受け継ぐべきもの その2

受け継ぐべきもの その2


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「うわああああああああああああ!!!」


”女ヶ島”沿岸に叫びが木霊する。

”ハートの海賊団”の治療により目覚めたルフィが手当たり次第にものを壊し、暴れまわっている。


「エースはどこだァ~~~!!!? エース~~!!!」


そんなルフィと彼を止めようと叫ぶ”ハートの海賊団”の姿をローと共に眺めながらジンベエは思案する。


ルフィが錯乱するのも無理からぬこと。

本来ならば目の前で義兄が死に絶えた時にこうなってしまってもおかしくはなかった。

だから、荒れ狂う今のルフィを無理に止めようとは思わない。


しかし未だ完治していない状態で暴れ続ければ、また命の危機に瀕するだろう。

少しでも頭が冷えたのならば止めに行こうとジンベエが心に決めた時、視界の端にルフィの元へ近づこうとする小さな影を見つけた。


「今はルフィ君に近付いてはならん」


小さな影……ウタをジンベエは腕で掴み、制止する。

道を阻まれたウタはかつてない勢いでもがき、脱出しようとする。


人形の抵抗一つではジンベエの身体は小動もしない。

だが、ウタがルフィを心から案じていることは痛いほど伝わってきた。


邪魔をしてほしくはないだろう。

心配なのは分かっている。

傍にいてやりたいというのも理解できる。


「ダメじゃ」


しかし、それでも今はルフィに近付くべきではない。

静かな、しかし断固とした想いがジンベエの言葉には籠められていた。


「……人間には、自分でも抑えようのない感情に振り回される時がある」


確かな重みを感じさせる言葉を受け、手の中でもがくウタが大人しくなり顔を見上げる。

今すぐに動き出す気がなくなったことを確認したジンベエは静かに語り掛ける。


「どうしようもないことじゃ。暴れまわる気力も尽き果てるか、その感情を呑み込むしか道はない」


ジンベエが思うのは過去の記憶。

天竜人の奴隷であった少女コアラを生まれ故郷へ送り届けたフィッシャー・タイガーが、人間の密告により致命傷を負ってしまったあの日。


あの人はそれまで誰にも悟らせなかった自分の内に刻まれた人間への憎悪を吐露し、人間の血を輸血することを拒んだ。

己の憎悪がどう足掻いても消えないことに涙し、それでもこんなものを後の世代に継がせてはならないと叫び、息を引き取った彼の姿に船の皆は声を抑えず悲嘆にくれた。


その後、ジンベエの弟分であったアーロンが単身襲撃を仕掛け、海軍に捕縛されたと知った。


敬愛する大兄が人間によって殺されたことへの怒り。憎しみ。そして嘆き。

それらがもはやアーロン本人でもどうしようもないほどに膨れ上がり、爆発してしまったのだと察した。


あの時、ジンベエは”タイヨウの海賊団”で実質的な副船長の立場であったが故、嘆く船員達を纏め上げなければならなかった。

そうした責任ある立場があったからこそ、自分はアーロンのようにはならなかったのだと思っている。


それでも、フィッシャー・タイガー亡き後の”タイヨウの海賊団”を率いる己のこんな姿を船員達に見せるわけにはいかないと誰にも知られぬ場所で一人叫び、嘆いたことはあった。


喉が枯れるほど嘆き、暴れ狂う激情が全身を駆け抜け、耐えきれずに暴れまわる。

今のルフィの姿は、当時の自分を見ているかのようだった。


「これは他人にはどうもできん。己自身で決着をつけるしかないのじゃ」


それでも尚、渦巻く激情は消えなかった。


何故、あれほどまでに立派な男がこんな場所で死ななければならないのか。

何故、己の憎悪を最後まで他者にぶつけることなく抱え込み続けた男が報われないのか。


……何故、敬愛するタイのお頭を殺した者達へ同じことをしてはいけないのか。



――あの人は……正しい

――誰でも平和がいいに決まってる!!!



