君の憧れはもういない
他人の不幸は蜜の味、という言葉がある。
僕は甘い味は好きでは無い。そして他人の不幸を喜ぶような人間になったつもりも無い。
…だが、僕という人間は、自分が考えていた以上に愚かで……強欲だったようだ。
これは、今までの自分は強がっていた、それをやっと自覚する……ありふれた話だ。
「こんにちは、ハララさん」
「元気そうだな、クルミ。…ユーマは居るか?」
「はい、中にいるので、案内します」
…あの事件から、全てが変わった。
あの日、カナイ区で出会った僕達四人は、ユーマから招待され、彼と彼の恋人の式に参加した。
…だが、ユーマの恋人は式場から姿を消し、ユーマは誰とも結ばれる事も無く式は中止され、残ったのは、ボロボロで血まみれになったドレスと、……同じく血まみれになっていたクルミだけだった。
ユーマは僕達に、クルミを傷つけ、彼女を攫った犯人を探し出す為に協力して欲しいと、僕達に言ってきた。
……それが、ユーマにとっての真実だった。
「クルミ、最近のユーマの様子はどうだ?」
「元気ですよ。この前、私に料理を振る舞ってくれたんです。ユーマくん本人はまだ簡単な物しか作れないって言ってましたけど、日に日に上達して、美味しくなってるんです」
「それはいい事だ。カナイ区に居た時、ユーマの料理の味は壊滅的だったと、以前所長が何度もぼやいていた位だからな」
「あはは……ヤコウ所長も災難だったんですね」
「そうらしい。…ともかく、今のユーマの状態は、少しずつ回復出来ていると言う事か」
「…そうですね、まだ、いなくなった恋人の名前を呼び続けてたりしてますけど、少しずつ……前を向けていると思います」
クルミとの何気ない会話、こういった時間も悪くない。…だが、そろそろ今日の本題を切り出すべきか。
「…ハララさん、今日…あなたが来たのは、ただユーマ君の様子を見に来ただけじゃない……ですよね」
「…やはり、君には分かっていたか…」
「これでも情報屋ですから。…いえ、もっと単純な理由ですね。私がユーマ君を好きだから、分かったんです。……今日、ハララさんが来たのは、ユーマ君に大事な話があるからなんですよね?」
「ああ、彼に…ユーマにどうしても伝えたい事があって、今日、ここに来たんだ」
「…そうですか、……あーあ、ユーマ君って本当に人たらしですよね。私だけじゃなく、ハララさんみたいな綺麗な人までその気にさせちゃうんですから。…だからこそ、ユーマ君なんでしょうけど」
「ふふっ、違いない。いつの間にか人の心に入り込み、彼と接するうちに……彼の存在そのものが、もっと欲しくなってしまうんだ」
「分かります。……そんなユーマ君だから、私は、こんな形でも、ユーマ君と一緒に居られて幸せだって、そう…思っちゃうんです」
「……そうか」
「…ハララさん、私は……ユーマ君がどんな答えを出しても、彼から離れるつもりは、ありませんよ」
「勿論だ、僕も…その覚悟で、今日ここに来たのだから」
「ふふっ、それなら……私とハララさんは共犯、ですね」
「そうだな、探偵としては最低の判断だろうが、もう……矜持は必要ないからな」
「…応援しています。でも、独り占めは駄目ですよ?」
「ああ、善処しよう」
「……ユーマ君!ハララさんが来てくれたよ!」
「あっ……ハララさん。…お久しぶりです」
「ああ、…久しぶりだな、ユーマ」
…久々に会ったユーマの顔は、多少やつれていたが、あの時……僕達に協力を頼んでいた時より、ずっといい顔をしていた。
「それじゃ、ユーマ君。私は、今日の夕食の準備をしてくるから、後はハララさんと二人で過ごしてね。…じゃあ、ハララさんも………ゆっくりしていってくださいね」
「…うん、ありがとう、クルミちゃん」
「ああ、……ありがとう」
僕達が礼を言うと、彼女はキッチンの奥に消えていった。
クルミ=ウェンディー。…彼女とも出会えた事は、僕にとって……間違いなく幸運だ。
「とりあえず、あのソファに座りましょう」
「分かった」
「…………………」
「…………………」
ユーマと二人きりになった。ここからどう話すかと考えていると、先にユーマが話してきた。
「あの……ハララさん」
「…何だ?」
「その、…いなくなった彼女について、何か情報はありませんでしたか?」
「いいや、未だに何の情報も得られていない。…不甲斐ない事だがな」
「そう…ですか………」
「…ユーマ、僕は探偵として、受けた依頼は必ず達成する。君は大船に乗ったつもりでいれば………ユーマ?」
「…………………」
急にユーマの体が震え出した。いったいどうしたんだ?
