4章(後半)
善悪反転レインコードss※4章をふわっと個人的に妄想してみました、の続き。今度こそ終わり。
※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。
※射撃による出血程度のグロ描写を含みます。
※5章に向けて不穏なフラグが立ったような気がしますが、とにかく4章自体は光の展開で終わらせるという一心で何とか仕上げました。
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ユーマが謎迷宮を攻略し終えた後、停止していた時が再び動き始めた。
ガクンと膝をついたユーマに、皆の視線が、意識が集中する。
「……あ、頭が…ぼんやり、します…」
「セス! 起きられるの?」
「…き、記憶が……私の記憶が、曖昧、です…」
意識が朦朧としていたはずのセスが、息も絶え絶えの有様ながら、スワロに支えられながら上半身を起こした。
ユーマの謎解きでは、捜査に最も関与した者の記憶が一部曖昧になる。
その現象がセスの身に起こった、という事は……。
「な、謎を、解いたんですね? 教え、なさい……は、犯人は…」
ユーマは、セスを見る。
セスは謎迷宮の事を覚えていない。
けれども、それでも、ユーマは芯のある眼差しでセスを見つめた。何らかの意図を訴える為に。
セスは、その意図を受け取り、唇を噛み締めた。
さぁ。謎迷宮で判明したヨミーの真意に従って、時間を稼がなければ。
推理のお披露目という名目を使おう。
「複数の刺し傷は、既に死んでいると認識した上でヨミー所長が意図して偽装した痕跡です」
「…なぁんだ」
ユーマからの説明に、ヤコウは退屈そうにあくびをした。
「意気地なし。保険って大事だな」
ヨミーが意図して偽装したばかりに保安部側も誤認したと指摘されても、殺し屋に依頼した事を暴かれても、ヤコウは飄々としている。その太々しさにユーマは言葉に窮しそうになる。
正直に言って、場の空気は冷蔵庫の中のように冷え切っていた。超探偵達は何が正当な捜査だと憤っているし、対して保安部は完全に開き直っていた。
「突然死の法則を独自に読み解いて、犯人にならない程度に憂さ晴らしをしたって所かね」
「…ヤコウ、部長」
「こっすい復讐だな。その程度かよ」
時間稼ぎが目的だ。だから、ヤコウにべらべらと喋らせる方が好都合だ。
けれども、あんまりにも酷薄な侮辱を並べられて、ユーマは我慢し切れなかった。
「親友と言っても所詮は人殺しだって馬鹿にし——」
「ヤコウ部長!!」
「っ!」
冷たい表情でつらつらと述べていたヤコウは、ユーマに名前を叫ばれて怯んだ。
「……もう、やめてください」
ユーマが泣きそうな顔で、震える声でそう告げた時、ヤコウは更に委縮したように黙り込んだ。
もうやめて、と言っただけなのに。これまで色んな人々から言われたであろう懇願を、ユーマから告げられただけなのに。
どうしてヤコウの心に響いたのか、ユーマにはわからなかった。
なぜだかオドオドとしかけたヤコウが数秒を経て気を取り直したように居直す。それを見届けてから、ユーマは続ける。
「『ホムンクルス研究』」
「……へぇ。知ってるんだ。メールでも読んだ?」
嘘にはならない範疇で上手く言わねば、なぜ知っているのかと逆に窮地に立たされるだろう。
だが、少しだけ。ほんの少しだけ、詳しい範囲だけは。
ウエスカ博士のメールを読んだという体で、いける。
「三年前、ヨミー所長の御友人は、その研究の為にと秘密裏に刑務所から移送されていたんです。…囚人を相手に、過酷な実験を試す為に」
「うんうん」
「だけど、空白の一週間事件と時期が被ったおかげで、事実関係が有耶無耶になり、さも脱獄してきたかのような状況ができあがった」
「……」
「更にはホムンクルス研究まで中止になり、本格的に邪魔になった」
「…そうだな」
「消しても誰も困らない。誰も気にしない。……ヨミー所長以外は」
「おー」
「ヤコウ部長。あなたは裏の仕事をさせる駒が欲しかった。いい機会だと思った。だから、ウエスカ博士と共謀し、ヨミー所長の御友人を……!」
「すごいすごーい、さっすがだねユーマくん」
ぱち、ぱち、ぱち、ガンッ!