全てはフィッシャー・タイガーがオトヒメの理想を信じたが故だった。


理想論だと何処かで皆が諦めていた。

そうなれば一番いいのは分かっている。

だが現実は厳しく、実現することなどないと冷めていた。


フィッシャー・タイガーもそうだったはずだ。

だからこそオトヒメの未来を見据えた理想ではなく、今苦しんでいる人々を助ける道を選んだはずだと思っていた。


それでも、オトヒメの理想が正しいのだと彼は自分達に告げた。

綺麗事が実現するのならば、誰だってそれがいいに決まっているのだ。



――おれはもう…!!! 人間を……!!! 愛せねェ……!!!



その理想に共感しながらも己に刻まれた憎悪が許さないのだと涙し、後へと託すために全てを抱えて逝った男の嘆きがあったからこそ、自分は耐えることができた。


「お前さんも、本当は泣き叫びたいじゃろう」


過去を追想しながらジンベエはウタを案じる。

人形に声を出せないということは分かっている。


だがそれだけだ。それだけのほんの些細な違いでしかない。

ウタもまた、エースという義兄を失った家族の一人なのだ。

ルフィと同じか、それ以上に嘆き、荒れ狂ってもおかしくはない。


「それを抑え、身を案ずるのはルフィ君のためか?」


それでもウタが耐えていたことをジンベエは知っている。

きっと、それは今暴れているあの少年を思ってのことだということも。


……自分も、同じくらい傷ついているだろうに。


「…………」


項垂れるウタの頭にジンベエはそっと手を置く。


誰かを思い、己を律することに努める。

その苦しさは如何ばかりか。


「お前さんは強いな」


荒れ狂う激情を呑み込むことの困難さを自分は知っている。

それを成し遂げられる類稀な強さをこの子は確かに持っているのだ。


ジンベエは、その手に収まるほど小さな人形の強さを心から讃えた。



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ルフィが目覚めてから暫く経った頃、ジンベエはゆっくりと顔を上げた。


