四つ巴バトルロイヤル 一回戦グループA
M『始まりました……第一回四つ巴バトルロイヤル。一回戦グループAの実況を務めさせていただくのは山本隊の笹蟹姫猫助。解説は久木隊の律孝多さんです』
『よろしくおねがいします!』
二人はぺこりと頭を下げ、資料を捲る。
『さて……転送開始まであと僅かですので、簡単に今回の試合の参加隊員について見ていきたいと思います』
B級一条隊銃手、一条安寿。
B級岡崎隊攻撃手、那珂川橘。
A級増田隊銃手、来栖流一。
B級一条隊銃手、柊木洸牙。
『銃手三人、攻撃手一人といった配分で橘さんは若干不利か……。落ち着いた試合展開が予想されますが、孝多さんはこの試合における注目隊員などはいらっしゃいますか……?』
『注目って言うかキーパーソンはやっぱり柊木さんの存在でしょ。普通に超強いし』
『確かに個人ポイントでは柊木さんのアステロイドが一際抜けていますね……。次点で来栖くんのアステロイド。同隊の安寿さんや狙撃手トリガーを使えない来栖くん、唯一の攻撃手である那珂川さんでは少し荷が重いということでしょうか……?』
『そうだね。それも踏まえてこの試合はどれだけ柊木さんと交戦しないかが肝になってくると思うよ』
『なるほど……。ありがとうございました。……と、各隊員の転送準備が完了したそうなのでそろそろ試合の方に移っていこうと思います』
『各隊員転送完了』
☆
『これは……』
『うわー、那珂川ちゃんは相変わらず運が悪いね』
二人は思わず目を見開く。
ランダム性のあるランク戦の転送では人数が多ければ多いほど転送位置の有利不利が明確に分かれる。
……が。

これはあまりにも不利が際立つ。
「え、これレーダーちゃんと機能してるよね? めっちゃ挟まれてるんだけど!」
レーダーを覗く那珂川の叫びは空に溶ける。
『転送先はマップ中心に橘さん。そして彼女に近い人からマップ北に柊木さん、マップ南に安寿さん、そしてマップ南西に一人ポツンと来栖くん』
『那珂川ちゃんの運が本当に悪すぎるね~。次点で安寿ちゃんがちょっときつくなるかも?』
『確かに、橘さんが南下すると今度は安寿さんが挟まれる形になってしまいますね……』

「南に二人、南南西に一人か」
柊木視点では自分以外のレーダーが誰を指しているかが検討すらつかない。しかし、柊木にとってその程度、大きな問題ではない。
(幸い俺より北側には誰もいないから背後を気にする必要はない。ここはじっくりラインを押し上げつつ場を制圧していこう)
「……ふーん。なるほど、転送運はぼちぼちやな」
安寿は一人そう呟き、思考の海に潜る。
(最北にいるのは柊木さんやろな。その進行の遅さは自分の射程と技術に自信がないとできひん。んで、北から向かってきてるレーダーと西から向かって来てるレーダーのどっちがどっちか)

那珂川と来栖は二人とも別の戦術の元で安寿の方に向かってきている。
しかし、それを知らない安寿からすると現状はただ自分が挟まれそうになっているだけだ。
(速度で判別は出来ない。せやったら戦術で見よか。射程で見たら柊木さん≧うち>来栖さん>那珂川さん。よって二人は射程を覆す為にイレギュラーを作りにくる。それがこの接近。来栖さんは技術、那珂川さんは機動でうちらを翻弄し、隙を突いて二位を狙ってくる)
一対一の戦闘の結果は実力の比重が大きいのに対し、一対一対一といった混雑した戦いでは運や戦術の要素が少なからず存在する。
その理由としては思考の分岐とその複雑さにあるだろう。戦況が複雑になればなるほど求められる思考レベルは高くなり、零れ落ちた思考は運という要素になる。
将棋が得意な安寿でさえ、対応できるのはあくまで一対一まで。人数が増え、更にそれが他の隊員ともなればもっと運の要素が増えてくるだろう。
そして、安寿にはもう一つ悩みがあった。それはオペレーターがいない状況でのダミービーコンの使用はむしろ混乱を生み、イレギュラーの種になってしまうということ。
(ま、とりあえずはこうやろな)

