地獄の献立:竹輪の蜜漬け

地獄の献立:竹輪の蜜漬け


『砂糖』の魅力は万人が享受するべきものだと考えています

「体質に合わないから」「歯がなくなってしまったから」「嚥下機能がろくに残っていないから」

そんなことは食事を阻む言い訳にはならないでしょう?

あの甘味を一部の選ばれた人間しか口にすることができないままにしておくなんてあまりにも勿体無い…ヒナさんはいつか「蛇口をひねれば甘いコーヒーが出てくればいいのに」とおっしゃっていましたがまさにその通り

誰もが簡単にあの美食を体験できるようになればきっと世界はより良いものになっていくでしょう

ですからヒナ委員長から、特別教室の皆さんへ専用の給食を作るように命じられた時は…運命だと感じました。私の考えを体現し、なおかつ風紀委員の必要性を示す大きなチャンスだと


「うへ〜、ほんとありがとね〜。わざわざふつーじゃない子達の分にメニューまで考えてもらっちゃって…本当は忙しいんでしょ〜?」


…まさか対策委員長たるホシノさん直々にお礼をいただけるとは思ってもみませんでしたが

「いえいえ…当然のことをしたまでですわ!今後ともぜひ…私どもにお任せくださいね?」

そんなやり取りをしていると、不意に何やら言いにくいことがあるような雰囲気になられました


「ん〜、ただね?申し訳ないんだけどちょっと…困ったことがあったらしくて…聞いてくれる?」


…嫌な予感がしますが聞かないわけにもいきません

勇気を出して話を続けましょう


「なんでしょうか?何なりとお申し付けください」

「いや…実はね?ハルナちゃんに作ってもらった料理の中でさ、『砂糖』も『塩』もあんまり食べられない子向けのヤツあったでしょ〜?あれの味付けがそのぉ…ちょっとだけね?薄かったかな〜って食べた子から言われて…」


アビドスの最高権力者に告げられるあまりにも大きな失態

あぁどうしてもっと早く気がつけなかったのでしょう…自分には関係ないと手を抜いたのがから?それとも食べる側の立場に立ってモノを考えられなかったのが原因?

なんにせよ食事の提供を生業としているにも関わらずあまりにも杜撰。技量や知識以前に心構えの時点から落第でしょう


「ぁ…え………嘘……」


即座に謝罪し、改善案を述べるべきなのは理解しているつもりです。しかし呆然とするあまりまともに口を開くことすらできませんでした

なんて身勝手なのでしょう…本当の意味で苦しんだのは私ではなく…心のこもっていない残飯を振る舞われた方々でしょうに


あまりに酷い私の有様を見つめながら、ホシノさんは背中にそっと手を添えて話を続けられました


「あっごめん、他の子達は美味しそうに食べてたから。全然大丈夫だよ〜なんなら真似しよっか?見る?かわいいよ?」

「あ〜でもさ?向き不向きってあるよね?あぁそうだ、特別学級の子達にあげる料理の中で〜砂糖少なめのやつは…ミヤコちゃんに作ってもらうってのはどうかな?あの子最近料理が趣味でね?もちろんいっぱい必要な子の分はハルナちゃんにお任せするからさ?」


その言葉を聞いてゾッとします

端的に言ってしまえば風紀委員の業務縮小を意味するのですから。『私達』にとっては絶対に避けなければいけない事態です

もしかすると…自らのアイデンティティが傷つけられたように感じたという面もあるのかもしれませんが…


「そッ…それは困りますわ!もう一度!もう一度だけ機会を頂ければきっと…皆さんに美味しく食べていただける料理を作ってみせますから…どうか…」


必死の弁明に、ホシノさんは困ったような顔で返事をくださいます


「うーん…うん、そんなに言うなら任せるねぇ…でもしんどくなっちゃたら〜周りを頼らないとダメだよ?」

「ありがとうございます!」


私の必死の願いが通じたのか、あるいはそこまで私どもに深い失望を抱いておいでではなかったのか

ひとまず猶予をいただくことは出来ました。もちろん、またしくじれば次はないという期限付きではありますが確かにもう一度だけチャンスを手に入れたのです

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タイマーが鳴り響き、特別支援学級の方向けの試作料理が完成します

今回選んだのは魚の煮付け

特別支援学級には砂糖の影響か目を悪くされている方が多くいらっしゃいますから少しでも助けになればと思ったのですが…こんな気配りは少量でも砂糖を含んでいる以上焼石に水かもしれません


てらてらと美しく輝いているそれは…味付けはともかくとして概ね成功したと言ってもいいでしょう

といっても…私にはもう何の匂いも感じられず、食欲も湧かないのですが…


「さて……作った以上は味見が必要ですよね…」

最も苦痛な瞬間がやってきてしまいました

自分がどれだけ美食を冒涜してきたかを理解してしまう瞬間が


出来上がった魚の煮付けを口にします

味がしません


生姜の皮や、煮付けには使わなかった青ネギを口にします

味がしません


煮付けにする際、えぐみを取るために取り除いたえらや血あいをそのまま口に放り込みます

当然のように味がしません


「わからない…どうすれば特別教室の皆さんが満足していただけるのか…」

この手順で作れば美味しい『はず』という指標はある

しかしその全てが他人事のように感じて目の前の料理と結びつけられない


「どうにかして『砂漠の砂糖』を減らしても美味しい料理を考えなくてはいけませんねぇ」


思案を巡らせましょう。砂糖を摂る前は…なにが美味しかったのでしょうか?