ヤコウが褒めながら気の抜けた拍手を始めた途端、ギヨームが堪忍ならぬ激情を発散するべく壁を蹴った。
超探偵達を弄び、ユーマを散々プレッシャーと甘言で振り回そうと横暴に振る舞っておきながら。
真実を暴く能力の有無以前の、お前らが真実の核だったんじゃないかと——ヤコウの軽薄さが、どこまでも自分達を、誰よりもヨミーを虚仮にしている、ふざけた態度だったから。
それ故にキレているギヨームの姿を見て、死に神ちゃんは『ギザ歯ちゃんって短慮だけど適度に発散できるタイプだよねー』とセスの件を思い返しながら感心していた。
「…………ヨミー所長も、わかっていますよ」
「うん?」
「ウエスカ博士と共犯どころか、あなたが指示を出していた主犯なんだって、あの人はわかっています」
「…つまり?」
「本当の狙いは、あなたです」
その瞬間、保安部の幹部達の空気がピリついた。その空気を感知したギヨームが「…自分らのコトになったら必死だねー」とボソッと毒を吐く。
ギヨームが動き、喋り、リアクションを取るから、他の超探偵達は相対的に静かに見えていた。
実際には、全員、視線で、目で、ギスギスといがみ合っていた。
崩れそうな均衡の中で、ヤコウとユーマだけが会話していた。
「あなたに近づく為に、あなたの計画にわざと乗った振りをしたんです。ウエスカ博士の背中を複数刺したのは、その一環です」
「……えっと。それ、教えてくれていいの? キミはヨミーサイドじゃないの?」
「いいんです! ヨミー所長に本当に殺人を犯させるわけにはいきません!」
「…いい子だねぇ」
ヤコウは気乗りしない態度で、「いっそ襲ってくれれば正当防衛が成立するんだがなぁ…」なんて呟き、パイプ椅子の背凭れに思いきり体重を乗せていた。
命を狙われていると知らされても、場違いな程に空気が読めていない様子だった。
——そんな折だった。
「……っ、……はぁ…そ、その方の仰ることは、本当、です……!」
「…お嬢!?」
急にフブキが息を切らして膝をつきかける。すぐ近くに居たデスヒコが、普段の振る舞いも忘れて咄嗟に腕を伸ばし、支えた。
時を戻せるフブキがそう言い出したものだから、不謹慎なまでにのんびりしていたヤコウも流石に顔色を変え、席を立つ。
「三回ほど、異なる手段で、部長を————ぁああ!!!」
「セ、セス!?」
その瞬間だった。
上半身だけを辛うじて起こしていた、満身創痍だったはずのセスが、弾けるようにフブキへと突撃し、そのみぞおちを殴りつけた。
『テレパシー』を酷使し過ぎてヘトヘトになり、『テレパシー』が使えぬならば無害も同然だと軽んじられて意識から外されていた故、隙をつけた。
時を何度も戻した為に体力を消耗していると判断した途端、今しかない! 相手は生身の人間! 一発で気絶させる! という気概で。
その執念は実を結び、フブキは倒れた。
いきなりの急展開に、超探偵達は理解から一歩遅れて置き去りにされていた。
目の前で起きた事はわかる。だが、その意味が、読み解けない。
「ッ、貴様…!」
「……油断、しまし、たね、ンぐぅ…ッ」
「相変わらず、何を言ってるのか聞こえない男だな!」
セスはすぐにハララに取り押さえられた。ついでに骨が軋む音がして、セスは歯を食い縛って耐えていた。
「現行犯だね。罪状は…まぁ、あとで考えようか…」
ハララが取り押さえている間、ヴィヴィアがセスの後ろ手に手錠を掛ける。ついでに足も縛っていた。更には首の後ろを叩いて気絶させた。
この状況下で、セスはフブキの意識を奪った。時戻しというリカバリー能力を持つフブキを、強引に無力化させた。その意図は一つしかあり得ない。
「コ、コイツ……! 最初っからヨミーとグルだったんじゃねーか! 何が殺してでも止めるだよ!」
