告解室の奥の秘め事

告解室の奥の秘め事


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 人ならざる者が暮らす魔界で、スレッタは異質な変わり者。男の精を主食とする女の魔物『サキュバス』として生まれたのに、17歳を迎えても未通女のまま。

 あまりにも誘惑が拙いので、ついには周りの先輩サキュバスたちも匙を投げ、これは実地で学ぶが吉とばかりにスレッタを同伴者もつけずに人間界に送り込んだ。


 ぐうううううぅ。

(おなかすいたなぁ……。このまま死んじゃうのかな……)

 やはり、と言ってはなんだがスレッタの誘惑は失敗つづきだった。そもそも人間界の少女漫画に憧れている者相手にたった一人で男の劣情を煽れというのが無茶な話である。しかしそうして男の精を搾りあげないと飢えるのもまた事実。あまりのひもじさに歩くことすら億劫になったスレッタは道端に蹲った。

「そこのきみ、こんなところでどうしたの?」

頭上から降り注いだ涼やかな声に導かれるようにスレッタは顔を上げる。そこには、端正な表情をした青年が立っていた。年の頃は、スレッタと同じか僅かに上。きっちりと隙なく着込まれた長衣は彼が聖職者であることを示している。スレッタは何か答えようと口を開いたが、声が紡ぎ出される前に彼女の腹の虫が元気な返事をした。

「おなかがすいているんだね、少し待ってて」青年は左腕に掛けていた籠からパンをとりだして「どうぞ。これだけで申し訳ないけれど」と言いながらスレッタに差し出した。スレッタはおずおずと差し出されたパンを受け取り、口に含んだ。最初は見られていることを意識してかゆっくりとお行儀よく咀嚼していたが、次第にペースが上がり、最後にはほとんどがっつくように食べていた。

「あの、ありがとうございました」

いつの間にか溢れていた涙を拭いながら青年に感謝の念を述べる。精を摂った時ほどではないがスレッタの飢えは満たされた。サキュバスである自分にも普通の人間と変わらぬほどに優しくしてくれた彼に何か礼をしたい、と思い、自分の名を名乗り彼の名を尋ねると「ぼくはエラン・ケレス。……どうしたの、僕の名を知りたがるなんて」と不思議そうに答えてくれた。

「エランさん。あなたのおそばで働かせてください」

考えるより先に言葉が出ていた。エランは困ったように口許に手をあてる。

「ぼくは司祭だから、女の子を近くに置くことはできないよ」

「教会なら、荘園とかあります、よね。そこで働く農婦としてでもいいんです。わたし、あなたがパンをくれなかったら飢え死にしてました。あなたに恩返ししたい、です。あなたの役にたちたいんです、お願いです……!」

無理を言っている自覚はある。それでも、スレッタは諦める事ができなかった。何故なのかは分からないが、無性に彼のそばに居たいと思った。やがて大きく溜息をついたエランが言った。

「この町の教会には、今は使われていない女子修道院が併設されている。きみのごく普通の女性としての人生の可能性を摘み取ることになるけれど、それでもいいならおいで」

「……はい! よろしくお願いします!」


 見習い修道女として教会で暮らすようになったスレッタは、町の子供たちに勉強を教え始めた。不慣れな仕事ではあったが、一生懸命に取り組むスレッタに、子供たちはよく懐いた。

町の大人たちは、教会に人手が増えてそれまで閉鎖状態だった学校が再開されたため、スレッタが来たことに感謝した。そうして次第に町の人々の信用を得ていったスレッタを、エランはいつしか信頼するようになっていった。


 エランが自分のスレッタに寄せる信頼に、それ以外の情を含んでいることを自覚したのは、百合の蕾が綻びはじめる頃だった。(だめだ……司祭のぼくが、女性に対してこんな気持ちを抱くなんて。それに、ぼくが地獄へ堕ちるだけならまだしも、清らかな彼女を道連れにはしたくない)

 ほぼ同時期に、スレッタも、初めて会ったときにエランのそばに居たいと願った理由を思い知っていた。(わたし、エランさんのことが好きで、一目惚れしてて、だから近くに居たいって思ったんだ……。もしエランさんともっと親密になれたら、そしたら、私…………ダメダメ! エランさんは神父さまなんだから、おそばに居られるだけでも幸せなのに、それ以上望んじゃだめだよ)

 そんな折、事件が起きた。スレッタがミサに使う聖水を湛えた水盤を運ぼうとしたとき、よろめいて聖水を少し零してしまった。聖別された雫がスレッタの手の甲に降りかかる。激痛が走り、思わず「痛っ……」という声が漏れる。「ぶつけたの?」と訊ねてきたエランに「はい、爪先をそこの椅子の脚に」と答え、杯を置くために祭壇の方へと移動した。そのためスレッタは気が付かなかった。エランが聖水によって爛れた彼女の右手の甲をじっと見ていたことに。


(魔族……)

