反逆のレギオン
part83、>>20「……何と言ったえ?」
騒然とするシャボンディ諸島の一角。
その中心にいるのは二人の男女だ。
片や世界の支配者たる天竜人が一角、チャルロス聖。
片や世界の守護者たる海軍の将校にして歌姫、ウタ。
大騒ぎする民衆の目に映るのは、膝をつくウタを心底不快という表情で見下ろすチャルロスだった。
発端はウタの特徴的な髪色がチャルロスの目に留まった事であった。
そのまま顔を見せるように命じてみれば現れたのは美しくも愛嬌のある顔立ち。
一目見て気に入ったチャルロスは海軍所属の歌姫という護衛の言を聞いて有頂天となり、子守唄を歌わせるという名目で妻になるよう命じたのだ。
天竜人とは絶対の存在。逆らうことは死と同義。
彼らに目を付けられたが最後、その命には従うしかない。
そのことをチャルロスもよく知っている。
妻になれと命じて逆らったものは今までいない。この女もそうに違いない。
その思惑はいきなり出鼻を挫かれた。
「結構です」と、凛とした声で返された。
そして先の発言へと続く。
立ち上がったウタは恐怖に顔を歪めるでもなく。涙を流すでもなく。
「では再度申しましょう。謹んで、お断りいたします」
侮蔑と憤懣を湛えてチャルロスをねめつけていた。
ルフィとウタが最初に海軍の意義を疑ったのは、入隊早々2人揃って特殊部隊"SWORD"への配属を打診されたときだった。
一切の責任を背負い込む代わりに、すべてを自分の裁量で判断できる部隊。海兵にあらぬ海兵達。
そういった連中でなければ守れないモノがあると理解すると同時に、そんな特例めいた規則を設けなくてはならない海軍という組織の欠陥を否応なしに考えさせられた。
自分たちは物事の一面しか見ていなかったのだと見聞の狭さを恥じる事となった。
そもそもがある種の尻尾切りでもあるのだろう。
ルフィもウタもお互い極悪人を親に持つもの同士。出生と育ちを考えれば世界政府に牙を剥く可能性も0ではない。
故のSWORD配属。万一何かしでかしてもシラを切り通せるように、無傷で海軍から切り離せるようにという上層部の思惑だ。
それが分かった時、ルフィは憤りを、ウタは悲しみを、それぞれ味わった。
血筋や育ての親という自分で定めることができない部分だけでこうも疑われるのかというほの暗い感情だった。
とはいえその思想自体は理解できるものであり、何より2人ともSWORDの立場には魅力を感じていた。
そう思って入隊を承諾し実際に動いてみれば、幸運なことにその在り様が2人の気質にこの上なく合っていた。
比較的好き勝手出来る境遇というのは窮屈を嫌うルフィにとって天職だったし、ウタもまた始末書の類を気にせずにやりたい放題できた。
そうして何か大事を起こす度に首を切ることを考慮されたが、それ以上の圧倒的な実績と人望によってねじ伏せてきた。
上から信用のない状況なのは変わらないかもしれないが、おかげでこちらとしても変に期待や幻想を抱かずに済んだ。
このまま骨を埋めるのも悪くないと考えていた。
『……ねェルフィ、海軍って……世界政府って……何なんだろうね』
『……分からねェ。分からねェけど……今のままじゃダメってことはわかるぞ』
『……そうだね』
それでも、その考えは覆された。
決定打となったのは天竜人の存在だ。
絶対的な権力をもって世界に君臨する竜。
彼らがいるだけで罪のない人々がいたずらにその生をメチャクチャにされる。
その有り様は自らの意思で暴虐を振り撒く海賊よりも質が悪い。
彼らについて学んだとき、彼らの実態をこの目で見たとき、ルフィとウタは世界政府を見限った。心の底から唾棄した。
彼らが頂点にあるシステムなど最初から欠陥品だ。
その下位組織であり、なすがままに従う海軍にもまた失望を覚えた。そうせざるを得ない内情はうっすら分かるが、納得するかは別問題だ。
もはや2人は、正義という概念も、それを謳う海軍と世界政府という組織も信用していなかった。
それこそ、正義を掲げようとして止めた程に。留まろうと思えるだけの愛着を失くしてしまう程に。
そして元凶たる天竜人に、いつか一泡吹かせてやりたいと考える程に。
(まさかこんなタイミングでその機会が巡って来るなんてね)
故にチャルロスに目を付けられている今考えているのは。
どのようにやり過ごすかではなく。
如何にして出し抜いてやるかだった。
「……小娘、今一度考えるチャンスをやるえ。ここでわちしの妻となるか、さもなくば死ぬかだえ」
小汚い顔面をヒクつかせチャルロスは問いかける。
どちらに転んでも待ち受けるのは絶望。しかしウタはそのどちらも受け入れてやるつもりはない。
「ふむ?二度お伝えしましたが今一つご理解頂けなかったようですね。オーケー分かりました、それではより簡便に申し上げましょうか」
あえて慇懃無礼に言葉を返す。
重要なのはこの男の鼻っぱしをブチ折ってやることだ。
おそらく明確に煽られるような経験などしたことないだろう。お粗末な悪口レベルの物言いでも十分そのプライドは傷つけることができる。
要望が聞き届けられなかったこともまずないだろう。彼らはそのような横暴を許される人種だ。
