名探偵スターズオンアースの事件簿・中編
ミステリ好きのザリガニスターズオンアースが次の事件の現場として予測したのは府中のあるホテルで、次の被害者として予測したのはリバティアイランドの師匠、コントレイルだった。
「しかし、それってどうやって予測したんだ?」
鉄板の上のカルビの様子を窺いながら、ドウデュースがスターズオンアースに尋ねた。
「確かに、私もそれは気になります」
「うーん、どう説明すればいいんでしょうか」
気難しい顔でチョレギサラダを一口食べて、飲み込んでからスターズオンアースは答えた。淑女は食べながら話したりしないのだ。
「リバティちゃんとおどうくんは、Dの一族って知っていますか?」
「知ってるちゃ知ってるよ、あの都市伝説だろ?」
「……それ、今関係あるんですか?」
Dの一族。日本を牛耳り、支配しているという謎の一族だ。影から日本を支配し、今や欧州にもその手を伸ばしているらしい。なんでも、英国のさる高貴なお方の血を引くそうで、その割にその一族の噂が広まったのはここ数十年であることから、いわば都市伝説の一つである。
「Dの一族は存在します」
ドウデュースは瞠目した。衝撃的な話であるというより、真剣な話をするときに突如都市伝説の話を始めたスターズオンアースにドン引きしたからである。
「アースちゃん、テスラ缶とか買わされてないか? 電子レンジって別に有害なものじゃないんだぜ」
「買ってないし有害とは思ってません! そういう都市伝説じゃなくて、Dの一族は本当に存在するんですって! ね、リバティちゃん」
「アースちゃんのいうことは本当ですよ。まあ、都市伝説で言われてるほど大層なものじゃないらしいんですけど」
らしい、というのはリバティアイランド自体詳しく知っているわけではなく、一族の者からの伝聞だからである。
「今回の被害者、Dの一族が圧倒的に多いんです。というか、少女以外の被害者が出た頃以降の被害者は全員Dの一族の者です」
ドウデュースは平然な顔をしてカルビを皿に盛った。何も思っていないからではない、何かを感じ取ったからこそいつも通りの振る舞いを意図的にしているのである。彼もまた、名家の出であった。
「……つまり、一族の内部抗争ってことか?」
「話が早くて助かります」
「うちもそういうのあるっちゃあるから。内部抗争だとすると、基本的には後継者争いが有力だな」
「そこまでわかるものなんですね」
「それ以外で争うことなんてないぜ。一番拗れるパターンは、暫定後継者が定まりつつある中で、抜けた実績のある後継者候補が後になって出てくるパターン」
「すでに体勢が出来上がりつつある中でひっくり返るから、既得権益を手にした人、どさくさに紛れて得をしようとする人、成り上がろうとする人、色々入り乱れて大変なことになる、ってことですか?」
リバティアイランドの言葉にドウデュースはリアクションを示さない。口にカルビを頬張って誤魔化した。食べながら話すのはマナー違反である。つまり『これ以上は話さない』という意思表示だ。考えてみれば彼も難しい立ち位置であったなとリバティアイランドは今更ながら思った。
スターズオンアースもチョレギサラダを頬張っている。これもまた、『これ以上は尋ねない』という意思表示である。食べ終えたドウデュースがポツリと言った。
「さっき言ったパターンの場合、狙われるのは後になって出てきた後継者候補だぜ。暫定候補を倒したところで次が誰になるかは分からないけど、後発候補者はそいつさえ潰せば既存の体制を維持できるんだから」
そう言ったきり、ドウデュースはずっと食べてばかりで何も話さなかった。スターズオンアースも黙々と食べ続けた。
リバティアイランドは一人静かに考える。
ドウデュースが言った、暫定後継者のもと体制が形成されたにもかかわらず、抜けた実績の後発後継者候補者が現れたパターン。それは正にDの一族のパターンと言って差し支えないだろう。このとき、抜けた実績の後発後継者候補者とはコントレイルに他ならない。しかし、そのコントレイルが今まで誘拐されていないということは……。
いや、そんなことあるはずがない。スターズオンアースは次の被害者はコントレイルだと言っていたではないか。
内部抗争の場合対立構図がはっきりしているので、被害者から犯人を絞り込むのは容易であるという事実が、リバティアイランドに重くのしかかった。
「ねえリバティちゃんやっぱりスタッフとして潜入しませんか?」