教会では人間に対して悪事を働く魔族を祓うことも行っている。そのため町でただ一人の聖職者であるエランも、祓魔の技術を持っていた。勿論、スレッタの手の爛れも、常人が火傷してできたものではないと判別することができた。魔族が教会や聖職者に近づく時、彼らの行動原理は二つのうちのどちらかであることがほとんどだ。一つ、聖職者を堕落させたり、倒したりすることで街全体を堕落させること。一つ、己の名誉のために聖職者を籠絡し、堕とすこと。前者は男の悪魔に、後者はサキュバスに多い。エランも聖職者の端くれ、悪魔に襲われたこともサキュバスの誘惑を受けたこともある。

女性であり、なおかつ初対面で襲いかかってこなかったスレッタはおそらくサキュバスだろう、とエランには想像がついてしまった。(ああ、なんてことだ。ぼくはきみを信頼していたのに。──好いてさえ、いたのに。なのにきみは、ぼくを堕としにきていたの。よりにもよって、君の魔界での名誉のためだけに。清らかな女性だと思っていたけれど、嘘だったんだ。なんてあさましい、淫蕩な女なんだ……!)


「スレッタ・マーキュリー。大事な話があるから、夕食の後、ぼくの部屋に来てほしい」

魔を暴く賭けに出る、その日の夜。

「エランさん、大事なお話ってなんですか?」

エランの黒い感情に露ほども気づいていないスレッタは、のほほんとした表情でエランの部屋を訪ねてきた。いくら聖職者相手とはいえ、『男の部屋に一人で来い』だなんて怪しい言葉をなんの疑いもなく信じ、罠にかかった愚かな女を内心で嘲笑う。(きみってば、ぼくに正体が勘づかれてることに気づいていないの?)

「さすがサキュバスだね。男に媚びを売るのが上手だ」蔑みを込めて言い放つと、スレッタは怪訝そうに眉をひそめ、ついで愕然としたように目を見開いた。真っ青になって小さく震える彼女を見て、エランは微かな口元の動きだけで嗤った。

 呆然としているスレッタをベッドに組み敷き、ウィンプルを剥ぎ取りトゥニカを捲りあげる。中に隠されていた挑発的な下着と下腹部で淡く発光する紋様を見て、エランの理不尽な恨みはいっそう募る。

「……へえ、やっぱりそうか。ねぇ、ぼくを──教会を、堕落させるために来たの?」

「違っ……わたし、そんなんじゃ……」

エランの冷たい瞳に怯えながらも弁明を試みるスレッタを遮り、さらに言い募る。

「何も違わないよ。神父の精液が欲しかったんだろう? お望み通り、好きなだけ注いであげるよ」

優しかったエランのあまりに乱暴な言葉に、スレッタは遂に泣き出してしまった。エランは彼女の涙も、嫌だやめてと懇願する声も無視して無理やりにその身を暴いた。隘路を進むときにぷつりと音を立てた薄い膜の存在は、感じなかった振りをした。

 好いた男に抱かれる喜びと酷い言葉をぶつけられる悲しみとが混ざりあい、スレッタの心を千々に掻き乱す。無遠慮に揺さぶられているのにも関わらず、サキュバスとしての性であろうか、つい先刻まで生娘だったとは思えないほどに感じ入り嬌声をあげるスレッタを睥睨し、エランはさらに彼女の柔い心にナイフを突き立てる。

「こんなにされても感じるんだ、今まではどれだけの男の精液を飲んできたの? ふしだらな子だね」

涙にぼやけるスレッタの視界に、轟々と燃えるエランの瞳がやけにはっきりと映った。


 長時間にわたる凌辱に身も心も疲れ果てたスレッタは、エランの五度目の吐精を待たずに意識を手放した。エランは身体を起こし、彼女に打ちつけていた自身の楔を引き抜いた。スレッタが受け止めきれなかった彼の欲がシーツに散る。後処理もそこそこにベッドから離れ、文机の前に移動する。机の上には、古びた分厚い本と満たされた硝子の瓶があった。

 無抵抗の今が、絶好の機会だ。魔は確実に祓わねばならない。彼らを祓うことは主が望まれること、天使たちの責務。彼らの従僕たる司祭の自分にとって、それを遂行することはこの上ない悦び。天を欺き自分を裏切った彼女に罰を。それなのに、エランは聖水を手に取ることができなかった。

(サキュバスと交わってしまったぼくは、救われる定めの者ではなかったのかもしれない。なら、せめて……。……堕ちるのは、ぼくだけでいい)

若草色の瞳が昏く瞬いた。


 喉の痛みと腰の違和感に眠りを妨げられ、スレッタはゆっくりと瞼をあげた。

起き上がろうとして、自分の自由が奪われていることに気がついた。木製の手枷が両手を一纏めに縛め、鉄の輪が両足をベッドに囚えている。目だけで部屋を見渡すと、そこが半地下の牢であろうということが分かった。暗く、色彩に乏しい、湿った冷たさがそこにある。

 明かりとりの窓から入る光が一度赤く強く燃え、緩やかに弱まる頃、房の外の石壁に誰かが近づいてくるコツコツという音が反響する。ここが教会付属の施設ならば、音の主は一人しかいない。そうであってほしくない、という願いをこめて扉の方を見る。視線の先で、閂が重い音を立てて外れ、鉄扉が甲高い悲鳴を上げながら開く。その奥から、長身の男が姿を現した。