『ここで安寿さんが橘さんと来栖くんから逃げるように東に後退。しかし、移動速度では二人に劣っているのですぐに追いつかれてしまいそうですが……』
『安寿ちゃんの狙いはそれじゃないってことでしょ』
『と、いいますと……?』
『あのままだと来栖くんと那珂川ちゃんは安寿ちゃんの元に到着するまでに接敵することはなかった。来栖くん視点安寿ちゃんより那珂川ちゃんが近くなることはないし、それは那珂川ちゃん視点でも同じ。角度的にも、距離的にも』
『でも、安寿ちゃんが東に移動したことでこのまま追うと安寿ちゃんの射程圏内で二人は接敵してしまうことになるんだよね』

『その恐れを踏まえて二人の足が止まると考えたんですね』
『二人の狙いを考えたらそうなるのが妥当だしね』

(レーダーが引いた? なんの狙いだろう。まさか一条さんじゃないのか?)
来栖は考える。来栖視点だと射程の長い安寿が逃げる必要性が思い浮かばない。
技術的に二人を同時に相手できないという理由ならよほど逃げる意味がない。北東のスペースに移動して那珂川と対峙すればいいだけだ。
この時点で来栖にとってのこの移動は基本ノーリスク。だからこそ、迷いが生まれ移動速度が鈍る。

(んー、怖いなあ。あたし以外射程持ちだから無闇に突撃出来ないんですよね……)
那珂川は自分以外の誰がどこにいるのか、検討すらついていない。
唯一の攻撃手である自分が勝ち残る方法は二つ、乱戦に乗じて二人以上を倒すか、逃げ切るか。
しかし、ダミービーコンを持ち戦術面で自分をはるかに上回る安寿がいる以上、逃げ切るのは得策じゃないと考え、乱戦へ持ち込む戦術にシフトした。
だが、相手は乱戦を望んでいない。その時点でこの策はほぼ死んだも同然だった。
那珂川ー安寿ー来栖間の角度が直角からより鋭角に移り変わることで安寿の視野に二人を収めつつ、二人に射程有利を取ることが出来る。
安寿の策はまさに最善だった。
(いや、北のレーダーも鈍化した! やっぱり東は一条さんだ!)
(……ダメだ、ここで動かなきゃもっと可能性はもっとなくなる!)
『ですが……ここは両者ともに前進を選択。機動と技術で押し切れると踏んだか』
『あくまでイレギュラーを生み出すための前進、か。うーん、この流れは安寿ちゃん的には少し厳しいかな?』
しかし、それだけではない。安寿の狙いは更にその先にあった。
(なるほどなあ、北が那珂川さんで西が来栖さんか)
安寿が使ったのは自分の行動から二人のレーダーの動きの変化までにかかった時間、即ち判断力の差。ある種の人読みだ。

安寿の後退で両レーダーの移動速度は若干ではあるが遅くなり、まずは西のレーダーが再加速、そのすぐあとに北のレーダーも再加速を果たす。
前後左右を囲まれた危険な状況のレーダーよりも比較的余裕のある西のレーダーの方が動き出しが早かった。
安寿は二人の性格を人聞きではあるが知っている。ゆえにこの判断力は来栖だろうと確信するに至る。
そして、安寿は判断力による彼らの戦術レベルをインプットする。
「さて、あとは釣りの作業やな」
そう呟くと安寿は慣れたような動作で突撃銃を実体化。
後退を続けながら狙いを定める。
『ここで安寿さんは二人を迎え撃つ体制に』
『足だけでは逃げ切れないと踏んだか、もしくは他になにか考えがあるのか』
そして、撃つ。