先生と一緒に口にしたたい焼きの味は?

万魔殿主催のパーティ、あそこの料理は美味しかったのでは?

他にも…美食研究会で集まり…沢山の料理を戴いてきたじゃないですか?


キラキラと輝いていたはずの青春

…他人事のように記憶にこびりついて取れない染み


今となっては何の役にもたってはくれないようです


「何か…何かないのでしょうか?」

このままではマズイです。急いで思い出さなければいけませんね

だって

「ミヤコさんにこの業務を奪われたら、ハスミ副委員長になんと言われるものか分かったものでは…」


……………私は今、何を口走った?

口をついて出た言葉の悍ましさに思わず手で塞いでしまいました

自分しかいない厨房でこのようなわざとらしいことをする必要はないかもしれません

それでも…自分が許せなくて…


料理を政治闘争や利権争い、派閥での小競り合いの手段として用いることを好ましく思っていなかったはずなのに

それを理由に制裁を下したことは一度や二度ではないくせに


何よりも…フウカさんをリスペクトしていたのは…ゲヘナ内の一組織であるにも関わらず

大きな見返りもなく料理を提供し続けるその姿勢だったはずではないですか?


「ふふっ…………ふふふっ……」

纏まらない思考を刺すように、厨房の上に用意していたアビドスシロップの瓶に目が行きます

甘い香りが鼻腔をくすぐっているのです…蓋はしっかりと密封されているはずにも関わらず…

口に喉に舌に鼻に脳に

…そして何よりも心を塗りつぶした『それ』がまだ足りないとばかりに手招きしているのだから


「抗えるわけないですよねっ♡」


罪悪感ごと押し流すように一気に煽ってしまいました。少しだけ料理に混ぜるだけだったはずのそれが、調理には一切使われないまま音を立てながら私の奥に流れ込んでいくのを感じて…


あぁ

夥しい感覚の濁流が向かってくる


まぶしい



きもちがわるい

このまま





くさりおちてしまいたい

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「ハルナ、起きなさい」

優しくもどこか目覚めを強制するような凛とした声で目が覚めます

当然のように目の前にいるヒナ委員長

そしてどうやらここは…風紀委員会が利用する保健室のようですね


「…どれだけ寝ていましたか…?」

意識が定まらない頭で考えた質問でしたが…少々不躾だったでしょうか


すると委員長は、このような失態を犯したにも関わらずいつもとあまり変わらない態度のまま

「正確な時間はわからないけど…ざっと見積もって半日ってところかしら?火とガスをしっかり止めていてよかった…あなたの部下に感謝することね。終業前に顔を見せないのはおかしいって、勤務時間外なのに探し回っていたそうよ?」

と仰いました


「申し訳ありません委員長、与えられた仕事をこなせないどころか風紀委員会全体の品位を下げるような行いをしてしまいました」

ただ頭を下げて謝り続けます

謝罪して済む問題ではないことは百も承知ですが今の私にできることはこれしかありません


「それはいいから…それよりあんな無茶な『砂糖』の使い方はやめなさい。人に正しい食べ方を教える立場なんだからあなたが一番わかっているでしょう?」


もっともなご指摘。返す言葉もないとはまさにこのようなことを言うのでしょうね


「以後気をつけます」

「そう。ならいい、けどあなたが倒れたら困るのはあなただけではないってことはちゃんと理解しておくことね」

「…深く心に刻みます」


そのまま伝えるべきことは全て伝えたと言わんばかりに、スタスタと保健室から出ていかれました

お見送りもしたかったのですが不要とばかりに手で制されてしまい黙って見送るしかできません


「…あの姿勢を…見習わなくてはいけませんね」

眼前には誰もいなくなり一人の時間がやってきました

施工されたばかりの染みひとつない天井を眺め虚ろなままに自分に問います

結果は最悪。体調は最低。ですが過ぎてみれば…私が本当の意味で『アビドス風紀委員』の一員となるための洗礼を受けたような…そんな気分になりつつあるなんて不思議ですわ…

今何をするべきなのか…何をしなければいけないのか…全てを理解できたような気さえします

容器の奥で捨て置かれた粉砂糖のように、この場所が私をあるべき姿へと塗り固めたのです


誰に向けるでもなく自分のための宣言を

私のためだけではなく『我々』のための美食を

「このハルナ、アビドス風紀委員として精進して参りますわ!」


もう二度とあの日の『美食』を味わえないと言うのなら

思い出も、仲間も、ゲヘナも、そしてもちろん先生も…………

全て甘く蕩けさせてしまいましょう



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