「……まさか、信じてたの?」
「し、信じてたワケねーだろ!」
デスヒコは倒れたフブキを壁際まで寄せる。
ヴィヴィアは意識を失ったセスを蔑むように見下ろして「…結局、同じ狢の穴だね」と呟き、ヤコウへと近寄る。
ヤコウの前に立ち、超探偵達の前に立ち塞がる。
「ヨミーの協力者は、まだ居るのかな……」
「…あのデカブツが暴れたら、キミ一人じゃ荷が重いだろう」
拘束が済んだセスはもはや敵ではないと判断されてその辺に転がされ、ハララもヴィヴィアの隣に並んだ。
今にも戦争でも始まりそうな程に空気がヒリついていた。
いや。目に見えて始まっていないだけで、既にそのフェーズに突入している。
「……どかないの? ユーマくん」
ヤコウと対話していたユーマは、その場所から動かぬまま。だから、ヴィヴィアやハララの冷たい敵意を間近で浴びる事となった。
セスがフブキを無力化した一連の流れを見ても、表情を強張らせこそするが一歩も退かない。
「肝が、据わってるね……」
それとも、キミも敵なのかな。
ヴィヴィアの感情の無い声に、ユーマは喉がひりつきそうになりながら、「…違います」と首を左右に振った。
「ボクは、ヤコウ部長を死なせたくありません。……寧ろ、ヨミー所長を止めたいと思っています」
「……本当にそうしてくれるなら、あの男だけがヨミーの信奉者だったってシナリオを描いてあげたいよ」
ヴィヴィアは本気では無さそうな淡々とした言い方をしてから、無表情で超探偵達を順に見渡す。
「一応、聞くよ。何も知らないのかな?」
「し、知るか、こんな…こ、こんな…セスの野郎、どうしやがったんだ…」
「アイツが、一番冷静じゃなかったってコト? ってか、ヨミー様とつるんでたの?」
「……ヨミーの恋人である、あなたも、何も知らないの?」
「…ええ。何も、知らないわ。……みんな、冷静に。ヨミー様は、私達に知らせる必要を感じなかった、という事よ」
「だ、だから、それ、どういう意味なの!? これ、わかんない!」
みんな、混乱している。無理からぬ事だ。
……そう思いながら、ユーマは、掌が汗で滲むのを誤魔化すように、固く結んだ。
「これは流石に見過ごせないな。申し訳ないけど皆さん、連行させてもらうよ」
争いが始まるか否かというタイミングだった。
ヤコウは仕方なさそうに肩を竦めながら、「あーでも外に待機させてる隊員を今から呼んだら、手薄になるかぁ…どうしよ…うーん、応援を呼ぶか…」と零す。
命を狙われている割には普段と変わらぬ態度で、殺気立っている幹部達と対比になっていた。
「ま、だいじょーぶ! お説教はしないから! 質の悪いビジネスホテルに泊まるぐらいの気持ちで、ね?」
「……部長。せめて、恋人は取り調べるべきでは?」
「犯罪に協力するタイプに見えるか? 幻滅して失望するタイプだろ」
「タヌキが居たなら、キツネも居るかも知れませんよ……」
「ヴィヴィア。無礼はよせ。彼ら彼女らは人間だからな?」
「…………すみませ——」
時は来た。
◆
扉が蹴破られる。
大量に血を失った為に死人のような顔色になったヨミーが、病衣の上に自分のジャケットを羽織った姿で現れた。片手には銃が握られていた。
その目はフブキが気絶しているのをしかと捉え、時戻しが無力化されていると把握していた。
フブキが無力化されたのが痛い。リカバリーの有無だけでなく、先立つ情報も得られる可能性があったから。
だからこそ、セスは時間を置かず、すぐに勝負を付けたのだろうが。
……あれ?
外で待機していた保安部員、全員ヨミーにやられたの? あいつ、そんなに強かったっけ?
ヤコウが疑問を抱いた直後、バッとユーマが駆け出した。
「ヨミー所長! やめてくださ、」
バンッ!!!
