちたほとけさまだ。
いままでも、これからも、我の、かけがえのない、ただひとりの、たいせつな弟を、どうかお見守りくださるように、と心から祈る。
そんな兄の頭の中で、とおく、地蔵和讃の歌声が鳴り響く。
ひとはひとを愛するがために、六道に堕ちるのだ。
そして、六道において、悩み苦しむものたちを救うため、菩薩はみずから、そのなかに堕ちていく。
願いをたてて、菩薩みずから、堕ちていくのだ。
(ろくどう。人間が善悪の業因によって行きめぐる六つの世界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のこと)
地蔵菩薩は、地獄のなかで苦しむひとびとを教え導き、その苦しみをうけいれてくださる、ありがたいほとけさまなのだ。
そして弟は、本来の、その性情(性質、心情、気立て、という意味)にはまったく向かぬ、政争がもたらす地獄に行くことをみずから選び、堕ちてくれた。
兄を慈しむがゆえに、地獄に堕ちてくれた弟をみて、兄は、どれほどのよろこびをおぼえたことか。
そして、兄は思う。
昔から、小児(こども)の我を、かぎりなくあまやかし、つつみこんでくれ、つねに変わらぬ、おおきな愛を注いでくれるのは、この弟しかいないのだ、と。
世の中からのけものにされ、つまはじきにされても、無条件ですべてをうけいれ、やさしくほほ笑み、その白き腕(かいな)に抱き取ってくれる存在。
地獄にいながらにして、六道のひとつ、天上の世界にまさるよろこびを、兄は、味わう。
これほどのしあわせがこの世にあろうか、と。
弟の慈愛にみちた胸に抱かれながら、兄は、緑の目をとじ、恍惚とした歓喜に包まれる。
この、ひととしてはあまりにも愚かだが、かぎりなくやさしい弟に、我は、この世のすべてをあたえてやろう。
これからも、傷ひとつつけぬように、我が、この弟を、守ってやろう。
だが、おまえが、我以外に、そして、我がおまえにあたえたもの以外に、その愛を、すこしでも向けるのならば。
我よりも愛するものが、おまえにできてしまったのならば。
ふたたび、おまえが、我のそばから離れ、我をひとりにして、置いていってしまうのならば。
我は、おまえから、すべてを奪い、とじこめてしまおう。
ほかのなにものも、いっさい、見せずに、聞かせずに、触らせずに、我だけをしか、愛させないようにしてしまおう。
そして、おまえが、もし、我を見捨てて、どこかにいってしまうのならば。
我は、おまえをむさぼり、その骨のさいごのひとかけらまで、あまさず、そのすべてを喰らい尽くしてしまおう。