「お目覚めかい、嘘吐きサキュバス」

どろりと濁った温度のない瞳でじっとりとスレッタを見つめる青年は、彼女の愛する男で、今一番逢いたくなかった人物だった。「……ぁ、」スレッタの唇からまろび出た小さな声は、絶望の形をしていた。


 それから毎日、夕暮れ時にエランはやってきてスレッタを抱いた。最初はエランが訪れるたびに自由のきかない身体で最大限の抵抗を示していたスレッタは、一週間が過ぎる頃には目を伏せる以外のことをしなくなっていた。この頃には、涙も枯れてしまっていた。

 そこからさらに十日が過ぎる頃、スレッタの身体に異変があらわれた。意に沿わぬ行為であるにも関わらず、スレッタの漏らす喜悦の声はいつも甘かった。しかし、普段とは違い、今日の声はどこか虚ろさを纏っている。不審に思ったエランが彼女を今一度観察する。嫌な予感が当たった。スレッタの花のかんばせを柔らかく縁取る深い紅色の髪の艶めきが、いつの間にか失われていた。動きの止まったエランを心配してか、スレッタがそっと様子を窺うように見つめてきた。その瞳に生気が感じられなくて、エランは戦慄した。いつのまに、ここまで弱ってしまったのだろうか。


 その日からエランはスレッタの体力回復のために努めた。

 まず今までよりも抱く数を増やした。とにかく精をたくさん飲ませれば体力がつくだろうと考えたのだ。裏目に出た。

 次に蜜壷以外からも色々な場所から摂取させた。蜜壷以外──例えば口──から摂ったらなにか変わるかもしれないと考えた。裏目に出た。

 さらに、今までよりも念入りに前戯をした。もしかしたら自分の快楽を得ないと精を吸収できないのかもしれないと考えたのだ。これもまた、裏目に出た。

(食事量は充分なはず、なのにどんどん弱っていく……! どうして……?)

 窓辺の花瓶に飾られた、とうに枯れた百合の花を捨てることすら忘れ、夜な夜な書物をめくる。しかし、どんな書物にも『サキュバスは男性の精液を主食とする』『サキュバスにとって、高位聖職者の精液は栄養価が高い』といった程度のことしか書いていなかった。ここのところは毎日三回分は飲ませているが、もしや蜜壷から摂取するのは効率が悪いのだろうか? 浮かんだ疑問を即座に打ち消す。口から飲ませていた時期もあったが、その時よりは衰弱するペースは落ちている。それに、サキュバスであればそこから栄養を得るのは普通のことだ。普通のことなはずだ。なのになぜ、摂れば摂るほど衰弱していくのだろうか。

(もしかして、きみは、ぼくを拒むの?)

愛に狂った怪物が、ひとり途方に暮れていた。


 ある日、珍しく深夜も過ぎてからスレッタのもとを訪れたエランは、どこか様子がおかしかった。心ここにあらずといった感じで、彼の瞳は一度もスレッタを映さない。何かを言おうと口を開け、しかし何も言わずに閉じるという動作を繰り返す。右手はずっとペクトラルクロスを弄っている。

 夜鶯が眠りにつく頃、ようやくクロスから手を離したエランが言った。

「好きな男の処へ行っていいよ。……ずっとここにいたら、きみ、飢えて死んじゃうでしょ」スレッタを暗い牢に繋ぐ鎖を外す。指先が僅かに震えていた。

 自由になったスレッタは、シーツで剥き出しの肢体を覆い、エランに近づく。右手で彼の頬を撫で、そのままくちづけた。

「……な、にを、」

驚きに見開かれた目を正面からしっかりと見つめる。ようやく、目が合った。

「飢え死になんてしません。あなたといるだけで幸せで、おなかも心も満たされて、いっぱいになるんです。だからどうか、あなたのおそばにいさせてください。あなたのことが好きなんです」

 格子窓から差し込む夜明けの光がスレッタの顔を照らしだす。エランに向けられた微笑みはあまりに無垢で、彼女の言葉が本心からのものだと証明するに十分だった。エランははらりと一雫涙を零し、貞淑な彼女を抱きしめた。薄暗い牢で、略装の新郎と粗末なウエディングドレスの新婦が永遠を誓う。窓の外で雲雀が二人の赦されざる結婚を祝福する歌を歌った。




 とある町にある小さな教会には、一人の司祭と一人の修道女がいる。

 司祭は誠実な人柄で街の人々に頼られており、修道女はそんな司祭をよく支えていた。

 ミサが終わり、町の人々が帰ってがらんとした聖堂で、司祭は修道女のスカプラリオの下に手を差し入れてトゥニカの上からつつ、と腹を撫でる。そして、「……おなか、すいてない?」とベール越しに耳元で訊ねると、修道女は瞳を蕩けさせ、「……はい♡ 」と応え、司祭にしなだれかかる。そして二人連れ立って告解室の奥へと消えていった。


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