ヨミーは、携えていた銃で、立ちはだかってきたユーマを撃った。
ヤコウは瞠目した。赤い血が、ぽた、ぽた、と床へ垂れるのを、凍り付いたように呆然と眺めていた。
背中には、貫通していない。
人を殺す為の弾丸とは、意図して貫通力を弱めている。
体内に残して、体内から破壊させ、死に至らしめる為に。
「……は?」
その声は、確かにヤコウが洩らしたもの。
ハララ達には、驚く理由はあれど動く理由は無い。所詮、敵対している探偵だから。
超探偵達は唖然としていた。理解を拒むように。
「…ッ、ミー、所ちょ……」
ユーマは、その場に蹲って倒れ伏す。
お腹が痛いのだろう。痛いなんてものじゃないのだろう。ぜぇぜぇと息を切らしながら、両手で必死に腹部を押さえている。
赤い血を流しながら。
「笑っちまうぜ! こうも上手くいくとはなァ!!」
「あ、が…」
ヨミーは、死人のような土色の顔色で、鬼のような形相で、歯を剥き出しにして嘲笑していた。
腹を抱えながら倒れているユーマを乱暴に踏みつけた。力の限り、何度も、何度も。
ヤコウを殺す為の障害物となったユーマを排除した割には、随分とユーマに手間を掛けていた。
「感謝するぜセスぅ!!
……お人好しにも程があるんだよッ、ユーマ=ココヘッド! オレのダチを死なせといて……! その善人ヅラが! 一番! ムカつくんだよ!!」
ヤコウがユーマを脅すように口にしていた内容が真実だったと、ヨミーは叫んでいた。
なんだ、なんだこれ。
なんだこれなんだこれ、なんだこれ。
ヨミーの狙いはオレじゃなかったのか。
ユーマ=ココヘッドの推理が間違っていた?
違う今はそんな事を考えている場合じゃない。
オレの殺害は、フブキちゃんを無力化させるまでのフェイク?
フブキちゃんを無力化させてから、本命を襲った?
……ふざけるな!!!
最初に動き出したのは、ヤコウだった。
トラウマと根付いていると思わせる程に反射的な速度だった。
後ろでヴィヴィアが制止の声を叫んでくるけれども、ヤコウは止まらなかった。止まれなかった。
ヤコウは全速力で駆け寄って、ヨミーを取り押さえようとして————
「——オメーが、最初に来ると思ってたぜ」
その瞬間、憎しみに憑かれたように死にかけているユーマを暴行していたはずのヨミーが、蹴るのを止めて、あっさりと銃を捨て、駆け寄ってきたヤコウの胸倉を引っ掴んだ。
「な、に……」
「カナイ区の外から来た探偵どもには、昔みてーにぬるいよな!」
逆に組み敷かれたヤコウは、それでもヨミーと取っ組み合い、抵抗した。
ヤコウは不健康に痩せていて体力が無い。だが、ヨミーの方とて怪我人だ。処置を施されたとは言え、今日腹部を刺されたばかり。
現に、顔中から汗を滲ませながら、根性だけで激痛に耐え、ヤコウにギリギリで優位を取るので精一杯だ。
脇腹を蹴れば。いや、叩くだけで良い。そうすれば、ヨミーを……。
「す、みません、ヤコウ部長…!」
「えッ、ユ、ユーマくん!?」
ヤコウの両足は、急に何者かに押さえられた。
撃たれて倒れたはずのユーマだった。腹部からは、赤い液体がぽたぽたと垂れている。
腹に、穴は開いていなかった。
あ、これ。ハメられた。
ヤコウは、頭の中が真っ白になりそうだった。
「助かるぜぇ、ユーマァ…! ……悪かったな、痛かっただろ、っつぅ」
「ボクの事はいいですから! ヨミー所長、あなたの目的を果たしてください!」
『きゃっきゃっきゃ! ご主人様、演技だったけど、いい死にっぷりだったよ! オレ様ちゃん、ずーっと手に汗握ってたんだからー!』
ヨミーが押さえつけたヤコウの服の中を調べ、探っている一方で、ハララ達はと言えば超探偵達と泥臭く争っていた。