「ユーマ、体調でも悪いのか?それならクルミも呼んで…」
「……もういい、もういいんですよ、ハララさん。ボクに……気を使ってくれるのは……」
「…ユーマ?」
まさか、もしかして、君は……
「……ボクは、最初から、全部分かっていました。…彼女は攫われたんじゃない。彼女は、あの時、クルミちゃんが…………ッ!」
「………………」
「…ボクは、凄く悲しかった。…でも、思ってしまったんです。ここで、真実を明らかにしたらボクは、どうなってしまうんだろうって。…真実を明らかにしても、彼女は戻らない。それどころかボクは、…クルミちゃんまで失うだけだって、そう…思ってしまったんです…」
「……真実を分かっていながら、目を逸らしたと?」
「はい。…それからはハララさん達も知っている通り、皆さんに協力をお願いして、ボクはクルミちゃんと共同生活を送る事にしたんです。…得られる筈の無い彼女の情報を待って、クルミちゃんの前で……壊れた“振り”をしていたんです。ボク自身が、現実を見ない様に…」
「………ユーマ」
「…分かっています。今、ボクがやっている事は探偵としても、人間としても、…最低だって。…ハララさんや他の皆は、僕を仲間として、一人の探偵として、信じてくれたのに……それを、ボクは……裏切ったんです」
「………………」
「…ハララさん、本当に…ごめんなさい。あなたはボクに、猫が好きだって事も、過去に裏切られた事も、ボクに…自分の夢を話してくれて、ボクになら……裏切られてもいいって、そう、言ってくれたのに……ボクは……ボクは……」
「……最低なのはお互い様、という事か…」
「……ハララさん?」
「…ユーマ、僕の眼鏡を……外してくれ」
「え?あ、はい……これで、いいですか?」
……ああ、この時を待っていた。
外れた瞬間、僕はユーマを押し倒した。
「は、ハララさん!?何を…」
「ユーマ、君は今、僕の眼鏡を……超探偵“ハララ=ナイトメア”を形作っていた物を外した。…これがどういう事か分かるか?」
「……え?」
「今、君の目の前にいるのは、君が憧れた僕では無い。…だから、今まで君に伝えられなかった言葉を、やっと……君に言える」
「ハララさん…」
「ユーマ、僕は……君が好きだ」
「好き?…ハララさんが、ボクを……?」
「そうだ。…今までの僕は誰も信じず、誰にも心を開かないようにして生きてきた。誰かを信じた所でまた裏切られると、そう考えていたからだ」
「ハララ、さん」
「だが…僕は、カナイ区で君と出会った。君は昔の僕のように、お人好しで純粋だった。借金を課しても、君の態度は変わる事なく僕に…笑いかけてくれた。猫の事や僕の夢の話……沢山の時間を君と過ごし、いつしか君は僕の中でとても大きな存在になり、…そして、僕は…君が好きなんだと、そう気づいたんだ」
「………………」
「…だからこそ、久しぶりの君から来たあの便りを見た時は、絶望した。…僕の、君への気持ちは、君に伝える事すら出来ずに終わってしまったと、そう思っていたんだ。…あの時までは」
「彼女が……死んだ時、ですか」
「…ユーマ、先程君は、自分は最低だと言っていたが、それは僕も同じだ。…あの時、君が僕達に協力して欲しいと、そう言った時、酷く傷ついた君を見ても……思ってしまったんだ。…あの女が死んで嬉しい、これで君を、誰にも奪われずに済んだと!!」
「ハララさん……」
「そして……たった今、君に…僕の気持ちを伝えたんだ、今頃になってな。…君も最低というならば分かるだろう?僕はもう戻れない、そして……君が欲しくてたまらないんだ…」
ユーマの顔を僕に近づける。
お互いの吐息がかかる距離になった。
ああ、もう堪らない……
「だ、駄目です!ハララさん!それだけは…」
「君の返事を聞きたかったが、もう…我慢が出来ない。君を……味わいたいんだ…」
「や、やめ…んんんっ!?」
「んっ、ふぅ、むぅぅ、んんっ…」
彼とのキスは、爽やかさの欠片も無い、酷く、舌にまとわりつくような甘い味だった。
けれど、今の僕には……それが心地よく感じた。
「んむっ…っ、んっ……は、らら、さん…」
「ふむっ、ちゅ、ぷあっ…あ、…ゆーま…」
傷心中の君に付け込んで、こんな事をして、寧ろ、君を裏切ったのは僕の方だな。
だが、君だって悪いんだぞ。…僕を壊して、狂わせて、…夢中にさせたのは、君なのだから。
ああ、もう……どうでもいいか。ユーマともっとキスしよ。
僕の思考は、とっくの昔に停止していた。