咎の行方

咎の行方


「………」


日が沈み、夜空に星が見え始めた頃。

明かりは煌々とついているのに、誰もいないヴァルキューレのオフィス。

部屋にはカタカタと一つのキーボードの打鍵の音だけが響く。


『いいですかカンナ局長!?絶対に、絶対にこのオフィスから出ないで下さい!!』


今日は比較的作業量が少ない。

この分だと明日の昼頃には作業を終えられるだろう。


『貴女はもう限界です!私達が戻ったら、その足で病院に行きますからね!!』


『作業の一切も禁止です、大人しく休憩室で寝ててください!』


『あぁもう、何でこんな時に出動になるかなぁ!?』


部下達が出動していった時の喧騒が脳内に木霊する。

私は限界らしい。知らなかった。

仕事中に勝手に涙が出ていたのを見られた瞬間から、あいつらは大騒ぎを始めた。

だが、休めと言われてはいそうですかとはならない。

今のこの状況を創り出した原因の一端は、間違いなく私にあるのだから。

私が振る舞ったもののせいで、キリノやフブキは…

…さて、限界なら何をしなければならなかっただろう?


「…そろそろ、行かなければ。」


そうだ、もうこんな時間だ。

ドーナツ店が閉まってしまうので、早く買いに行かなければ。

何故買いに行くのか理由は全く思い出せないが、使命感だけで私は動く。

最近は視界がぐらぐら揺れ動くし、勝手に身体が動いてくれる仕事以外は何もできない。

故にふらふらと覚束ない足取りで、階段から転げ落ちながら外に出る。

何故こんなに調子が悪いのだろう。

寝れても1時間前後で目が覚めてしまうからだろうか?

腹が減らず、栄養ゼリーとドーナツ以外食べてないからだろうか?


「あっ…」


足が縺れてまたも転ぶが、場所が悪かった。

私が歩いていたのは腰より低い柵しかない川沿いだったらしい。

川へと音を立てて転落し、温く滑り気のある水が全身を濡らす。

少し呆けていると酷い臭いが立ち込めている事に気づいた。

清流には程遠い、生活排水が垂れ流される場所であるが故に当然だった。


「帰ったら…風呂…」


自身の不衛生な状態を鑑みて、数日振りに風呂に入ろうと考える。

帰宅してもあまりにしんどくて風呂がつらく、足が遠のいてしまうのだ。

だが、ここまで汚れてしまえば入らざるを得ない。

私は川から這い出てると、濡れた事で更に重たくなった身体を引き摺る様に歩を進めた。


・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・


「間に、合わなかった…」


ただでさえギリギリに出たので、当然の帰結だった。

私は再びヴァルキューレのオフィスに向かって歩き始めていた。


「…………」


正常な砂糖で経営されている確証のある店だっただけに、他では替えが効かない。

目標を達成できなかったことで私の気分は更に沈み込んでいた。

今はもう、呼吸することすら億劫なほどだ。

でも私にはまだやるべきことがある。

もっと、もっと頑張って、この砂糖の大騒動を一日でも早く終息させなければならない。

それまで、私は休んではいけない。

でないと贖罪にもならないし、あいつらに面目も立たないから。

そんな時だった。


「あら?そこのヴァルキューレの方、大丈夫ですか?」


「…?」


ふと、声をかけられた。

振り返るとそこにいたのは一人の生徒。

大丈夫、と返そうとするも声は出てこない。

だって、彼女の手には…


「おや、お腹が空いていらしたのですね。丁度良かったです。」

「こちらのドーナツ、買い過ぎてしまったもので…お食べになりますか?」


買えなかった、それがあった。

そうだ、ドーナツを食べなければ。

何故?何故だろう。でも、食べなければ。

私はそのドーナツを手渡され、口に運ぶ。

すると───


「あぇ…?」


視界が、夜なのにキラキラと輝き始める。

あんなに重かった身体が軽くなっていく。

気分までもが軽くなり、緊張感が無くなる。

すると私の意識はブツリ、とそこで途絶えてしまった。


────────────────────


「あうぅ…あぁう…」


「よし、よし…いい子、いい子…」


全体的に白で統一された、消毒の薬液の臭いが漂う病室。

穏やかな日差しが差し込み、白いカーテンが風に吹かれてさわさわと靡く。

そこでは優しく子をあやす様な声と、喃語にしてはあまりに低い声が聞こえてくる。


「…キリノ、そろそろ代わるわよ?」


「…大丈夫です。」


「うー?」


部屋にいたのは三人の生徒だった。

あやす側にいたのはアビドスの一員となった中務キリノと陸八魔アルの二人。

酷く哀れな者を見る目をしたアルに対し、キリノは今にも泣き出しそうな笑顔で返す。

彼女らがそんな表情をしている理由は、三人目にあった。


「はい、今日のミルクですよ…」


「えへへー♪キャッキャッ!」


拘束衣で雁字搦めにされ、キリノに横抱きにされている少女。

それは、かつてヴァルキューレの狂犬と恐れられた尾形カンナだった。


「ちゅっ、ちゅう、ちゅう…」


嬉しそうに頬を緩ませ、哺乳瓶に入った砂糖入りのミルクを吸うカンナ。

かつての面影は、どこにも無かった。

カンナは砂糖による傷病者を手当するハナエ主導の医療チームに回収されていた。

発見時は粗悪な砂糖を何者かに大量摂取させられており、路地裏で瀕死の状態で横たわっていたのだという。

回収後に発覚したのは、彼女の砂糖への嫌悪感だった。

精神はとうに擦り切れており、完全に幼児退行している。

だというのに、彼女は砂糖を含む食事の一切を頑なに拒み続けていたのだ。

そんなことをすれば当然、離脱症状の苦痛にのたうち回ることとなる。

故に自傷行為を止めるために拘束衣を着せられていた。

そんなどうしようもない状況だったのだが、また新たにある事が判明した。


「これは…私の咎なんですから…」


「………」


それは、ハナエ、アル、キリノの三名に関してだけは心を赦し、砂糖を受け入れる事。

故に、キリノはその役を買って出て、こうしてカンナへの”治療”を行っている。


「…貴女は私じゃない。だから、貴女の痛みは代わってあげられない。」


「………」


自らの上司だった人をあやし、自身の夢を破滅させたものを与える。

キリノは自らの心が軋み、悲鳴を上げていることを感じていた。


「だけど慰め、寄り添うことはできるわ。だから、キリノ…」

「ハナエさんに代わってもらったら…私の部屋に来なさい。」


「…………ありがとう、アル…」


アルの言葉を聞いたキリノの、カンナの頭を撫でる手からは少し強張りが抜けていた。

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