ヨミーの暴言が嘘だと見破ったスワロから端を発し、超探偵達はヤコウへ駆け寄ろうとする幹部達を全力で妨害していた。
セスを人質に取られそうになったり、じゃあ逆にフブキを人質に取ってやる等と応酬が繰り広げられていた。特に鬱憤が溜まっていたギヨームは嬉々としてドミニクに命じ、暴れさせていた。
「クソ最高責任者ァ! 受け取れぇ!」
「ヨミーくん、ナイスパス」
ヨミーはヤコウの懐から手帳を次々と探り出し、いつの間にか開け放たれた扉付近で待機していたマコトへと全てブン投げていた。マコトは全てを要領よくキャッチする。
この段階に至って、ヤコウは外に待機させていた保安部員達を如何様に対処したのかを理解した。ヨミーに手品用の銃を渡したのも同一人物の仕業だろう。
たぶんだけど、戻された時の中でヤコウに致命傷を負わせた武器の出所も。仮にヨミーが失敗しても切り捨てる程度には強かだろうが、それでも提供者はマコト=カグツチだ。
いつから、ヨミーはマコトと繋がっていたのか。治療室へ運ばれた時からか? だが、昨日今日の連携では無いような気もする。
「へぇ、これが噂の脅迫リストか。ずっと探してたんだけど、ヨミーくんの推測通り肌身離さず持ってたんだね。……あ、裏帳簿もある。ヤコウくん真っ黒だね」
「早く! 証拠が見つかったんだから! こいつを、しょっ引け…!」
「焦ってる?」
「死にかけの体で無茶張ってんだよクソ最高責任者!!」
「ごめんごめん、わかってるよ」
ヤコウは目の前が真っ暗になりそうだった。
◆
本人や幹部達を出し抜いて保安部部長の不正の証拠を入手し、アマテラス社のCEOに渡す。
それがヨミーの目的で、骨子は一応あれどもほぼアドリブで肉付けされたとんでもない作戦を決行した。
セスは最初から協力していた。アドリブだらけで元々の骨子が行方知れずになっても、懸命に尽力していた。
ユーマは、ギリギリのタイミングで奇跡的にも計画を知り、一芝居に加担した。
作戦は成功し、ヤコウは不正取引の証拠が見つかった事から連行が決まった。
最後の悪足掻きをするかと思いきや、ヤコウは放心したように立ち尽くしており、すんなりと手錠を嵌められた。
『ご主人様ってばエキストラ役で大活躍できそうじゃない? 死体役一択!』
(…遠慮するよ)
破れかぶれの演技が実を結び、この結末に行き着く事が叶い、ユーマはほっと安堵していた。
手負いの獣のような幹部達は、ドミニクの怪力で押さえつけている。
ハララやヴィヴィアの方が総合的な戦闘力は上だが、『怪力』により力だけなら二人相手でもドミニクの方が上だ。
「……よ、よが、っだ、です…」
『胃が穴だらけになってますーって悲惨な顔してるね。根暗アグレッシブの胃だけで超お手軽にレンコンの肉詰めができそう』
拘束を解かれ、意識を取り戻したセスが、へなへなと座り込み、項垂れながら安堵の息を零していた。プレッシャーで胃痛が酷かったのだとようやく行動で示せる為か、片手で自分の腹をしきりにさすっていた。
謎迷宮の攻略時はいがみ合っていたが、死に神ちゃんはセスをほんの少しだけ憐れんでいた。
『……礼は、言います。どうも』
謎迷宮での記憶は失われたのだ。セスの視点では、誰にも相談できないままに終局を迎えた、という認識の下で緊張の糸が切れていた。
それでも、ユーマがヨミーの意に率先して協力したのが明確だからだろう。
ユーマの頭の中へと響いた“声”は、普段と変わらず淡々としていたが、それでも感謝の意思を伝えてくれた。
「お疲れさ……ってぇ。ついに傷口が開いたか…?」
「ヨ゛ッ、ミ゛ー様!?」
一段落ついてその場に腰を下ろしていたヨミーの言葉に、項垂れていたセスはヒィッと悲鳴を上げながら顔を上げた。
ヨミーの病衣には、ピンク色の血が滲み始めている。それを見たセスは潰されたカエルのような先程とは別種類の悲鳴を上げた。