「…………」


森から聞こえる破壊音が遠くなったことを確認したジンベエは腰を上げ、同じく座り込んでいたローへと声をかける。


「トラファルガー、ウタを任せてもよいか?」


ジンベエの言葉に感情の読めない視線を向け、ローは疑問を口にする。


「……麦わら屋のところに行くのか?」


「ああ、誰かが見守らねばならんじゃろう」


暴れるルフィに巻き込まれまいと既に”ハートの海賊団”は退避している。

今のルフィを放っておけば、それこそ死ぬまで己の身体を痛めつけてしまいかねない。


荒れ狂う激情の波が一時でも収まるタイミングを見計らい、彼を止める人材が必要だ。

その役割を担えるのは、ここでは自分だけだろう。


「ウタよ、ここでしばらく……」


傍らに座り込んでいたウタに目を向け、席を離れることを告げようとする。

しかし、視線の先にいるウタはジンベエの腕をしっかりと掴んでいた。


それは「自分も連れて行って欲しい」という願いの現れなのだとすぐに気付いた。


「……行きたいと? しかし今のルフィ君は荒れておる。危険じゃぞ」


諭すようにジンベエは語り掛ける。

しかし、こんなものでウタが退くはずはないということも理解していた。


今のルフィに近付くことの危険性を改めて口にする、ただの事実確認に過ぎない。

ウタの掴む腕の力がますます強まったことをジンベエは感じ取る。


「……分かった。だがワシの後ろに、そして離れて見ておれ」

「今のルフィ君に周りを気に掛ける余裕があるとは思えん」


それでも、ウタに危害が及ぶ危険性は出来る限り排除すべきだとジンベエは判断した。


今から自分達が向かう場所にいるルフィは己の身体の悲鳴にすら耳を貸さず、暴れ続けている。

そのような状態の彼に「お前を心配してきたものに気を向けろ」というのも酷な話だ。


「もし、意図せずしてお前さんを傷つけてしまったら、ルフィ君は今度こそ立ち直れないじゃろう……」

「分かってくれ、ウタよ」


己の背にいる限り、必ずお前を守ってみせる。


ジンベエの決意を感じさせる言葉に、ウタは静かに頷いた。



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「失った物ばかり数えるな!!! 無いものは無い!!!」


森の一角にジンベエの声が響き渡る。


荒れ狂う感情のままに暴れるルフィを砕かれた大岩に叩きつけ、動きを封じながらその目を真っすぐに見つめる。

深い絶望と自責の念がルフィの目からは溢れ出ている。


無くした物の大きさに打ちひしがれ、今まで積み重ねてきた全てが微塵に砕かれた。

今まで道標としていた存在が消え去り、己の道の前には暗闇だけが広がっている。


その気持ちはよくわかる。

わかるからこそ、そこで立ち止まってはいけないのだとジンベエは吠える。


己の手から零れ落ち、喪った物を想い嘆き続けるだけでは何処にも行けなくなる。

今は後悔と絶望の中で立ち止まってしまうとしても、生きている限りいつかは前に進まなければならないのだ。


悲嘆も悔恨も、全てを押し殺して前を向かねば道は拓けない。

道を拓けぬ者は海の藻屑と成り果てるのみ。


「確認せい!! お前にまだ残っておるものは何じゃ!!!」


だからこそジンベエはルフィに問いかける。


その手の中に残っている物に目を向けろと。

まだお前には、道を照らしてくれる何かが残っているはずなのだから。


「ハァ…ハァ…」


ジンベエの言葉にルフィの全身から力が抜けていく。


ルフィは地面に座り込み、荒い息遣いのまま震える両手に視線を移す。

ゆっくりと指を一つずつ折り、何かを数えている。


「…………」


ふと、ジンベエは足元から気配を感じ取る。

目を向けると、そこには離れて様子を伺っていたはずのウタの姿があった。


ジッとルフィを見つめ、ジンベエと共にルフィの言葉を待っている。


やがて、ルフィの目から止めどなく涙が零れ落ち始める。

振り絞るかのように、涙に濡れながら震える口を開いた。


「仲間がいる゛よ」


脳裏にあるのは離れ離れになった大切な仲間達の姿。

未だ安否の掴めぬ、各々の夢を叶えるために集まったかけがえのない存在。


その手に残るものを思い出し、溢れ出す涙でルフィの視界は滲んでいる。

それでもジンベエの足元にいる小さな存在にルフィはすぐに気付いた。


「ウタ゛ァ……」


その声に応えるように、ウタはルフィの下へとゆっくりと歩を進め始める。

近付いてきたウタを掴み、抱きしめながらルフィは堰を切ったかのように叫ぶ。


「ゾロォ!! ナミ!!! ウソップ!! サンジィ!!」


強く抱きしめるルフィの腕の中でウタは僅かに身じろぎするが、すぐにルフィに身を任せ始めた。

その小さな腕で、包帯塗れのルフィの身体を優しく撫でている。



――特にウタはよ…普通と違うから心配だったんだ



不意に、インペルダウンで共に牢獄に繋がれている時にエースが話していたことを思い出した。

旅の最中、偶然出会った義弟妹達のことを語る義兄の姿は喜びに満ち溢れていた。


「チョッパー!! ロビン!! フランキー!! ブルック!!!」



――でも、あいつらにはもう……頼もしい仲間達がいた

――何があっても大丈夫さ



自分達に守られるばかりだった二人の成長。

その手に掴んだ大切な「宝」が、二人を支えてくれるだろうと。



――おれは、安心したんだ



心から安堵していたエースの言葉を思い出しながらジンベエは座り込み、傍らの二人を見つめる。


「すぐに会いてェ……」


ウタを抱えて泣き続けるルフィ。

ルフィにされるがまま、寄り添い続けるウタ。


二人の姿は、まるで泣き虫の弟を慰める姉のようだとジンベエは思う。

エースが守ろうとしたのは弱くとも強い、こんな二人なのだと。


「あいつらに゛会いてェよォオ!!!!」


子どものように泣き叫ぶ声が一つ。深い森の中、何処までも響き続けていた。



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”四皇”の一人、”ビッグ・マム”シャーロット・リンリンの本拠地「ホールケーキアイランド」。