狙いは来栖。ただ一人。
その様子に解説席は少し戸惑いを見せる。
『セオリー通りならここは那珂川ちゃんを撃ち崩すべきになるけど……』
『機動力が高い人を倒せる時間は限られていますからね。例えば相手に戦闘する気がある時や、機動を削げる地形の時や、エリアを絞れている時など……』
『それこそ今は那珂川ちゃんの狙い時なんだよね』
『ですが、来栖くんを撃ってますね。安寿さんの目には橘さんの機動よりも来栖くんの技術の方が場的に高い価値があると映ったのでしょうか……?』
『それか、明確に今のうちに来栖くんを落としておきたい理由があるのか、だね』
(そんなんはあらへん。ただ、落とすだけやなくて、攻撃するということに意味があるんや)
安寿は当然実況解説の音声が聞こえていないが、実況解説が見抜けるであろう情報を言い当てた上でその補足をするに至る。
理由は大きくわけて三つ。
一つ目はこの攻撃で来栖は前を警戒し、シールドを使用しながら移動速度を緩めなくてはならなくなること。これによって那珂川が先行し、来栖と那珂川の挟撃を防ぐことが出来る。
二つ目は単純に那珂川に情報を与えること。来栖は各レーダーが誰かを指しているのか検討がついている動きだったが、那珂川はそうでは無かった。なので、ここで射撃音を鳴らすことで彼女の右を走っているのが来栖だと知らせることが出来る。
この四人の中で試合を通じた戦術を組むことが出来るのは安寿と来栖のみ。ならばこそ、安寿は戦術に那珂川の思考レベルを組み込むことにした。
そして、最後に。
『おおっと、安寿ちゃんの射撃のせいで来栖くんの歩幅は共に乱れちゃってるね』
『それだけじゃないです。これは……』
『なんと、柊木さんが足を速めて那珂川ちゃんを追っている!』

怪物への指示出し。
(この序盤に那珂川さんを倒してもうたら柊木さんは完全に静観する構えになる。したら来栖さんとの一対一で敗北するリスクは高い。イレギュラーが必要なんはうちも同じ)
射程では優っている安寿だが、それ以外の戦闘能力では来栖にほとんど劣っている。それこそタイマンになどなれば火力不足のハウンド使いと攻守ともに技術の高いアステロイド使いでは結果も見えているだろう。
ゆえの行動。
(柊木さんなら一位やなくて、あくまで二位以上を目指すムーブをするやろな。ほんで、その為にうちのことを利用できんなら……)
「さて、まずはノーリスクの那珂川からだ」
(使うてくれるやろ)
同隊、即ち姉が選んだ仲間への信頼。それが彼女の思考を加速させる。
(那珂川さんさえいなくなればダミービーコンでいつでも逃げられる。あとは潰し合いさせればうちの勝ち抜けは確定や)
(くっ、このハウンドの追尾軌道、思考が見透かされているみたいだ……!)
来栖は内心舌を打ちながら次の動きを考える。
柊木の動き出しの早さが想定外すぎるのと、絶え間なくとんでくるハウンドのせいで思考が纏まらない。
安寿は既に那珂川、柊木、来栖の思考レベルのインプットを完了していた。柊木に関しては同隊だし、那珂川来栖はこの数分のムーブで理解した。
もう誰も戦術でこの展開を覆すことは出来ない。
「これならどうでしょう! グラスホッパー!」
──そのはずだった。
「は?」