ならば自分がするべき事は。
「お前みたいな豚の妻なんて死んでもゴメンだと。豚は豚らしく家畜小屋で鳴いて交尾してろと。そう言ってんの」
最大級の嘲笑と憐憫を込めて、その望みを否定してやることだ。
「貴様……!!」
ウタに中指を突き立てられ、わなわなとチャルロスが震える。のみならず取り囲むように見守る民衆もみな顔を青くした。
天竜人に歯向かうなど正気の沙汰ではない。いわんや世界にその名を轟かせる海軍最大の広告塔がそうしているのだ。
そしてその喧噪を彼女は気にも留めない。注視するはこの男だ。
この後どの様に行動するかは見聞色で読める。
予知の中のチャルロスは宥める護衛に鉛弾を浴びせ、返す手でウタにも銃口を向けており――――――実際そのように動いた。銃声に悲鳴が上がる。
しかしウタから見ればあまりにも緩慢な体捌きだ。怒りに身を任せているのもあって動作も大振りで単調。
読むまでも無かったか。よしんば撃たれても己の武装色の前には意味をなさないが。
発砲に合わせ踏み込みカウンター気味に拳打を打ち込もう――――――と思った矢先。
「ヴォゲァア!!!!!」
ドゴォン!!と轟音が響き渡り、耳障りな悲鳴を上げてチャルロスが右手側に吹き飛んだ。
一瞬呆気にとられるが、何が起きたか理解するのに時間はかからなかった。
なんのことはない。一人の男が群衆の中から飛び出し、チャルロスを横合いから思い切り殴りつけたのだ。
麦わら帽子が似合うその男は、ウタの大切な幼馴染にして比翼連理の相棒、モンキー・D・ルフィ。
今度は新世代の英雄のお出ましである。しかも最悪と呼べる形で。
ただでさえざわついていた民衆の喧騒が更に大きくなる。最早狂乱状態だ。
「……大丈夫か、ウタ」
そんな彼らには目もくれず、ルフィはウタに声をかける。
実際のところ一切の怪我を負っていない為――――――目を付けられたという点では不快だったが――――――心配は不要だ。
それでもルフィは言わずにはいられなかった。
そしてウタはただ、その思いやりが嬉しかった。
「ありがと。平気だよ、あんな奴が私に傷をつけられるわけないじゃん」
「そっか」
「それより、ひどいよルフィ!!あいつは私がぶっ飛ばしてやりたかったのに!!」
「なんでお礼言われた後に怒られてんだおれは!?」
……まあそれはそれとしてやりたかった事を先んじられた以上は物申すのだが。
先までの修羅場などまるでなかったかのように言いたいことを言うウタに面食らう。
祖父かシャンクスの影響だろうか――――――それとも自分に似てきたのだろうか。
「だって"どっちが先に天竜人をブン殴れるか"で勝負してたじゃん!!私の1326連勝記録が途絶えちゃったんだけど!?」
「んなっ!!違ェぞ、これでおれが1327連勝だ!!最初っから負けてねェ!!」
「出た!!負け惜しみィ~」
「何だとォ!?」
「何よ!?」
これもまたよくある彼らのやり取り。もっとも今回に限って、その内容は欠片も笑えないが。
片方が突っかかり、それにもう片方が乗っかり、そして――――――
「……ししっ」
「……ふふっ」
お互い笑い合って終わる。
こんな時であっても、2人はいつも通りだった。
「……とうとうケンカ売っちまったな、おれ達」
「そうだね。きっと皆怒るだろうな」
「かけられるかもなァ、バスターコール」
「それで済むワケ無いでしょ。出てくるよ、大将の皆さんの誰かしらが」
「あァそうか……でも、後悔してねェよな」
「もちろん。やっとすっきりしたよ」
脳裏に浮かぶ恩師や同僚、部下の顔。
生き残る技法を教わった。戦う術をたたき込まれた。あらゆる感情、思い出を分かち合った。親愛を以て接してくれた。
自分たちはそんな彼らの顔に泥を塗ったのだ。のみならずこれから後ろ足で砂をかけようともしている。
それでも後悔はしていない。
望むようにやったのだ。それが悪と断じられるようなことであっても、己の心に嘘は付けない。
海軍の理念には理解と敬意を示しつつも、抜ける可能性を考慮し続けた。
それが丁度今巡ってきただけの事。
納得できないのなら、納得できるまで突き進んでやろう。
やりたいことを、やりたいだけやろう。
だって自分たちは。
かつて海賊に――――――自由に憧れたのだから。
これから先何が待ち受けるだろうか。
敵に回った海軍か。何も知らぬ民衆か。海を荒らす海賊か。
生か、死か。絶望か、希望か。
どれでもいい。なんだっていい。
邪魔するものは蹴散らしてやれ。荒波ならば越えていけ。
命尽きるその時まで戦い、笑え。
だっておれたちは。
だって私たちは。
2人で最強なんだから。
差し当たっては。
「それじゃあよ、ウタ……」
「うんルフィ、まずは……」
「「逃げるか!!」」
そういって駆け出す。正義のコートを投げ捨てながら。
思わず割れる人の群れを、迷いなく進む。
決して贖えない罪を犯したはずなのに。
その足取りと心持ちはどうしようもなく軽やかで。
ルフィもウタもそろって破顔していた。
――――――ああ、やっぱり。
何があっても、何をしても。
きみと共にいるのが、きみの隣にいるのが、何よりも楽しい――――――。