「まだ言ってるんですか、料理も接客も素人の人間をスタッフとして配置することは出来ないってドウデュース先輩に言われたでしょう。そのドウデュース先輩だって一度上司に掛け合ってみて、その上で大激怒されたって言ってたじゃないですか。普段プボ〜っとしたチーフがあんな怒ってるのみたことない、命の危険を感じたって怯えてて、可哀想だと思いませんでしたか?」
「良いこと教えてあげますよリバティちゃん! よく命の危険を感じると性的興奮が高まると言いますが」
「はいはい子孫を残そうとする本能ですよね」
「リバティちゃん大正解です! 無論命の危機を感じると交感神経が優位になり当然性的興奮が高まったときは交感神経が働きやすいです。でも不思議なことに勃起は副交感神経が働いている時に起きやすいんですよ。どうしてか分かりますか? これは副交感神経が優位になると動脈が緩み血管が拡張することによって海綿体が血液で充満し勃起するからなんですね! つまりメカニズム的にはほっとして涙が出るのと同じです!」
「セクハラする余裕あるならローブデコルテくらい躊躇わずに着てくださいよ」
「リバティちゃんの意地悪!」
黄色のドレスを抱きしめてスターズオンアースはリバティアイランドを睨んだ。コントレイルはこのホテルで開催されるパーティに参加するようだ。スタッフとして潜入することを目論んだものの失敗したので来場客として潜入することになったはいいが、ドレスコード必須だったのでドレスを着ることになり、今更スターズオンアースはそれを恥ずかしがっているのだ。
「会場に入るにはドレス着なきゃですよ。こんなところで職務放棄するんですか?」
「し、しないですけどぉ」
「じゃあ早く着てください。私も着替えてくるので」
無理矢理更衣室にスターズオンアースを押し込むと、しばらくしてから衣擦れの音がした。やっと観念したらしい。それを確認してから、リバティアイランドは自らも更衣室に入った。
「ンアーッ! それはいけませんよリバティちゃん」
更衣室から出るなり、先に着替えを終えたらしいスターズオンアースの視線がリバティアイランド、もっというとリバティアイランドの胸元に注がれた。胸元にダイヤ形の穴が空いたドレスからは谷間がはっきりと見えている。
「うっうっうっ、妹がセクシーすぎる……こんなんじゃリバティちゃんがセクハラされてしまいます……」
「一番私をセクハラしてるのはアースちゃんです。大体カクテルドレスなんてどれも大抵露出度高いんですから、こんなの大したことありませんよ」
「そんな! リバティちゃんをセクハラしていいのはアースだけなのに!」
「話聞いてました?」
そのまま髪のセットも終えて、会場に入る。大会の成績優秀者の記念パーティーで慣れてはいるが、なんというか、巨額の富が動いているのを感じるパーティーだ。並んだオードブルはどれも美味しそうである。
すると、会場に入るなり黒いスーツのよく似合う美しい男が歩み寄ってきた。リバティアイランドの師匠、コントレイルである。
「久しぶり、リバティちゃん、アースちゃん。君たちも来てたんだね」
「お久しぶりですお師匠さん」
コントレイルは目元を緩ませてやわらかく笑んだ。コントレイルは珍しく前髪を上げている。トレードマークである受話器形の流星は見えなくなっていて、知らない大人の男のようにも思えた。ブラックスーツはこの会場の誰よりも黒い。髪が極めて青鹿毛の中でも際立って黒いため、並大抵の黒さのスーツだと灰色に見えるのだろう。
「お、お久しぶりです」
スターズオンアースはリバティアイランドの後ろで妙に上擦った声で挨拶をした。
「アースちゃん、緊張してる? ドレスコードとはいえ正装である必要はないから、そんな畏まらなくていいんだよ。ほら、僕もタキシードじゃないし」
コントレイルが少し屈んでスターズオンアースに目線を合わせた。緊張のせいだろう。スターズオンアースの瞬きの回数が多くなる。完全にフォーマルな姿のコントレイルに頭をやられている。
コントレイルはスターズオンアースの塩らしい姿に違和感を覚えたらしい。彼も暴走機関車状態のスターズオンアースをよく知っている。ちょっと助けを求めるようにリバティアイランドを見た。
「あんまり着ないタイプの服装なので慣れなくて大人しくなってるみたいです」
「そうか。女性は男性と違ってかなり形の違う服装を着ることになるから、大変だね」