「話は後じゃ。まず……そこ出るか?」


『出るーーーーーっ!!!』


女王が座する巨大な城の一角。

サンジを連れ戻しに来たルフィ達が捕らわれていた「囚人図書室」に声が響き渡る。


”ビッグ・マム海賊団”の傘下より離脱せんと訪れた”海侠のジンベエ”が、ルフィ捕縛の報を聞き助けに来たのだ。


ルフィ達の監視と尋問を担当していたシャーロット・オペラはジンベエの一撃に沈んでいる。

明日に迫るサンジとシャーロット・プリンの結婚式。その裏で進む計画の準備に忙しいのか、ルフィ達の監視は彼一人だけだった。

つまり、ジンベエを邪魔する者はここにはもういない。


思わぬ場所での再会。そして万事休すであった状況に差した一筋の光にルフィ達は歓喜の声を上げる。

牢獄から救出しようと動くジンベエは、ふと見慣れぬ人間が一人いることに気付く。


「ところでルフィ、ナミ。この娘は誰じゃ?」


牢獄に捕らわれている人数は三人。

ルフィとナミの他にもう一人。涙ながらにジンベエを見つめる紅白の髪色の少女がいた。

何処かで見たような気はするが、思い出せない。


ジンベエの疑問にルフィが口を開くより早くナミが答える。


「この子はウタ!! 人形にされてたのが元に戻ったの!!」


「ジンベエ親分!! 改めて初めまして、ウタだよ!!」


「だから早く助けて!!」とナミとウタの声が重なる。


「ほう…なるほど。ウタじゃったか」


その声にジンベエは大きく頷く。


確かに。よく見ればあの小さく愛らしい人形の面影がある。

ウタがもし人間になったらこのような姿なのだろうとすんなり受け入れられる姿だ。


ルフィの肩に乗っていたようなウタが、随分と立派に成長したものだ。

ジンベエは一人納得し、改めてウタを見つめる。


「親分!! 早く。早く!!」


まさか喋れなかったウタがこんなにハッキリと言葉を口にできるようになるとは。

三日会わざれば、という言葉はどうやら人形にも適応されるようだ。


ジンベエはウタをマジマジと見つめる。

ウタの顔は安堵と再会の喜びが綻んでいる。


…………うむ。


「ウタァ~~~~~っ!!!?」


理解が追い付き、ジンベエは驚愕の叫びを上げる。

衝撃に固まったジンベエを再起動させたのは「後で詳しく話すから、早く助けて!!」というナミの一言だった。



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ワノ国を支配する百獣海賊団の本拠地「鬼ヶ島」。その城内四階にて。