なお、そんな二人を見ているスワロはニコリとも笑っておらず、絶対零度のオーラを背負っている。
『ワンチャンご主人様も最初から知ってたって思われるんじゃ…?』
(寸前まで知らなかったのは本当だから、たぶん、ボクは大丈夫じゃないかな…)
スパンクもギヨームもドミニクも、そしてユーマさえも触れずに距離を置いていた。
「…………オレを、殺さねーの?」
不意に、ヤコウが口を開いた。
対象はヨミーだろう。傷口が開いたと言っていた割にはまだ意外と元気なヨミーは、マコトからの「そろそろ戻らない?」という至極まともな提案に待ったを掛ける。
「カナイ区に秩序が戻るなら、オメーの命なんてどうでもいい。豚箱に入ってろ」
「お前の親友を台無しにした張本人はオレだぞ。ウエスカ博士は、オレに使われただけだ」
「……オレがこの三年間のストレス耐久テストじみた日常で発想が貧困になって、本物の猿になったとでも油断してたか? 仏気取りのクソ野郎が」
煽るようなヤコウからの問いかけに、ヨミーは脱力するように肩から力を抜いた。
「殺すだけが仇討ちで、それ以外に魂を弔う手段がねぇってのか?」
「……」
ヤコウの表情は消えていた。
ヨミーの言葉を、音としてしか頭の中で処理できていない様子だった。
「極刑になるかどうかはクソ最高責任者様次第だな。靴を舐める準備をしとけよ?
大小様々な思惑が入り乱れまくっていたアマテラス社を統一した実績だけは認めてるみてーだからな。だから、オメーのやってた事は暫く放置されていて、」
「っ、く、ひ、ひ、ひひひ」
「…………、ヤコウ?」
ヨミーの台詞を遮るように、ヤコウが笑い始めた。
体を震わせて、哄笑を始めた。
ひひひひひ!
ひはははははは!!
はぁはははははははっ!!!
ヤコウは、とても笑っていた。
何かを言語化するのを諦めて笑っている姿は、不気味を極めていた。
つい先程まで皮肉っていたヨミーも、ヤコウの名を呼んだきり、絶句していた。
他の全員も、ギョッとしていた。
『何あれ。サイコパスでも演じてるの? それとも……』
死に神ちゃんは、わざとらしい笑い方だと独特の観点から不審に思っていた。
「……ヤコウくん。キミは一体、何を考えてるんだい?」
凍り付いた場の中で、マコトは冷静にヤコウの真意を尋ねた。
その瞬間、ヤコウの笑いがピタリと止まる。今度は表情は消えておらず、卑屈に遜るように目元を歪めていた。
「あはは、そうですね。オレは、いつだって、カナイ区のことを、考えていますよ」
「精神鑑定による減刑を見越してるなら、相応に対処するよ?」
「どうぞ、お好きに」
ヤコウのそれは、果たして、せっかく上り詰めた権力の椅子から引き摺り下ろされた反動……だと片づけて、良いのだろうか。
その後、ヤコウが連行され、保安部の幹部達もひとまずは拘留された。
ようやくヨミーが正式な病院へと運ばれる流れになり、救急車もじきに到着した。
ヨミーの怪我を思えば遅過ぎるぐらいだが、ヨミー自身は平気そうだった。
恐らく、アドリブ満載の計画が成功した為に、脳内からアドレナリンなどの興奮物質がドバドバと出ていて色々と麻痺しているのだろう。
「心配しなくても、ヨミーくんはボクの監督下でちゃんと治療を受けさせるよ?」
「いいえ。私も付き添います。……セス。あなたもよ」
「ぇ……あ、はい…」
「セス。一緒に死んでくれ」
「い、生きましょうよ…ヨミー様」
ヨミーはストレッチャーに乗せられながら、死なば諸共と言わんばかりにセスの腕を掴んでいた。
スワロは、色々聞きたい事があるから全部答えて貰う、という意思を目力に込めていた。般若とは今のスワロを指すのだろう。
セスは可哀想なくらいに蒼褪めていた。唇も紫色だ。