が、めいいっぱいめかし込んで好きな人に合う乙女心はよく知らないらしい。勝手に会得がいったような顔をして頷いた。
「せっかくの機会だし色んなオシャレが出来るのは楽しいですよ」
後ろでスターズオンアースも頷いた。せっかくおめかしして可愛い自分になったのだから、存分に見せつければいいのだ。
「お師匠さん、今日の私を見てどう思います?」
「よく似合ってるよ。自分で選んだのかな? ヒールもかっこいいし、お姉さんって感じだね。トレーナーさんが寂しがりそう」
「もうお嬢さんは卒業ですから。あんなの寂しがらせときゃいいんです。んで、アースちゃんのことはどう思いますか?」
「リ、リバティちゃん!?」
「やっぱり黄色、似合うね。なんか学生の頃を思い出しちゃったよ。黄色い勝負服で最後にゴールに飛び込んでくるのが目立っててさ」
「は、はへ」
はへ、のような、うへへ、のような奇妙な笑い声をスターズオンアースが上げた。美少女の口から溢れ出すそれに動じないあたり、コントレイルもリバティアイランドもスターズオンアースの挙動に慣れ切っていた。
スターズオンアースはろくろを回すような謎の手つきでコントレイルに話しかけた。
「お兄さんも黒、えっとぉ、黒くていいですね!」
幼稚園児か。思わず突っ込みそうになったが、それがスターズオンアースの精一杯なのも分かっている。だとしたら妹として応援する他あるまい。
「うん。青鹿毛だから灰色に見えないように普通のブラックスーツよりも深い黒にしてもらったんだ。こだわりの黒だから気づいてもらえると嬉しいよ」
「そ、それほどでも……」
ようやくスターオンアースも人並みの言語能力を取り戻してきた。リバティアイランドはすかさずスターズオンアースの背後に回り込み、コントレイルの前に突き出した。
「私、食べ物取ってきます。しばらく食べたり飲んだりするので、お師匠さん、アースちゃんのことお願いしていいですか? アースちゃん、私と違ってヒールに慣れてないので」
「分かった。行っておいで」
「ンアーッ! アース全然大丈夫、大丈夫ですって!」
「アースちゃん」
スターズオンアースの耳元にリバティアイランドは囁いた。
「今日お兄さんは誘拐されるかもしれないんですよ。近くで守るべきなんじゃないですか」
「だったらリバティちゃんも一緒に」
「私は怪しい人がいないか探します。アースちゃん、私たちは探偵なんですから犯人を見つけられなきゃ、それで犯人からタクトさんの居場所を聞き出さなきゃ意味がないんですからね。ほら、早く行ってきてください」
ケツを叩く…‥訳には行かないので軽く背中を叩いた。
「じゃ!」
そう言って離れると、最初はリバティアイランドを縋るような目で見ていたスターズオンアースも腹を括ったらしい。コントレイルに何か話しかけていた。
「お兄さん、亀の雄の生殖器を知っていますか? これは亀の持ってるもうひとつの亀の頭の話なんですが」
……話しかけている内容は聞かなかったことにしよう。
しかし、と会場を見回す。そもそもあまり若い人は見受けられない。比較的皆小柄である。誘拐なんて抵抗されるに決まっているのだから、それ相応の筋力と体格が必要だと思うのだが。リバティアイランドはぐるっと見回して、一番体格の良さそうな人の側に寄った。肩幅なんてリバティアイランドの二倍くらいありそうな筋骨隆々の男だ。
「あれ、君は」
その男が話しかけてきて驚いた。その拍子にジュースをこぼしそうになって慌てて啜る。
「驚かせちゃったかな。ごめんね」
その男は優しいバリトンでリバティアイランドに声を掛けた。
「いえ、お気になさらないてください。サリオス先輩」
「あれ、僕のこと知ってるの?」
「タスティエーラくんの先輩ですよね。彼、あなたのリベンジに燃えていました」
「そっか。それでか。こんな素敵なお嬢さんに名前を覚えてもらえるだなんて、優秀な後輩に感謝しなくちゃな」
穏やかそうな外見からさらりとキザな言葉が繰り出される。彼は欧州の名門の血を引いていたな、と思い出した。
「驚かせちゃったお詫びに何か取ってくるよ。何がいい?」
「じゃあサーモンのカルパッチョで」
「了解」
サリオスが去った後、ふと時計を見た。長針は今にも真上を向こうとしている。問題の15時まであと数十秒かとリバティアイランドが視線をコントレイルの方に向けた時、
「何!?」
当たりが真っ暗になった。停電だ。
zrrrrrrr!