ただ南下していただけの那珂川は舵を大きく切り、グラスホッパーを使用して最速で東に移動する。
目的は……。
『安寿さんの先回り。これはどういう意図があるのでしょうか……?』
『んー……あ〜、つまり来栖くんの移動速度が上げられないなら逆に自分の移動距離を増やして到着時間をずらそうってわけだ』
『なるほど……。あくまで安寿さんを挟むという戦術は変えず、移動距離と移動速度を調節することで安寿さんを挟もうと。しかし、移動距離を増やす為なら別のルートも色々ありますよね』
『柊木さんに追われてる以上、変な方向に舵を切ったらむしろ駒として浮いて速攻で狩られちゃうからできるだけ下の二人から離れたくないってのと、安寿ちゃんにプレッシャーを与えることが出来る』
『プレッシャーを……?』
(嫌な手を……あくまで戦術は変えないつもりか)
(多分志野塚さんならこうしますよね!)
安寿の中では既に最悪の構図が浮かんでいた。
もしこのまま何の対応もせず進めば……。

『自分を倒したら柊木さんの標的はあなたになるよって』
『なるほど……』
(ただ挟まれるのは挟まれ損。そやけど、那珂川さんを攻撃しても今度は柊木さんの標的がこっちに変わるだけ)
最初から那珂川にこの選択が出来ると分かっていれば対処は出来た。
だが。
(……く、見誤ったか)
彼女が見誤ったのは柊木の速さや来栖の技術でも、そして那珂川の速さでもない。
那珂川の戦術眼。
言ってしまえばただの油断だが、今までの判断力はあくまでB級下位レベルだったし、実際に那珂川の戦術は序盤、レーダーから誰がどこにいるかを察することすら出来ていなかった。
一番推察しやすい場所に転送されたのに、だ。
(最初から那珂川さんがそこまで出来ると分かっとったら作戦の比率も変えれたのに)
安寿は取ろうと思えばこのような戦術を取ることも出来た。

これも、

これも、

策として取る事は出来た。一条安寿はボーダーでも屈指の策略家。戦闘員としての実力ではこの中だと少し劣るが、その分戦術面では負けるはずもなかった。
しかし、安寿はその戦術面で那珂川に後れを取った。
それは何故か。その理由は偏に、認識の齟齬。
那珂川は戦術に関しては初心者だが、搦手を好み、同隊の志野塚の影響で王道ではない邪道的な戦法には少し理解がある。それを安寿は戦術初心者と切り捨てた。
安寿は将棋については超上級者だが、ボーダー、特に個人ランク戦戦術で見れば中級者クラス。経験の浅さとシステムの複雑性が仇となる。
(運に頼るほかないか)