国の命運を決する決戦の中、”麦わらの一味”に加入したジンベエと百獣海賊団の幹部”飛び六砲”の一人フーズ・フーが戦いを繰り広げていた。


「2年前…”麦わらのルフィ”が頭角を現した時、おれは驚いた…」

「あの時奪われた「ゴムゴムの実」を口にしてたってことに!!」


フーズ・フーの口から語られる己と”麦わらの一味”にある奇妙な因縁。

かつて自身が護衛し、”赤髪のシャンクス”に奪われたことで全てが狂った”ゴムゴムの実”を”麦わらのルフィ”が食していたこと。


「だが、それ以上に驚いたのは「ドレスローザ」の時さ…」

「まさかあの時現れた”歌姫”が”赤髪”の娘だったとはなァ!!!」


そして、忌まわしき”赤髪のシャンクス”の縁者であることが判明した”歌姫”のことを。


フーズ・フーは歓喜に身を震わせる。

思わぬところで、意図せずに己の怒りと憎しみを晴らせる機会が巡ってきたことに。


昂り叫ぶフーズ・フーを見つめながら、ジンベエは静かに疑問を口にする。


「……お前さん、ルフィとウタを恨んでるのか?」


「正確には…おれ達から”ゴムゴムの実”を奪った”赤髪のシャンクス”だがな!!!」


その名を口にし、フーズ・フーは忌々し気に歯を噛み鳴らす。


今思い出しても腸が煮えくり返る。

あの忌々しい麦わら帽子。そして自分の人生全てを狂わせた”ゴムゴムの実”。


二つを併せ持つ”麦わらのルフィ”は当然憎悪の対象だ。

しかし、そんな男の優先順位を下げざるを得ない獲物がここにはいる。


「なるほどのう…」


フーズ・フーの言葉にジンベエは納得したように呟く。

この男がルフィよりも優先して狙う相手など、今この戦場では一人しかいない。


「つまりお前さんはその恨みつらみをウタにぶつけようとしとるわけか」


フーズ・フーの憎む”赤髪のシャンクス”の娘、ウタ。

この男が狙っているのは彼女だとジンベエは確信を持ち、目を細める。


「ああそうさ!! まさかあの男に娘がいたとは思いもしなかった!!」

「奴の身内だって言うなら、おれが憎むのも当然だろう!!?」



――政府の”人間”の……!!! ”狗”になるんだなァ!!!

――おれこそが、魚人族の”怒り”だ!!!



怒り、憎しみを吐き出すフーズ・フーの姿に、ジンベエは懐かしい姿を幻視した。

それに似た深い憎しみをかつて見たことがある。



――子はまたそれを見て育ち、つけ上がる…!!

――誰かがぶっ潰してやらねェとこの流れは止まらねェ



その通りだ。憎しみは連鎖する。心に深く根付いた憎悪、恐怖、差別は受け継がれてしまう。

誰かが断ち切らねばならない。どれだけ苦しくとも、次の時代を背負う若者たちのために。



――大人になる頃にゃあのガキも他と同じになる

――まるでオトヒメの主張の様に、声は虚しく吹き抜けるだけだ!!



だが気付いていたか、アーロン?


天竜人の奴隷だった人間の少女コアラを故郷に返す旅の中でお前はコアラの面倒を見ることはなかったが、悪戯にあの子を嘲ることもなくなった。

自分達のように彼女を可愛がることはなかったが、己の怒りをぶつけることもなくなった。


「人間だから」という理由を振りかざし、己の憎しみの矛先にしなくなっていたことに気付いていたか?


感じていたはずだ。「コアラは違う」と、お前も知ったはずだ。

同時に諦観もしていたな。「いつかは他の人間と同じになる」と。

「意志は受け継がれていく」のだと。


そうではないのだと。「受け継がない意志」を持つ人々が生まれ始めているとお前に証明し続けてみせよう。


「猶更、お前はここで倒さねばならんな」


この男の話を聞いて、宿した憎悪の果てに取り返しのつかない罪を犯した弟分を思い出し、理解した。


これはダメだ。

こんなものをウタに見せる訳にはいかない。


「その恨みは当然のものじゃろう」


恨むのは当然だ。本人には権利がある。

この男には”赤髪”を恨むに足る理由がある。


それは認めよう。


「だがその恨みをあの娘にぶつけることは許さん」


「てめェ…!!!」


しかし、それに”次の世代”まで巻き込むことは許せない。

それは恨みの連鎖に他ならない。



――おれは必ず人間への復讐を果たす!!!

――悪しき下等種族よ!!! この報復におれ達は命を捧げる!!!



