嘔吐ネタSS
(照内イサムは『平成ライダー知らない俺が妄想で語るスレ』に登場する幻覚キャラです)
(猥談スレで生まれた、照井と四肢欠損イサムの共依存概念に基づいたSSです)
成り行きとはいえ同じ家に住んで、同じ洗剤や石鹸を使って、同じベッドで寝ているのだから、いつかは起こる未来だったのかもしれない。
「照井さん、今日もお疲れ様です」
余った袖で照井の頭を撫でようとする青年は、自分が穏やかな女性であるかのように振る舞う。行動の意味を知っている照井としては、「ノゾム」と呼んで宥めるべき状況だ。彼……彼女? は自分をそういう意味合いでの道具と捉える節があるから。
しかし照井の唇を震わせたのは既に亡き女性の名前ではなく、胃から逆流する苦味だった。
口を押さえて、もつれる足でトイレに駆け込む。唾液がぽたぽたと滴るもそれ以上は出てこない。喉に栓を詰められたようだ。指を突っ込んで舌の付け根に当てる。ぐっと力を込めれば生理的な苦痛に涙が滲んだ。
「ぐゔぅう……あ゛ぅ……」
もうすぐ。あとひと押し。躊躇う体を意思で押さえつけて、予感に身を委ねた、そのとき。
「照井さんっ!」
寝室から這ってきただろうイサムと目が合った。
「照井さん、大丈夫……?」
まだ錯乱から抜けていないらしく、いつもより一段高い声で名を呼ばれる。他人とは思えないほど似た顔が悲しみに歪む。
彼は照内イサムだ。仮面ライダーという共通点はあるし、一緒に歩けば兄弟と間違えられるけれど、遺伝子的には全くの無関係。きちんと理解しているつもりだった。
けれどここ数日、超過勤務を続けていた疲れもあってか、照井は奇妙な感覚を味わっていた。あやふやな言い方だけれど、イサムから他人の感じがしない。これまではどんなに密着していても、心の中では線を引くことができていた(と照井は信じる)。それができない。
彼と自分がどんどん近づいている。無意識に二人を分つていた何かは消えてしまった。そしてイサムへ願うのは、凍りつく絶望に貫かれた傷を、代替品として埋めてくれること。それが決して許されないとわかっている。彼はそんなことのために生きていない。
照井の本能は今や、イサムへ対し抱くあらゆる感情を嫌悪していた。
自覚こそしていないが、胸中を濁らすその思いは、近しい血を混ぜることへの忌避感にも似ていた。
ごぼっ、と体内から響く水音。背中をさすろうとした腕の温度が最後のひと押しだ。再び胃が脈打って、今度こそ全て出し尽くすくらいに吐く。
ゼエゼエと息をしながら振り向けば、イサムが泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「……わ、私が、触ったからごめんなさい……ごめんなさい……っ」
「きみ、は」
「口濯いだ方がいい、です、洗面所に……あっ、違う、違くて、私がお水持ってこなきゃ。待ってて、すぐ」
「いい。自分でできる。それより、君は」
君は照内イサムなのか、と酷い言葉を投げつけた。何がそれよりだ、と自嘲する。脈絡に欠けた混乱させるだけの問いかけだ。
姉は死んでいないと自分に言い聞かせるための混濁、本来認められるものでないそれを短い期間とはいえ受け入れ続けた照井である。信頼を打ち捨てる行為だ。案の定イサムは声を詰まらせ、ベルトを呼び出すべく咥えたメモリが虚しく揺れた。
そして、
「うん。俺、イサムだよ、照井さん」
真っ直ぐに微笑んでみせたのだ。
***
イサムはフローリングを這ってトイレへ向かった。ベルト使用は体力を使う。室内なら自力で移動できるし、必要な時に取っておくべきだ。
苦しそうにえずく照井を、少しでも楽にできないかと思った。掌が無くてもさするくらいはできるはずだ。けれど触れた途端に吐き始めるものだから、自分に何か不快な部分があったのだ、今すぐ改めなければ不用品になってしまうと思い込む。事実、そうではあるのだが。
キッチンに行って水を用意しよう。吐いた後は口を濯がなければ。そう思ってメモリを咥えたところに、君は照内イサムなのかという質問が飛んできた。
本来なら当たり前と答えられるところだが、イサムは時折自身を照内ノゾム──仮面ライダーになる夢を果たさぬまま殺された姉だと思い込む癖がある。今はまさに、その真っ最中。だから彼は一人称を「私」にしていたし、自分はノゾムだと心から信じていた。
私はイサムじゃない。
だって目の前にいるあなたがイサムでしょう?
違う、イサムは死んだのだっけ?
じゃあ私の心臓は誰のもの?
ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ、ぬかるみを踏み荒らすかのごとく掻き回された意識はやがて、ひとつの理想へ至った。
「うん。俺、イサムだよ、照井さん」
言葉を受け入れて真っ直ぐに微笑む。
その意識は果たしてイサムなのか、震える『弟』のために嘘をつく姉なのか、定かではない。
照井が自分を抱き上げてキッチンへ歩いたから、今度こそ正解を選べたのだと安堵した。