『おっと、押しました。後退していた安寿さんが移動方向を180°転回。来栖さんとの正面衝突を望みます』
『見かけによらず勇気あるね〜。さすが万里ちゃんの妹』
(勇気? ちゃうわ、そうするしかないねん。そう、那珂川さんに追いやられたんや)
聞こえていない解説に安寿は心の中で舌打ちをする。
ここから安寿が戦術のみで巻き返すことは不可能だ。彼女はダミービーコンをハウンド(突撃銃)と同側にセットしている。なのでここからダミービーコンでお茶を濁すにはハウンド(突撃銃)を一度解除しなければいけない。
……が、来栖流一は絶対にそれを許さない。安寿はそう確信している。
なのでここは戦術ではなく実力と駆け引きで来栖を撃破しなければならない。勝ち筋はそこにしかない。
A級エースの来栖を己の実力だけで。
『対して橘さんはそのまま安寿さんの背後を狙い、同じく柊木さんも着いていきます』
『速度的には那珂川ちゃんの方が速いからその分余裕のあるコース取りをしてるね。ギリギリ柊木さんの射程に入らず、その上で安寿ちゃんを最大限挟み込める場所をめざしてる。丁寧な戦い方だ』
安寿はできるだけ南に流れながら、策を練る。あまり戦闘力に自信があるとは言えない自分に出来ることはこれだけだから。
(考えろ。来栖さん視点ではうちを倒した上でもう一人、那珂川さんがベイルアウトする必要がある。つまり戦闘を長引かして那珂川さんを詰まらせにいくはず)
効率は思考に繋がっている。
(考えろ。柊木さん視点ではうちと来栖さんが潰し合えばあとは那珂川さんを倒したらええだけ。うちらの戦闘を止める動機はあらへん)
過去は思考に通ずる。同隊で過ごした日々が彼女に答えを教える。
(考えろ。那珂川さん視点ではうちと来栖さんの両方が倒される必要があり、それに柊木さんは使えへん。つまり、柊木さんに追いつかれるまでにうちら二人を倒し切る必要がある。少なくともうちは確実に挟まれる)
勝利条件の整理。数字は嘘をつかない。
(利用出来るオブジェクトは……ない。ただ有利なのは情報。ここら辺の地理は一度後退した際に頭に入れた)
情報があって損することはない。少なくとも一条安寿の思考力があれば。
(戦闘に時間をかければ挟まれ、速攻で来栖さんを倒したら今度は那珂川さんに追いつかれる。ただ、どっちかっていうと後者の方が目がある)
自分の道を決める。確率と効率に思考を任せて。
(次はトリガー設定を洗おか。来栖さんの今使ってるトリガーはメインにアステロイド(拳銃)、サブにシールド。変化を見るならアステロイド→ハウンド。可能性は十分にある。来栖さんは時間を稼ぐ必要があるから。可能性としたらアステロイド7:ハウンド3といったところか。対策を考える。ま、ハウンドの対策は余裕や。怖いのはアステロイド。せやから、ハウンドを使わせるために誘導しよか)
相手の道を潰す。技術と頭脳に相談して。
(次に那珂川さん。片側のグラホは確定。もう片方は弧月かシールド。恐らく咄嗟の切り替えが苦手なライプやから分かれば対策が練りやすい。……んやけど、コース取りが上手くて一度も柊木さんの射程に入っていないから本当に絞れない。なら、両方のパターンに合わせて動きを決めておかな)
盤上で最善を尽くすのはいつもやっていること。
(柊木さんはアステロイド(突撃銃)とシールドで確定。それ以外を入れられるトリガー設定をしてへんし、もし出来たとしてもシールドを外すことはあらへん。その堅実さがあの人の強さやから)
情報を整理し。
(さて、今度は倒し方……やけどそっちの方が難そうやな。メインウェポンがないとはいえA級エース。最も個人ポイントはイーグレットよりアステロイドの方が高いし、隙は無い。時間が無いから射程勝負にも持っていけへん)
思考を整理し。
(そう読まれる前提で射程勝負しよか。射程勝負で時間をかけて来栖さんを倒し、その足で那珂川さんを挟む)