空虚な憎悪のみを受け継ぎ、”怨念”に憑りつかれたホーディ達のような哀しき怪物を二度と生み出してはいけないのだ。


「お前に分かるかよ……”赤髪”によっておれがどんな地獄に落とされたか!!」

「暗い牢獄に閉じ込められ、苦痛に叫ぶいつ終わるとも知れない日々……忘れられるわけがねェ!!!」


フーズ・フーは腹から絞り出すように唸り叫ぶ。


永遠に続くと思われた地獄の日々。その中では希望など一片としてなく、看守が戯れに話した存在も定かではないものにすら縋りついた。

あの苦痛へと自身を落とした”赤髪のシャンクス”への憎悪がさらに強まっていく。


「「神」に祈りもしたさ!! 伝説の戦士と呼ばれた「太陽の神ニカ」に!!!」


「…………!!」


フーズ・フーが口にした「神」の名にジンベエの眉がピクリと動く。


かつて、”支配”されていた奴隷達が信じた伝説の存在。

人々を笑わせ、苦痛から解放してくれる偉大なる「太陽神」。


その名をフーズ・フーに教えた看守は消された。

その時に生じた疑問。「ニカ」は政府にとって名すら残したくない存在なのか?


今は、それすらどうでもいい。


「今は感謝してるんだぜ!! 「神」が復讐の機会を与えてくれたってよ!!!」


これは己の祈りが届いたのだとフーズ・フーは高らかに謳い上げる。

そう信じてしまうほど、今の状況は自身にとって都合が良かった。


いずれ”赤髪のシャンクス”と対峙する時に備え、百獣海賊団の長であるカイドウから”歌姫”の身柄を確保せよと命じられたことだけは不満だったが。

それ以外の全てが己の復讐を遂げるために用意された舞台のようだと錯覚もしてしまうというもの。


「しかし”赤髪”もざまァない!!」

「自分の娘をオモチャにされた挙句、そのオモチャは他の海賊の手元なんてな!!」


己の家族が能力者の餌食となり、あまつさえその家族は”麦わらのルフィ”の元にいる。

自身を地獄へ落とした忌々しい”赤髪”の無様さをフーズ・フーは嘲笑する。


こんなものであの男に対する憎悪と怒りが収まることなどあり得ないが、多少は溜飲が下がる。


「…………」


響くフーズ・フーの嘲笑を聞き、ジンベエは眉間にしわを寄せながら静かに睨みつけている。

そんなジンベエの姿に気付かず、フーズ・フーは捲し立てていく。


「カイドウさんからは「生かして捕えろ」と言われてるからな!! 殺しはしねェさ!!」

「だが腕の一本や二本は…」


「もうよい。黙っとれ」


「!!」


聞くに堪えない恨み節。仲間の「家族」に対する侮辱をジンベエは遮る。

その目に燃え盛る怒りはなく、氷を思わせる冷たさでフーズ・フーを睨みつけていた。


「ウタに聞こえるといけない」


目の前に立つ男の憎悪はウタに伝えるべきではないものだ。

こんなものをあの子が背負う義理もなければ受け止める責務もない。


「ジンベエ…!!!」


「お前があの子に届くことは永遠にない……」


憎悪と怒りに滾る獣を見据え、ジンベエは静かに構える。

その瞳が睨むのはフーズ・フーそのものではなく、その身に宿る憎悪。



――その人間達への怒りを…!! 憎しみを!! 子供達に植えつけないで…!!

――彼らはこれから出会い…!! 考えるのですから!!!



あの子も一角の海賊。余計なお世話であることは理解している。

だが、これだけは譲れない。



――本当に島を変えられるのは……

――コアラの様な、何も知らねェ”次の世代”だ……!!



ソレを受け止めるのは自分のような男が背負うべき役割だと、その命を賭して降り積もった憎悪と憤怒を受け止め続けた人々に誓ったのだ。

彼らが最後の瞬間まで貫き通した意志、受け継いでみせる。


「その憎悪、ここより先には辿り着けぬと知れ!!!」


この誓いは誰であろうと破れはしない。

仲間に迫る憎しみの荒波に、彼らが夢見た”タイヨウ”へと続く道を歩む”新時代”の若者たちを害させはしない。


海侠は一人、過ぎ去っていった者達から受け継いだ想いを背負い、力強く吠えた。


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