可愛いSignorina

可愛いSignorina


「やっと着いたぁ〜…」

「貴女も過保護だこと。こんなにもずぶ濡れになって。ご苦労様」

お出かけ中の突然の雨。幸いにも持っていたレインコートをジェンティルドンナに羽織らせ、折り畳み傘を差して寮を目指し、ようやく着いた。ずっとジェンティルドンナの身長に合わせて腕を伸ばしていたのもあって、肩に錘が乗ったような感覚に襲われるとともに、ようやく自身が雨に塗れていた事に気づく。


「あはは……でも濡れるのは嫌でしょ?」

「レース中に雨に遭うなど幾度も経験していますわ」

「あ、そっか……でもでも!風邪なんて引いたら大変だし!それも脱がし方わかる?」

「着る順序と逆にすれば良いのでしょう?私も子供ではなくてよ?」

「あらら……」

あわあわとジェンティルドンナのレインコートを脱がそうとするも、クルリと向きを変えられ拒まれる。


「相も変わらずお節介さんだこと。……何故そこまで私に世話を焼こうとなさるの?」

「え…?」

不意の問いに目を丸くする。直後、直感から口を開く。

「可愛いから…かな?」

「あら」

「……あっ!ち、違うの!なんというか、ジェンティルが魅力的で!大事にしないとって思ってるうちに自分の子供を育ててるみたい……で……」

語るに落ちるとはこの事だ。釈明する度に気恥ずかしい事を言っているのに気づいて顔が赤くなってしまう。


「ふーん……貴女は私をそう見ていたのね」

凍えるような、それでいてどこか蠱惑的な眼差しで見つめられ息を呑んでしまう。

「ご、ごめん……」

「少々、お待ちになって?」

「え?」

俯いた顔を上げた時には、開かれた扉と寮内にいるジェンティルドンナの背中が目に映った。一体どうしたのか、色々と予想もつかないうちに……彼女が戻ってきた。


「どうぞ」

「えっ」

差し出されたのは折り畳まれた衣服だった。無意識に手に取り、広げると、水色のエプロンドレスだった。

「さあ、着替えなさい。風邪を引く前にね?」

「着替える……え!?今ここで!?」

「ふふっ」

ええそうよと言わんばかりの笑みを浮かべる。意地悪に見えて、何かを期待しているような顔。しかし、どうにも拒否の言葉が出なかった。

「わ、分かったよ……誰も見てないよね?」

「まだ休日の昼間。この時刻なら殆ど外遊の最中ですわ。尚更急がねばなくて?」

「うぅ……」

変わらず視線が突き刺さる。恥じらいを感じる一方で、何故か甘い痺れも湧き起こる。何も起こらない、何も起こらないと自分に言い聞かせて出来る限り手際良く着替えた。


「あ、ありがとう……」

まだ顔が赤くなった感覚が収まらない。同性とはいえ、まじまじと見つめられた事実が残ってしまった事に顔を俯かせてしまう。

「可愛い人」

「へっ?ひゃっ!?」

顔を上げた瞬間、顎をクイっと上げられた。


「私から見れば、貴女こそ無邪気で、強引で、意地っ張りな、お嬢さんですのよ?」

意識すらも吸い込んでしまうほど透き通った紅の瞳、色気を醸し出す唇、精悍さと美麗さが調和した顔立ち……視線と視線の交差を何も阻むものはなく、まじまじとジェンティルドンナの顔だけが焼きつく。

「あの…ジェンティル?」

「しー…女王様、でしょう?」

もはや逃れる事は叶わない。それでも恐怖は全くない。文字通り、どうにかなってしまいそうな感覚に陥ってしまった。


「35条。学園に籍を置くウマ娘以外は直ちに法廷から立ち去るべし。マーちゃんがお知らせします」

「うぇっ!?マ、マーチャン!?」

「あら」

いつの間にいたのか、同じチームに所属するアストンマーチャンによって甘美な雰囲気は断ち切られた。

「王様マーちゃんも、どうぞよろしくお願いします」

「へぇ……なら、貴女も加わりなさいな。勿論、適切な場で、この雨が過ぎた後でね?」

まだ混乱が収まらない。呆けてしまっているうちに話が進んでいるようだが、自分の耳には届かなかった。


「ふふっ、期待なさっていいのよ?私のアリス……」

「……うん」

それでも、あの微睡みにも似た幻想だけは忘れていない。あれに再び入り浸れるのか、いつの間にか小さな期待を込めて頷いていた。

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