『撃ち合いが始まりました。……が戦況は安寿さんが若干有利か』
安寿は射程の有利を活かして相手の射程には入らず、一方的に撃ち続ける。
当然来栖は前進するが、安寿は足元への攻撃も挟んで移動速度を削ぎ、後退しながら隙を伺う。
(時間は限られてる。うちが那珂川さんの旋空弧月の範囲に入るまでに射程勝負で有利を築く)
戦術としてはほぼ満点。自らを弁えた戦術としての要点を上手く抑えている。
ゆえに、明確に出たのは個人戦という競技への知識、そして経験不足。
確率や効率が必ずしも答えという訳ではない。
「さて。ハウンド弾幕にはもう慣れた。あとは倒すだけ」
「……あと数歩下がって建て直──」
その言葉の続きが放たれることはなかった。
『転びましたね、滑ったんでしょうか……。流石の安寿さんでも弾幕の計算、射程管理、背後から迫る橘さんや柊木さんの警戒、道を考慮しながらの後退を同時にこなすのは難しかったか……?』
『本来は同時にこなしてるだけで凄いんだけどね。それに、それだけじゃない。安寿ちゃんの足元を見てみて』
そういって律が指差した先にはデコボコになった地面。
(えらい外すなとは思てはいたけど、これは)
『簡単な話、相手に攻撃が当たらないなら出来ることは二つ。当てないか、当たるようにするか』
『そこで攻撃を外して牽制を挟みつつ、地面を削って今後の布石を作ったと……。素晴らしい判断ですね。流石A級、来栖流一』
来栖は転んだ安寿を視界に入れると、もう攻撃はないと割り切ってダッシュで迫る。
その姿は一見隙だらけだが、安寿がこの状態で半端な射撃をしても来栖は防ぐし、なにより転んだ体勢で狙えるほど突撃銃は万能じゃない。
(──詰み)
安寿の脳裏にその二文字がよぎる。
そして同時に思い出す。
『一回戦で三位だった隊員のうち、最も成果を上げた二人を敗者復活枠として二回戦に進出させる』
たとえ足が止まり、射撃が止まろうと思考は止まらない。
(七グループでうちらがA、つまり一番最初のグループ。Aグループの三位が審査の基準になるやろうから、ここから先は完全運任せ。せやけど、グループの偏りの可能性を考えたら三位一ポイントは繰り上げの可能性も十分。一位が二ポイントを取って二位が無得点なら尚更)
大エース級の隊員ともなれば一人で三ポイントを稼ぎきっての一位通過の可能性もあり、そうでなくても一位がほぼ必ず一ポイントを取り、三位はほぼ最高でも一ポイントしかとれないという仕様上、その一ポイントの内訳がかなり大きな要素となる。
戦略的には悪くない。那珂川は移動の為にサブにグラスホッパー、安寿を倒す為にメインに弧月をセットしている可能性が高いので、シールドはセットされていない。ハウンドで倒しきれる。
一か八かで二位を目指すよりは確実に三位一ポイントを取る。いかにも彼女らしい作戦だ。
(来栖さんを倒しても那珂川さんを倒しても同じ一ポイント。あとは頼むで、柊木さん)
──だが、そのわずかばかりの弱気を
「やっと隙を見せたね」
「は?」
A級エースは見逃さない。
『決、まったぁ~! 一条安寿、ベイルアウト!』
『三位狙いか、安寿さんが橘さんを攻撃しようと背後を振り返った瞬間、来栖くんが一歩前に出て安寿さんを撃破』
『ほぼ同時だったね~。読んでたか、あるいは反射で出たか』
『A級エースの称号は伊達ではない……。来栖くんが一ポイント獲得で一歩リードです』
その攻撃は来栖としても賭けだった。
あの状況での来栖の取れた選択は大きく分けて二つ。安寿を倒すか、倒さないか。
安寿を倒せば確実に一ポイントを獲得できる代わりに、那珂川に倒される可能性が生まれる。
逆に安寿を倒さなければポイントこそ手に入れられないが、二位以上は盤石になる。
こうしてみれば後者の方がいい選択に見えるが、後者が好判断になるには一つ大きな条件がある。
それは、安寿が那珂川を確実に落とすということ。
もし安寿が那珂川を落とせず、それどころか那珂川に落とされてば今度は来栖の方が危険になる。
(今日の那珂川さんはノリに乗っている。ならばここは確実に一条さんを倒し、余裕をもって那珂川さんと対峙する)
そして、何より。
(増田隊のエースとして試合に参加できず振り回されてばっかではいられない! 僕は僕の力で勝利をつかみ取る!)
来栖の判断は悪くない。勝負は水物だ。他者の実力より自分の実力を信頼する方が結果は安定するし、メンタル的にも後に響かない。
……ただ、それは勝負として成立していたらの話であって。
「え?」
『なっ』
「……そう、なるんよなあ」
ベッドの上。安寿の嘆きは空に溶ける。

『なんと……橘さんが来栖くんから逸れるような軌道を取りました』
那珂川は来栖との交戦を拒否。そうすれば何も関係ない。
『柊木さんを来栖くんに押し付けるつもりかな』
『なるほど……。しかし、それを成立させるためには一つ大きな壁が残っています』
「逃がさないよ……!」