さらに続けてベルも鳴る。
「お師匠さん!」
リバティアイランドが叫んだそのとき、また明かりがついた。果たして、視線の先にコントレイルは確かにいた。安心したのも束の間、コントレイルはリバティアイランドの方を指さしている。戸惑い、自分の手足を見つめると、背後から悲鳴が上がった。
「一着至上主義だわ!」
振り返るとそこにいたはずのサリオスがおらず、代わりに一枚の紙が置かれていた。その紙には、一着至上主義と書かれている。
「触っちゃ駄目!」
体格のいいコックが現れ、周りに集まろうとする人々を蹴散らしていく。「現場は警察が来るまで保存する! おどうくん、110番して!」
「は、はい!」
ドウデュースが青い顔をしながらも指示に従っているあたり、例の怒ると怖いチーフシェフだろう。コントレイルはよろよろとサリオスが消えた場所に歩み寄り、チーフシェフがコントレイルを受け止めた。コントレイルはチーフシェフの肩に頭を預ける。チーフシェフは慣れたようにコントレイルの背を叩いた。
「コンちゃん、今は一旦冷静になるよ」
チーフシェフの言葉にコントレイルは返事をしない。代わりにただ一言呟いた。
「サリオス」
その絞り出すような声が、混乱の渦の中でやけにはっきりリバティアイランドの耳に届いた。
その後、警察が来て、話を聞くまで残っていてほしいとのことだった。リバティアイランドは肯定し、その旨をメールでタイトルホルダーに送った。
椅子に座ってスターズオンアースは頭を抱えている。
「停電の時、誰かが近寄ってくる気配ひとつありませんでした」
それはつまり、今回の誘拐事件はハナからコントレイルを狙ったものではなかったということである。
ドウデュースの発言が脳裏を過ぎる。"さっき言ったパターンの場合、狙われるのは後になって出てきた後継者候補だぜ。暫定候補を倒したところで次が誰になるかは分からないけど、後発候補者はそいつさえ潰せば既存の体制を維持できるんだから"。逆に言えば、にもかかわらずコントレイルが狙われないのなら。コントレイルと対立する存在ばかり誘拐されていくのなら。
それは、一連の誘拐事件の犯人がコントレイルであることを指し示すのではないか。
ドウデュースと話す中で頭に浮かんだ可能性が首をもたげる。そしてそれはリバティアイランドの脳内だけでなく、スターズオンアースの脳内でも同じだろう。三兄妹で最もドゥラメンテのキレを受け継いだのはスターズオンアースだ。きっともってたくさんの要素を考えて、もっと高い蓋然性を持ってその考えが頭を支配していることだろう。
「お兄さん……」
スターズオンアースは涙声だ。コントレイルを信じたいが、それを彼女の優秀な頭脳が許さないのだろう。
リバティアイランドはスターズオンアースの手をぎゅっと握った。
「…お師匠さんは事件に無関係ではないかもしれません」
「リバティちゃんまでそんなことを!」
「アースちゃん。無実と無関係は違いますよ。真実が…私たちにとって良い物とは限らない。でも、それでも解き明かすのが探偵の使命です」
スターズオンアースは顔を上げた。そして、ぎゅっと目を瞑って立ち上がった。
「行きますよ、リバティちゃん。探偵には、助手が必要です」
「はい、アースちゃん」
そしてリバティアイランドは、その頼もしい背中を追った。