君に全部が変えられてく
広いベッドと簡素な椅子がいくつか。錬金連合の殺風景な病室で、宝太郎は無垢な子供のようにすよすよと眠っていた。静かな眠りを邪魔してやらないように、膝に置いたアイザックの音声はミュートにしていて、病室には二人分の呼吸音だけがあった。
数十分前、子供が産まれた。人とケミーの間に成された子供だ。目の前の宝太郎の寝顔を見ていると、彼の身体の中についさっきまで命があって、そしてそれを産み落としたばかりだとはどうにも思えなかった。
人とケミーの交合。何百年もの歴史を持つ錬金連合ですら遭遇したことの無い事態だ。それ故に、宝太郎と子供は発覚後すぐさま研究対象として見られるようになった。
宝太郎は常に監視をつけられ、ケミー達にそういう意味で触れられている時も監視されているらしい。子は産まれた後すぐに錬金連合の研究所に回され、数日は戻ってこない。
襲われ、産んで、子供とは離れ離れ。心も身体も疲弊しているはずだ。幸いなのは、宝太郎が出産後しばらくは眠り通しになり、その間だけはケミー達も宝太郎に触れようとしないことだ。本来ありえるはずのない妊娠、出産という行為に体力を使い果たしてしまうのだろう。どこにどう孕んで、どこからどう産まれてくるのかについては、伝えられていないままだ。宝太郎の先輩であっても、錬金アカデミーの生徒にすぎない僕に研究の詳細を知る権限はない。それは仕方のないことだと思う。
人とケミーで子を成せる。その事実はケミーは道具、という錬金術師の常識を覆してしまうかもしれないのだ。なにがなんでも調べ尽くしたいと錬金連合が考えるのは理解出来る。僕も興味がないと言ったら嘘になる。でも、宝太郎がつらい目に遭うのは嫌だ。こんな状況おかしい。ケミー達も、錬金連合もおかしい、そう思いながら何も出来ない僕も。
「ん…………さびまるせんぱい……?」
宝太郎の意識が眠りからぼんやりと浮かび上がってきて、どこか焦点の合わない視線が僕の方を向いた。
「おはよう、宝太郎」
「おはよ、ございます……あの、こどもは……?」
目覚めてすぐに子供のことを心配する宝太郎の声に、身体の奥から嫌なものが込み上げる。吐き気に近かった。それを抑え込む一瞬の間も僕を見つめる宝太郎の目は今まで通り大きくて綺麗なのに、ひどく翳って見えた。
「健康診断、……すぐ、戻ってくるよ」
少し嘘をついた。研究所へ連れていかれた子供がされていることなんて、健康診断以外が大半だと分かっている。だからといって研究所でアレコレ調べられてる、なんて正直に伝える訳にはいかなかった。
「そ、ですか……」
浮かび上がった意識はすぐに沈んでいってしまって、病室はまた寝息だけに戻る。抑え込んでいた嫌なものを追い出すように大きなため息をついた。周りが全部おかしくなっているなんて思えない程、宝太郎は穏やかに眠る。ぴょんと跳ねている髪を撫でて直してやった。髪に触れさせた手を、そのまま、宝太郎のお腹の方に向かわせた。ついさっきまで命が収まっていたらしいお腹に、布団の上からそっと手を置いてみる。布団の布地はさらさらと僅かに冷えていて、呼吸の膨らみが微かに感じられるような気がした。その揺らめきは宝太郎一人だけのもののはずなのに、まだなにかいる感じがして、ぱっと手を遠ざけた。
錯覚。分かっている。おかしくなった全部に感じていた違和感が、突然恐怖に変貌していく。やっぱりおかしい。怖い。人とケミーとの子供。宝太郎の身体に起こっていること。宝太郎を無視した興味だけを抱く錬金連合。
なんとかしてあげたい。なんとかしてあげなきゃならない。助けられたのだから、その分を少しでも返してあげたい。何ができるのだろう。
不意に背後から音がした。動揺を誤魔化してゆっくり振り返れば、九道がどことなく強ばった顔つきで扉の向こうに立っていた。
もう交代の時間になっていたらしい。
出産後で体力がなくなっている間はケミー達も行為をしようとはしないが、念の為に常に誰かが傍についてやる。錬金連合とアカデミーとでそんな取り決めがされていて、それは僕や蓮華、九道の仕事となっていた。
だけど錬金連合のことだ。念の為、なんてところは名目で、実際は宝太郎が錬金連合の監視外へ行ってしまうのを警戒しているのだろう。僕らがさせられているのは見舞いではなくて見張りだ。多分、僕らも監視をつけられてる。
「錆丸先輩、一ノ瀬は」
「……さっき、ちょっと起きて……すぐ、子供のこと、聞いてきた」
「……そう、ですか」
苦々しさと苛立ちの入り交じった感情が九道の整った顔に浮かんだ。今までの硬質な冷淡さに比べて、だいぶ分かりやすくなった。
宝太郎の影響だろうな。そんな顔をさせている現実を忘れて、そう思った。
「先輩は、おかしいと思わないんですか、一ノ瀬に嘘までついて、見張って、こんなの」
必死に言葉を吐き出すその顔があまりにまっすぐで、本当に、宝太郎によく似ていた。いや、元々似たもの同士なところがあったのかもしれない。僕は九道にあまり関わってこなかったし、九道の方もそうだったから。僕も九道も、宝太郎に変えられてきてる。
「…………うん、おかしいよ、全部」
「なら、何か……何か……してあげなきゃ……」
希望を宿した、宝太郎そっくりな目をする九道を見て、僕は僕が嫌だなと思った。今ちょっと諦めかけてた。やっぱり僕は宝太郎みたくはなれないのかもしれない。それでも、少しは近づきたい。
「何が、できるんだろうね」
僕らの感傷も窮愁も知らず、宝太郎は眠りの海の深いところへ潜ったままだった。