「ヨミー様。退院したらブラッドストロベリーフラペチーノを奢ってねー、それでチャラにするんで。あっドミニクの分はサイズLLでよろしく」
「優秀な頭脳とやらで、億単位の借金ぐらい返済できるよな?」
「オメーら…こっちは死にかけなんだぞ…!」
「全員危うくそうなりかけたんだが!?」
ギヨームはジト目でとても軽微な罪滅ぼしを要求した。だから余計にスパンクの要求との差がえげつなかった。
此度の一件は、セスを巻き込んだとは言えヨミーの独断だった。みんなとの信頼関係という名のチップを勝手に賭けてくれたのだ。
リターンの有無の問題では無い。怒って当然だし、落としどころを示してくれるだけ御の字である。
「ユーマ、貴様も何か言え! 貴様は特に即興で演技に付き合った功労者だ! 具体的に浮かばんなら金にしとけ!」
「え、えっと。ヨミー所長が元気に回復すれば、それでいいですよ」
「つまり保留か? ちゃんと考えとけよ」
ユーマも何か罪滅ぼしを要求しろ、という空気に呑まれそうになるも、ユーマはその場から少しずつ距離を置いた。
傍からは、ボクは怒らないけど、みんなが所長に怒るのはしょうがないよね……と見送るムーブであった。
実際には、ユーマはこれからの事を思い、死に神ちゃんとやり取りを交わしたかったのだが。
『ご主人様。もうすぐだね』
(……うん)
以前マコトから貰った小さな箱を、ポケットの中でぎゅっと握り締める。
マコトの目的は、保安部の権力削減。そして、真実という絶望を齎すオリジナルであるユーマ=ココヘッド——ナンバー1の抹殺と成り替わりだ。
数時間か、数日か、それとも数週間か、タイムラグは生じるかも知れない。だが、マコトが策を弄し、ユーマをあの廃村へと、秘密の地下研究所へと拉致するのは確実だろう。
(謎迷宮なしで、言葉だけで説得できないかな)
『向こうは命を懸けてるからね。こっちも命を懸けないと聞いてくれないと思う。他に何か代案があれば、そっちにシフトしても良さそうだけど……これについては、予定調和から外れたら対応の難易度が上がりそうだよ』
(けど、そうなると、死に神ちゃんと今度こそ……)
『え? ご主人様、寂しいって思っちゃってる!?』
(…………寂しいよ)
『……』
(マコトとの決着を着けたとして、そのあとボクは元の世界に帰れるの? 来た方法がわからなければ、帰れる保障もない。そんな中で、死に神ちゃんの事を、今度こそ本当に忘れるなんて、そんなの……)
『…ご主人様。世界は違うけど、あの仮面の人だって救いたい対象なんでしょ?』
(……)
『気を付けて。前に一回やった流れと同じだからって雑に再現してると、本気じゃないって勘違いされちゃうからね』
(…うん)
死に神ちゃんとの別れについて、当の死に神ちゃんからはぐらかされてしまった。
結局そうなるしか無いのかと意気消沈しながらも、ユーマはふと思う。
……そうか。
全く同じ条件の世界の『やり直し』だと、雑になって見落としてしまうのだ。前にやった事があるから、はいはいパスパス、なんて具合に。
ゴールまでの時間を短縮させる為に、重要度と優先順位で差別化し、省略して進めてしまう。
それでは、駄目だから。
だから、差異がある、別の世界の自分が招かれたのだと。
たくさん拾って推理して欲しいと願われたのだと。
…………根拠なんて無いけれども、そう思った。
そして。
(…………ヤコウ、部長)
『ん? モジャモジャ頭の事、なんか気になってるの?』
(……ちょっと、ね)
ユーマの中で、この世界のヤコウ=フーリオに纏わる一つの仮説が明確化しつつあった。
昔は優しかったのに、数年前から——具体的には三年前から豹変したという一人の男について。
(後半終了)