来栖は当然無理にでも倒す道を選ぶ。
『来栖くんはアステロイドからハウンドに切り替えましたが、この意図はなんだと思いますか?』
『威力じゃなく命中重視。倒しきれなくても胴や足に当たればあとは柊木さんが落としてくれるって信頼だろうね』
互いにチャンスはほんの少し。
グラスホッパーで駆け抜ける那珂川を撃ち抜ければ来栖の勝ち、抜ければ那珂川の勝ち。
(走れ! 弾より速く!)
(ベイルアウトはさせなくていい。それより被弾を、牽制を積み重ねるんだ!)
この展開に持ち込んだ時点で来栖の狙いは決まっていた。動いている相手に当てるのが難しいなら止まっている的を撃てばいい。
グラスホッパーは弾トリガーと当たると相殺して消える。
そして那珂川はそれを知らない。
「いっけぇ!」
(弾が逸れて……!?)
しかし。
「シールド!」
那珂川は来栖の狙いに気づいたら絶対に阻止すると決めていた。
何のために自分の足元を狙ってきたのかは分かっていなかったが、自分より賢い人の狙いがあるなら防ぐべきだという一種の勘のようなもの。
今まで、幾度となく降りかかってきた不幸を乗り越えた末に身につけた力。
「くそ……やられたな」
渾身の一撃を外した来栖はため息を漏らして遠ざかっていく那珂川の背中を見つめる。
もう一度拳銃を構えるが、もう射程圏外だ。
『抜けたー!』
『来栖くんの技術を搔い潜り橘さんは包囲網から脱出……。未だ柊木さんは追ってきていますが、余裕が出来ました』
「逃げ切れた! ……よね?」
那珂川が背後を振り向くと、そこには柊木と来栖が戦っている姿が見える。
『粘りましたが来栖くんもベイルアウト。この時点で柊木さんと橘さんの勝ち上がりが確定しました』
その後は残り二人になった柊木と那珂川が対峙。那珂川は機動で翻弄したが、旋空圏内に近づくことさえ許されずベイルアウト。
結果としては常に盤面で圧倒的強者として立ち回っていた柊木の勝利だった。
『一つ疑問なのですが、どうして柊木さんは橘さんをそのまま追う道ではなく、来栖くんと交戦する道を選んだのでしょうか……? 来栖さんは射程を持っているのに対して那珂川さんは持っていない。結果を見ればリスクを負う決断になったと思いますが……』
『単純な話、このまま追い続けても那珂川ちゃんに追いつけないと思ったんだろうね。機動力は那珂川ちゃんの方が高いし』
『なるほど……それなら多少リスクを負ってでも来栖くんを狙った方がいいと。橘さんは序盤は転送位置の問題もあって危険なシーンが多かったですが、最後はよく運を引き寄せましたね』
『違うよ、笹蟹姫さん』
『……と言いますと?』
『那珂川ちゃんはいつ落とされても仕方のない様な一番不幸な転送位置から思考とリスクヘッジを積み重ねて勝利を引き寄せたんだ。決して運なんかじゃない』
『なるほど……失礼しました。不撓不屈の執念と努力の末の二位勝ち抜けは那珂川橘さん、そして最後まで暴れ回りました柊木洸牙さんは一位勝ち抜けです』
『最後の方はもはやステージギミックみたいな扱いだったね、柊木さん』
『我々の予想に反し、この試合の大半は安寿さんによって支配されていましたね……。しかしそれでも四位。全体的な戦術レベルの高さがうかがえます』
『その上で唯一の射程なしの那珂川ちゃんの進出。観客の皆からしても大波乱だったんじゃないかな』
観客はそんな強者たちが一回戦で脱落するレベルの高さとシステムの残酷さを痛感する一方で、続く別グループの結果に胸を膨らませる。
『さて、現状結果が確定しているのはここグループAの他には……グループBですね。こちらより五分遅れの開始だったはずですが、山本くんが暴れまわったようです。グループBは山本くんが三ポイントで一位通過、二位通過は崎守くん。三位通過の明智さんはまだ敗者復活の可能性が残り、四位通過の陳くんは残念ながらここで敗退です』